仕事柄か、最近コンピュータと人との関わりを考える事が多くなりました。私が最初に触ったパソコンはNECのPC-8001です。発売されたのは1979年の9月ですから、もう25年も前の事になります。当時の定価が16万8千円、これをウチの父親が発売の月にNECの直営店で13万8千円で買った領収書が今も実家に残っています。当時の大学卒の初任給が9万円ですから、今で言えばざっと30万といったところでしょうか。
仕事にも使えない物に対して30万は今の私でもおいそれとは出せませんが、PC-8001は生産が追いつかないほどの大ヒットとなり、2年間で12万台以上を売ったと言われます。
…ということはこれまで数限りなく言われたきたことではありますが、PC-8001のヒットに至る以前、普通の人はどれくらいコンピュータというものを知っていたのか?というのはあまり研究されていない、ような気がします。
で、私がいろいろ調べた感じではどうもPC-8001の10年前、1969年前後にはもう「コンピュータ」という言葉そのものは一般的になっていたようなのです。まだあくまで仮説ですが、分かりやすいところをご紹介しましょう。
1.「男はつらいよ」
御存知日本映画の代表選手、いきなりコンピュータとは縁のなさそうなタイトルですが、実はあるのです。それも映画の第一作「男はつらいよ」(1969年)にその片鱗が見えています。近所のビデオ屋には3作目からしかなく実物では未確認なのですが、ちくま文庫から出ているシナリオにこのような一節があります。映画の序盤、ひょっこり帰ってきた寅さん(渥美清)が妹のさくら(倍賞千恵子)の仕事について近所のおばちゃんから
「オリエンタル電機でキーパンチャーをやっているんだよ」
と聞くシーンがあります(※高井研一郎・画の漫画版では受付嬢になっています)。キーパンチャーというのはまだキーボードが一般的でなかった頃、コンピュータへデータを入力するためのパンチカードに穴を空ける仕事でして、当時女性の憧れの職業だったそうです。さくらはやくざ者のような兄貴に対して出来の良い妹、という設定であり、キーパンチャーは香具師の正反対に位置づけられています。本作の中でキーパンチャーというのはここのセリフ一言にしかありませんから、コンピュータというものを見たことがない人にとっても知的な職業として知られていたと言えます。
2.「あしたのジョー」
これまた御存知マンガの代表作。高森朝雄・作、ちばてつや・画。「週間少年マガジン」に1968~73年に渡って連載されました。時期は「男はつらいよ」の初期とほぼ同じでして、何度か「コンピュータ」という言葉が出てきます。大抵はジョーや丹下のおっちゃんが相手のボクサーの評判を語る際に出てくるもので、冷徹/正確な相手に対して「コンピュータつきファイティング・マシーン」などと使われています。野性的と称される主人公ジョーと正反対、あるいは非人間的なものとして「コンピュータ」が使われているのが印象的です。
特によく出てきたのは最後に戦うホセ・メンドーサに対してですが、もう一つ興味深い表現があって「(コンピュータは)衝撃に弱い」「衝撃を与えるとたちまちくるいだす」というセリフがあります。個人向けのパソコンが出る10年近く前にこのような知識はほぼ一般化していたわけです。
「あしたのジョー」を読んだことの無い人向けに説明すると、このセリフをしゃべるジョーは元は浮浪者同然だったし、丹下のおっちゃんも落ちぶれてドヤ街に流れてきたボクサーくずれなワケです。その二人がこのくらいのことを喋っていて不自然は無かった、というのはよくよく考えると驚きです。
さて、ここらへんが日本人が漠然と捕らえていたコンピュータというものとしましょう。
それは正確で冷静で神秘的、かつ非人間的。それに仕える人は知的労働者。しかし、衝撃に弱い(笑)。
次回、35年後…すなわち今のコンピュータはどんなものか改めて考えてみます。
(とか言って他のテーマが進んでませんね、ごめんなさい)