MSX研究所長の日常

80年代を駆け抜けたオールドパソコンMSXの研究の日々を綴ります。

CD「MSX TYPHOON」

2005年03月21日 23時46分49秒 | MSX
360'RecordsにてリリースされたCD「MSX TYPHOON」。なんとMSX(しかもターボR)1台だけでサウンドを作り続けているアラキケンタ氏のアルバムです。というわけで通販にて買いました。1枚だけ買って1995円(送料サービス)。なんとRではなくてプレスのCDです。

音楽に素養がないので気の利いたコメントが書けないのがアレですが、よくあるPSGっぽさを強調しているでもなく、さりとてゲームミュージックに似ているわけでもない、ひたすらMSXらしさの漂う音楽です。PSGとOPLLでピョコピョコ言わせながら鳴るコレは、皆様覚えていらっしゃるでしょうか、MSX・FANでたった2曲(ダイナミック侍/サブマリン707)の名曲を発表して彗星のように去っていった「博士と王様」氏のソレに近い気がします。

そういえば、雑誌「米国音楽」の数年前の号に付属していたCDにも確かアラキ氏の曲が収録されていた覚えがあります。その時と変わらずOPLLの生音に近い音で鳴らしているあたりに強い意志を感じます。何のツールを使っているかは定かではありませんが、まさかBASIC?それともOPLLDriver?まさかMGSとか?かなり気になる!

新宿あたりのタワーレコードにも置いてあるとのことなので、MSXフリークは買いに走ろう!

「ケンガイ」問題(1)…サイトの無断紹介は問題か?

2005年03月05日 13時44分28秒 | PC全般
一部で問題視されている「ケンガイ」の姿勢についてツラツラと考えています。
事の発端は芸文社の雑誌「ケンガイ」2005年3月号に「ケンガイ版こんにちはパソコン」として掲載された各種オールドPCの特集記事です。この記事に対して

1.記事の内容にインターネット上のファンサイトからの盗用があるのではないか。
2.スクリーンショットや写真はネット上のものを集めて来たのではないか。
3.サイト紹介が管理者に無断で行われた。

などを問題として問う声を聞くことがありました。

今回の事件の要素は複数入り交じっていて簡単には捕らえられません。しかし最後の「サイトを無断で紹介されたこと」については、問題視するのはおかしいと思っております。聞くところによると、これまで雑誌に掲載されるような場合は事前に管理者に対して問い合わせや確認が入るのが慣例であったようですが、だからと言って必ず必要か?となるとおそらくNOと言わざるを得ません。

このことはこのblogの親サイト「MSX研究所」の存在意義にも関わってくる非常に重要なことです。著作権に関する論争、特にネット上のそれは根拠に乏しいものが多いのであまりしたくないのですが、「公開された著作物」は商用か非商用かは関係なく「紹介や批評のための引用」はOKとされています。もっとも著作権法の文章は「公正な慣行に合致するものであり」という不明確な枠があるので解釈の問題が生じますが、今現在ネット上で自由に読めるようにしているサイトは公開されていると考えるべきですし、それを紹介されることは、例えそれが商用であっても、無断であっても、アングラ系やHな本だとしても、拒むことはできないと私は思います。内容のパクリはまずいですが、今回の「ケンガイ」でのような「紹介」の仕方(サイト名、URL、トップページの小さいスクリーンショット、短い解説)であれば「無断転載」とは言えず、十分に許容されるべき範囲でしょう。

私だって、そりゃあ自分のサイトがアングラ本に勝手に紹介されるような事があったらイヤに決まってますが、ウソや悪意を持って書かれない限りは許容しなくてはいけない、と考えます。それを否定するなら、例えばゲームレビューなどは著作権元のメーカーにお伺いを立てない限り書いてはいけなくなってしまうからです。このことは言論の自由(という言葉も変な解釈が多すぎるので書きたくないのですが)の根幹に関わる重要なことです。サイトは非商用で雑誌は商用だから、という理屈は何の意味も持ちません。

かつてMSXのアマチュア界ではそういう「仁義」みたいなものがかなり徹底していた世界でした。具体的にはインターネットが一般化する1997~98年頃より以前の話になりますが、アマチュア雑誌におけるゲームレビューや紹介はほぼ必ず製作元に問い合わせてから、という慣例がキッチリ守られていました。しかしその副作用としてインターネット上にはその種の記事がほとんど存在しません。私はMSXのアマチュアソフトが好きなので現物は手元に多く残っていますが、紹介の前に製作元の許可を取るとなれば、連絡先が不明なものが多いため、もうレビューの公開は絶望的です。作り手にとって昔の作品を蒸し返されるのは好まれないことも多々ありますが、誰かが価値を感じたものが忘れ去られることを防ぐという意味でも、紹介や批評は自由でなくてはいけません。

もちろん、相手が望むことを汲み取ってそれを反映させることは決してマイナスにはならないので、雑誌社などは可能な限り実行すべきでしょう。そうしてよい関係を作っていくことで新たに得られることもあると思います。ただ、この「ケンガイ」問題に限らず紹介に対して不快感を示している人たち(作者以外の人が言っている場合もある)は、権利の範囲を自分に都合よく解釈しているんではないかしら、と思うことがたびたびあるのでまとめてみました。

関連して、スクリーンショットの話について次に書きたいと思います。