農大現代視覚文化研究会

「げんしけん」の荻上と「もやしもん」のオリゼーを探求するブログ

夏コミの原稿について

2006年07月15日 14時37分38秒 | 雑談
木尾士目作品を精神分析的に解釈する本を書こうと思いつつ先送りにしていたんだが、一発やってやるぜと思って書き始めてみたら、「点の領域」と「陽炎日記」前編だけで5000字を超えてトホホ。「五年生」の分析も2万字余裕で超えてるしなぁ。「げんしけん」がどの量行くかと考えると、「五年生」の倍は行くだろってんで、多分6万字くらいの本になるのかなぁ。原稿用紙150枚分? しかもマンガの感想で? なんだかなぁ。このブログでいいような気がしてきたよトホホ。すっとこさんの脳内はもうだいたいわかってんだし、あまりにも一人よがりすぎてついてこれる人間がどれだけいるのやらトホホ。解釈した結果による物語の再構築は8.5巻のでやっちゃったし。実際どーしたもんやらって感じだ。とりあえず「点の領域」の解釈をうpするので反応を待ってみる。

点の領域

 木尾士目のデビュー作、1994年夏のコンテスト四季賞。コミックス収録版にサブタイトルが無いが「支倉圭太の開始点の事」らしい。この作品の読み解くための鍵は何といっても星子の正体だが、ズバリ、コミックス巻末の「赤っ恥劇場」で、点の領域の題材が「妄想」であるとされている事から、星子は圭太の妄想の産物であると考えられる。妄想の産物である状況証拠は、「朝起きると隣に寝ていた」「持ってない筈の鍵をかけている」などで提示されている。もっとも、妄想の産物とは言っても非実現的なものではなく、星子本人も言っている通り「現実にあたしはここにいる」のである。一緒に銭湯も行くし、勝手に買い物に行くぐらい実体化した妄想の産物、それが星子だと考えられる。
 では何故星子は実体化したかと考える。星子はやはり自分で言うとおり「夜が明けるまで」いる存在である。ここで言う「夜」とは、圭太自身が言うとおり、昼に対する夜ではなく、圭太の現在の状況を表している。圭太の現在の状態は、就職活動の面接で面接官の欺瞞に我慢できずに喧嘩を売ってしまうとか、兄に対する劣等感とか、本音と建前の使い分けができないとか、いくつか言い方を変えて言うと「社会化していない」「内的自己と外的自己で内的自己を優先してしまう」と言える。この状態の圭太を「夜」だと表現している。しかし圭太はそのような自分に納得はしておらず、変化する事を望んでいる。こじつけて言うなら圭太の抑圧した面を自我に回復させたい、その望みが星子を生み出したと考えられる。あと単純に自分好みの彼女が欲しい、ってのもあるかもしれない。とすると、愛の正体が失われた自我の回復であるとするならば、星子は圭太の正反対の性格でなければならないわけだ。
 となると、ラストの「記しておかなければならない事実は避妊しなかった」の解釈が可能になる。まずは避妊をしないという事は、星子を配偶者として認めるという事を表し、夫婦、あるいは家族になるという事を表す。これは文字通り星子と「1つになる」という意味であり、失われた自我、つまりエスに抑圧された自我を回復して再び組み入れる事を意味すると考えられる。とすると、回復した自我は圭太に取り込まれ、妄想の存在である星子は消失する。星が消えるという事は夜が明けたという事で、「眩しいな……」で終わるのが「点の領域」なわけだ。
 ここで圭太の兄弟観や、星子を失いたくないという感情を考えると、要するに他人との関係性の間でしか自己を確立できないという事か。これは「五年生」2巻55ページでアキオが「個は連帯の中でしか確立せんのよ」と言っているのと共通するものがある。連帯を共同幻想と言い換えると、人間は共同幻想が無いと生きられないが、共同幻想を意識しすぎて自己を確立できていないのが今の圭太であると、そう考える事もできる気がするが、この段落はなかなか書いていて自信が無い。勉強不足。
 レズ物好きというのは星子が圭太を評して「……あんたなんだか女みたい」と言っているのと関係している。人間の性別は性器によって決定されるわけではなく、後天的に学習するものなので(だから性同一性障害という症状が存在できる)、人間の性的嗜好も千差万別である。性別を後天的に学習するメカニズムについては説明を省略。圭太の「男がレズ好き」が何を意味するかはとりあえず不明。
 ラスト前の「目をそらして言った?」が意味するところがよくわからない。もちろん「なんでお前は……ずっと相手の目を見て話すんだよ」に対応したセリフではあるのだが、「相手をよく知るために」見るのと、「知られたくない時もあんだよ」の尊重、このあたりが関係してるんだと思うんだけどよくわからない。
 というわけで難解な「点の領域」だが、つまり圭太の成長物語を非常に分かりづらく描いているのがこの作品で、それを非常に分かりづらく説明しているのがこの文章である。あとは自分の経験を頼りに理解するしかないのかもしれない。




現在浮気中

2006年07月05日 02時57分43秒 | 雑談
さて、現在すっとこさんは「涼宮ハルヒの憂鬱」にハマっている。意外?
と言うのも「げんしけん」で精神分析にハマった事は以前述べた通りだが、ついうっかりハルヒを見た瞬間に「これは構造主義だ」と気付いてしまったので(気付くのは勝手)、ハルヒと構造主義入門本を平行して読書中であったりする。
いずれ構造主義を手土産にげんしけんの分析をより深くできるに違いない。しっかし夏コミどうしよう。今から本作って間に合うかね。ちょっと書いてみるか。

「笹原完士を精神分析する」

笹原を解読する手がかりはまず、1巻、春日部さんの「そうやって自分を隠して人を遠ざける事じゃないの?」「同じ事して友達いなかった奴一人知ってるよ」である。そもそも何故春日部さんがこんな事を知っているかの説明が無いんだが、理論的に解釈して、笹原がコーサカに吐露した心情を、コーサカが何も考えずに春日部さんに言ってしまった、てのが妥当な所か。さて、この場合の「友達いなかった」にも程度があるが、笹原のコミュニケーションスキルからして「友人が全くいなかった」というのはあり得ない……よなぁやっぱ。という事は「気兼ねなくオタ話ができる友人がいなかった」というレベルだろうか。しかし「気兼ねなくオタ話もできない」って事は、「全て腹を割って話せる友人、つまり親友と呼べる存在」がいなかったという事は十分あり得る。そこに同年代でありながら、オタ系のスキルは万全。性格も自分に無いものを持っているコーサカになついてしまうのも当然かと。作中で笹原とコーサカが親しくしている明確なシーンはあまり無いんだけど、初コミフェスで笹をフォローするコーサカとか、笹パソコン購入話でコーサカルームに入り浸っているのを見れば妥当かなーと。つまり笹は高校時代、隠れオタとして自分を偽って学校生活を送っていて、椎応大に入って初めて親友ができたと、とりあえずそーゆー解釈で。

続いては恵子の「サル」である。ここはすっとこさんが相当妄想力を駆使したので、合っている確信は無いが、間違っている証拠も無いので書く。つまり同じ顔で、サル顔でない笹の事をサル呼ばわりするにはそれなりの理由がある。サルといえば……と言うより、何をしているのを見ればサル呼ばわりするかと言えば、オナニーの他に思いつかないすっとこさんであった。つまり恵子は笹のオナニーを目撃して、それ以来兄貴をサル呼ばわりするようになった。笹も自分の落ち度だと知りつつ、そう呼ばれる事を否定できないので、サル呼ばわりされても「『まだ』ソレかよ」と否定できないのである。笹にしてみれば男としてやむを得ない事情だと言え、妹に弱みを握られているも同然なので、恵子には頭が上がらない……バラされたら嫌だし、という感じだろうか。本編で恵子が笹を脅迫するシチュで必ず「サル」と言っており、笹も基本的に反抗していないのが証拠になるかなーと(例外:海水浴)。ちなみにすっとこさんの妄想では、オナニーしている所をダイレクトに見られるというのがしっくり来たが、8.5巻ネタを叩いていた所で、実は恵子が初体験して精液の匂いを知っており、笹がオナニーした直後で部屋に入り、精液の匂いでなにをしていたのか気付く、というのが話としては面白く、描写もキツく無く、笹の受けるショックは同じという面白い展開を出せた。笹にしてみれば妹に先を越された負い目もあるし。

も1つ、笹のお姉さんキャラ好きとくじアン会長好きとオギー惚れについて。精神分析の単純に言って嫌われるのは「○○が好き」と言うと「それは無意識で○○の正反対である××が好きなのを抑圧して欺瞞しているせいだよ」という、言えば必ず嫌がられるシーケンスがある。ちなみにそうなるのは、「××が好き」というのを否定する理由が無いとそうはならないんだが、ここは「超自我」で説明される。つまり本当は××が好きなんだけど、それはよくない事だから抑圧して、正反対の○○を好きになる、という説明が可能になる。ちなみに単純に「ものごごろ付く前に○○が好きだった(超自我の抑圧無し)」という説明も可能なので、うかつに人に言うのは避けたい所。もしくはしっかりリサーチしてからね。

しかしマンガのキャラに何言ってもいいので、勝手に述べると、笹のお色気キャラ好きは、つるぺた好きを抑圧している所為とすれば単純に説明できる。単純すぎて嘘くさいくらいである。斑目さんの「お姉さんキャラ好きを抑圧してロリ好き」も同様に説明できるかな。もし笹が本当におねーさん好きだったら、とっとと大野さんに告白している筈であろうと、ぺたぺたなオギーコスを見て一目惚れしなかったであろうと。まぁ一目惚れについては「五年生」の分析で散々やったので今更という感じもするが、とにかくそういう説明は可能。笹の抑圧された記憶に関しては一切説明が無いので(このへんのメカニズムはオギー編で説明)、何とも言えない。

だいたいこんな感じ。

ちなみに「ハルヒ」にも精神分析の影はちらついており、1巻290ページ4行目。「フロイト先生が爆笑しそうな」 という表現。それから、1巻175ページ「恋愛感情は精神病の一種」というのも「五年生」イズム溢れる言葉である。このへんの人間の感情を全部「抑圧された過去の記憶」に転化するのが精神分析の胡散臭い所であり、受け入れてしまえばこれほど分かりやすい話も無いのである。まぁ実際すっとこさんは精神分析を受け入れてドツボから脱出できたので精神分析には大変感謝してますよえぇえぇ。人間、自我を一旦崩したとして、自殺するか、崩れっぱなしにするか、何かツールを使って自我を立て直すしかないんですが、このツールの安全な使い方を教えてくれるのが精神分析で、どのツールを使えばいいかまでは教えてくれないんですね。まぁ眠くなったんで一旦切ります。おやす。

「ホムンクルス」を読み解く

2006年05月23日 11時58分24秒 | 雑談
よく考えるとこのブログは「現代視覚文化研究」会(構成人数俺一人)なので、現代の視覚文化に関する事なら、なに研究してもいいんだった(開き直り)。まぁ「げんしけん」メインなのは間違いないけど。

そこで今日の雑談は、山本英夫の「ホムンクルス」の解説をする。何しろ人の心を扱ったマンガなので、「げんしけん」とも相性がよく、今のすっとこさんにはピッタリである。そこでちゃっちゃと解説を書いてしまおう。ちなみにテキストは6巻まで。

1巻。頭の胎児のイメージは、ただ単に名越が生まれてない、つまり覚醒してないとかそんな感じ。しかもこの胎児、妊娠初期くらいかな? 今の名越はこのくらいであるという描写ね。社会的には成功してるけど。とりあえずカーホームレスを開始したのが、まぁ受精であると、そんな感じかなぁ。ベンチで読んでる"NO PEACE,NO HONOR"は和訳が出てないくさいので謎。amazonの書評を翻訳に突っ込んでみると、岸田秀が言うところのアメリカの強迫神経症を肯定する内容かねぇ。売れている所を見るとアメリカ人マンセーの本くさいんで内容はだいたい想像できる。なんでこれを名越に読ませてるんだ。まぁ2コマだけなんでとりあえず放置。車の修理の件は山本英夫の取材の成果か。だって今ん所、名越が車フェチである理由が明らかにされてないもんねぇ。7巻か8巻くらいか。サクセスする前に車関係のトラウマがあるとかそんな感じかな。5巻の「記号をちらつかせればすぐ、股を開く」が関連。ケンさんの「私がやりました」は、後でケンさんの罪を告白させる複線かな。トイレでゲロするのはホームレスと、その食事の拒否。翌朝の毛布のエピソードも同様。6巻で「あっち」を抜け出した後は食べるもんね。虚言壁は……女落とすために嘘つきまくってきたとゆー感じか。

70万円の意味は伊藤くんのトラウマ開陳待ち。戸籍や臓器の販売価格と同じなのは、山本英夫の方が原因かね。指を鳴らすのはなんだろうね。すっとこさんの場合は「刑事コロンボ」の影響だけど。あと、1~4巻で出て来るんだけど、伊藤くんが左を向くのは本心。右を向くのは「心に偽っている」という態度でしょう。ここで言う「心」は3巻冒頭で説明している「無意識」ね。つまり意識的についている嘘ではなく、無意識を偽っていると。そう考えると意図的に嘘をつこうとしている名越が唇を上げるのとは違う。

ケンさんのお金語りはそのまま自分の事だと気づかずに言っているが名越は気づいた。んで、車フェチから車を取り上げればああなる。「ピーナツ」のライナスの毛布と同じね。「自分にウソをつかない仕事をする」は、名越が散々自己を偽ってきたとゆーことで、6巻の最後に導入の複線が。デート代とポルシェのために無茶な借金でもしたかね。ご利用は計画的に。ちょっと飛んでホテルのレストランのシーン。はい伊藤くん左向いてます。「人間が知りたい」ってのは本心なのねぇ。

まただいぶ飛んで手術直後。痛み止め飲ませてますが、名越が飲んだ直後の伊藤くんの表情と、部屋を出た時の態度から、これがただの薬ではない事はわかるんですけど、なんなんだろうねこれ。車の中をいじられてるのを気づくのは、まぁ自分のコンピュータの、いつも使っているファイルや設定が改変されてればすぐに気づくのと一緒でしょ。伊藤くんが霊関係を怖がるのもそのうち明かされるでしょ。壁の材質を当ててるのは、あれはあれで凄いことなんですがねぇ。感覚が研ぎ澄まされているという説明でしょう。「もともと人間に興味がねえ」んじゃなくて、人間を実地訓練で知ってしまって絶望したって方が近いよーな。

オカルトの可能性をいくら潰しても、科学の見地とやらは証明できません。無いことは証明できないって「悪魔の証明」って奴だ。ウィトゲンシュタインだな。ESPカードなんかバリバリにオカルトの象徴だな。伊藤くんはオカルトとトレパネーションという、彼のとっての科学の枠に収めたがっているのだが、トレパネーション自体がだいぶオカルトなので、トレパネーションが科学であることを証明するには大脳生理学を完璧に証明せんといかんのだが、まぁ頑張って下さい。星5つはどうしたもんか。山本英夫が本当にやっちまったんじゃねーかと思ってますが。

組長の精神分析については2巻で事細かに説明されてるので蛇足になるのではないかと思いますが、つまりあるトラウマをかかえた人間は、それが間違いでなかった事を証明するために、何度も同じ事を繰り返そうとする傾向があるのですね。フロイト的には「反復」と言います。この場合、組長はともだちの指を切ってしまった罪悪感が、処罰のために自分の指を切ろうとするんだけど切れず、その攻撃性を他人に向けているんだけど、何度切っても自分の指は無事なので救われないんですね。そこで自分の指を切って救われたと。そんな感じの説明でどうでしょう。

さて、1巻をざっと解説しただけでこんなに長くなっちゃったよ。超やれやれ。こんな感じで「げんしけん」を分析して夏コミに出そうとしている俺ガイル。どんな本になるんだー。

男がやおいを読むことの難しさについて

2006年05月09日 21時45分00秒 | 雑談
実は先日、すっとこさんはやおい本を読む機会に恵まれた。内容は原口×斑目のわりとガチっぽい内容のもの。タイトルは忘れた。それを読んで感じたことを例の調子で語ってみる。

まず、やおいについて考える前に、男はどうやって興奮するのかについて考えないといけない。男が興奮するには、そりゃ男性向け同人誌やアダルトビデオを見ればいいわけだが、この場合の興奮のメカニズムは、単純に女性とみかんして得られる興奮とは異なると考えられる。つーかそう実感できる。

以下、男性=AVやマンガの登場人物の男性 女性=AVやマンガの登場人物の女性 男=見ている本人

一見、ビデオに裸の女性が出ているから興奮すると思われがちだが、女性を仮想として犯しているとするならば、自分のペースではない画面やマンガのテンポに体が追随しなければ、体はリアリティを感じずに、とても興奮なんかしないのである(多分)。そして、エロマンガがアダルトビデオでも、画面に映るのは女性ばかりで、男性はあまり出てこない。男性に自分を投影しているとするなら、感じている女性より、感じている男性を見て男は興奮する筈だが、AVで喘いでいる男性を見たってキモいだけである。とするならば、男は感じている女性を見て興奮しているのであるとしか考えられない。

これは理論ではなく実感だが、男は女性が興奮しているのを見て、女性がこれだけ興奮しているのだから、男性も同じように気持ちいいのだと解釈して、それによって興奮している。つまり女性が乱れていれば乱れるほど、男は興奮するのである。と、ここまで書いて、別にAVやマンガに限らなくて、実際のみかんでも同じ事だよな、という事に気づいた。結局男は女が興奮しないと興奮しないのである。ああこれって木尾士目が「四年生」のあとがきで「女がバカになる様が楽しいんじゃあ」と書いているのと同じことだ。実際の快感の度合いは、実際に「棒っきれ」をどれだけ摩擦させるかによるだろうけど、興奮すれば、快感もそれだけ増強されるだろうし。

ちなみに男性には女性器が無いので、女性器がいくらあんなことやこんなことされても、実感が全然沸かないので、女性が何をされても全然何とも思わないのである。基本的に女が男向けのアダルトを見て受け付けないのはこれが理由かね。言葉は悪いけど「淫乱な女」なら受け入れるんだろうか。知り合いにいないんでわからんけど。んが、暴力を振るわれれば痛い事はわかるので、SMのハードなものが受け入れられないのも当然と言える。この辺の理屈はあとでまた出てきます。

ではそれを踏まえて、笹原くんはなぜ「あなたのとなりに」を読んで「たつよね」したかとゆーと、単純に千尋がショタで女の子っぽいから、笹原くんの脳内では女性が犯されて興奮するというフラグが立ったのではないかと。すっとこさんもショタものは読んだ事ありますが、ありゃふたなり幼女と区別が付かない(入れる場所が違うだけ)以外、ほとんど同じなので、前述のメカニズムで男も興奮する事は容易です。

では次に、受けがどう見ても少女には見えないやおい同人誌を読んでみましょう。まず、男性がやおいを見て拒否反応を示すのは、何と言っても登場人物が女性であればこそ気にならなかった身体の「各所への実感」が、受けが男性だと「実感」できてしまう所にある。はっきり書けばおしりがむずむずする。さっきの女がアダルトを受け入れない理由を参照。てゆうかこれはやおいを知らない女性でも同じだろう。男だって女だってアナルセックス(すいません)なんてできればやりたくないだろうし。しかし、やおいを読む女性が全員アナルセックスで興奮するわけではもちろん無い。すると、やおいで受けがお尻で攻められているのは、当然アナルセックスだから興奮しているわけではないと考えられる。この辺のメカニズムに気づけば、つまり「やおいでお尻を犯されているのはアナルセックスだからでは無い」事に気づけば、男でもやおいを見て気持ち悪いとは思わない事が可能になる。てゆうかすっとこさんはそう理解している。

ここで「女性はなぜやおいを見て興奮するか」を書かないといけないんだろうけど、それは次の機会に。一応結論だけ書いておくと、やおいが目指しているのは「究極の愛とは何か」なのではないかとゆー事。一応結論だけ先取り。ヒントだけ書いておくと、愛はタブー(障害)が強ければ強いほど、愛の力で乗り越えた感動が大きいという事。最近、近親相姦ものの少女マンガ(「僕は妹に恋をする」とか)が流行ってるのもその一環ね。

ところが、それを踏まえたとしても、マンガの中で犯されている斑目さんはどう見ても男です。本当にありがとうございました。なので、「女性が興奮しているのを見て興奮する」という、普通の回路を持った男は、やおいを見て気持ち悪くならなかったとしても、結局興奮しないのであった。てゆうかすっとこさんの話だ。これがガチホモなら別の意味で興奮する筈だが、やおいとガチホモは似て全く異なるものなので、やおいはホモに興奮されても嬉しくないのではないかと思われるし、俺ガチホモじゃないから興奮しないっすよ、という話になる。

結局やおいが書いているのは「究極の愛」だという事を踏まえてたとしても、ノーマルな男は、愛は男女間で芽生えるものだとしか思ってないので、やおいを見て愛とか言われても困るのだろう。このへんはすっとこさんも理屈ではわかっていても、実感ではわからんものである。すっとこさんがやおい同人誌を読んでも、本当に理屈で解釈するしかないので、合っているのかどうかも実感できない。男がやおいを読む難しさは、以上の点に集約されるのではないかと思われる。

しかし、この同人誌を読んで「俺だったらこのシチュでどういう話にするかな」と思って続編を考えてみたんだが、不思議な事に脳内でキャラを遊ばせると「たつよね」するのである。なんだこりゃ。俺の脳内にいるのは確かに原口と斑目なんだが、なんでそのキャラで妄想すると「たつよね」なんだ? 謎だ。結局の所、男同士をからませているつもりでも、意識下では男女のカラミとして考えているという事か? それなら腐女子の人と同じだ。理屈、実感、意識下。全部解釈が異なるというのだろうか。うーん、わっかんねぇ。男性のやおい作家に聞いてみたいねぇ。

多重人格とおチャクラ全開の可能性

2006年05月05日 22時43分02秒 | 雑談
こうなったら行く所まで行こう

これまでに何度か書いた、先月中旬のすっとこさんの覚醒について、いろいろ思う所があったのでここに書く。げんしけんとはほとんど関係が無いが、Webの大海に置いておく気分で書く。つまりこれから書く事はこのブログを普段読んでいる人を対象にしていません、一瞬だけオギーの話が出てきますが。つまりこの電波文章を置いておけば、俺と同じ経験をした誰かの参考になるのではないかとゆー一抹の期待を込めておくわけだ。

先日来すっとこさんの考えているのは、性格とは神経症の産物ではないか、というもの。すっとこさんの「偉そう」という性格にしたって、こないだ自己分析したように、合ってるかどうかわからないけど、原因がありそうだった。とするなら、人の性格というのか、そーゆー細かな神経症の積み重ねによってできてしまうのではないかとゆー事だ。

んで、先日の覚醒で、すっとこさんが変わった部分を列挙する。ちなみに全部本当の事
・IQが115から126に
・性格が丸くなった
・頭を使っても頭が疲労しなくなった
・睡眠時間が少なくても平気、朝の目覚めがよくなった
・口数が(今まで以上に)増えた
・他にもいろいろ……

これは古代からの例で言えば「悟り」とか「おチャクラ全開」とかゆー宗教分野での話になると思うんだけど、近年で言えば自己啓発もこのあたりを目指しているのではないかと。すっとこさんをこの段階に至らしめたツールは「唯幻論」なんだが、他の人は仏教だったり、ヨガだったり、様々なわけで、どーすりゃこの境地に至れるのかは不明、と言うより個人によって全部違うんだろう。苦行をして悟った奴がいたとわかればみんなして苦行するし、仏教読んで南無妙法蓮華経って言えば悟った奴がいたとわかればみんなして南無妙法蓮華経って言うし、自己啓発スクール行って(略)すればするし、しかしそーやって悟れる人間はほとんどいないわけで、とにかく確率は非常に少ないのではないかとゆー事だな。しかしいずれにせよ、悟ったところで歴史に名前を残す奴もいれば、すっとこさん程度にしかならん奴もいるわけで、悟ったからどーこーとゆー話でもなく、さらに努力せんと何の意味も無いよ、という事なんだろうねぇ。

んで、今日考えた事。きっかけは「ダニエル・キイスの世界」。ここでの栗本薫の「私は問題の無い多重人格者」という評論と、香山リカの多重性格分析。それから「ビリー・ミリガン」のダイジェスト(すっとこさんは本編未読)。多重人格者ビリー・ミリガンの、それぞれの人格には驚異的な能力がある、という話。栗本薫の「故に私は仕事が手広い」という話。それからここしばらく「多重人格気味」とかゆー表現を使っているすっとこさんも、ピンキー作ったり、SS書いたり、同人誌作ったり、評論書いたり、精神分析研究したり、最近は絵も描きはじめたり、意外に多芸だったりする(まぁいずれも中途半端なので無芸だが)。

それを踏まえて、ビリー・ミリガンのように性格、才能ではなく、身体能力が突然変わる、という例を我々は知っている。火事場の馬鹿力である。あれも実はビリーと同じ多重人格ではないか。「気が付いたらとても持てないような大荷物を抱えて家の外に出ていた」という、火事場の馬鹿力にありがちな状態を「多重人格の人格が入れ替わり、屈強な性格が現れ、荷物を運んだが、その際普段の性格は表に出ていなかった」という言い換えも可能ではないか。

そんな話どっかにあったなー、と思い出してみると浦沢直樹の「MONSTER」じゃねーか、となる。グリマーさんとヨハン。グリマーさんは身体能力が増大、ヨハンは知恵が増大、ってあれそーゆー話だったのかと今気付いた。つーかそう考えると「MONSTER」のラストもわかるんだが、そんなの説明されねーとわかんねーよ! つまり「MONSTER」を読む前にはビリー・ミリガンを読めっつー事か! 不親切なマンガだ。それにしても何かを思いても、誰かが既に話を作っているわけでムカつく。この程度じゃせいぜい評論家にしかなれないよ、ってぇ話か。しくしく。

んですっとこさんの場合、幼児虐待とかの経験は無い(筈だ)が、小学生の時にけっこういじめられたりしたわけだ。んで、それが抑圧とかなんとかで、神経症的で、故に攻撃的な性格になり、云々、とか説明ができそうな気がするんだがまだ漠然としている。オギーにしたって、あの事件と自殺がきっかけで「攻撃的になった」わけで、それを踏まえなければ大学入学時のオギーは単なるとっつきにくい腐女子、んが、そのオギーの原因を徹底的に解体し尽くすと、目にハイライトが入ってオギーかわいいよオギー、になって、性格が元に戻ると、げんしけんってそーゆー話だったんですねぇ。

俺が言いたいのは、すっとこさんもオギーと同じなのかもしれないよ? という話。俺に何があったかなんて俺を含めて誰も知らんわけだが、オギーがとっつきにくかったように俺も偉そうだった。んが、オギーが笹に告白されて変わったように、俺もいろいろあって変わって、その変わったメカニズムは、多重人格の入れ替わり、と同じメカニズムなのではないか、と考えると、将来大脳生理学が発達して、多重人格のメカニズムが解明されれば、人の性格や、IQや、身体能力すらも自由に操れる、という可能性があると思うんですけど、どーでしょうねぇ。このへんも誰かSFで書いてそー。つーかありがちー。

しかしその場合でも、そーゆー「よくできた人格」ってのが多重人格の1つに用意されてないといけないわけで、なんですっとこさんの人格の1つに最初から用意されてたんですか? という疑問は残る。てゆうかよく考えるとこれ「本当の自分探し」という文脈とピタリ一致するわけで、まぁ「本当の自分」てのは暗に「よくできた自分」を指しているわけで、誰だこんな適切で嘘臭せぇ事言い始めたの! という気持ちになる。うーん。

まぁすっとこさんがラッキーだったのは、この少ない確率に、「唯幻論」のおかげでヒットしたって所か。多分宝くじに当たるより……は高いかもしれん。だってamazonの「ものぐさ精神分析」の書評に「頭が1000倍良くなる」とかゆーのがあって、ああこいつも俺と同じ経験を、とか考えられるわけだ。というわけで「ものぐさ精神分析」を読むとおチャクラ全開になる可能性は、まぁ読まないよりは高いわけで、読んで損は無いと思うんですよ。できればウチの本屋で買ってね、というわけだ。

本当に雑談

2006年05月05日 19時27分32秒 | 雑談
火曜の休みでストレスの原因になっていると考えられるものを1つずつ潰して行ったら、心臓の圧迫感が無くなったすっとこさんです。心拍も落ち着いてきました。しかしストレスがかかると一発で動悸が激しくなるので自律神経失調症はまだ治ってはいない模様。やっぱり最後は薬か?

ところで薬局行って「自律神経失調症の市販薬ってありますかー?」「いや無いですよ!」「そーですよねあはは」とかゆう会話を繰り広げて、仕方ないのでコンビニでチョコレートのGABAを買ってきてストレスに効くんだふーん、でも140mgのγアミノ絡酸(GABA)を摂取するのに150円と300kcalも摂ってたらデブるぞゴラとか思ってフラッをダイソー行ったら、105円でγアミノ絡酸500mgのサプリが売っていた。ダイソーは最高だ。

数ヶ月前に某サイトでIQテストをしたら115だったが、今日やってみたら126だった。全人類の上位3%とか医者や弁護士に向いているとか言われてそりゃ嬉しくない筈は無い。いや、あーゆーのが適当だってのは知ってますけど、それでも嬉しいもんですようふふ。

んでもって昨日の木曜日、静養のために休みを取って朝はエースコンバット0をやっていたんだが、徐々にジッとしていられなくなり、東京に出かけて、ストレス解消には衝動買いだぜウラー! とソ連式突撃をかまし、パソコン1台(9万円)、デジカメの交換レンズ1本(3.2万円)、コミックスタジオとインテュオス(4万円)、妙に薄い本を買い、いろいろ覚悟を決めた。来月の生活についての覚悟はできていない。ついでに友人としこたま飲んだ。5時間くらい。持つべき物は友。俺はいい友人を持って本当に幸せだ。

パソコンは明日来る。

五年生とアルジャーノンの相似点

2006年05月02日 16時32分16秒 | 雑談
これから書く事は普段にも増してどっ引きなので、最初に謝っておきます。ごめんなさい。

長谷川家とゴードン家の相似点について

・息子が障害者
・旦那の方は比較的冷静
・奥さんの方が「自分の所為」という感情を持っている。長谷川さんの方は遺伝的に立証させ、責任を本人に背負わせる。ゴードン家の方は兄しかいない間はそう思わせ、妹が生まれて原因が自分でないと判断すると、原因であるチャーリーにその責を負わせる

故に長谷川さんの奥さんは、ローズのように包丁を使った。てゆうか木尾士目が奥さんに包丁を使わせた。リスペクトと言うかオマージュと言うか。とにかく長谷川家のモデルはゴードン家であろう。

筆が乗ったので「五年生」にもう少し切り込む。ただし以下の文章を理解するためには「性的唯幻論」の知識が必要です。何故なら「性的唯幻論」を使わないと、上手く説明できなからです。「性的唯幻論」の知識が無いのに、読んでわからないとか狂ってるとか言われても困ります。なので「性的唯幻論」の知識が無い人は読まない事をお薦めしますが、判断するのはあなたです。

愛情には2種類ある。目の前の人を好ましいと思う。いい人だなと思う、普通の愛情。もう1つ、自分の精神構造が原因で、抑圧されたものを自我に引き戻すために、目の前の人間が必要と判断した場合の、神経症的な愛情。これが瞬時に行われるのが一目惚れ。「五年生」2巻で、芳乃が「既視感の正体は一目惚れと呼ばれるもの」と言っているが、何らかの原因で自分が抑圧したものを、目の前の人間が持っている場合に、一目惚れは発動する。もちろん神経症的愛情を持つには何らかの抑圧が必要になり、それを木尾士目は「既視感」と表現している。抑圧としている以上、実際にあった事で、しかも抑圧している以上忘れているわけだから、「既視感」と表現するのは非常に正しい。んが、何で「一目惚れの正体は既視感」と書かないのかは謎。なんでなんですか?

さて、芳乃の場合、普通の愛情をアキオに持っており、神経症的な愛情を長谷川さんに持った。長谷川さんに一目惚れをした理由は明らかにされてないが、芳乃からすれば理性的に考えれば長谷川さんに愛情を持つのはハイリスクの極みである。3巻でも本人そう言ってたしな。んが、精神がそれを求めている以上、拒否できない。故に理性と精神のせめぎ合いで、自律神経失調症一丁上がりと、まぁそんな感じじゃないかと説明できるわけよ。

現在の、てゆうか4月中旬から、こーゆー理屈を瞬時に編み出せるようになったんだけど、4月中旬以前は、こーゆー事は考えつくどころか、読んでも全く理解できなかった筈で、故にこの文章がどう読まれるかも大体想像は付く。んだけど、確実にこの文章を理解できる人間がこの世に1人だけいる。木尾士目である。この話を作った本人が、この構造を理解していない筈が無いので、是非この文章を木尾士目に読ませたい。だったらファンレターに書けという話になるが、その下書きをこのブログに載せていると思って頂戴。やっぱり自分のブログに書くのって気楽でいいしね。読まされる方は災難だけど。だから読むなって言ったでしょ?

ところで「性的唯幻論」を知らないのに、この文章を読んでなんか納得したという場合は「性的唯幻論」と相性がいいと考えられます。本屋で「性的唯幻論序説」という本を買って読んでください。文春新書です。

しかもこの文章を書くに当たっては「すっとこさん」という一人称はどうにも馴染まない。使ってみたけどしっくり来ないのである。故に今回は一人称は使ってない。いつもの文章と変わらないと思うんだけど、何が違うんじゃろかー。

(追記)
あーわかった、いつもの文章は特定の読者を想定していないで書いてるから、こーゆー事を考えてみましたけどどうですかねすっとこさん?と確認しながら書いてるんだけど、今回の文章は木尾士目が読者である事を想定して書いてたから、すっとこさんにいちいち確認する必要が無いからなんだー、そうだったのかー。

(もいっちょ追記)
「五年生」読み直してるんだけど「唯幻論」出てきた。2巻88ページ。「それともアレか? 本能でなく理屈で交配するようになった人類は」。これ、岸田秀が常に言っている「人間は本能の壊れた動物である」と一致する。ふむう。

げんしけん中毒について

2006年05月01日 08時08分32秒 | 雑談
すっとこさんはげんしけん中毒者である。

中毒とはいかなる症状か。例えば、人間は脳内麻薬物質を分泌する構造を持っているが、外部から麻薬物質を注入すると、脳は「あ、今、体内の麻薬物質は充分だな、じゃあ作らなくていいや」となり、分泌が減ってしまう。さて、1度や2度なら麻薬をやっても、体内の麻薬物質が減ってくれば「おっと、麻薬物質が減ってきた。また作らないと」となるが、延々注入し続けると「なんだもう、麻薬物質こんないらねぇよ、もう作るのやんぴ」となる。そこで麻薬の注入をやめると、体内に必要な麻薬物質は無く、かつ、体ももう作ろうとしないので、体に必須な麻薬物質が足りなくなって、苦しむのである。これが禁断症状である。言ってみれば、人間の体は常に適切な量の麻薬漬けになっているわけだ。バランスが肝心なんだな。

さてすっとこさんの場合、げんしけんのおかげで自律神経失調症を脱したが、その時点でげんしけんが無いと生きていけない体になってしまったのである。そこに来て連載終了の兆し。すっとこさんの体は禁断症状を起こした。やばい。このままではげんしけん分が足りなくなってまたあの苦しい状態になってしまう。慌てに慌てたすっとこさんの心は、じゃあ自分でげんしけん分を分泌しないと!との判断を下し、げんしけん8.5巻を作れと命じたのである。そう考えるとしっくりくるんだがどうだろうか。

昨夜も早く寝てしまったので、5分で書けるネタを1本お送りしました。

ああ、もう1つ小ネタを1つ。昨日のやりとり。

>で、自分の感想としては
>「理解したってキモいものはキモいと思う。互いに性質が合わないんだからしょうがないじゃん!」
>「むしろ自分はこうなんだと必死に説明してるその文章が激しくキモい」
>という感じです。

というように思考停止するのも一つの手ですが、前回すっとこさんその手使ってしまったんですよ。だから今回は一切の思考停止を自分に禁じているんです。てゆうかあなただって、すっとこさんが話が通じると思ったから、該当の場所を教えてくれたんでしょ? すっとこさんが狂ってると思えばそこまで手間隙かけてくれませんもん。別にすっとこさんの素性を理解してくれなくてもいいですよ。でも、話が通じると思っていただけただけでもありがたいですよ。ほとんどの人はすっとこさんを「狂人」の枠に収めてほっとこうとしてるんですから。キモいと言われるだけでもありがたいという心境ですよ本当に。なんじゃこりゃ。結論だけ抽出すると確かに凄いわ

昨日のこのやりとりですが、「五年生」3巻のセリフ

「何で?」「これだけお互い自分をさらけ出せば」「相互理解は深まる……いや 現に深まったでしょ?」

「いや 確かに前より芳乃の事は分かったけど……」「でも…… それは……」「そういうのってきりないじゃん?」「自分で自分の事全て把握してる訳もないし……」「今お前自分を全部見せたかって言うと……見せてないだろ?」「俺だってまだ隠してるトコいっぱいある」「全部見せるにゃ……」「変態にでもならんと無理だろ」「そういう甘っちょろいう露悪趣味でつながるのは……」

「自分で仕向けた事じゃない!」

との共通点を考えざるを得ません。いったい木尾士目の場合は何があったんだろう。今日も会社なのでこれだけ。

経過報告

2006年04月29日 07時19分23秒 | 雑談
8.5巻の問題点を洗い出す前に、今日の思考を大公開

さて、「今日アルジャーノンに花束を」を途中まで読んだ。認めたくないがこれはすっとこさんの話だ。いやいや、「いよいよおかしくなった」と考えるのは時期尚早。しかも自分がチャーリー・ゴードンだと言っているわけではないのです。では本編からいくつかの部分を引用して、その次にすっとこさんがここ数日日記に書いた事を引用しましょう。上がアルジャーノンです。

その1

「たとえお話の世界だって、ルールがなくちゃならない。部分部分が首尾一貫していて、ぴったり整合しなくちゃいけない。こんな映画はうそっぱちだ。むりやり辻褄をあわせている、脚本家か監督か、だれだか知らないが、プロットにそぐわないものを話の中に入れたがるからだ。だから不自然なんだ」(5月1日)

「オギーの症状ってもーちっと複雑じゃないの?あれだけで治るの?という疑問はこれまでも本スレで数々提出され(理路整然としたものより、漠然とした不満という形だけど)、すっとこさんも『「逃げるのやめようと思います」について』で書いた通りである。簡単に書けば、対巻田のトラウマは解決したけど、対中島のトラウマって解決してないんじゃないの? という事になる。」(完全にどっ引きされてますかね?)


その2


「近頃、あなたに会うたび、あなたと別れてから、あたしって何につけてものろまで愚鈍だという惨めな気持ちで家に帰るの。それから自分が言ったことを吟味しなおすと、こう言えばよかったと思うような気のきいた言葉がみつかるの、そこであたし、あなたといっしょのときに、そう言わなかったのが口惜しくて、自分を蹴飛ばしたくなるの」(6月6日)

すっとこさんの現在の限界は、この思考を編み出すのに1日かかるという事だ。うーむ、この世にはこの結論を瞬時に出す人もいれば、結論自体出せない人もいるわけで、やはりすっとこさんは、何を言うにしても一晩考えてから話さないといけないんだなぁ。焦って答えると大抵失敗するし。自分の限界を知るというのは恐ろしいぜ。(例えば今日の午前中)


その3


「あたしがどう感じるか、あなたにどうやってわかるの? あなたは他人の心の中にずかずか踏み込むっていうの。あなたになんかわかるものですか、あたしがどう感じるか、何を感じるか、なぜそう感じるか。」(6月6日)

もしかして2ちゃんの人全員と相互理解しようとしてるのか?(@wiki)


すっとこさんの言葉でないものもあるが、すっとこさんがここ数日に書いた文章と、かなり似た内容の文章がいくつか、アルジャーノンに埋め込まれていた。ダニエル・キイスが書いた、チャーリー・ゴードンの経過報告と似た文章が、すっとこさんという自律神経失調症患者の経過報告の中にあった。これを見て不思議と思いませんか?

てゆうか話は単純で、「アルジャーノンに花束を」って、単純に書くと、幼児期に虐待を受けた大人が精神分析で治るって話なんですよ。まだ6月19日までしか読んでないけど。もちろん別の解釈はいくらでもありますが。んで、すっとこさんの現在の思考回路が、フロイド精神分析を元にした唯幻論がベースなので、思考回路が全く同じなんです。思考回路が同じで、思考しているものも「人の心」と同じな以上、似たような論調になるのはこれは当たり前なんですね。わかってしまえばつまらない事です。だから今日のタイトルは「経過報告」。

あーしかし、今日も一日中思考してたけど、どっから書き始めるかなぁ。そうだ、今日「五年生」の4巻読んで、60ページ、芳乃さんも手の平が汗だらけになる症状があったんですねぇ。同じ症状なんでちょっと嬉しかったりして。それにしても今の心境なら吉村さんや、長谷川さんの奥さんが何を言っているのか手に取るようにわかるぜ。

今日もどっ引き自由連想自己分析劇場を

「そう言えばこないだテレビで江原啓之見たけど、あれ、霊とかなんとか、すっとこさん的に胡散臭い要素抜かして考えると、精神分析と同じ事言ってんだよなぁ。○○(忘れた)なんて、抑圧をなくせって言ってるようなもんだし、○○なんか、それは霊に自己を投影しているって事だしなぁ。そう言えばこないだ内田樹がブログでナショナリズムについて書いてたけど、唯幻論で言う共同幻想と、自我の支えになる大きさって、内田樹の言うのと用語が違うだけで、過程も結論も同じだよなぁ。しかし、すっとこさんは江原啓之を100回読んでも「スピリチュアル」は会得できないし(読んだ事ないけど)、内田樹を100回読んでも「おじさん的思考」は会得できないけど、「唯幻論」は2ヶ月で会得できたわけで、岸田秀が偉大なのは、「唯幻論」を会得できる人には会得できるように解説している点だよなぁ。数学の問題が解けないで困っている人に、答えを直接教えてくれるのが江原啓之や内田樹だとすると、岸田秀は数学の参考書を渡して「あとは自分でなんとかしなさい」って言ってくれるようなもんだしなぁ。その時点では答えがわかれば簡単だけど、次の問題解く時の事を考えればどっちがいいかは一目瞭然だしなぁ。いや、「スピリチュアル」や「おじさん的思考」を会得できる人もいるかもしれんけど。

言ってみればこれまでのすっとこさんは卵で、硬い殻に閉じこもっていた状態だけど、唯言論によって孵化したドラゴンだとも言えるよなぁ。なんだよドラゴンなんて偉そうに。せいぜい強めに見積もってもバジリスクだろ。そんで孵化したばっかりだから、鱗がまだ柔らかくて、叩かれると簡単にブッ殺されちゃうの。ははは。てゆうかおい、なんでさっきから爬虫類系ばっかり例に挙げてんの。それも火蜥蜴系ばっかり。やべぇ、俺自分の事爬虫類系だって思ってんの? 口から吐く炎は人を傷つける言論の象徴? 爬虫類と言えばヘビで、周りを巻き込む体質は人を堕落させたエデンの園のヘビ? うわー胡散臭い。そう言えば爬虫類顔の女性って好みだわ。うーむ。

そう言えばすっとこさんの批判の中に「偉そうに物を言う」というのがあったんだけど、当然ながら自分では偉ぶっているつもりは全然無いんだよな。という事はこれもやはり何かの抑圧の所為だと考えられるよな。なんだろう。偉いって事は人の上に立つって事で、そういうば岸田秀は実家の劇場を継ぐ件で精神病になったけど、すっとこさんも実は実家の書店の跡取りなんだよね。てゆう事は実はすっとこさんも実家の書店を継ぎたくないとか思ってるとか? まさか、ははは。待てよ? そう言えばすっとこさんは、小学生の時から無類の本好きだ。あれを単純に本好きと捉えず、あれも抑圧の結果だとしたらどうなる? そう、例えば、すっとこさんが本屋を継ぐのは生まれた時から決まっていたらしいから、実は好きでもなんでもない本を、好きだと思い込む事によって、本屋を継ぐように自分を追い詰めているとしたら? おお、これはなかなかいいぞ。んで、昔っから本屋を継ぐ→人の上に立つ事を教えられてきたわけで、そこで、無意識のうちに人の上に立つのは偉いことだから偉ぶるという行動を取ってきたという考えはどうだ。おお、なんかそれっぽくなってきた。て事は実は本屋を継ぐことにあんまり執着していない? これはそうらしい。では岸田秀みたいに親を怨んでいる? ん? これは違うな。しっくり来ないな。何故だ? そうだ、別に本屋は継いでも継がなくてもいいけど、親が愛情持って不自由しないように育ててくれたんだから、その恩に報いるために本屋を継ぐことには納得いっているというわけか。んでその偉そうなのは治せるのかって? んー、自分でどこが偉そうなのか認識できていない以上、それは難しいんじゃないかなぁ、てゆうかゲーム帝国とかスタパ斎藤(同一人物)、最近は切込隊長とかの『偉そうな文体』文章が好きなのも原因はそれか、なるほどなるほどー。」

以上が今日すっとこさんの追いかけた自分の心ですよ? 合っているかどうか自分でもわかりませんが、批判するのはお好きにどうぞ。ただし、批判する人は、自分でこれだけ自己を追いかけて、心を晒せるかどうか考えてみてほしいですね。オギーが合宿で女性陣に自分の過去を喋ったのも、結局これと同じです。

てゆうかやっぱり人様の批判を前提として思考する時って、その批判を自分に受け入れる際に心が痛むんだよねー。はっきりと動悸が悪化するのがわかりますよ。誰が2ちゃんねるで自分に対して「きもちわるい」なんて言われたのを真面目に受け取りますか。他人の批判なら冷静に見られるけどさ。でも、今回はそれから逃げないという方針を打ち出しているんで、これってかなり不利な手だよな。相手の攻撃を全部受けきって最後に立っている事を目指す! プロレスだな。


コメントに対するレス

>自立神経失調症は病院に行って診察してもらって薬もらった方が確実です。
>そういった類の病にかかった自分としては、今考えて考えて考えているすっとこさんの状況が危なげに感じられます。
>心療内科は怖いとこではないですよ。心の風邪というか誰でも一度や二度は、つまづけば鬱とか不眠とかになります。

いや別にそれは「五年生」読んで知ってます。「五年生」読んで知ったふりしているのもどうかと思いますが、一回目は気合で治して、二回目はその経験を元に、自分を観察しながら経過報告を書いて、楽しんで治療していると思って下さい。本当は苦しんでいるのを抑圧して「楽しい」と強がっている可能性も否定しきれませんが。
危ないと思われるかもしれませんが、観察者は家族、同僚、友人、オフ友、レスをくれる人と、一通り揃っています。本気でヤバければ誰か反応するでしょう。特に家族は毎日会ってるわけですからねぇ。まぁでも自律神経失調症になっている事だけは確かなので、甘く見ずに医者にはいつでも行けるようにはしておきます。自分の症状語りをするウザい患者にならないように気をつけないと……(やりそう)

>今は感情を表に吐き出す事ですっとこさんが状態を保っているのだとすれば、吐き出してかまわないと思いますよ。それが8.5巻に影響するしないに関わらず。
>8.5巻プロジェクト、参加される方は参加されると思いますし、すっとこさんが全部自分で書いちゃうというのも有りですし。

どーでしょう。経過報告書くのは楽しいですけど、脳内で思考しているだけでも楽しいですよ。こうしてレス頂ければさらに楽しいですけど。しかも罵倒の文句でさえ、それが本気なら引き出せるものがあるので、罵倒からどんな本音を抽出できるか楽しくてしょうがないんですけどヤバいですかこれ? 8.5巻はまぁなるようになるでしょう。それより自分の心の整理の方が先ですね。すっとこさんへの意見や罵倒の大半が「性格なんとかしろ」「よく考えろ」と、見事に心理的なものばっかり。それを忠実に実行していますけど、誰もその点について触れてませんね。まぁ2ちゃんねるで叩かれたレスを全部真に受けて考え込んだ人間ってどれほどいたんでしょうか。いなかったんじゃないかなぁ。でかい祭だと全部拾えないし、この程度のプチ祭だから全部拾えそうですけどね。

>あと他に色々言いたい事があったんですが、とりあえず更新待ちします。

どうですか? せっかくですから他の色々もお願いします。



>これは
> 「相手が自分の事をキモイと思う」→「相互理解が足りないという結論に達する」
>という部分に対してのコメントで、
>これはつまり「相互理解ができればキモいと思われない。ちゃんと自分のことを説明しよう」って話でしょ?
>そこが「2chの人全員と相互理解しようとしてるのか?」という突っ込みにつながるわけですよ。

ふーむなるほど。そこでしたか。

>で、自分の感想としては
>「理解したってキモいものはキモいと思う。互いに性質が合わないんだからしょうがないじゃん!」
>「むしろ自分はこうなんだと必死に説明してるその文章が激しくキモい」
>という感じです。

というように思考停止するのも一つの手ですが、前回すっとこさんその手使ってしまったんですよ。だから今回は一切の思考停止を自分に禁じているんです。てゆうかあなただって、すっとこさんが話が通じると思ったから、該当の場所を教えてくれたんでしょ? すっとこさんが狂ってると思えばそこまで手間隙かけてくれませんもん。別にすっとこさんの素性を理解してくれなくてもいいですよ。でも、話が通じると思っていただけただけでもありがたいですよ。ほとんどの人はすっとこさんを「狂人」の枠に収めてほっとこうとしてるんですから。キモいと言われるだけでもありがたいという心境ですよ本当に。なんじゃこりゃ。結論だけ抽出すると確かに凄いわ。



>自律神経失調に陥った人はよく自己葛藤や自我との会話を試みます。そして様々な論理展開を駆使して自分の思考が正しいと結論します。
>しかしそれは大抵誤りで、思考してしまうことも結論してしまうことも、いずれも病状悪化にしかなっていません。
>もう、あれこれ考えるのはおやめなさい。あなたは病気です。

うーんでもさぁ、これって他者との交流が無い引きこもりの人になら該当しますけど(おお、オープンとクローズの話だ)、すっとこさんは書店員、すなわち接客業なんですよ? 毎日毎日見ず知らずの人とレジ通過だけで何百人。質問されて会話するのを何十人と繰り返しているのに、これが病状悪化している人に務まりますかね? てゆうかこーゆーこと始めてから、明らかに接客技術が向上してるんですよ? しかも自分の主観じゃなく、バイトやパートさんにも「良くなった」と言われる始末。てゆうか今までがダメすぎだったという事に気付くと驚愕しますが、主観で正しく、お客さんの気分もよくなり、バイトパートも認めてくれる状態が病状悪化ですかねぇ。これから悪くなるんですかねぇ。バイトパートさんはおかしくなったすっとこさんを気遣ってくれているだけかもしれませんが、お客さんの反応は正直ですよ? 些細な失敗を待ってましたとばかりに管理会社に通報される緊張感、というか恐怖って知ってます? これが元で何人のバイトが心を傷つけてやめて行った事か……
一応まだ病状再発して3日目なんで、病気が悪化すると診断されるのでしたら、経過を見守って頂けますか?