木尾士目作品を精神分析的に解釈する本を書こうと思いつつ先送りにしていたんだが、一発やってやるぜと思って書き始めてみたら、「点の領域」と「陽炎日記」前編だけで5000字を超えてトホホ。「五年生」の分析も2万字余裕で超えてるしなぁ。「げんしけん」がどの量行くかと考えると、「五年生」の倍は行くだろってんで、多分6万字くらいの本になるのかなぁ。原稿用紙150枚分? しかもマンガの感想で? なんだかなぁ。このブログでいいような気がしてきたよトホホ。すっとこさんの脳内はもうだいたいわかってんだし、あまりにも一人よがりすぎてついてこれる人間がどれだけいるのやらトホホ。解釈した結果による物語の再構築は8.5巻のでやっちゃったし。実際どーしたもんやらって感じだ。とりあえず「点の領域」の解釈をうpするので反応を待ってみる。
点の領域
木尾士目のデビュー作、1994年夏のコンテスト四季賞。コミックス収録版にサブタイトルが無いが「支倉圭太の開始点の事」らしい。この作品の読み解くための鍵は何といっても星子の正体だが、ズバリ、コミックス巻末の「赤っ恥劇場」で、点の領域の題材が「妄想」であるとされている事から、星子は圭太の妄想の産物であると考えられる。妄想の産物である状況証拠は、「朝起きると隣に寝ていた」「持ってない筈の鍵をかけている」などで提示されている。もっとも、妄想の産物とは言っても非実現的なものではなく、星子本人も言っている通り「現実にあたしはここにいる」のである。一緒に銭湯も行くし、勝手に買い物に行くぐらい実体化した妄想の産物、それが星子だと考えられる。
では何故星子は実体化したかと考える。星子はやはり自分で言うとおり「夜が明けるまで」いる存在である。ここで言う「夜」とは、圭太自身が言うとおり、昼に対する夜ではなく、圭太の現在の状況を表している。圭太の現在の状態は、就職活動の面接で面接官の欺瞞に我慢できずに喧嘩を売ってしまうとか、兄に対する劣等感とか、本音と建前の使い分けができないとか、いくつか言い方を変えて言うと「社会化していない」「内的自己と外的自己で内的自己を優先してしまう」と言える。この状態の圭太を「夜」だと表現している。しかし圭太はそのような自分に納得はしておらず、変化する事を望んでいる。こじつけて言うなら圭太の抑圧した面を自我に回復させたい、その望みが星子を生み出したと考えられる。あと単純に自分好みの彼女が欲しい、ってのもあるかもしれない。とすると、愛の正体が失われた自我の回復であるとするならば、星子は圭太の正反対の性格でなければならないわけだ。
となると、ラストの「記しておかなければならない事実は避妊しなかった」の解釈が可能になる。まずは避妊をしないという事は、星子を配偶者として認めるという事を表し、夫婦、あるいは家族になるという事を表す。これは文字通り星子と「1つになる」という意味であり、失われた自我、つまりエスに抑圧された自我を回復して再び組み入れる事を意味すると考えられる。とすると、回復した自我は圭太に取り込まれ、妄想の存在である星子は消失する。星が消えるという事は夜が明けたという事で、「眩しいな……」で終わるのが「点の領域」なわけだ。
ここで圭太の兄弟観や、星子を失いたくないという感情を考えると、要するに他人との関係性の間でしか自己を確立できないという事か。これは「五年生」2巻55ページでアキオが「個は連帯の中でしか確立せんのよ」と言っているのと共通するものがある。連帯を共同幻想と言い換えると、人間は共同幻想が無いと生きられないが、共同幻想を意識しすぎて自己を確立できていないのが今の圭太であると、そう考える事もできる気がするが、この段落はなかなか書いていて自信が無い。勉強不足。
レズ物好きというのは星子が圭太を評して「……あんたなんだか女みたい」と言っているのと関係している。人間の性別は性器によって決定されるわけではなく、後天的に学習するものなので(だから性同一性障害という症状が存在できる)、人間の性的嗜好も千差万別である。性別を後天的に学習するメカニズムについては説明を省略。圭太の「男がレズ好き」が何を意味するかはとりあえず不明。
ラスト前の「目をそらして言った?」が意味するところがよくわからない。もちろん「なんでお前は……ずっと相手の目を見て話すんだよ」に対応したセリフではあるのだが、「相手をよく知るために」見るのと、「知られたくない時もあんだよ」の尊重、このあたりが関係してるんだと思うんだけどよくわからない。
というわけで難解な「点の領域」だが、つまり圭太の成長物語を非常に分かりづらく描いているのがこの作品で、それを非常に分かりづらく説明しているのがこの文章である。あとは自分の経験を頼りに理解するしかないのかもしれない。
点の領域
木尾士目のデビュー作、1994年夏のコンテスト四季賞。コミックス収録版にサブタイトルが無いが「支倉圭太の開始点の事」らしい。この作品の読み解くための鍵は何といっても星子の正体だが、ズバリ、コミックス巻末の「赤っ恥劇場」で、点の領域の題材が「妄想」であるとされている事から、星子は圭太の妄想の産物であると考えられる。妄想の産物である状況証拠は、「朝起きると隣に寝ていた」「持ってない筈の鍵をかけている」などで提示されている。もっとも、妄想の産物とは言っても非実現的なものではなく、星子本人も言っている通り「現実にあたしはここにいる」のである。一緒に銭湯も行くし、勝手に買い物に行くぐらい実体化した妄想の産物、それが星子だと考えられる。
では何故星子は実体化したかと考える。星子はやはり自分で言うとおり「夜が明けるまで」いる存在である。ここで言う「夜」とは、圭太自身が言うとおり、昼に対する夜ではなく、圭太の現在の状況を表している。圭太の現在の状態は、就職活動の面接で面接官の欺瞞に我慢できずに喧嘩を売ってしまうとか、兄に対する劣等感とか、本音と建前の使い分けができないとか、いくつか言い方を変えて言うと「社会化していない」「内的自己と外的自己で内的自己を優先してしまう」と言える。この状態の圭太を「夜」だと表現している。しかし圭太はそのような自分に納得はしておらず、変化する事を望んでいる。こじつけて言うなら圭太の抑圧した面を自我に回復させたい、その望みが星子を生み出したと考えられる。あと単純に自分好みの彼女が欲しい、ってのもあるかもしれない。とすると、愛の正体が失われた自我の回復であるとするならば、星子は圭太の正反対の性格でなければならないわけだ。
となると、ラストの「記しておかなければならない事実は避妊しなかった」の解釈が可能になる。まずは避妊をしないという事は、星子を配偶者として認めるという事を表し、夫婦、あるいは家族になるという事を表す。これは文字通り星子と「1つになる」という意味であり、失われた自我、つまりエスに抑圧された自我を回復して再び組み入れる事を意味すると考えられる。とすると、回復した自我は圭太に取り込まれ、妄想の存在である星子は消失する。星が消えるという事は夜が明けたという事で、「眩しいな……」で終わるのが「点の領域」なわけだ。
ここで圭太の兄弟観や、星子を失いたくないという感情を考えると、要するに他人との関係性の間でしか自己を確立できないという事か。これは「五年生」2巻55ページでアキオが「個は連帯の中でしか確立せんのよ」と言っているのと共通するものがある。連帯を共同幻想と言い換えると、人間は共同幻想が無いと生きられないが、共同幻想を意識しすぎて自己を確立できていないのが今の圭太であると、そう考える事もできる気がするが、この段落はなかなか書いていて自信が無い。勉強不足。
レズ物好きというのは星子が圭太を評して「……あんたなんだか女みたい」と言っているのと関係している。人間の性別は性器によって決定されるわけではなく、後天的に学習するものなので(だから性同一性障害という症状が存在できる)、人間の性的嗜好も千差万別である。性別を後天的に学習するメカニズムについては説明を省略。圭太の「男がレズ好き」が何を意味するかはとりあえず不明。
ラスト前の「目をそらして言った?」が意味するところがよくわからない。もちろん「なんでお前は……ずっと相手の目を見て話すんだよ」に対応したセリフではあるのだが、「相手をよく知るために」見るのと、「知られたくない時もあんだよ」の尊重、このあたりが関係してるんだと思うんだけどよくわからない。
というわけで難解な「点の領域」だが、つまり圭太の成長物語を非常に分かりづらく描いているのがこの作品で、それを非常に分かりづらく説明しているのがこの文章である。あとは自分の経験を頼りに理解するしかないのかもしれない。