というわけで、ぼちぼち最終回の感想を書かないといけない。実はまだ書いてなかったんですねぇ。と言うのは、どうしても初代会長の存在理由がわからんかったんで、それがわかるまでは感想を書けなかったんです。んが、ようやく一応の結論が出たんで、感想を書いてみましょう。
まぁ8.5巻を作るとか言ってる以上、げんしけんのラストには不満が燻る一方のすっとこさんですが、理由をいくつか箇条書きにしてみましょう。ただしすっとこさんの感想なんで、反論はしないでプリーズ。
・笹原兄妹の決着が付いていない
元はと言えば兄をサル呼ばわりして、20万円借金伝説を作った恵子がノーフォロー。ラストで「お姉ちゃん」「オニイチャ~ン」呼ばわりしてる所から、着地には成功しているものの、スタート地点は明かされず。すっとこさんとしては8.5巻のプロット的な事があったんじゃーねーかと思っていたんだが(面倒を見ない親と、オタな兄)、結局はわからず。
・童貞は敗者か
幸いにもすっとこさんは魔法使いになれませんで、経験済みなんですが、笹荻みかん成立時にげんしけん本スレで、一部明らかに否定的意見が出た事があった。つまるところ、後期げんしけんのメインテーマである「オタクの恋愛(成立)」では、笹荻が成立した瞬間にみかんがおっぱじまってしまったわけである。それまでは童貞の笹に、読者の童貞も非童貞も感情移入して萌えころげていたわけだが、成立した瞬間に笹荻のみかんが始まってしまい、童貞の読者が置いてきぼりにされてしまったと考えられるのである。多分あの時点でみかん成立に文句を言っていたのは童貞です。んが、別に童貞が悪いと言っているのではなく、誰でも最初は童貞なわけで、童貞の読者をさっくり切り捨てた木尾の手法に不満があると、そー言っているわけなんですがいかがなもんでしょうか。
ちなみに童貞読者の期待を一身に集める羽目になった斑目さんはあの通りのヘタレなので、げんしけん最終回付近の本スレの寂れようは、そのへんも関係していると思われ。だいたい童貞処女に関しては、陽炎日記で手腕を見せた木尾士目なんだから、そのへん童貞読者に気を使えなかったものか。だから陽炎日記の続きが描けねー描けねー言っておるのか。今こそ陽炎日記の続きを書いて、クラカチットの街と一緒に単行本化汁。
・春日部さんとコーサカ
以上の不満に比べると微々たるもんだが、げんしけん初期のテーマであった、オタと一般人の恋愛について、結局うやむやのうちに終わってしまったような。一瞬咲コーサカがプチ破局しそうな流れになったのに、なんで生かさなかったんだか。これはまぁいいけど。
・その他
編プロ面接編は木尾の感想を述べただけかよとか、外人ズ使い捨てとか、白糸の滝のオギーはなんだったんだとか、笹荻キスしてねぇよとか、中島ほったらかし(実は最大の不満点)とか、春日部さんあんた盗撮嫌いじゃなかったんかとか、いろいろありすぎてもう
以下は納得した点
・笹荻マンセー
笹荻の最悪の結末を考えると、もちろん笹荻が別れる事だが、恵子に「お姉ちゃん」と呼ばせて結婚を示唆させている点はグッド。そして笹荻の成長っぷりと、荻上さんの最終回の可愛さと言ったら、失われた5ヶ月の間になにがあったのかを考えると、やっぱり5ヶ月ワープは認められねぇと、あれのおかげでげんしけんが神作品になれる機会を逸したのかと思うと、うがー!!(狂信者ってのはこーゆーのを言うんだろうか)
・その他
大野田中は別にいいや。カメラマンクッチーもまぁいいや。
んで問題の初代会長である。誰もいない部室に入ってきた会員が「会長――」と声をかけている事を、ネタバレスレで最初に指摘したのは当然すっとこさんなわけだが、あれで初代会長は超常の存在だとゆー事ははっきりした。ではなんなのか? もちろんそのものズバリが何なのかは、作中に書かれていないのでわからない。しかし、過去の木尾士目作品に近い存在がいた。「点の領域」の星子である。また我ながらとんでもない所から引っ張り出してきたもんだが、まずは「点の領域」の解説から入る。
さっくり結論から入ると、星子は圭太の妄想の産物と考えられる。とは言え、別に圭太の頭がおかしいとか、一緒に銭湯行ってんじゃねぇかとかツっこみ所は多々あるが、そのへんはフィクションってことでご容赦って所か。つまり大学4年生就職活動中公私の区別が付かない圭太くんは現在夜なわけで、だから「星」子が見えていると。妄想の産物である状況証拠は、いきなり隣に寝ているとか、どーやって鍵かけたんだろうとか、そのへんで提示されている。
んで「記しておかなければならない事実は避妊しなかった」って事は、要するに他人を嫁さん、つーか家族(わーい「五年生」)にしたってわけで、「ひとりでいるのが好き」とか「他人の欺瞞が許せない」とか、圭太の社会化していない面から開放されたと言うか、「他人も俺と同じ現実の世界に生きていた」事を理解したってー事になるのかなぁ。意味不明? んで、夜が明けたら、星は消えて、「眩しいな……」で終わるのが「点の領域」なわけだ。要するに圭太の成長物語を非常に分かりづらく描いているのが「点の領域」で、それを非常に分かりづらく説明しているのがこの文章であると、そう思ってくれたまい。あとは自分の経験を投影して読んでね。まだ社会化してない人は残念でした。あと、すっとこさんみたいに、本音と建前が使い分けられない人も残念無念。誰かわかりやすく書いてくれ。
という事で、初代会長は、とりあえず星子と同じ存在であるとしておこう。星子は圭太の妄想の産物だが、初代会長はどうだろうか。特定人物の妄想の産物では無い事は当然だが、んじゃあ「現視研というサークルが存在する事を望む人には見える」という感じでどうかなぁ。わけわかんないよね。となると春日部さんの存在が微妙だけど、対自治会の時の話に、大野さんが内心で「結局 現視研をたすける方向に来ちゃってますよ?」と『内心で思った』事を受けて登場したとか、放火騒ぎの時に屋上に現れた時に春日部さんが「そろそろ来る頃だと思ってましたよ会長」と言っているのも、なんとなくしっくり来るような。つまり、初代会長は、「現視研を存続させるための存在で、部員が充実しているば消えるけど、廃部の危機(人材減少とか事件とか)になると現れる存在」という解釈には無理が無いと思うんだけどどうよ。
問題なのはこのわけのわからん存在である初代会長を、何故木尾士目がげんしけんという作品に投入したのかっつー事よ。そりゃあ読者をケムに巻こうという木尾の趣味のセンが強いと睨んでいるすっとこさんだが、もしそうであるとするなら、その手においそれと乗ってたまるかねと思う次第。つーか、「五年生」以前の木尾は読者のために描いてないとはっきり明言している作家だったが、「げんしけん」は読者のために描いて、でも初代会長だけは自分のために存在して、読者にヒミツにしている存在であると穿って考えるのはどうか。つーかそうとでも考えないと説明つかねーんだよオラァ。
ところで最終回の直後に「もやしもん」が出張してきているとゆーのが、すっとこさん的にはシンクロニシティを感じさせる。以前にも書いたが、すっとこさんは「もやしもん」んも異常に傾倒しており、半年前にドはまりした結果を多少
もやしもん知識蔵
に残していて、このはてなの内容を同人誌化しようとしておるわけだが(ここでやっていることと全く同じ)、「げんしけん」の最終回で、表紙で「げんしけん」と「もやしもん」が融合されている事。そして両作品を、多分世界で一番読み込んでいるであろうすっとこさんにしてみれば、まるで俺のために作られたような表紙で、いったいなんでこんな事になっているのか一人で不思議なわけなんですが(げんしけんともやしもんを「コミケのサークルカット」という形で最初に融合させたの俺だし)、偶然というにはできすぎた話だ。いやもちろん俺にとっての話ってだけですよ?
ちなみに「げんしけん」で精神分析にハマり、「もやしもん」で分子生物学にハマったすっとこさんですが、その2つの学問が大脳生理学でつながりそうなんで、現在脳の研究をしようかなぁと考えているすっとこさんです。もちろん趣味で。脳の構造は分子生物学で解明でき、脳の働きは精神分析で解明できそう、って感じですかね。漠然としてますけど。
というわけでこのへんでとりあえずうp。
まぁ8.5巻を作るとか言ってる以上、げんしけんのラストには不満が燻る一方のすっとこさんですが、理由をいくつか箇条書きにしてみましょう。ただしすっとこさんの感想なんで、反論はしないでプリーズ。
・笹原兄妹の決着が付いていない
元はと言えば兄をサル呼ばわりして、20万円借金伝説を作った恵子がノーフォロー。ラストで「お姉ちゃん」「オニイチャ~ン」呼ばわりしてる所から、着地には成功しているものの、スタート地点は明かされず。すっとこさんとしては8.5巻のプロット的な事があったんじゃーねーかと思っていたんだが(面倒を見ない親と、オタな兄)、結局はわからず。
・童貞は敗者か
幸いにもすっとこさんは魔法使いになれませんで、経験済みなんですが、笹荻みかん成立時にげんしけん本スレで、一部明らかに否定的意見が出た事があった。つまるところ、後期げんしけんのメインテーマである「オタクの恋愛(成立)」では、笹荻が成立した瞬間にみかんがおっぱじまってしまったわけである。それまでは童貞の笹に、読者の童貞も非童貞も感情移入して萌えころげていたわけだが、成立した瞬間に笹荻のみかんが始まってしまい、童貞の読者が置いてきぼりにされてしまったと考えられるのである。多分あの時点でみかん成立に文句を言っていたのは童貞です。んが、別に童貞が悪いと言っているのではなく、誰でも最初は童貞なわけで、童貞の読者をさっくり切り捨てた木尾の手法に不満があると、そー言っているわけなんですがいかがなもんでしょうか。
ちなみに童貞読者の期待を一身に集める羽目になった斑目さんはあの通りのヘタレなので、げんしけん最終回付近の本スレの寂れようは、そのへんも関係していると思われ。だいたい童貞処女に関しては、陽炎日記で手腕を見せた木尾士目なんだから、そのへん童貞読者に気を使えなかったものか。だから陽炎日記の続きが描けねー描けねー言っておるのか。今こそ陽炎日記の続きを書いて、クラカチットの街と一緒に単行本化汁。
・春日部さんとコーサカ
以上の不満に比べると微々たるもんだが、げんしけん初期のテーマであった、オタと一般人の恋愛について、結局うやむやのうちに終わってしまったような。一瞬咲コーサカがプチ破局しそうな流れになったのに、なんで生かさなかったんだか。これはまぁいいけど。
・その他
編プロ面接編は木尾の感想を述べただけかよとか、外人ズ使い捨てとか、白糸の滝のオギーはなんだったんだとか、笹荻キスしてねぇよとか、中島ほったらかし(実は最大の不満点)とか、春日部さんあんた盗撮嫌いじゃなかったんかとか、いろいろありすぎてもう
以下は納得した点
・笹荻マンセー
笹荻の最悪の結末を考えると、もちろん笹荻が別れる事だが、恵子に「お姉ちゃん」と呼ばせて結婚を示唆させている点はグッド。そして笹荻の成長っぷりと、荻上さんの最終回の可愛さと言ったら、失われた5ヶ月の間になにがあったのかを考えると、やっぱり5ヶ月ワープは認められねぇと、あれのおかげでげんしけんが神作品になれる機会を逸したのかと思うと、うがー!!(狂信者ってのはこーゆーのを言うんだろうか)
・その他
大野田中は別にいいや。カメラマンクッチーもまぁいいや。
んで問題の初代会長である。誰もいない部室に入ってきた会員が「会長――」と声をかけている事を、ネタバレスレで最初に指摘したのは当然すっとこさんなわけだが、あれで初代会長は超常の存在だとゆー事ははっきりした。ではなんなのか? もちろんそのものズバリが何なのかは、作中に書かれていないのでわからない。しかし、過去の木尾士目作品に近い存在がいた。「点の領域」の星子である。また我ながらとんでもない所から引っ張り出してきたもんだが、まずは「点の領域」の解説から入る。
さっくり結論から入ると、星子は圭太の妄想の産物と考えられる。とは言え、別に圭太の頭がおかしいとか、一緒に銭湯行ってんじゃねぇかとかツっこみ所は多々あるが、そのへんはフィクションってことでご容赦って所か。つまり大学4年生就職活動中公私の区別が付かない圭太くんは現在夜なわけで、だから「星」子が見えていると。妄想の産物である状況証拠は、いきなり隣に寝ているとか、どーやって鍵かけたんだろうとか、そのへんで提示されている。
んで「記しておかなければならない事実は避妊しなかった」って事は、要するに他人を嫁さん、つーか家族(わーい「五年生」)にしたってわけで、「ひとりでいるのが好き」とか「他人の欺瞞が許せない」とか、圭太の社会化していない面から開放されたと言うか、「他人も俺と同じ現実の世界に生きていた」事を理解したってー事になるのかなぁ。意味不明? んで、夜が明けたら、星は消えて、「眩しいな……」で終わるのが「点の領域」なわけだ。要するに圭太の成長物語を非常に分かりづらく描いているのが「点の領域」で、それを非常に分かりづらく説明しているのがこの文章であると、そう思ってくれたまい。あとは自分の経験を投影して読んでね。まだ社会化してない人は残念でした。あと、すっとこさんみたいに、本音と建前が使い分けられない人も残念無念。誰かわかりやすく書いてくれ。
という事で、初代会長は、とりあえず星子と同じ存在であるとしておこう。星子は圭太の妄想の産物だが、初代会長はどうだろうか。特定人物の妄想の産物では無い事は当然だが、んじゃあ「現視研というサークルが存在する事を望む人には見える」という感じでどうかなぁ。わけわかんないよね。となると春日部さんの存在が微妙だけど、対自治会の時の話に、大野さんが内心で「結局 現視研をたすける方向に来ちゃってますよ?」と『内心で思った』事を受けて登場したとか、放火騒ぎの時に屋上に現れた時に春日部さんが「そろそろ来る頃だと思ってましたよ会長」と言っているのも、なんとなくしっくり来るような。つまり、初代会長は、「現視研を存続させるための存在で、部員が充実しているば消えるけど、廃部の危機(人材減少とか事件とか)になると現れる存在」という解釈には無理が無いと思うんだけどどうよ。
問題なのはこのわけのわからん存在である初代会長を、何故木尾士目がげんしけんという作品に投入したのかっつー事よ。そりゃあ読者をケムに巻こうという木尾の趣味のセンが強いと睨んでいるすっとこさんだが、もしそうであるとするなら、その手においそれと乗ってたまるかねと思う次第。つーか、「五年生」以前の木尾は読者のために描いてないとはっきり明言している作家だったが、「げんしけん」は読者のために描いて、でも初代会長だけは自分のために存在して、読者にヒミツにしている存在であると穿って考えるのはどうか。つーかそうとでも考えないと説明つかねーんだよオラァ。
ところで最終回の直後に「もやしもん」が出張してきているとゆーのが、すっとこさん的にはシンクロニシティを感じさせる。以前にも書いたが、すっとこさんは「もやしもん」んも異常に傾倒しており、半年前にドはまりした結果を多少
もやしもん知識蔵
に残していて、このはてなの内容を同人誌化しようとしておるわけだが(ここでやっていることと全く同じ)、「げんしけん」の最終回で、表紙で「げんしけん」と「もやしもん」が融合されている事。そして両作品を、多分世界で一番読み込んでいるであろうすっとこさんにしてみれば、まるで俺のために作られたような表紙で、いったいなんでこんな事になっているのか一人で不思議なわけなんですが(げんしけんともやしもんを「コミケのサークルカット」という形で最初に融合させたの俺だし)、偶然というにはできすぎた話だ。いやもちろん俺にとっての話ってだけですよ?
ちなみに「げんしけん」で精神分析にハマり、「もやしもん」で分子生物学にハマったすっとこさんですが、その2つの学問が大脳生理学でつながりそうなんで、現在脳の研究をしようかなぁと考えているすっとこさんです。もちろん趣味で。脳の構造は分子生物学で解明でき、脳の働きは精神分析で解明できそう、って感じですかね。漠然としてますけど。
というわけでこのへんでとりあえずうp。