農大現代視覚文化研究会

「げんしけん」の荻上と「もやしもん」のオリゼーを探求するブログ

8.5巻プロジェクトによるブログの放置

2006年03月31日 00時14分59秒 | げんしけん8.5巻
いや、だって、引っ込みが付かなくなったっつーか、2万以上閲覧があったって事は、どう見積もっても1万人以上は知ってるんですよ? このこと。チョービビる。よって24時間8.5巻の事を考える日々なのだが、それはそれで楽しい。

しかし中荻はマジで難しい。中島の性格には事件前、事件後、現在とあり、一番単純な解決方法は事件後の中島を「オギーの悪夢、想像上の中島」で片付けちまえば、中島が単なるいじめっ子、で済んでしまうんだが、それじゃ逃げだ。しかしそうなると、現在の中島が、どのツラ下げてオギーに「フ――ン」なんて言えるのかが想像もできねぇ。ここでメンヘルを持ち出すのは気が引ける。するとこれらの性格の豹変には目をつぶり、「何故中島はあんな事をしたのか」にスポットを当てて、中島の回想録で1本、というやり方もできるが、これが現実的かなぁ。悩む悩む。

ところで8.5巻には2万ヒットあったが、ここの閲覧数は変化無し。そうですか。

企画書(本気)・同人誌「げんしけん8.5巻」

2006年03月23日 20時42分18秒 | げんしけん8.5巻
(趣旨)
アフタヌーン5月号のげんしけん48話において、なんと作中5ヶ月のワープが実行された。これによって、笹荻の付き合い始めのいっちばん美味しいところとか、斑咲とか、斑恵とか、中荻とか、とにかくいろんなものがスルーされてしまった。それはそれでもう仕方ないが、笹荻以降、あらゆる妄想が入り乱れ、進化し続けたにも関わらず、このままでは全て妄想で終わってしまう。また、何と言っても、笹荻成立後から、笹原世代卒業までの5ヶ月間という、最高に濃い時代が何も語られずに終わってしまう事に、深い憤りを覚えざるを得ない。

しかし、逆に考えれば、作中で語られなかった5ヶ月間は、我々でいかようにも妄想できるという事である。ならば、作中で木尾士目によって語られなかった5ヶ月間を、我々で埋めてしまおうという試みはどうだろうか。そこで提案するのは「げんしけん8.5巻」として、47話から48話までの5ヶ月間を我々の手によって創造し、原作の補完をするという試みである。なにしろ原作が同人誌を出してしまった作品である。対抗して同人が原作を創ってしまうというのもアリなのではないか?

ここに「げんしけん8.5巻」プロジェクトを提案するものである。

(概要)
同人誌「げんしけん8.5巻」を06年の夏コミに出す。本の内容はコミックスに準拠。B6版、白黒表紙、カラーカバー付き。

中表紙+もくじ+(本文24ページ+おまけ+その後4コマ)×6話+おまけまんが=本文164P程度

内容はすっとこさんのプロットを、参加者によって練り直し、各6話をそれぞれの作者によって執筆する。執筆者には各分野(笹荻とか中荻とか)のエキスパートに参加を要請する。


(問題点)
24Pというマンガを描ける人材を6人確保できるかという点。無茶? ベタとかトーン専門のアシ参加者もいればいいね。

(金銭について)
貯金があるので種銭は問題無い。黒字が出た場合は、製作実費を除いて、執筆者に執筆奨励金(ソフト代とかペンタブ代とか)として分配。今時ハードやソフト無いと絵ぇ描くのもままならないしねぇ。

(Q&A)
Q:マジ?
A:マジはマジ、まぁとりあえず言ってみる

Q:プロットて書けるの?
A:まぁとりあえず1話目はこれで行けるでしょ、以前書いた学園祭でオギーがコスプレする話ね。「この程度しか書けないんじゃなぁ」とか言われたら哀しいけど。プロットの参加も歓迎よ

http://www7.atwiki.jp/genshikenss/pages/126.html

案としてはこんな感じ

1話:9月:笹荻成立報告話
2話:10月:学園祭話
3話:11月:斑恵話(これも既存の話。改訂の必要あり)
4話:12月:冬コミ中荻編
5話:1月:斑咲編?
6話:2月:バレンタイン笹荻編

(斑恵のプロットはこちら、みかんはやめる方向で)
http://www7.atwiki.jp/genshikenss/pages/127.html
http://www7.atwiki.jp/genshikenss/pages/130.html

Q:おまけ部分はどうするの?
A:執筆者のあとがきでいいんじゃない?

Q:んでどーすんの?
A:このエントリに「是非読みたい」とか書いて世論を盛り上げてくれると嬉しい。反応が無くてもとりあえずやってはみるけど、個人誌作るようなワケにはいかんからねぇ。てゆうか執筆希望者もいればとりあえず手ぇ上げて欲しいですよ。失われた5ヶ月間創ってみたくないですか?

Q:てゆうか連載が終わること前提に考えてないですか?
A:最悪の事態は想定しておきたいものです

Q:できなかったら?
A:俺の個人誌にプロットだけ掲載して俺一人で満足するしか。


というわけで本気度高いんですけど、ひとりよがり度もけっこう高いんで、一応企画書として提示してみます。しばらく反応待って、その後はいろいろ考えてみます。

とか言いつつ

2006年03月21日 00時46分04秒 | げんしけん
オギールームを作ってみた。

ツールは「間取りPlanner-3D」
http://www.psisland.com/html/mp3d_top.html

オギールームデータ・ダウンロードをクリック

アパートの一室だけ切り出すと言う歪な構造になっているが、まぁ勘弁。データたオギースレその9を参考にした。キッチン裏側の謎の空間はウィークインクロゼットという、ありえない構成にしてみた。

てゆうかこの家、そもそも2階への階段が無いし、外側に換気扇の外気口が無いし、浴室に窓が無いし、左右対称構造でも左右並列構造でもないし、なにがどうなってるのやらさっぱりですよ!構造が謎杉。


さて

2006年03月20日 19時31分11秒 | 雑談
ぼちぼち精神分析について一通り(まぁ入り口くらいは)消化したので、そろそろ次の分野に行かなければならない。

ピンキーに戻るか、もやしもん研究か、とりあえずげんしけん研究のプロト本を作るかしないといかん。げんしけん研究はこれまでに書いたものと、SSをさっくりまとめて1冊になるから比較的楽かも。もやしもん研究については実は途中まで書きためたテキストが若干あるので、その続きを書きたい。

参考:もやしもん知識蔵

ピンキーは、なんか春コミのオギー本サークルで展示して貰ったので、いいきっかけかな、と。

とりあえず明日休みなので、じっくり考えよう。

マンガのお約束について考えてみた

2006年03月17日 22時29分34秒 | 雑談
きっかけは本スレのこの発言

125 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2006/03/13(月) 12:23:25 ID:0APmP4T7O
それは結果を知ってるものがふりかえって
合理的解釈すればそういうとりかたもできる
ということで、直接修羅場をくぐった笹原をみて
荻上がただの先輩以上のものを感じたという描写は
ないわけでしょ?実際直後に咲につつかれてるのに
なんてことなく受け流してるわけだし。

そこで芽生えたものがあるならあるでその場で過程を
描いてくれないと、読者にとっても水面下で
進行する他人事になるからさ。

すっとこさんのレス

128 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2006/03/13(月) 13:10:49 ID:KeCwFbqS0
現実は「いまのこの出来事でこのような印象をもちました!」なんて
意識する状態はほとんどない(俺あるけど、マンガみてーって思った、
友人に話したら「それなんてエロゲ?」って言われた)。

マンガのセオリーからは外れているが、より現実的である。
マンガ的説明が無いのを、リアルと取るか不親切と取るかは
読者次第。俺はリアルだと思う。

それに対するレス

129 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2006/03/13(月) 13:13:37 ID:0APmP4T7O
じゃあ不親切だと思う。

なんとなくしっくり来ないものを感じていたのだが、きっかけは今日、金田一少年の新刊が発売されたので読んでみたんだが、こんなシーンがあった。剣持警部が単独行動で調べ物をするよって言って、金田一少年が「オッサン気をつけろよ」と心配する場面。

もうこうなると「ああ数ページ後に襲われるな」と一発でわかり、実際その通りになったわけだが、ここから考えを進めてみた。

マンガにはお約束がある。襲われる直前には心配される。恋人が死ぬ時には虫の知らせがするか、皿が割れる。まるで予知能力かテレパシーが存在するかのようだ。

何故か?

絶体絶命のピンチに陥った主人公だが、ライバルが特に意味も無く事故死とかしたらご都合主義だとか怒られるからに決まってんだろとかは置いといて、ここで例に出すのは「タッチ」のカッちゃんの死を挙げてみよう。あれこそ、これからライバルの対決が始まる瞬間、突然に何の前触れも無く訪れたライバルの死であった。その当時の衝撃を、「しろはた」のコラムの言葉を借りれば「この時の読者の衝撃は、まことにもって筆舌に尽くしがたいものがありました」という事になる。ある人が突然事故死する事なんかまぁよくは無いけど可能性としては有り得ない事では無い(確率で言えば宝くじで1等が当たるよりは高い。でもマンガの世界では宝くじで一等が当たるより、登場人物が前触れ無く突然死する方が確率が低いかも)。しかしそれがなんで衝撃を与えられるんでしょう。

タッチは「熱血」を破壊したか? あだち充トラウマ作家論

1つの仮説を挙げる。「人間は無意味な死を最も恐れる」。最も恐れるかどうかは個人差があるだろうけど、これは一応現在の日本では当てはまるであろう(イスラムとかアフリカの宗教だとどうか知らん)。カッちゃんの死は作者の都合による無意味な死である。それ故に読者はカッちゃんの死に衝撃を覚え、作者に文句を言うのである。

いわゆるお約束を見てみよう。剣持警部が金田一が心配する前に襲われたら、「なんだいきなり襲われたぞ展開が急だな」と文句を付けられる筈である。一人で幼稚園に出かけた子供が変質者に襲われた時に、皿が割れて母親が嫌な予感を感じないで、突然子供が死体で帰ってきたら「うわなに、この嫌な展開、ひでー作者だな」となる筈。いや個人差あるけどね?

つまり我々は突然の、無意味な死を恐れるが故に、無意味な死を予感させる表現を非常に恐怖していると考えられる。その無意味な死を感じさせないために、あらかじめ予知能力を使って単独行動を心配したり、テレパシーを使って嫌な予感をさせないと読者の自我を揺るがしてしまうのである。これらの漫画的お約束がどれだか不自然な事かわかるだろうか?

ところで、予知能力やテレパシーを使うとなぜ無意味な死が恐ろしくなくなるかと言うと、これはほんと推測なんだけど、その1、死ぬ事を誰かが知る、事前に予測する事で、死に意味が発生する(無意味に殺されたけど予知能力やテレパシーが通じるほど愛している人がいて、その人にとっては衝撃的なんですよー、という説明を無意識にしている)可能性。その2、戦争映画かなんかで、どうせ殺すならちょっといいエピソード(俺今度結婚するんだ、この写真は妻と息子さ)はさんでみたら、その1の効果+いい人が死んで哀しいね、という効果的な表現が発明されたため。ただしこの「その2」はあまりにも多用されすぎてしまい、今やこの表現を使うと「死亡フラグ」と揶揄される程、陳腐な表現に成り下がった。だから戦場に写真を持っていく時は、防弾性の高い金属製のペンダントに入れていかないと死にます。聖書も厚めのものを持って、心臓の前に常に忍ばせておきましょう。

しかし現実を見れば、予知能力やテレパシーも無ければ、死ぬ時はあっさり死ぬ。ここにマンガ、ドラマ、映画と現実との乖離が発生する。漫画的お約束、以後は物語的お約束と書くが、物語的お約束と現実は全く一致しない。しかしここで現実に歩み寄りを見せてあっさり登場人物を殺してしまうと、読み手からの反発は必ずあると考えられる。連続物で人気商売であるマンガやドラマはまずこの時点で脱落する。しかしここで映画が頑張りを見せる。スピルバーグの「プライベートライアン」なんかわかりやすいが、冒頭のオハマビーチのシーンで、米兵が本当に無意味に死にまくる。映画始まって、人物紹介する前にどんどこ死にまくるんだぜ。あの死に意味付けなんかできねー。ヨーロッパ戦線に知識の無い日本人なんか特にな。あの映画見に行って気分悪くなったカポーがいたら正にm9(^Д^)プギャーである。

それと同じ衝撃だったのが「男たちの大和」。死に方用意とか、一億総特攻の先駆けとか、死んで日本の礎がどうこうとかやってたが、あの惨殺シーンを見た後にそんなお題目を信じられる人がいたらよっぽど「物語的お約束」に毒されてますな。

さて、話を徹底的に拡大した所で「げんしけん」に戻る。ここでまた話はぐっと小さくなるが、人を好きになる時に、逐一心の流れを自分で把握し、特定の人物を好きになる過程を言葉で表現する、という漫画的表現にどれだけリアル感があるだろうか?やっぱり個人差あるだろうけど、結局はリアルでは無いのではないか?すっとこさんはリアルだとは思わないという線で話を進めるが、先の本スレの発言を見ても分かる通り、「物語的お約束が無いと不親切である」という層も確実に存在するのだ。てゆうか無意識には人間そう思ってる筈だから、理不尽な死に恐怖するわけだ。

しかし問題は、物語的お約束は既に多用されすぎて、最早、物語的お約束を感じるだけで、今後の展開予想が付いてしまうという弊害が発生している。それが嫌だというのが今日の本題です。やっとたどり着きました。その最もわかりやすい例が「死亡フラグ」である。

784 訴える名無しさん。 2005/06/02(木) 11:39:19
①この戦争が終わったら、俺、結婚するんすよ
②いいか、俺が帰ってくるまでここを動くんじゃないぞ
③セックスする前のシャワー
④いわく付きの場所で若者がいい雰囲気
⑤「必ず戻ってくるから」
⑥「この中に犯罪者がいるかもしれないのに一緒に寝れるか!俺は自分の部屋に戻るぞ!」
⑦「明日は娘の誕生日なんだ」
⑧この最後の仕事を終えたら足を洗うと決意してる状態
⑨「この仕事が終わったら2人で暮らそう」
⑩「××様が出るまでもありませんよ。ここは俺に...」
⑪今まで目立たなかった脇役が急に目立つ
⑫「今度の仕事でまとまったカネが入るんだ」
⑬「おのれ~!ええぃ、出会え!出会えーぃっ!! 」

物語的お約束が無いと、理不尽な死の恐怖を感じてしまう。物語的お約束があると、阿呆な死亡フラグの多用がまかり通る。甘えているのは表現者だろうか、読者だろうか。

編集者が欲しい

2006年03月16日 22時50分37秒 | 雑談
すっとこさん、基本的にこれまで同人は執筆者兼編集者で、個人的には編集者のつもりだったんだが、今回げんしけん同人誌(タイトルは「唯げんしけん論」に決めた)作るに当たって、編集者が欲しいと思った。

文章を書くだけに集中して、書き上げると構成とレイアウトが勝手にできる状況が今マジで欲しい。執筆に専念して、本を構成する部分は他人に任せたい。書く事に専念したい。

……ソフト代こっちで持っていいから、誰かいないっすかね?

抑圧と反復、恵子とオギーの場合

2006年03月15日 23時25分33秒 | げんしけん
今日読んだ岸田秀の中で興味深かった部分

外傷性神経症の患者が、経験した恐ろしい災害の場面を繰り返し夢に見る場合も同じであると思われるが、快感原則から言えば当然、回避するはずの過去の苦痛な経験を反復するのは、受動的蒙らされた屈辱的で苦痛な経験、屈辱的で苦痛であるがゆえに自我から排除されがちな経験を、能動的にみずから進んで反復することによって自我に組み入れ、克服し、支配しようとする試みであると考えられよう。

オギーの悪夢と春日部さんの火を夢に見るのがこれか。やっかいな機能持ってやがんなぁ。

さて恵子である。すっとこさんの分析によると、これまでに一応「両親の愛が足りなかった」「愛を経験、学習できなかったので、愛を希求し、人の愛し方を知らない」という推論が導き出されている。ここんところは以前の分析を読むか、一応そーゆー事にしておいて欲しい。んで今日の本題。恵子の恋愛相手だが、一応出演した事があるのが海水浴の時の1人、動物公園で置き去りにしたという1人、見事にどちらもDQNである。しかしDQNに引かれるには引かれるだけの理由があると考えられる。そこんとこを推理してみる。

恵子の親観を想像してみると、無断外泊しても、借金しても、何をしても自分を構ってくれない親。でもどうやらお金はくれるので、自分が嫌いなわけじゃないみたい。でも自分の事が好きなのか? わかんない。違うかもしれない。いやきっとじぶんの事を愛してくれてる。きっとそう。そうじゃないと嫌。途中から無意識の思考になってます。

そして恵子が付き合う相手は一見親と違って自分を構ってくれる相手。しかし心の底では、親と同じで、自分を愛してない相手じゃないと惹かれない。「何故か?」 自分をきっと愛してない相手が自分を愛してくれるって事は、きっと両親もあたしをかまってないように見えて、こいつと同じようにあたしを愛してくれてるんだ、大丈夫、きっとそう「という事を証明したいから」。

しかし結局恵子が愛を表現する手段は、相手に抱かれる事しか知らない。相手のDQNにしてみれば、ちょっとかまってやれば抱けるわけで、こんな都合のいい女はいない。軽く見る。本気で愛せるわけはない。しかし恵子から見れば、自分はこんなに愛してるのに、相手はなんであたしをこんなに軽く扱うのかわかんない。こんなやつ大嫌い。爆発の末に別れる。きっと次の相手は本当の恋人に違い無い。しかし引っ張ってしまうのは結局両親のイメージを反復してしまう相手ばっかり。結局誰と寝てもうまくいかない。

これを反復脅迫と言うらしい。この例はフロイドの述べている例を、ちょこっと恵子風に書き換えただけだが、しっくり来るだろうか? すっとこさんは来る。だから話を進める。例の斑恵SSも、書いた当時は漠然としか考えてなかったが、このあたりの事を念頭に置いていたのかもしれぬ。

オギーのダイブ癖はこれと同じ理論で語れるだろうか。

ああ、その前にちょっと本スレにツッコミ。オギーの自殺未遂が本当になったかどうかってまだやっているが、ここ3ヶ月の流れで「やってない」と判断する方がどうかしているとすっとこさんは思うが、まぁそれはもうしょうがない。「やってない」と判断するならそれ相応の理由があるんだろうから、それは尊重しよう。勝手にしろって感じだけど。

ところでもう一点、こっちはちょっと悩み所だが、「自殺未遂はやりすぎ」という論調もまだ見るが、すっとこさんの見るところ、オギーのダイブ癖からして、オギーは現在の設定を全て背負って登場してきたと考える。つまり例の事件も、自殺未遂も、高校時代の荒れも、最初から前提だった。だからこそオギーの頑なな態度が薄皮を剥がすように徐々に軟化していくのを見るのがある意味感動的だったのに、自殺未遂をバラした瞬間に「やりすぎ」ってーのは、要するにオギーの闇の部分を見たくなかったわけで、なんかいい感じの女の子がいたのに、仲良くなって、話を聞いたら実は過去に○○な経験があったと告白されたら、なんか萎えちゃって興味を無くす、みたいな身勝手な野郎と同じような印象を受けるのはすっとこさんの性格が悪すぎなのかなぁ。

すっとこさんはオギーが「いる」と考えて真剣に分析しているが、逆に「いない」と知っているから勝手な分析ができるわけで、スレ住人が「いる」か「いない」かの区別をそれだけ真剣にしているか、ちょっと疑問が残る。「いない」んなら過去の否定もオギーの揶揄も好きにしろって感じだが、「いる」んなら、もーちょい気を使って考えてやれないかなーと思うすっとこさんであった。

実は以上の文は余談なのだよ。オギーのダイブ癖の話だったっけな。漫研で何があったかはわからないが、結構オギーのトラウマにグッサリ来るような展開があって、現視研ダイブのように、漫研ダイブも相当に衝動的だったのではないか。オギーは理由を「あてつけ」としているが、1コマ前の表情からしても後付けの理由には違い無い。ただし「これこれこのような理由で」飛び降りると言うより、飛び降りる事そのものが反復化されていると考えられるんだが、どうなんだろうか。とりあえず今回は手付けでここまでにしておこう。

最後に、すっとこさんは笹と恵子を見ると、なんとなく笹原両親の姿を掴める気がするんだが、オギーの場合はそれが見えない。唯一感じられるのは、多摩とは言え、都内一人暮らしのために2DKの家を用意してしまうという状況証拠からしか伺えないが、中学時代の事件にどれだけ両親が関与したかが全く見えない。普通に考えればあの事件のフォローに両親が介在しない筈は無いんだけど、暖かく見守ったとも、冷たくあしらったとも、どちらとも読めない。まるで存在してないかのよォだ。多分木尾士目が設定してないから読めないと思うんだけど、これも正解は木尾士目しか知らない。

今日は本当に荒削り。てゆうか十分な証拠と理論が用意できる分野はほぼ語り尽くした感があるので、今後は少ない証拠で無理やり論理的に語る事しかできないのでは。それ以前にこれまでに語った事の再検証が必要な気がする。そのためにwikiで辞典を作ると称して原作を隅々まで読み尽くそうとしてるんですよ。

斑×笹・笹×斑について

2006年03月12日 11時50分13秒 | げんしけん
以前から本スレに話題が出るたんびに指摘していたんだが、ここらで文章にしちまおう。ところでこの意見はすっとこさん発案ではなく、本スレで誰かが言ってた意見です。

何故大野さんは斑目のヘタレ攻めで、オギーは笹原の強気攻めなのか?

大野さんの場合を考えると、(以後学年は笹原基準)1年の後期に入学してきたが、当時の笹は欲望のままに生きる覚悟こそ決めてたものの、実践未だ十分に伴わず。やはりマスター斑目に従うパダワン笹原であった(使う意味無いけどSWな)。実は大野さんて10話見ると分かる通り、結構男子ウォッチが好きなのである。さすがにワープまではしていないようだが。となると笹原が背景化していた時期は、やはり大野さんから見れば斑目が攻めというのは実に妥当ではないかと。

そこで笹が3年になって会長就任と同時にオギーも入会してきたわけだが、笹が会長になってからはコミフェスの件もあり、斑目弱体化の影響もありどう見ても笹原は攻めです。そりゃオギーから見れば原口を追い返すわ、クガピーとやり合うわ(余波で自分も泣かされるわ)で、超強気ですホント。

しかし大野さんから見れば、斑×笹の関係で言えば、笹は相変わらず斑目の良き後輩で、斑×笹に変更はありません。しかし弱体化した斑目と、強気の笹の関係では斑目がヘタレ攻めになるのはやむを得ない所。

ところでヘタレ攻めってのは『斑目「おい、笹原、大丈夫か?痛くないか?痛かったら早く言えよ。ええと、んで、どこだったかな、ここかな? あれ? いや違うな。ああ、ここだここだ、ふー、いやいやいや、始まる前から疲れたな」』こんな感じです。多分。

とまぁ、ここでうpしてもいいんだけど、もうちょっと深く考察してみよう。

まずこの文章を読んでいただきたい
やおいの心理?

この文章の中で興味深いのは、「女の子だって本当は『ヤル』側にもなりたいのダ」という点。これはフロイドの言う所の「胎内復帰願望」である。ざっくり説明すると、赤ちゃんは男の子も女の子も母親に育てられるため、母を依存対象とするため、リビドー(性エネルギー)は男性的に形成される。ところが男の子の場合はまだ性的に不能なので挫折する。女の子の場合はペニスが無いので挫折する。男の子の場合はその時に挫折しても、そのうち性能力ができるので、いろいろあってもある程度は大丈夫だが(いろいろあるので省略)、女の子の場合は無いものは無いので、母親を諦めて父親に依存対象を切り替え、女として生き始める事になるのである。

ここでやおいの登場ってわけよ。つまり想像の力を借りてペニスを獲得し、過去に一度挫折した胎内復帰願望を満たす事ができるというのがやおいの魅力なのである。んでも本当かなぁ。実感じゃなくて理論としてはわかるんだけど。まぁこの文章読んでる女性の人はどう思うのか聞きたいところ。いるのか。

さてオギーの場合で考える。オギーの場合シチュ考察のメインは受けが中心になる。……この場合は単純に受けに自分を託しているって単純な話でいいのかなぁ。女性のあーされたいこーされたいという願望があって、これをストレートに描くのがレディースコミック。攻めにも自分を託しつつ、絵で女が犯されるのは気分悪い(男がやおいを読むと感じるムズムズ感と同じ?)なので、男を犯される側に回すのがやおいなのかなぁ。だいたいオギーのワープ見たって、メガネ君受けが基本ってテメェの事じゃねぇか斑目のキャラクターとかって実は関係無いだろゴラと思うんだけど。そのへんどうなのか。

うーむ、やはりやおいは男としてうまく消化しきれん。更なる考察が必要か。


追記・例の発言見つけてきた

876 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい :05/01/25 21:25:02 ID:OIYyFwjE0
最後のコマ、大野が「斑目さんのヘタレ攻めのほうが 私はしっくりくるかな」
は、好みの違いというよりは、二人を知っている時間の長さに拠るものだと思うが。

荻上にとって、初対面の笹原は現視研の会長であり、
先輩の原口を追い返したり、久我山と口論したりと、ある種の「強い人」のイメージがあると思う。
で、斑目のイメージは、ただ先輩というだけで、特に固定的な印象は持っていない。
拠って、「笹原強攻め」である。

一方大野は、入学時期が半年ずれているが、1年生の頃から二人を見ており、
斑目達に引っ張られている笹原を知っている。
時間が経つにつれ、ヘタレ斑目、しっかり者笹原、であることは分っても、
イメージは「先輩斑目を慕う後輩笹原」である。
拠って、「斑目ヘタレ攻め」になると。