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農大現代視覚文化研究会

「げんしけん」の荻上と「もやしもん」のオリゼーを探求するブログ

完全にどっ引きされてますかね?

2006年04月28日 23時04分48秒 | 雑談
多分されていると思う。よくわからんが、とにかく、わけのわかんない文章は今日限りにして、明日、ちょっと8.5巻について考え直してみなければならぬ。てゆうか今日は昨日の続きから。

まずは自律神経失調症について説明をしなければならない。テキストは「五年生」の4~5巻。芳乃さんが頭ズキズキ耳鳴りキンキンのあの病気です。ついでに言うとオギーのコミフェスでの「気分が……」の症状です。これから考えるに、木尾士目もやってます。てゆうかやってないと描けません。てゆうかすっとこさんの場合だと、最大の症状は動悸、心拍が平常時で100くらいになります。あとは手の平の発汗、肩こり、息切れですかね。幸いにも末端神経までは逝ってないようです。症状軽くてよかったですね。

直すには、まず、根本原因を取り除く事にあります。芳乃さんの場合は長谷川さんの気持ちを確認する事によって。オギーの場合は巻田くんのトラウマを払拭することによって。前回のすっとこさんの場合は問題から逃避することによって、最後の場合も少なくとも問題はなくなるので(抑圧による別の問題が発生するけど)、自律神経失調症は治ります。しかし例えば、職場内のトラブルによる人間関係が原因だったりすると、職場をやめるか、人間関係が改善されるまで、直らないでしょう。さっさと仕事をやめて早めに治療すれば、症状が大きくなる前に治る可能性がありますが、最悪の場合、神経症が精神症になって、要するにキピ――――になります。この場合、神経症と精神症という言葉を使い分けないといけません。

んが、この根本原因を取り除くという発想は、感染症に例えると、ウィルスを体から取り除けば病気は治ります!って言ってるようなもんで、エイズみたいなウィルスを取り除けない病気は治りません!と言っているのも同様なのですな。では投薬によって感染症を治すように、根本原因をそのままに、対処療法でなんとかできるのかとゆーと、それが「五年生」4巻79ページからのドクターの治療方針なんですね。つまり投薬とリラックスで、症状を落ち着かせるというのは、投薬によってウィルスを弱体化させるのと同義……かな? んで、そこでカウンセリングという根本的な治療を行い、問題に前向きな姿勢を引き出せば、ウィルスは完全に死滅しなくとも、活動が限定的になり病気も治る、とドクターは言っていると思います。すいませんすっとこさんの印象で語ってます。

ここで芳乃さんの場合は罹患から治療まで描ききっているので特に問題ありません。オギーの場合は笹がやおいを受け入れる事で払拭した……という事なんですが、オギーの症状ってもーちっと複雑じゃないの?あれだけで治るの?という疑問はこれまでも本スレで数々提出され(理路整然としたものより、漠然とした不満という形だけど)、すっとこさんも『「逃げるのやめようと思います」について』で書いた通りである。簡単に書けば、対巻田のトラウマは解決したけど、対中島のトラウマって解決してないんじゃないの? という事になる。そのへんをすっとこさんは第6話の新プロットで書きたかったのである。いや、ぜってー中島というキャラを描き切らないのは変だって! 直感でもそう思うし、理屈でも散々説明しているし。8.5巻を作らせる最大の動機は、中島というキャラの処遇なんだってば! あの「げんしけん」最大の異質キャラを、あんな3ページでひっこめさすのは勿体無さ過ぎるってば! ちなみに2番目に異質なキャラは恵子。

オギーの事はこのくらいにしてすっとこさんの話に入る。まずは半年前の話を。まぁいろいろありまして、原因は超長くなるので置いといて、まぁ自律神経を失調したすっとこさんですが、最初は問題に立ち向かおうとしたんですね。ところが、この時点では自律神経失調症だという事には気付いてなかったんですが、どーも体の調子がおかしい。諸症状はさっき書いた通り。この時すっとこさん、「ヤベェ!よくわかんないけど明らかに体の調子が悪い!そして原因はあのトラブルに決まっている!これ以上この症状に付き合うと仕事に差し障りが出る!ここは全てを捨ててでも問題から逃げないと!」と、直感で気付いて、問題からさっさと逃げました。てゆうか逃げようと思えば逃げられる問題でよかったですよ。まぁその代償もでかかったですがね。未だに抑圧かかえてます。

んで昨日の話に戻るんですね。えーと、アフタ読んで自分の話だと思って、翌月泣いたと。これが12月下旬の話ですね。ほんで話は翌年の2月になりますが、すっとこさんの話に最近よく出る唯幻論と出合ったのですね。書名は「ものぐさ精神分析」。この本をきっかけにすっとこさんの精神分析への傾斜が始まります。

ところでこの話はしようかどうしようか迷ったんですが、現在のこのブログの、こんな部分を読んでる人なら大丈夫だろうってんで書いてみますが、この文章を読んでいるあなたは「覚醒」した経験はありますか? 具体的に書くと、例えば世間によくありそうな話なら、今まで絵の練習をしてて、どうしてもうまく描けなかったのが、ある朝起きてみたら突然描けるようになってて、しかもどんな絵でもスラスラ描けるようになった、とか。または小説を書いていて、うまく書けなかったのが、ある朝(略)書けるようになった、とか。楽器の演奏(略)なった、とかです。実はすっとこさん、今年の4月、ってまだ今月じゃねーか! えーと、中旬、まだ2週間しか経ってねーじゃねーか! とかいろいろツっこみ所はありますが、実は覚醒の経験をしました。ここで相当どっ引きですね。

具体的に書くと、岸田秀の唯幻論を読みまくり、えーと、ある朝突然頭の中の霧が晴れたような気がして、例えばすっとこさんの仕事は書店員なんですが、客の考えている事を瞬時に理解して、その客の望む接客が自然に思い浮かぶようになったとか、相手の空気をバッチリ読めるようになったとか、今まで知らなかったような話でも簡単に理解できるようになったとか、まぁ全然具体的じゃないんですけど、一言で言えば、「頭がよくなった」としか思えないんですよ。ああますます引かれる。てゆうか今までこんな経験無かったと言うか、人間にこんな経験が訪れる事すら知らなかったので、この頃は(てゆうか今も)、自分の頭がおかしくなったんじゃないかと本気で思ってました(今も時々)。

ここでちょっとwikiから引用するけど、wikiに付いたレスに「もしかして2ちゃんの人全員と相互理解しようとしてるのか?」とか書いてありました。すっとこさんとしては、俺の書いた文章のどこをどう解釈すればこんな理屈が出てくるのかさっぱりわからないんです。しかし、多分そんな気になっていたからそーゆー文章をどこかに書いたんであり、それを見て「もしかして2ちゃんの人全員と相互理解しようとしてるのか?」というズバリな批判をしたんでしょう。ところが、今や相手の「あんたがきもちわるい」という文章を読んだだけで、とりあえず自分をきもちわるいと仮定し、何故相手がすっとこさんをきもちわるいと判断したかを自分に対して問いかけ、その答えが自然に出てしまうというスキルを身につけているすっとこさんにとって(正解かどうかは別だけど)、自分を理解させることはできないが、相手を理解することはできる、というわけのわからない自信があるんですよ。もちろんこの覚醒をしてから2週間なんで、実践は全然してないんですけど、接客でお客さんを大爆笑させた事がこれまでに3回。それまでは一度も無かった事を考えると凄い事ですよ? それからこの覚醒以降に信頼できる友人2人とそれぞれ別の機会に飲んだんですが「なんか成長した」とか言われました。傍証がしょぼくてすいません。

これも、げんしけん、自律神経失調症、唯幻論のどれが欠けても到達し得なかった境地なんですね。つまり自律神経失調症に罹る、げんしけんで治す、治した過程を唯幻論で説明して、覚醒することができたと、自分で書いてて相当胡散臭い話なんですが、そーとしか説明できんのですわ! 簡単に書くと生まれ変わったとしか思えないので、これまで読んだ本を読み返しても、違う内容が書いてあるようにしか思えませんよ? てゆうか昨日、げんしけんが終わったら、すっとこさん壊れるかもとか書いてましたけど、さっそくその代用品を見つけましたよ。西洋哲学。特に構造主義。超面白そう。内田樹あたりを出発点にしてみよう。

ああもうそろそろ何を書いているのかわからなくなった。てゆうか筆の赴くままに文章を綴るのって、言ってみれば精神分析の自由連想法じゃん。面白いわけだ。えーと、自律神経失調症の話、覚醒の話と来たんだな。本来なら昨日の5ヶ月をどう補完するかの話もせにゃならんが、もうやめ。アルジャーノンでも読もう(覚醒する話だ、AKIRAもそうだな)。

例えば今日の午前中

2006年04月28日 13時12分52秒 | 雑談
すっとこさんはこーゆー思考をした、最後に結論ひっくり返すので一応最後まで読んでください、途中は抜かしても可

「なんでぇなんでぇ、どいつもこいつも好きに叩きやがって、
 だいたい今までこっそりやってきたんじゃなくて、少なくともこれだけ叩く要素があったって事は、すでに俺のやってる事知ってたわけで、wikiにご意見欄も、メールアドレスも書いてあったのに、それには知らん振りしてて、いざスレに書いたら叩くなんでひでぇじゃねぇか。気に入らないんなら黙ってねーで文句言えばいいのによぉ。
 だいたいだなぁ、こんだけすっとこさんの「姿勢」について文句言ってんのに、肝心の8.5巻の「内容」に文句言う奴一人もいねーじゃねーか。俺の姿勢なんかどーでもいいんだよ。問題は内容だろ?
 藤子・F・不二雄もエスパー魔美で言ってたじゃねーか、『いいかげんに作っても良作は良作、真面目に作っても駄作は駄作』ってな。俺の姿勢なんかどーでもいいから作品を問題にしやがれってんだ。
 あ、でも、今のセリフって、よく考えるとあくまで作り手が単独、つまり閉じた、クローズの環境での話だよな。んですっとこさんはオープンでやろうと始めたんだから、そりゃクローズでは問題にならない事がオープンで問題になるのは当たり前じゃん。という事は今の文句って全部無効? いやーん」

というものだった、すっとこさんの現在の限界は、この思考を編み出すのに1日かかるという事だ。うーむ、この世にはこの結論を瞬時に出す人もいれば、結論自体出せない人もいるわけで、やはりすっとこさんは、何を言うにしても一晩考えてから話さないといけないんだなぁ。焦って答えると大抵失敗するし。自分の限界を知るというのは恐ろしいぜ。てゆうか他人の事だったら瞬時に出る筈だけどね。自分の事情は自分にしかわからんのだから、それが余計な理解の妨げになるって事なんだろうね。

なんで同人誌作るだけで自律神経失調症になったり、自分の内面と向かい合うとか、これまでの人生で一切経験しなかった事を、しかも一ヶ月の間に立て続けに経験しなきゃいけねーんだ。人生が忙しすぎるじゃねーか。でもこの手の事っで、早い人は中学生くらいで済ませちゃってるんだろうねぇ。俺は今になっちゃったけど。うーん。


あー やばいやばい

2006年04月28日 06時11分56秒 | 雑談
下のエントリで強がってみたけど、一寝りして起きてみたらやっぱダメだったわ。てゆうか自律神経失調症を半年振りに再発した。原因は要するに8.5巻を叩かれた事にある。

すっとこさん的に自律神経失調症を説明すると、その人の自我の支えになっていたものが否定もしくは消失するとなる。「五年生」の芳乃さんの場合は、長谷川さんに対する愛情が、長谷川さん自信の曖昧な対応によって神経をやられたが、長谷川さんが芳乃さんを愛してないとはっきりした時点で自律神経失調症は収まった。

オギーの場合は、巻田くんとの件で、巻田くん、やおい、絵を描く、友人、の全てを失った。自我の支えの大半を失ったオギーが自殺するのも理屈に合ってて、要するに人間、自我の支えが無いと、生きていけないのである。

んでまぁ、すっとこさんの場合は8.5巻が思ったより自我の支えに重要な意味を占めていたと。とまぁこれだけ、自我と精神のメカニズムに精通する事ができるようになってさえ、自分の精神を制御できないのも皮肉な話だが、まぁウィルスに精通したからって、風邪ひかなくならないのと一緒だ。

んで、やはりなんで、8.5巻がそんなにすっとこさんの自我に重要な意味を占めているのか書かないといかん。書くの2回目。つまり自律神経失調症を「再発」したと書いたが、半年前、去年の11月にもやっているのである。原因はまだちょっと書けないが、今回の比では無いほどヤバかった。まぁ芳乃さんやオギー程では無い。問題から逃避するという手段を取ったおかげでなんとか治ったが、実際十分トラウマになった。

ところが11月25日、アフタ入手。オギーの過去話。すっとこさんがトラウマを受けた原因と同じ理由という(細部は違うけどすっとこさんには同じに見えた)オギーの過去が語られた。この時点で「これは俺の話だ!」と直感を得たすっとこさんは、オギーがどのような経過を経て、トラウマを構成し、どのような過程を経て、トラウマを克服するか見守った。

そして翌月のアフタで、笹原の告白の瞬間に、すっとこさんは死ぬほど泣いた。てゆうか50回読んで40回くらい泣いた。今にして思うと、すっとこさんがトラウマを構築した理由と同じ理由でトラウマを構築したオギーが、トラウマを克服した瞬間を見る事によって、すっとこさんもトラウマを克服したのである。つまるところすっとこさんは「げんしけん」に心を救われたのである。言ってる事理解してもらえるかなぁ。自分では首尾一貫、理路整然と書いてるつもりなんだけど。

んでまぁ、「げんしけん」によって回復した自我は、「げんしけん」が連載終了するとわかれば、また揺らぐのも道理。この時点ですっとこさん、精神的に「げんしけん」依存症になっていたんですな。オギーオフで「げんしけんはまだまだ終わらない!」と力説していたのも、理論的に終わることを説明していたとゆーよりも、終わられると精神的に困るというすっとこさんの自我が、「げんしけん」が終わらない事を切望していたと説明できます。

んが、先月号を入手した段階、22日、マンガのセオリーからすると、明らかに物語の畳みに入っているのは一目瞭然なわけで、するとすっとこさんは動揺したわけですな。ヤベェ「げんしけん」が終わっちまう!俺の自我はまだ十分に安定しきってねぇ!笹荻ラブラブ話を読まねぇと俺の「げんしけん」は終わらねぇ=自我が安定しねぇ! と、この時点でだいぶ自我について勉強していたすっとこさんは、理路整然と「俺がここまで動揺するのは5ヶ月ワープのせいだ」→「だったら自分で5ヶ月を作らないとどうにもならん」→「じゃあ原作が同人誌作ったんだから、同人が原作作るのってアリじゃん?」という、解決方法をとっとと編み出し、23日の時点でwikiに趣旨をアップしたというわけですな。

まぁつまりメインの目的は五ヶ月を補完する事にあるんですが、いくつかの方法があります。まずは自分で小説として発表する事。これはもうやっているも同然ですが、「げんしけん」がマンガである以上、小説だとどうにも表現方法が違って、万全ではない。が、ここまで書いて気付いたんですが、万全ではなくても無益では無いので、現在の自律神経失調症をどうにかするには、まず自分の書いたものを100回読めばとりあえず気休めになる筈なので、まずは読んでこよう。続きを書くのはそれからで。

あーなんかダメっぽい。てゆうか不思議なことに、時間の進むのが早く感じられる。さっきから脈拍が異常に速いと思ってたんだけど、そうじゃなくて、時間の進み方が異常に早く感じられているんだ。時計の秒針の回転が速く見える。なんだこの症状。わけわかんねぇ、続きを書くのは帰ってからだな。

おいおい、てゆうか、今気付いたんだけど、以上の分析が合ってるとすると、すっとこさん、来月、げんしけん終わったら壊れるぜ。うわーやべぇ。原因と結果と対策がわかっていても、事実は動かせない以上、どうにもならねーじゃねーか! うわーまずい! 人間がどう壊れるのかは興味深いけど、それが自分じゃシャレんならん! でもちょっとワクワクしている。どうなんだこれ。専門家に相談してみるべきですか?

・追記
以上を踏まえた上で出勤前に朝風呂入ってたら、俺の自我が解決策として「とりあえず冬コミに発行延期したら?」とすっとこさんを説得したのですが、すっとこさんが説得に応じたので、冬コミに延期する事にしました。執筆者の方には追って連絡します。ちなみに以上の流れが多重人格症の初期症状です。多分。最初は自覚的に多重人格を構成するんですが、それに依存しすぎると、いずれは人格が分離して、本物の多重人格になるのですね。ビリーミリガン読んだことないけど読んでみようかな。オギーも「あんなことしたのは本当の私じゃない」とか考えてれば、こうなる危険性もあったんだよなぁ。多分。と、こう考えるとSSネタができる。
「シーザーを理解するのにシーザーになる必要はない」が、「神経症を理解するのに神経症になると一発で理解できる」んです、シーザーになるのよりは神経症になる方が簡単だしなぁ。つらいけど。まぁなろうと思ってもなれるもんじゃないという点では一致している。秒針の進み方も普通だ。むむむ、精神って謎すぎる。

たった今

2006年04月27日 20時22分30秒 | 雑談
現在のすっとこさんの心境を書いた文章(3000字くらい?)を書いたら、手違いで消してしまいましたよ!
すっとこさんの心境を正直に余すところ無く書ききり、投稿しようとしたら、ID入れろとか言われて全部パー。ところが消えた瞬間に心が安らかになってしまいました! 「自分の心境の整理」→「告白が水に流される」という、要するに教会での懺悔の効果を発揮したものと思われます。懺悔は神が聞いてますが、この場合はすっとこさんの精神(=現在のすっとこさんにとっての神)が聞いていたので、同様の効果が得られたものと思われます。うわマジスッキリしてる。精神ってスゲェ。ちなみにどんな事を書いたかとゆーと、それはサシで飲んだ時にでも……

しかし投稿に成功していたらどうなっていたんだろう?

オフ会におけるすっとこさんの根幹にも関わる不満

2006年04月24日 00時14分41秒 | 雑談
今からすっとこさんの心の狭さを証明しかねない話をするが、これはすっとこさんとしては見過ごせない事なので話さざるを得ない。

今日のサンクリ後のオフ会で、げんしけんSSには良作が多くてスゲーという話を話をしていたんだが、その中で「中荻のサイコものもこれまた良い」という話が出てきた。これだ。

http://www7.atwiki.jp/genshikenss/pages/206.html

実は、これがSSスレに投下された時、こういう前説明が付いていた。

げんしけんSSスレ5
http://comic6.2ch.net/test/read.cgi/csaloon/1141591410/
22 名前:マロン名無しさん[sage] 投稿日:2006/03/07(火) 20:27:13 ID:???
エロパロでの中荻を読んで妄想。中学時代の中島の独白。サイコさんが入ってる上、
設定が妄想全開なので注意してください。

んで、この「エロパロでの中荻」というのが、すっとこさんの書いた中荻エロSSである。

【椎応大】げんしけん@エロパロ板 その2【くじあん】
http://sakura03.bbspink.com/test/read.cgi/eroparo/1122566287/824-836
824 名前: ◆suTtoKok.. [sage] 投稿日:2006/03/06(月) 20:20:46 ID:QGMKZFSW

このエロパロSSはSSまとめスレにも、すっとこさんのブログにも収録されていない。何故かとゆーと、エロパロSSはSSまとめサイトの収録外である事。また、このSSを書いた直後にささやかな自分語りをしたら叩かれたので、ムカついてエロSSスレを放置した上に、このSSな内容を発展させて8.5巻ネタにしたので、お蔵入りにしてしまったのである。

すっとこさんからしてみると、このSSをひねり出すのに自分の葛藤と向き合い、すんげぇ苦労して解釈を編み出して、針の穴を通すようにして本編との辻褄を合わせた、自信作中の自信作なのである。このSSを編み出せたからこそ、自分に自信を持つ事に成功しているとも思っている。その自信作が自分語りしただけで、作品自体が評価されず、自分語りだけが叩かれたすっとこさんの失望感がいかばかりであったか、他人に理解するのは難しいだろう。つかできねぇだろう。

しかしながら、すっとこさんのエロSSを元にしたSSも書かれて、評価してくれている人は評価してくれるんだなーと思っていた。すっとこさんのSSをベースにした翻案ものだけど、これはこれでよくできてるな、嬉しいな、と思っていた。

しかし

今の状況は、すっとこさんオリジナルのエロSSはどこにも収録されず、すっとこさんのSSを元にしたSSだけがSSまとめスレに収録され、しかも元ネタがある事が表記されていない状況になっていたのである。

それが今回のオフで、中荻サイコSSに高い評価が下されたのを聞いて、そこですっとこさんが「あれ、俺のSSが元だから、自分が評価されたようで嬉しい」とかそんな感じの事言ったら、みんな(何言ってんだこいつ)みたいな空気になっているのであった。そりゃしょうがない。みんながそう思ってしまう状況は上に書いた通りだ。別に誰が悪いとか言う話ではない。しかも他人からすれば「なんでこんな事に必死になってんだすっとこさん」と思われるのも承知だ。

しかし、これだけは言わないと俺が自分を保てない。すっとこさんはげんしけんを研究することによって半年前のトラウマから脱出する事ができたのだが、その過程にこのエロSSを書いた事も入っているのである。それが崩れると、現在のすっとこさんも崩れてしまうのである。だから、今こうして必死に事実関係を書き出して、一瞬崩れかけたすっとこさんの自我に補強を与えてやらないといけないのである。他人からすれば些細な話だが、すっとこさんからすれば取り戻した自我が、再び崩壊しかねないほどの危機なので、この文章を書く事によってそれを補わなければならないのである。

というわけで書いた。どっ引きされる危険は覚悟の上だが、そのリスクを差し引いてもこの文章は公開せざるを得ない。すっとこさんにとってあのエロSSはそれほど大事なのである。本当に。

追記
で、この文章自分で3回読み直してみて、一つも間違った事書いてないんだけど、人の心を文章で書くと、長くなる上に、自分以外は読んで面白くないだろうなというのがわかるだけにつらい。人の感じる不安というのは論理的に文章化するとこうなるのである。なまじ文章化できるスキルがあるだけに鬱陶しい。

愛の手紙代筆くん

2006年04月22日 07時45分13秒 | 雑談
http://www.fides.dti.ne.jp/~come/love/index.html


謎の生物オギー様へ

あなたのハートを指名手配中のすっとこです。

オギー様はまるで優柔不断な目覚し時計のようにウィットに富んでいますね。

あなたを思うと岩陰で過労死しそうです。

オギー様のためなら、泥沼の底で丸太を転がしつつ
トラを生け捕りにすることもできます。

「すっとこさんの夢ってコソドロみたいですね」
と無邪気に笑うオギー様の横顔が忘れられません。

すっとこより

PS.腐っても鯛

さて

2006年03月20日 19時31分11秒 | 雑談
ぼちぼち精神分析について一通り(まぁ入り口くらいは)消化したので、そろそろ次の分野に行かなければならない。

ピンキーに戻るか、もやしもん研究か、とりあえずげんしけん研究のプロト本を作るかしないといかん。げんしけん研究はこれまでに書いたものと、SSをさっくりまとめて1冊になるから比較的楽かも。もやしもん研究については実は途中まで書きためたテキストが若干あるので、その続きを書きたい。

参考:もやしもん知識蔵

ピンキーは、なんか春コミのオギー本サークルで展示して貰ったので、いいきっかけかな、と。

とりあえず明日休みなので、じっくり考えよう。

マンガのお約束について考えてみた

2006年03月17日 22時29分34秒 | 雑談
きっかけは本スレのこの発言

125 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2006/03/13(月) 12:23:25 ID:0APmP4T7O
それは結果を知ってるものがふりかえって
合理的解釈すればそういうとりかたもできる
ということで、直接修羅場をくぐった笹原をみて
荻上がただの先輩以上のものを感じたという描写は
ないわけでしょ?実際直後に咲につつかれてるのに
なんてことなく受け流してるわけだし。

そこで芽生えたものがあるならあるでその場で過程を
描いてくれないと、読者にとっても水面下で
進行する他人事になるからさ。

すっとこさんのレス

128 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2006/03/13(月) 13:10:49 ID:KeCwFbqS0
現実は「いまのこの出来事でこのような印象をもちました!」なんて
意識する状態はほとんどない(俺あるけど、マンガみてーって思った、
友人に話したら「それなんてエロゲ?」って言われた)。

マンガのセオリーからは外れているが、より現実的である。
マンガ的説明が無いのを、リアルと取るか不親切と取るかは
読者次第。俺はリアルだと思う。

それに対するレス

129 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2006/03/13(月) 13:13:37 ID:0APmP4T7O
じゃあ不親切だと思う。

なんとなくしっくり来ないものを感じていたのだが、きっかけは今日、金田一少年の新刊が発売されたので読んでみたんだが、こんなシーンがあった。剣持警部が単独行動で調べ物をするよって言って、金田一少年が「オッサン気をつけろよ」と心配する場面。

もうこうなると「ああ数ページ後に襲われるな」と一発でわかり、実際その通りになったわけだが、ここから考えを進めてみた。

マンガにはお約束がある。襲われる直前には心配される。恋人が死ぬ時には虫の知らせがするか、皿が割れる。まるで予知能力かテレパシーが存在するかのようだ。

何故か?

絶体絶命のピンチに陥った主人公だが、ライバルが特に意味も無く事故死とかしたらご都合主義だとか怒られるからに決まってんだろとかは置いといて、ここで例に出すのは「タッチ」のカッちゃんの死を挙げてみよう。あれこそ、これからライバルの対決が始まる瞬間、突然に何の前触れも無く訪れたライバルの死であった。その当時の衝撃を、「しろはた」のコラムの言葉を借りれば「この時の読者の衝撃は、まことにもって筆舌に尽くしがたいものがありました」という事になる。ある人が突然事故死する事なんかまぁよくは無いけど可能性としては有り得ない事では無い(確率で言えば宝くじで1等が当たるよりは高い。でもマンガの世界では宝くじで一等が当たるより、登場人物が前触れ無く突然死する方が確率が低いかも)。しかしそれがなんで衝撃を与えられるんでしょう。

タッチは「熱血」を破壊したか? あだち充トラウマ作家論

1つの仮説を挙げる。「人間は無意味な死を最も恐れる」。最も恐れるかどうかは個人差があるだろうけど、これは一応現在の日本では当てはまるであろう(イスラムとかアフリカの宗教だとどうか知らん)。カッちゃんの死は作者の都合による無意味な死である。それ故に読者はカッちゃんの死に衝撃を覚え、作者に文句を言うのである。

いわゆるお約束を見てみよう。剣持警部が金田一が心配する前に襲われたら、「なんだいきなり襲われたぞ展開が急だな」と文句を付けられる筈である。一人で幼稚園に出かけた子供が変質者に襲われた時に、皿が割れて母親が嫌な予感を感じないで、突然子供が死体で帰ってきたら「うわなに、この嫌な展開、ひでー作者だな」となる筈。いや個人差あるけどね?

つまり我々は突然の、無意味な死を恐れるが故に、無意味な死を予感させる表現を非常に恐怖していると考えられる。その無意味な死を感じさせないために、あらかじめ予知能力を使って単独行動を心配したり、テレパシーを使って嫌な予感をさせないと読者の自我を揺るがしてしまうのである。これらの漫画的お約束がどれだか不自然な事かわかるだろうか?

ところで、予知能力やテレパシーを使うとなぜ無意味な死が恐ろしくなくなるかと言うと、これはほんと推測なんだけど、その1、死ぬ事を誰かが知る、事前に予測する事で、死に意味が発生する(無意味に殺されたけど予知能力やテレパシーが通じるほど愛している人がいて、その人にとっては衝撃的なんですよー、という説明を無意識にしている)可能性。その2、戦争映画かなんかで、どうせ殺すならちょっといいエピソード(俺今度結婚するんだ、この写真は妻と息子さ)はさんでみたら、その1の効果+いい人が死んで哀しいね、という効果的な表現が発明されたため。ただしこの「その2」はあまりにも多用されすぎてしまい、今やこの表現を使うと「死亡フラグ」と揶揄される程、陳腐な表現に成り下がった。だから戦場に写真を持っていく時は、防弾性の高い金属製のペンダントに入れていかないと死にます。聖書も厚めのものを持って、心臓の前に常に忍ばせておきましょう。

しかし現実を見れば、予知能力やテレパシーも無ければ、死ぬ時はあっさり死ぬ。ここにマンガ、ドラマ、映画と現実との乖離が発生する。漫画的お約束、以後は物語的お約束と書くが、物語的お約束と現実は全く一致しない。しかしここで現実に歩み寄りを見せてあっさり登場人物を殺してしまうと、読み手からの反発は必ずあると考えられる。連続物で人気商売であるマンガやドラマはまずこの時点で脱落する。しかしここで映画が頑張りを見せる。スピルバーグの「プライベートライアン」なんかわかりやすいが、冒頭のオハマビーチのシーンで、米兵が本当に無意味に死にまくる。映画始まって、人物紹介する前にどんどこ死にまくるんだぜ。あの死に意味付けなんかできねー。ヨーロッパ戦線に知識の無い日本人なんか特にな。あの映画見に行って気分悪くなったカポーがいたら正にm9(^Д^)プギャーである。

それと同じ衝撃だったのが「男たちの大和」。死に方用意とか、一億総特攻の先駆けとか、死んで日本の礎がどうこうとかやってたが、あの惨殺シーンを見た後にそんなお題目を信じられる人がいたらよっぽど「物語的お約束」に毒されてますな。

さて、話を徹底的に拡大した所で「げんしけん」に戻る。ここでまた話はぐっと小さくなるが、人を好きになる時に、逐一心の流れを自分で把握し、特定の人物を好きになる過程を言葉で表現する、という漫画的表現にどれだけリアル感があるだろうか?やっぱり個人差あるだろうけど、結局はリアルでは無いのではないか?すっとこさんはリアルだとは思わないという線で話を進めるが、先の本スレの発言を見ても分かる通り、「物語的お約束が無いと不親切である」という層も確実に存在するのだ。てゆうか無意識には人間そう思ってる筈だから、理不尽な死に恐怖するわけだ。

しかし問題は、物語的お約束は既に多用されすぎて、最早、物語的お約束を感じるだけで、今後の展開予想が付いてしまうという弊害が発生している。それが嫌だというのが今日の本題です。やっとたどり着きました。その最もわかりやすい例が「死亡フラグ」である。

784 訴える名無しさん。 2005/06/02(木) 11:39:19
①この戦争が終わったら、俺、結婚するんすよ
②いいか、俺が帰ってくるまでここを動くんじゃないぞ
③セックスする前のシャワー
④いわく付きの場所で若者がいい雰囲気
⑤「必ず戻ってくるから」
⑥「この中に犯罪者がいるかもしれないのに一緒に寝れるか!俺は自分の部屋に戻るぞ!」
⑦「明日は娘の誕生日なんだ」
⑧この最後の仕事を終えたら足を洗うと決意してる状態
⑨「この仕事が終わったら2人で暮らそう」
⑩「××様が出るまでもありませんよ。ここは俺に...」
⑪今まで目立たなかった脇役が急に目立つ
⑫「今度の仕事でまとまったカネが入るんだ」
⑬「おのれ~!ええぃ、出会え!出会えーぃっ!! 」

物語的お約束が無いと、理不尽な死の恐怖を感じてしまう。物語的お約束があると、阿呆な死亡フラグの多用がまかり通る。甘えているのは表現者だろうか、読者だろうか。

編集者が欲しい

2006年03月16日 22時50分37秒 | 雑談
すっとこさん、基本的にこれまで同人は執筆者兼編集者で、個人的には編集者のつもりだったんだが、今回げんしけん同人誌(タイトルは「唯げんしけん論」に決めた)作るに当たって、編集者が欲しいと思った。

文章を書くだけに集中して、書き上げると構成とレイアウトが勝手にできる状況が今マジで欲しい。執筆に専念して、本を構成する部分は他人に任せたい。書く事に専念したい。

……ソフト代こっちで持っていいから、誰かいないっすかね?

オギースレの現状と妄想の余地について

2006年03月08日 19時52分23秒 | 雑談
現状オギースレにちょっと違和感が。そこでちょっと考察してみた。

てゆうか以前「逃げるのやめようと思います」についてでも書いた、「結局巻田くんに関する事態については何ら改善されてないから欺瞞」てゆう意見が、いまだに本スレの>>426とかで出ているのを見るにつけ、そんなに笹荻成立が憎いかという事をつらつら思うに考え出た事も一緒に書こう。

萌えとは妄想力である。いやまぁ「電波男」からの受け売りですが、すっとこさん流に解釈すると、例えば2ちゃんねる漫画板げんしけんスレで語るのの何が楽しいかとゆーと、ぶっちゃけ荻上が今後どうなるんだああああ、きっとこうなるんだああああ、というのが楽しい。もしくはオギーってきっとこーなんじゃん、とかもう、とにかく想像力に翼をはためかせ、とことんまで妄想を突き詰めるのが楽しいんじゃねーか、ってこれはいいですよね。この妄想に必要なのが、その作品に置ける「想像の余地」である。例えばどんなマンガでもいいんですか、そう、例えば微妙にエロ要素の入っている少年コミックがいいかな。ねぎま!でもなんでもいいですが。あれ微エロ少年コミックですが、セックスの要素は当然かなり(ほとんど?完全に?)排除されているわけで、ではあの作品のキャラがセックスをしたら誰と誰がどーゆーきっかけでどーゆーえっちをするんだろー、ぐふぐふぐふ、となればエロ同人誌やエロSSの一丁上がりです。この場合に設定はできるだけ煮詰めると、セックスの無い世界では、想像の余地はさらに広まります。いや別に18禁でなくても一般向けでもいいんですが。この場合での妄想力と想像の余地は、それぞれが強ければ(広ければ)、複合してより大きな力が発揮されます。この2つを統合して、以後、「妄想の余地」と呼びましょう。

この「妄想の余地」は作品の成功そのものや、同人活動の大きさに多大な影響を与えます。ゲームで説明すると、「妄想の余地」で成功したのが、古いんですけど「ときめきメモリアル」であり、さらに古くは「Wizardry」です。30代ゲーマーにはわかって頂けると思いますが、どちらも昔のゲームで、これと言ったストーリーも無く、ポリゴンキャラが情報たっぷりに動いたりもしません。故に「妄想の余地」がすンげぇでかく、脳内で虹野が語りかけてくるわ、グレーターデーモン増殖した後の宝箱を開けたらMURAMASA BLADE!をゲットしたとかの喜びがもの凄いとか、とにかくこればっかりは言葉で説明しづらいんですわ。コミケで一大ジャンルを築いている分野を当たれば、この傾向は見えるかもしれません。微エロなのにセックスが排除されているが故に18禁同人誌が氾濫するとか、18禁ゲームなのに逆にセックスを排除するとどうなるかという妄想の余地もあります。

逆にコミケで妙に人気の無い物を見てみると、例えばあだち充。マンガ家歴の長さのわりに、同人誌はほとんど見かけません(いやあるけど)。あだち作品を見れば分かる通り、作品内でキャラの感情説明や状況説明をほとんど済ませてしまっており、これでは妄想の余地が入る隙間もありません。同じ高橋由美子作品でも、うる星とめぞんがいにしえのオタク界にどのように受け取られたかを考えても、いやすっとこさんも歴史でしか知りませんが、妄想の余地のある無しが、いわゆる同人人気を左右する大きな要素であると言えましょう。

この観点からオギーを見てみよう。「私がオタクを~」以後、もう、もの凄い妄想の余地があった。オギー入学以来から積み重ねられて来た状況証拠。笹荻の行方。徐々に明かされる過去。もう読者はいったいどうなってしまうのか、きっとああなる、いやいやこうだと、8ヶ月に渡って妄想の余地を開拓し続けた。そして今月、とうとう笹荻が成立した。しかしここで誤算が起こった。笹荻みかんである。笹荻が成立するのは前提という認識はあっても、笹荻が一気にみかんまで行くとは誰も想像していなかった、いや、想像していた人もいたかもしれないが、みかんをした結果まで想像していた人は誰もいなかった。

妄想の余地が消えてしまったのである。

例えば笹荻が成立しても、みかん前だったら「これからどうやってみかんに持ち込まれるのだろう」という妄想の余地があった筈なのだが、これすら無くなった。みかんシーンが書かれていないため、「どんなみかんが繰り広げられたのか」という妄想の余地は残ってはいるが、結局それは読者の欲望のイメージを転化するしかないので、あまりイメージが広がりづらく、かつ、ちょっと語りづらい話題である。オギースレで「なんかむなしさが……」という感じの発言をしている人の真意はこれである。笹のものになってしまったというのは事実だが、それ以前に、妄想の余地を奪われてしまったのが最大の問題なのである。

ちと余談だがそれにしてもこの展開は凄い。「げんしけん」が少年誌に連載されてもあまり違和感が無いおとなしめの漫画で、もちろん要所要所にエロ要素は挿入されていたが、作品自体は、ま、おとなしいと言ってもいい。それこそ少年誌で連載されててもいいくらいだ。しかし連載初のラブコメ展開を経て、成立したその瞬間に、少年誌では禁断のみかん展開に持ち込まれて初めて、この作品が青年誌に連載されていた事に気づかされるのである。てゆうか少年誌では氏んでも有り得ない展開なので、読者は度肝を抜かれざるを得ない。

話題を戻す。しかし、人の妄想力をなめてはいけない。笹荻みかんを妄想するのも1つの手だが、すっとこさんを始め、何人かがオギーの妄想の余地として新たに見出したのが

「中荻」

である。すっとこさんも散々力説している通り、取り返しの付かない過去の清算はまだ済んでない。本スレで揶揄されんでも、そんな事ぁ十分承知なのである。そして、俺たちがオギーに萌えつづけるためには妄想の余地が絶対に必要なのである。オギースレでは笹荻派とか中荻派とかよくわからんレッテル貼りが盛んだが、真に分断しているのは「もうオギーには萌える余地が無い派」と「中荻でも何でも使ってまだまだ萌えるぜ派」なのである。妄想の余地を奪われて虚脱感に陥っている者にしてみれば、新たに妄想の余地を見出してまだまだ萌え狂っている奴を見れば、感じる事は例えば妬ましい、羨ましい、疎ましいという複合感情、すなわちコンプレックスである。わざわざ誤解されやすい単語を使ったが、このコンプレックスには「劣等感」という意味は無い。単純に複合――いろいろな――感情という意味である。

それにしても、例の「揶揄」をしてまで、オギーか、笹荻を否定したい感情はどこから来るのだろうか。単純に考えれば笹荻を否定しないと、揶揄する当人の自我が揺らがされるからなのだが、今述べたような妄想の余地が狭められるという原因なら、虚脱すればいいんであって、別に否定するまでも無い、と思うけど。当人のトラウマに関する件だったら、例えば俺は失敗したのに笹荻はうまくやった、許せん。という事だったら、まぁその人の事情まではわからんので、当人自身に任せるしかない。あと考えられるのが、童貞という問題である。てゆうか童貞自体はどうでもいいんだけど、童貞である事に劣等感を持っている事がヤバイのである。切込隊長みたいに童貞である事を武器にしている人もいますが、童貞である事が怨み辛みだったりすると今回の展開は激ヤバだろうな。すっとこさんは幸いにも童貞じゃないんですが、自分の数年前にこの展開読んでたらヤバかったかも。そのぐらい破壊力があります今回の展開。うーむ。

という事で今回は妄想の余地について考えてみました。すっとこさんとしましては、笹荻のエロ妄想もまだやってませんし、中荻の妄想も道半ばですし、そもそもフロイドで木尾士目を読み解くという、とんでもない誇大妄想の余地が残されているので、当分げんしけんで萌え狂う日々が続くでしょう。あ、フィギュアとかもあるしな。次回はエロSSスレが自分語りで荒れた件について考察してみましょう。これも妄想力が必要とされるのです。ううーむ。