農大現代視覚文化研究会

「げんしけん」の荻上と「もやしもん」のオリゼーを探求するブログ

おひさしぶりです

2006年12月28日 23時37分48秒 | げんしけん
前回の更新から4ヶ月くらいですか。いい感じで放置してしまいました。

今更ですが冬コミの告知を。

日曜東ウ-49a 農大現代視覚文化研究会

げんしけん本は諦めました。なんつーか、書けば書くほど勉強不足と志の高さだけが突出してしまい、結局納得のいくものが書けなかったので落とします。

ここのブログも放置して、mixi一本に絞ろうかと思ってます。興味のある人はmixiまでどーぞ。

http://mixi.jp/show_profile.pl?id=448580

入ってない人は招待しますのでメールをどうぞ。

8巻の感想~

2006年08月30日 00時16分05秒 | げんしけん
さて、8巻の感想を書こう。

とは言え、前半4話の分析を書くのはなかなか厳しい。と言うのも、げんしけん後半の要点はこの4話に集約されているので、オギー登場以降を全てひっくるめて分析する必要がある。よって前半4話は後に置いとくとして、8巻の概況と後半2話の感想を書こう。

さて、以下の発言はすっとこさんのものである。

853 名前:名無しんぼ@お腹いっぱい[sage] 投稿日:2006/08/09(水) 12:22:38 ID:d5hi/TVv0
軽く夢を見てみる

昨日発売のイブニングの、アフタヌーン広告コーナーがまるまる2ページげんしけん8巻だったんだが、
謳い文句が「波乱必死の“合宿編”を完全収録!!」であった。
広告の背景のコマ抜き出しも、合宿のシーンしか使われていない。

さて

げんしけんページ数で言えば8巻で完結のはずだが、
広告のどこを見ても8巻で終わりとは書いていない

即ち、
・オギー過去話
・二日酔い
・戻り橋
・そうなんですかー?
まで収録され、残りの2話分が書き下ろし、で9巻に続くと妄想する。

てゆうかそうなれ!
そうとでも思わんとやってられんわ!

 というわけで、9日の段階では既に2話が描き下ろされる事を妄想してはいたんだが、さすがに妄想に過ぎないんで発売までは不安だった。というわけで、8巻を手にした時に2話の描き下ろしがあっても「やっぱりね」という感じであった。感動が薄まったよトホホ。

 んでもってすっとこさんと来れば8.5巻についても触れないといかん。雑誌版の48話(コミックスだと50話、9巻の1話目)を読んで5ヶ月ワープを知った時の憤りは以下のエントリに。

企画書(本気)・同人誌「げんしけん8.5巻」

そして、今月号のアフタヌーンの、木尾士目の巻末コメントは以下。

すでに8巻を手に取っていただいた方はご存じのことと思いますが、……すみません、1冊増えてしまいました。連載時に劇中で飛ばした5ヶ月間を5話分描き下ろして、8巻に2話、9巻に3話収録の予定です。最初からこの予定だった…わけではもちろんなく、最終回のネームを描き上げた時に『あれ? 描き足りてないような…?』と、やはり過程を飛ばしたのを実感しまして。4年間リアルタイムでやることばかり考えていたのであの時期に終わるのが当然と思い込んでました。その時点で連載延長するには遅すぎ、単行本での描き下ろしとなったわけであります。ま、あくまで間を埋めるだけで結末は全く変わらないですので、蛇足以外の何者でもないんですけど(笑)。楽しんでもらえると嬉しいのですが…『くじアン』共々ガンバリマスヨ!!

……てか、はっきり言って連載中より忙しいです……単行本作業恒例のアレですね……自業自得…ガクッ(死亡)

 また、「4年間リアルタイムでやることばかり考えていたので」という下りも実はすっとこさんはあらかじめ知っており、その件は
げんしけん最終回の感想
のコメントに記入済みだったりする。

 というわけで、木尾士目のコメントが、すっとこさんの「5ヶ月ワープ納得いかねー」という異論に対する回答だとすると、まぁ納得いくかなーって感じ。もちろんこれも妄想だけど、『あれ? 描き足りてないような…?』という点において木尾士目と意見が一致し、失われた5ヶ月が描き下ろされるとなれば、すっとこさんの望みが全面的に叶ったと考えられる。超最高の気分だぜ。

 さて、感想。8巻の44~47話のおまけから入ると、まずは44話の描き下ろし。まーさーかー斑目の恋心が女性陣にバレバレというのは予想外ですよー? でゆうかそーゆー事は本編内で一回でも示唆しやがれコンチクショー! 雑誌版49話で大野さんが斑目に、春日部さんの写真を渡そうとしていたが、本編で一度もバレている描写が無いのに、サイレントであの話をしても、「実は大野さんは気づいていた」というサプライズは無いわけで、ここんとこの構成には納得いかねー! と思ったがコミックス版でフォローされるんならまぁ諦めましょう。んでもやっぱ雑誌版はgdgdだよぉ。ところでここまで書くんなら9巻で斑目はフォローされるんでしょうねぇ。 されなきゃ怒るよ。

 45話おまけ。なーんーでー斑恵フラグ立ってんのー。もちろんこれは当然フラグ。もし本編の流れを最大限生かすなら着替えを覗いてしまうのは春日部さんの着替えな筈。なのに恵子だってこたぁこりゃフラグですよ。8.5巻でも斑恵に1話割いてますが、こりゃひょっとするとひょっとしますよ? あー斑目にも春、せめて小春日和をー。

 46話おまけ。斑目さんが幽霊化してませんか?w そんだけ。

 47話おまけ。斑目さん悲惨。ここまで落とすんなら9巻では上げるんでしょうねー。頼みますよ?

 さて48話。待望の、待望の笹荻交際話ですよ? もー読めるだけで至福。しっかしこの段階でオギーはまだ救済されてなかったんだねぇ。てゆうかすっとこさんもオギーの救済に関して、彼氏を裏切った件と友人に裏切られた件について分析していたが、巻田くんの方は説明済みだとしていたのですよ? なのにやっぱり説明していませんでしたーと言われても。だから5ヶ月ワープが判明した段階で説明不足だーと(以下略。まぁ、そりは置いといて、大野さんのはしゃぎっぷりは素晴らしい。また、オギーを素直にデレのみキャラにしない木尾士目もやるねぇ。

 ちなみにさっき書いた「4年でリアルタイム完結」「地球温暖化」「ゾウ」というキーワードから、木尾士目の、あずまきよひこリスペクト感が漂う。第3話の「空耳アワー」も「空耳ケーキ」のもじりだよねぇ。木尾士目は「げんしけん」で、自分流「あずまんが大王」をやろうとしていたのかねぇ。だから「4年間リアルタイムでやることばかり考えていた」のかなぁ。

 「まだデートの最中ですよ」もなぁ、木尾士目流の絶妙のセリフだよなぁ。よくオギーもこんな気の利いたセリフを言えるねぇ。しかもあの言い方。「いくら覚えたてって言いましてもねぇ」。やりまくってるんだろうなぁ。ちぇっ。

 オギーがキレた所。このへんはすっとこさんには経験も想像も及ばないので何とも。ただ超スネて笹を困らせようと無意識でやってるんだろうねぇ。笹に甘えているんだよな。うーん、ラスト5ページの、冬コミに落ちたというだけで、オギーをここまで持ってく木尾ってスゲー。

 49話。34ページの大ボリューム。巻田くんの事をよーやくふっきる事ができたオギー。それにしても漫研3人娘がいい味を出している。ところで通称ニャー子についてだが、実は彼女のモデルはモー娘。の誰かではないか。と言うのは、すっとこさんは木尾士目がモーオタなのではないかと薄々疑っている。証拠は以前部室に飾られていた「KaGu TucHi」のポスター(1巻26ページ)。まぁ証拠はこれだけなんですが、問題なのはすっとこさんがモー娘。をよく知らんという事である。友人にモーオタがいるんで聞いてみよう。

 この回から田中のカメラが20Dになっている。コスプレ撮影会の段階では30Dの発売と前後していたんで、20Dなのか30Dなのか不明だったんだが、この回でカメラが変わってるって事は20D、どうでもいいけど。

 オギーのツンっぷりが序盤の鍵。「そーゆー問題じゃないんです」というのが実はよくわからない。順を追って考えると、藪崎さん他はこの段階で既にオギーと友達になりに来ている。オギーは「何しに来た……」と思っている。薮崎さんはずーっとオギーと話したいと思ってるんだけど、オギーは薮崎さんに責められていると思っている。さて、3回目の対面で、ここで問題のセリフになるのは「荻上とカレシ苦笑いですわ」かな。つまり最初の対面時にオギーと笹が一緒に並んでいないのに、この段階でオギーと笹が彼氏彼女だと知っている薮崎さん。この状況を演出するために序盤で笹を遠ざけた。これが何を意味するのか。多分ただの深読み。ただ単に茶化されるのを恐れただけかな。いいけど。まぁ要するに藪崎さんはこの話の最中は、一貫してオギーに好意を持っているという事がわかればおk。ただしメイド喫茶内では他の部員の目があるのでどうしてもツンにならざるを得なかったという事で。

 例えば内部に何らかの問題を抱えた組織があり、表面上は平穏だったとしても、ある人間がその問題を表面化させた場合、問題を表面化させた責任と、組織が抱えていた問題そのものが、その人間に押し付けられてしまう、という事がある。もちろん問題があったのもその組織の責任であり、問題さえなければ問題は表面化しなかったのである。んが、問題が表面化する事によって組織が危機化しても、問題を表面化させた人間に責任を押し付け、組織は存続し続けようとするのであった。組織心理学とでも言おうか、組織は組織を存続させる事に最大の力を発揮するのである。もちろん組織というものは個人の集合である実態の無いものだが、組織というものを実態のあるものとして分析するのが集団心理学であり、そもそもフロイド先生は心理学をこの方面で展開させようとしていたのであった。この段落は心理学の余談ね。

 藪崎さんは関西人なわけで、漫研闘争のようないちびった事は嫌いな筈。だからこそ漫研から離脱したいんだけど、派閥からは抜け出せないのが薮崎さんの弱みで、別に抜けて敵を作ったってどうって事は無いのは現視研女子を見ればわかるんだけど、まぁここらへんまで読むのは深読み杉かな。それにしても現視研の展示を見に行くだけで危険って、どんなサークルなんじゃい漫研。

 ラストのオギーの「自分の描いた物が誰かに影響を及ぼす その責任は重い」というのも、オギーのセリフとしても秀逸だが、木尾士目のメタメッセージとしてみるとなかなか重い。いやもちろんこれも深読みですがね? すっとこさんは「げんしけん」で人生変わらせられたので、いやもちろん最高にいい方向にですが、故にこのセリフはすっとこさんには重い。てゆうか俺もなんでこんな事まで書かないと8巻の感想書けないんだか謎なんですが、ある作品に半端でない思い入れを持つとこーなってしまうんですよ? キッツイねぇ。

 とまぁ最後は思い入れタップリの感想になってしまって大変なんですが、ともあれ、4ヶ月後には9巻が出て、げんしけんが終わってしまうのだなぁ。いやもちろん本来は3ヶ月前に終わっていたのだと考えると、失われた5ヶ月が、取り戻してみたら7ヶ月だったというわけで、都合2ヶ月は得したと考えられて、なんだこのわけわかんねー損得勘定。もう何書いてるんだかわかりませんよ本当に。まぁいいやうpしちゃえ。

夏コミの原稿について

2006年07月15日 14時37分38秒 | 雑談
木尾士目作品を精神分析的に解釈する本を書こうと思いつつ先送りにしていたんだが、一発やってやるぜと思って書き始めてみたら、「点の領域」と「陽炎日記」前編だけで5000字を超えてトホホ。「五年生」の分析も2万字余裕で超えてるしなぁ。「げんしけん」がどの量行くかと考えると、「五年生」の倍は行くだろってんで、多分6万字くらいの本になるのかなぁ。原稿用紙150枚分? しかもマンガの感想で? なんだかなぁ。このブログでいいような気がしてきたよトホホ。すっとこさんの脳内はもうだいたいわかってんだし、あまりにも一人よがりすぎてついてこれる人間がどれだけいるのやらトホホ。解釈した結果による物語の再構築は8.5巻のでやっちゃったし。実際どーしたもんやらって感じだ。とりあえず「点の領域」の解釈をうpするので反応を待ってみる。

点の領域

 木尾士目のデビュー作、1994年夏のコンテスト四季賞。コミックス収録版にサブタイトルが無いが「支倉圭太の開始点の事」らしい。この作品の読み解くための鍵は何といっても星子の正体だが、ズバリ、コミックス巻末の「赤っ恥劇場」で、点の領域の題材が「妄想」であるとされている事から、星子は圭太の妄想の産物であると考えられる。妄想の産物である状況証拠は、「朝起きると隣に寝ていた」「持ってない筈の鍵をかけている」などで提示されている。もっとも、妄想の産物とは言っても非実現的なものではなく、星子本人も言っている通り「現実にあたしはここにいる」のである。一緒に銭湯も行くし、勝手に買い物に行くぐらい実体化した妄想の産物、それが星子だと考えられる。
 では何故星子は実体化したかと考える。星子はやはり自分で言うとおり「夜が明けるまで」いる存在である。ここで言う「夜」とは、圭太自身が言うとおり、昼に対する夜ではなく、圭太の現在の状況を表している。圭太の現在の状態は、就職活動の面接で面接官の欺瞞に我慢できずに喧嘩を売ってしまうとか、兄に対する劣等感とか、本音と建前の使い分けができないとか、いくつか言い方を変えて言うと「社会化していない」「内的自己と外的自己で内的自己を優先してしまう」と言える。この状態の圭太を「夜」だと表現している。しかし圭太はそのような自分に納得はしておらず、変化する事を望んでいる。こじつけて言うなら圭太の抑圧した面を自我に回復させたい、その望みが星子を生み出したと考えられる。あと単純に自分好みの彼女が欲しい、ってのもあるかもしれない。とすると、愛の正体が失われた自我の回復であるとするならば、星子は圭太の正反対の性格でなければならないわけだ。
 となると、ラストの「記しておかなければならない事実は避妊しなかった」の解釈が可能になる。まずは避妊をしないという事は、星子を配偶者として認めるという事を表し、夫婦、あるいは家族になるという事を表す。これは文字通り星子と「1つになる」という意味であり、失われた自我、つまりエスに抑圧された自我を回復して再び組み入れる事を意味すると考えられる。とすると、回復した自我は圭太に取り込まれ、妄想の存在である星子は消失する。星が消えるという事は夜が明けたという事で、「眩しいな……」で終わるのが「点の領域」なわけだ。
 ここで圭太の兄弟観や、星子を失いたくないという感情を考えると、要するに他人との関係性の間でしか自己を確立できないという事か。これは「五年生」2巻55ページでアキオが「個は連帯の中でしか確立せんのよ」と言っているのと共通するものがある。連帯を共同幻想と言い換えると、人間は共同幻想が無いと生きられないが、共同幻想を意識しすぎて自己を確立できていないのが今の圭太であると、そう考える事もできる気がするが、この段落はなかなか書いていて自信が無い。勉強不足。
 レズ物好きというのは星子が圭太を評して「……あんたなんだか女みたい」と言っているのと関係している。人間の性別は性器によって決定されるわけではなく、後天的に学習するものなので(だから性同一性障害という症状が存在できる)、人間の性的嗜好も千差万別である。性別を後天的に学習するメカニズムについては説明を省略。圭太の「男がレズ好き」が何を意味するかはとりあえず不明。
 ラスト前の「目をそらして言った?」が意味するところがよくわからない。もちろん「なんでお前は……ずっと相手の目を見て話すんだよ」に対応したセリフではあるのだが、「相手をよく知るために」見るのと、「知られたくない時もあんだよ」の尊重、このあたりが関係してるんだと思うんだけどよくわからない。
 というわけで難解な「点の領域」だが、つまり圭太の成長物語を非常に分かりづらく描いているのがこの作品で、それを非常に分かりづらく説明しているのがこの文章である。あとは自分の経験を頼りに理解するしかないのかもしれない。




1つ思いついた

2006年07月11日 14時31分07秒 | げんしけん
オギーが蓮子のコスプレをする話。んで、「五年生」の分析で散々やった木尾士目のナンパものAV好きの話。

これを総合すると、あのオギーにコスプレさせる過程って、なんかのナンパもののAVに元ネタがあったりするんじゃねー? いやもちろんそのまんまってわけでないけど。だから大野さんに「AVのスカウトとかなりそう」とか、言わせているわけでさぁ。

つまり木尾士目はあの描写でオギーがナンパもののAVで落ちて撮影をOKしてしまう過程を描いていると考えられ、その続きを想像すると思わず「たつよね」。しっかし本当にナンパもの好きなんだなぁ木尾士目。やっぱり女優ものは演技を演技とわかってしまって嫌なんですか? そーいやアキオがアニメもののAVが嫌な理由が「演技はいかんよ」だったわけで、作り事はいかんと、そーゆーわけかな?

まぁ雑談だなコリは。

笹原恵子を精神分析する

2006年07月10日 00時40分35秒 | げんしけん
とりあえず笹、中島と来たらオギーと行きたい所だが、オギーは慎重を期さないといけないので、とりあえず恵子を先に済ませよう。

恵子を紐解くキーワードは「いつも放任主義してるくせにさ!」である。サクサク書くと恵子は両親の愛を十分に受けられずに成長した可能性が高い。なおかつ第2子という事で、第1子の笹は最初の子供という事でそれなりに丁重に育てられたと思うのだが、第2子の恵子はそれなりになおざりに、また、父親からはちゃんと面倒を見てもらえなかった可能性が高い。そこで「人間の性格の原因は両親に由来する」というフロイド的に解釈すると、放任主義で自分の面倒を見てくれなかった親だが、そのような形で自分の事を愛していることを証明するために、父親に似た男を彼氏にしたくなる、というのがフロイド流だったりする。多分。

友人に染められたってのも、友人に男との付き合い方を指南されたら、本当にモテてしまうので、自我の安定先を探していた恵子にとってはコギャルメイクなんか抵抗無かっただろう。愛を得る=自我を安定させるためには人間何でもするし。


イケメン好き、DQN好きというのは基本設定なのでつっこまないが、笹嫌いは笹の精神分析で書いた通り。受験の時や最終回を見るに及ばずとも、放任主義の両親の元では、基本的には唯一頼れる存在であるお兄ちゃんっ子にならざるを得ないのだが、笹は笹で両親不在の心の隙を二次元=オタに求めてしまったので、恵子は笹にすら頼れなくなってしまったと(世間のオタバッシングではオタは虐げられる存在でないといかんから)。両親が不在で兄が頼れないとなると、もう家にいる必然性は無いんだよね。そこでたまーにしか帰らなくなるとゆーことか。両親は両親でかまってあげられない後ろめたさで恵子が何やっても放任&お金はあげているみたいだが、そうすればするほど恵子の抑圧は強まる一方なのでよろしくありません。いいけど。

イケメン好きについて考察すると、イケメンでないオタのすっとこさんでは偏見が混じってしまうのでパス。

まぁ基本的に恵子は家族愛に飢えているというくくりでいいかと。だから笹の残してった「ドラクエV」をプレイしとるんですな。

おもむろに買い物中毒について考える。前にも書いた覚えがあるが、例えば薬物中毒について考えると、脳が快感を感じるのは(性欲とか満腹感とか)脳内で脳内麻薬が分泌されるからで、基本的に脳内では麻薬が常時分泌され続けているのである。そこで、脳内麻薬と同じ成分の薬品を体内に取り入れると(以下「体外麻薬」)、人為的に快感を感じる事ができる。ところが、人為的に麻薬を体内に入れると、体は「麻薬物質が体内に多すぎ、分泌量ちょっと減らそう」と判断する。すると体外麻薬が切れると、脳内麻薬の分泌量は減るので、結果的に快感は減る。ここでちょっと我慢して体外麻薬の摂取をやめれば「あ、麻薬少ねー、分泌再開」となって元に戻るが、不安に耐え切れずに体外麻薬を摂取すると、改めて快感を感じる事ができるが、脳内麻薬の分泌量がますます減る。この悪循環が断ち切れなくなった状態が、いわゆる中毒症状というものである。

さて、買い物(そしてその他の)中毒も基本的に同じである。買い物はストレス解消の有効な手段だが、中には買い物をする事により脳内麻薬の分泌を活性化させる事が主目的になってしまう状態になる事があり、恵子もそのクチであろう。こうなると、物を入手するのが楽しいのではなく、買い物をする事によって脳内麻薬を分泌させる事が主目的になるので、肝心なのは何を入手するかではなく、いくら使うかとか、買う段階でどれだけ店員にちやほやされるかが脳内麻薬分泌量の決め手になる。このへんを自覚できれば、買い物中毒はそれなりに抑制できるが、結局は他の手段で脳内麻薬の分泌を促す必要があるわけで、そうなると抑圧そのものの根絶を目指さないと難しいのではないかと。恵子の場合は基本的には両親の愛情不足、笹の頼りがいはオギーと付き合うことによって確立してきたので、若干「頼れるオニイチャン」を確保できてよかったんじゃないかな。

しかしながら、ここまで恵子に関する材料があるにも関わらず、恵子自身に関しての身の処遇が本編でヒントなりとも示されなかった不満が、斑×恵がある程度の市民権を得るに至った元になっているのではないかと。あとは現視研の男性部員では、笹とコーサカ以外で唯一喋ったのが斑目さんだという理由もある。本編で未来が示されなかった2人がくっつくと考えるのもいいのではないかと。クガピーとクッチーは知らない。

あとまぁ、これも前に書いたけど、3巻のコミフェスで、笹がいつ帰るんだという質問をしただけで、あまりよく知らないエロ同人誌からオナニーをあっさり連想するってのも、笹のオナニーを見たという経験が無いと出てこないと思うんだよねぇ。基本的には異性の兄弟のオナニーって知らんもんだと思うが、そこをあっさり読み取ってしまうには、それなりの過去が必要なわけで、「サル」という呼称も含めて、証拠はアリアリだと思うんですよ。

まぁこんなもんでどうか。次回はいよいよオギーについて。

中島を精神分析する

2006年07月07日 00時04分07秒 | げんしけん
そもそもこの文章は精神分析になっとるのかねという疑問は我ながらするんだが、別にんなもん書いたモン勝ちなのでキニシナーイ。さて、中島である。まず書かないといけないのは、何故中島はあんな事をしたのか、である。

すっとこさんの場合、以前げんしけんエロSSその4で書いたが、あれ、中荻寸止めSSが評判良かったんで、何とかして本編につながる形でストーリーを作れないか、と考えた挙句の作品なんですな。本編の描写を生かしつつ、中島が何故あんなことをしたのかを、愛する荻上を取られた巻田への嫉妬、とすると、すンげぇしっくり来てしまったすっとこさんですよ?

ま、しかし、これはやっぱり面白いけど踏み込み杉だろう。本編の描写を考えるなら、やはり「みんなに内緒で彼氏を作ったオギーに対するイタズラ」という無難な線が妥当かと。それが巻田くん転校という思った以上の効果を上げてしまったので、オギーに対する罪悪感から、オギーを同級生から守ろうとしたが、オギーにしてみれば一貫していない中島の行動には恐怖と嫌悪を感じるしかない。

何度目か書くが、自分が原因で、目の前で友人に自殺されるというのはトラウマ形成には十分な要件である。抑圧。責任転嫁。コミフェスの中島は、ここんとこ間違っててもいいから書くと、抑圧、記憶の改ざん、そのぐらいが行われててもすっとこさんは驚かない。てゆうか、中島の踏み込んだ描写をしないのは、そのへんのメンヘルっぷりを明かせないから、踏み込んだ描写ができないのではないかと邪推するすっとこさんですよ? 合ってるか間違ってるかもわからんが、本編で描写されてないのでどう解釈しようと勝手だ。8巻おまけで明かせるもんなら明かして欲しい。オフィシャル設定が明かされるんなら、この分析が間違ってようと悔いは無いぜ。

もちょい書くと、どのツラ下げてオギーに「フ――――ン」なんて言えるんだ、とはすっとこさんが前から言っていたが、中島の内心であの件を「なかったこと」にすれば問題は解決するのである。しかし、問題点だけ都合よく抑圧するわけにはいかず、ある事実を抑圧するには、関連する事項をまとめて抑圧しないといけないのですな。オギーの例で言うなら、中島とゆかいな仲間たちを抑圧するだけではなく、自分を含めた女オタク全部を抑圧しないといけなかったようなモン。大野さんはとばっちりだったわけ。

そこを踏まえると、オギーのトラウマには、対巻田と対中島の2つがあり、対巻田の方は「たつよね」のおかげで解消したが、女オタクに裏切られた方は解消してないんですよ。そこをすっとこさんなりに解釈したのが第6話2稿なんですが、今読み返すとなんでこれでオギーが悟るのか描写が甘いですねトホホ。つまりこん時の笹は、「オギーの事を思えばやりたいけど、大野さんの事を考えるとやりたくない」という葛藤があるんですね。んで、オギーが巻田くんのイラストを頼まれた時は、「自分の事を思えばやりたいけど、巻田くんの事を考えるとやりたくない」という同じ葛藤があるんです。んで、第6話2稿のオギーは、笹が自分の言ったセリフと同じセリフを言ったのを聞いて、当時の自分と、現在の笹が同じ心境だという事に気付いたと。という事は、現在オギー自身が大野さんに嫉妬しているという事は、当時の中島が巻田くんに嫉妬しているのだという解釈を編み出し、オギー自身で納得してしまった、という流れなのです。この第6話2稿は。

ここでポイントなのは、事実はどうでもいいという点です。本来であれば、中島自身に当時の事をオギーに話させればいいんですが、本編でオギーと中島が再会する描写が無い以上、中島とオギーは別々に内心を描写せんといかんわけです。んで中島は上記の通り、オギーは第6話2稿の通りであると。んで、何故中島があんな事をしたのかとゆー事を、オギーがオギー自身で解釈を編み出して、自分で納得してしまえば、事実はどうあれ、トラウマは解消してしまうのです。だからこそ自己分析という手法が有効なんですが、状況証拠から、自分自身が納得できる解釈を編み出せばトラウマが解消してしまうのはすっとこさんの実体験なので勘弁してちょって感じ。

この文章も似たようなもんで、中島の思考がどうかなんてのは木尾士目しか知らない、もしくは木尾士目も知らないかもしれんのだが、そこをウンウン唸って中島の解釈を編み出すことにより、すっとこさんが安心できるって寸法ですね。前にも書いた記憶がありますが、本来であればこーゆー事は自分ひとりでやって、さらにこーゆー思考過程を伏せるのがお約束なんですが、すっとこさんは自分の思考を晒すことに抵抗が無い人なので、こーゆー事を平気でやってしまうんですね。「こーゆー」多杉。いいや。

というわけで、中島を分析してるんだかすっとこさんを分析してるんだかわからん文章になってしまいましたが、結局精神分析をするってのは、自分の精神を投影する危険性を孕んでいるわけで、プロの精神分析屋ならこのへんうまくやるんだろうけど、そこまでは知らんよ、という無責任な責任回避をして終わる。中島に関しては精神分析をする材料が不足しすぎなんじゃいボケー! ちゃんとしろ木尾士目ー!

現在浮気中

2006年07月05日 02時57分43秒 | 雑談
さて、現在すっとこさんは「涼宮ハルヒの憂鬱」にハマっている。意外?
と言うのも「げんしけん」で精神分析にハマった事は以前述べた通りだが、ついうっかりハルヒを見た瞬間に「これは構造主義だ」と気付いてしまったので(気付くのは勝手)、ハルヒと構造主義入門本を平行して読書中であったりする。
いずれ構造主義を手土産にげんしけんの分析をより深くできるに違いない。しっかし夏コミどうしよう。今から本作って間に合うかね。ちょっと書いてみるか。

「笹原完士を精神分析する」

笹原を解読する手がかりはまず、1巻、春日部さんの「そうやって自分を隠して人を遠ざける事じゃないの?」「同じ事して友達いなかった奴一人知ってるよ」である。そもそも何故春日部さんがこんな事を知っているかの説明が無いんだが、理論的に解釈して、笹原がコーサカに吐露した心情を、コーサカが何も考えずに春日部さんに言ってしまった、てのが妥当な所か。さて、この場合の「友達いなかった」にも程度があるが、笹原のコミュニケーションスキルからして「友人が全くいなかった」というのはあり得ない……よなぁやっぱ。という事は「気兼ねなくオタ話ができる友人がいなかった」というレベルだろうか。しかし「気兼ねなくオタ話もできない」って事は、「全て腹を割って話せる友人、つまり親友と呼べる存在」がいなかったという事は十分あり得る。そこに同年代でありながら、オタ系のスキルは万全。性格も自分に無いものを持っているコーサカになついてしまうのも当然かと。作中で笹原とコーサカが親しくしている明確なシーンはあまり無いんだけど、初コミフェスで笹をフォローするコーサカとか、笹パソコン購入話でコーサカルームに入り浸っているのを見れば妥当かなーと。つまり笹は高校時代、隠れオタとして自分を偽って学校生活を送っていて、椎応大に入って初めて親友ができたと、とりあえずそーゆー解釈で。

続いては恵子の「サル」である。ここはすっとこさんが相当妄想力を駆使したので、合っている確信は無いが、間違っている証拠も無いので書く。つまり同じ顔で、サル顔でない笹の事をサル呼ばわりするにはそれなりの理由がある。サルといえば……と言うより、何をしているのを見ればサル呼ばわりするかと言えば、オナニーの他に思いつかないすっとこさんであった。つまり恵子は笹のオナニーを目撃して、それ以来兄貴をサル呼ばわりするようになった。笹も自分の落ち度だと知りつつ、そう呼ばれる事を否定できないので、サル呼ばわりされても「『まだ』ソレかよ」と否定できないのである。笹にしてみれば男としてやむを得ない事情だと言え、妹に弱みを握られているも同然なので、恵子には頭が上がらない……バラされたら嫌だし、という感じだろうか。本編で恵子が笹を脅迫するシチュで必ず「サル」と言っており、笹も基本的に反抗していないのが証拠になるかなーと(例外:海水浴)。ちなみにすっとこさんの妄想では、オナニーしている所をダイレクトに見られるというのがしっくり来たが、8.5巻ネタを叩いていた所で、実は恵子が初体験して精液の匂いを知っており、笹がオナニーした直後で部屋に入り、精液の匂いでなにをしていたのか気付く、というのが話としては面白く、描写もキツく無く、笹の受けるショックは同じという面白い展開を出せた。笹にしてみれば妹に先を越された負い目もあるし。

も1つ、笹のお姉さんキャラ好きとくじアン会長好きとオギー惚れについて。精神分析の単純に言って嫌われるのは「○○が好き」と言うと「それは無意識で○○の正反対である××が好きなのを抑圧して欺瞞しているせいだよ」という、言えば必ず嫌がられるシーケンスがある。ちなみにそうなるのは、「××が好き」というのを否定する理由が無いとそうはならないんだが、ここは「超自我」で説明される。つまり本当は××が好きなんだけど、それはよくない事だから抑圧して、正反対の○○を好きになる、という説明が可能になる。ちなみに単純に「ものごごろ付く前に○○が好きだった(超自我の抑圧無し)」という説明も可能なので、うかつに人に言うのは避けたい所。もしくはしっかりリサーチしてからね。

しかしマンガのキャラに何言ってもいいので、勝手に述べると、笹のお色気キャラ好きは、つるぺた好きを抑圧している所為とすれば単純に説明できる。単純すぎて嘘くさいくらいである。斑目さんの「お姉さんキャラ好きを抑圧してロリ好き」も同様に説明できるかな。もし笹が本当におねーさん好きだったら、とっとと大野さんに告白している筈であろうと、ぺたぺたなオギーコスを見て一目惚れしなかったであろうと。まぁ一目惚れについては「五年生」の分析で散々やったので今更という感じもするが、とにかくそういう説明は可能。笹の抑圧された記憶に関しては一切説明が無いので(このへんのメカニズムはオギー編で説明)、何とも言えない。

だいたいこんな感じ。

ちなみに「ハルヒ」にも精神分析の影はちらついており、1巻290ページ4行目。「フロイト先生が爆笑しそうな」 という表現。それから、1巻175ページ「恋愛感情は精神病の一種」というのも「五年生」イズム溢れる言葉である。このへんの人間の感情を全部「抑圧された過去の記憶」に転化するのが精神分析の胡散臭い所であり、受け入れてしまえばこれほど分かりやすい話も無いのである。まぁ実際すっとこさんは精神分析を受け入れてドツボから脱出できたので精神分析には大変感謝してますよえぇえぇ。人間、自我を一旦崩したとして、自殺するか、崩れっぱなしにするか、何かツールを使って自我を立て直すしかないんですが、このツールの安全な使い方を教えてくれるのが精神分析で、どのツールを使えばいいかまでは教えてくれないんですね。まぁ眠くなったんで一旦切ります。おやす。

げんしけん最終回の感想

2006年06月24日 07時29分12秒 | げんしけん
というわけで、ぼちぼち最終回の感想を書かないといけない。実はまだ書いてなかったんですねぇ。と言うのは、どうしても初代会長の存在理由がわからんかったんで、それがわかるまでは感想を書けなかったんです。んが、ようやく一応の結論が出たんで、感想を書いてみましょう。

まぁ8.5巻を作るとか言ってる以上、げんしけんのラストには不満が燻る一方のすっとこさんですが、理由をいくつか箇条書きにしてみましょう。ただしすっとこさんの感想なんで、反論はしないでプリーズ。

・笹原兄妹の決着が付いていない

元はと言えば兄をサル呼ばわりして、20万円借金伝説を作った恵子がノーフォロー。ラストで「お姉ちゃん」「オニイチャ~ン」呼ばわりしてる所から、着地には成功しているものの、スタート地点は明かされず。すっとこさんとしては8.5巻のプロット的な事があったんじゃーねーかと思っていたんだが(面倒を見ない親と、オタな兄)、結局はわからず。

・童貞は敗者か

幸いにもすっとこさんは魔法使いになれませんで、経験済みなんですが、笹荻みかん成立時にげんしけん本スレで、一部明らかに否定的意見が出た事があった。つまるところ、後期げんしけんのメインテーマである「オタクの恋愛(成立)」では、笹荻が成立した瞬間にみかんがおっぱじまってしまったわけである。それまでは童貞の笹に、読者の童貞も非童貞も感情移入して萌えころげていたわけだが、成立した瞬間に笹荻のみかんが始まってしまい、童貞の読者が置いてきぼりにされてしまったと考えられるのである。多分あの時点でみかん成立に文句を言っていたのは童貞です。んが、別に童貞が悪いと言っているのではなく、誰でも最初は童貞なわけで、童貞の読者をさっくり切り捨てた木尾の手法に不満があると、そー言っているわけなんですがいかがなもんでしょうか。

ちなみに童貞読者の期待を一身に集める羽目になった斑目さんはあの通りのヘタレなので、げんしけん最終回付近の本スレの寂れようは、そのへんも関係していると思われ。だいたい童貞処女に関しては、陽炎日記で手腕を見せた木尾士目なんだから、そのへん童貞読者に気を使えなかったものか。だから陽炎日記の続きが描けねー描けねー言っておるのか。今こそ陽炎日記の続きを書いて、クラカチットの街と一緒に単行本化汁。

・春日部さんとコーサカ

以上の不満に比べると微々たるもんだが、げんしけん初期のテーマであった、オタと一般人の恋愛について、結局うやむやのうちに終わってしまったような。一瞬咲コーサカがプチ破局しそうな流れになったのに、なんで生かさなかったんだか。これはまぁいいけど。

・その他

編プロ面接編は木尾の感想を述べただけかよとか、外人ズ使い捨てとか、白糸の滝のオギーはなんだったんだとか、笹荻キスしてねぇよとか、中島ほったらかし(実は最大の不満点)とか、春日部さんあんた盗撮嫌いじゃなかったんかとか、いろいろありすぎてもう

以下は納得した点

・笹荻マンセー

笹荻の最悪の結末を考えると、もちろん笹荻が別れる事だが、恵子に「お姉ちゃん」と呼ばせて結婚を示唆させている点はグッド。そして笹荻の成長っぷりと、荻上さんの最終回の可愛さと言ったら、失われた5ヶ月の間になにがあったのかを考えると、やっぱり5ヶ月ワープは認められねぇと、あれのおかげでげんしけんが神作品になれる機会を逸したのかと思うと、うがー!!(狂信者ってのはこーゆーのを言うんだろうか)

・その他

大野田中は別にいいや。カメラマンクッチーもまぁいいや。


んで問題の初代会長である。誰もいない部室に入ってきた会員が「会長――」と声をかけている事を、ネタバレスレで最初に指摘したのは当然すっとこさんなわけだが、あれで初代会長は超常の存在だとゆー事ははっきりした。ではなんなのか? もちろんそのものズバリが何なのかは、作中に書かれていないのでわからない。しかし、過去の木尾士目作品に近い存在がいた。「点の領域」の星子である。また我ながらとんでもない所から引っ張り出してきたもんだが、まずは「点の領域」の解説から入る。

さっくり結論から入ると、星子は圭太の妄想の産物と考えられる。とは言え、別に圭太の頭がおかしいとか、一緒に銭湯行ってんじゃねぇかとかツっこみ所は多々あるが、そのへんはフィクションってことでご容赦って所か。つまり大学4年生就職活動中公私の区別が付かない圭太くんは現在夜なわけで、だから「星」子が見えていると。妄想の産物である状況証拠は、いきなり隣に寝ているとか、どーやって鍵かけたんだろうとか、そのへんで提示されている。

んで「記しておかなければならない事実は避妊しなかった」って事は、要するに他人を嫁さん、つーか家族(わーい「五年生」)にしたってわけで、「ひとりでいるのが好き」とか「他人の欺瞞が許せない」とか、圭太の社会化していない面から開放されたと言うか、「他人も俺と同じ現実の世界に生きていた」事を理解したってー事になるのかなぁ。意味不明? んで、夜が明けたら、星は消えて、「眩しいな……」で終わるのが「点の領域」なわけだ。要するに圭太の成長物語を非常に分かりづらく描いているのが「点の領域」で、それを非常に分かりづらく説明しているのがこの文章であると、そう思ってくれたまい。あとは自分の経験を投影して読んでね。まだ社会化してない人は残念でした。あと、すっとこさんみたいに、本音と建前が使い分けられない人も残念無念。誰かわかりやすく書いてくれ。

という事で、初代会長は、とりあえず星子と同じ存在であるとしておこう。星子は圭太の妄想の産物だが、初代会長はどうだろうか。特定人物の妄想の産物では無い事は当然だが、んじゃあ「現視研というサークルが存在する事を望む人には見える」という感じでどうかなぁ。わけわかんないよね。となると春日部さんの存在が微妙だけど、対自治会の時の話に、大野さんが内心で「結局 現視研をたすける方向に来ちゃってますよ?」と『内心で思った』事を受けて登場したとか、放火騒ぎの時に屋上に現れた時に春日部さんが「そろそろ来る頃だと思ってましたよ会長」と言っているのも、なんとなくしっくり来るような。つまり、初代会長は、「現視研を存続させるための存在で、部員が充実しているば消えるけど、廃部の危機(人材減少とか事件とか)になると現れる存在」という解釈には無理が無いと思うんだけどどうよ。

問題なのはこのわけのわからん存在である初代会長を、何故木尾士目がげんしけんという作品に投入したのかっつー事よ。そりゃあ読者をケムに巻こうという木尾の趣味のセンが強いと睨んでいるすっとこさんだが、もしそうであるとするなら、その手においそれと乗ってたまるかねと思う次第。つーか、「五年生」以前の木尾は読者のために描いてないとはっきり明言している作家だったが、「げんしけん」は読者のために描いて、でも初代会長だけは自分のために存在して、読者にヒミツにしている存在であると穿って考えるのはどうか。つーかそうとでも考えないと説明つかねーんだよオラァ。

ところで最終回の直後に「もやしもん」が出張してきているとゆーのが、すっとこさん的にはシンクロニシティを感じさせる。以前にも書いたが、すっとこさんは「もやしもん」んも異常に傾倒しており、半年前にドはまりした結果を多少

もやしもん知識蔵

に残していて、このはてなの内容を同人誌化しようとしておるわけだが(ここでやっていることと全く同じ)、「げんしけん」の最終回で、表紙で「げんしけん」と「もやしもん」が融合されている事。そして両作品を、多分世界で一番読み込んでいるであろうすっとこさんにしてみれば、まるで俺のために作られたような表紙で、いったいなんでこんな事になっているのか一人で不思議なわけなんですが(げんしけんともやしもんを「コミケのサークルカット」という形で最初に融合させたの俺だし)、偶然というにはできすぎた話だ。いやもちろん俺にとっての話ってだけですよ?

ちなみに「げんしけん」で精神分析にハマり、「もやしもん」で分子生物学にハマったすっとこさんですが、その2つの学問が大脳生理学でつながりそうなんで、現在脳の研究をしようかなぁと考えているすっとこさんです。もちろん趣味で。脳の構造は分子生物学で解明でき、脳の働きは精神分析で解明できそう、って感じですかね。漠然としてますけど。

というわけでこのへんでとりあえずうp。

ちょっとだけ気付いたこと

2006年06月18日 22時43分15秒 | げんしけん以前
あーそーだよ、「五年生」に無駄が無いとすると、どう見ても無駄なシーンも無駄じゃないんだよ。例えば1巻114ページで教授が問屋について語るシーン。最終コマで吉村さんがいるって事は、ありゃ吉村さんが問屋だって言ってるわけで、吉村さんが「自分の名義で他人のために物品の売買」をしていると考えられる。もちろん比喩だが、一体何を意味しているのか。本当にしているといいんだが。

吉村さんと言えば、3巻19ページで、アキオが浮気したのかと教授が疑った時の相手が吉村さんだったわけだが、教授は一体何を知っていたのだろうか。

今日はこんだけ。

芳乃さんを読み解く

2006年06月15日 19時56分45秒 | げんしけん以前
ちょっと補足。思ったより長くなったんで、芳乃さんを中心軸に「五年生」の流れを追ってみたい。
頭の(○-○○○)は巻数とページ数。0は「四年生」

(3-139)1年次6月の段階で既に非処女
(0-84)4年次の段階では経験人数は2人
(3-167)1人は当然河合くん
(2-カバー)もう1人は多分若ハゲの松山くん(既にギャグ担当)

(4-おまけ)中学の段階で既に欺瞞を読み解くスキルを持っている
(3-90)高校でも大発揮、バカが嫌いと言うより無意識の欺瞞が嫌いと言うか
(3-177)だったら童貞のなにも知らない男の子を、自分好みの男に育てれば!(多分無意識)
(3-169)てゆうか趣味が合わない男子と寝てんじゃねーと思うが
(3-173)でも河合くん、初めての時緊張して立たなかったんだし、かわいがらないとね
(3-171)んでも河合くんからしてみれば、人生で初めてタダでみかんさせてくれる女性ができた!もう超好き!陽炎日記2みてぇ! 愛情と性欲が超混同しているみたいな!
(3-175)んでも欺瞞を見抜くスキルを持っている芳乃さんには耐えられませんよ
(3-180)まぁ自然に態度に出るわけで、河合くんも思いつめます。玉砕。無茶しやがって……
(3-184)別れました~
(1-58)そのままダメになって大学中退~
(0-94)あーまたダメにしちゃった~
(1-62)いや、でも、情けない男も悪いんだもん!あたしだけが悪いんじゃないもん!
(3-187)心ここにあらずみたいな
(3-189)寂しいな、優しい人がいるといいな、そーいえば愚痴聞いてくれる人がいるな、連れ込んじゃおう(無意識)
(3-164)やっちゃった、図書館の時と服装同じな事に注意、3年次8月か

「四年生」

(0-49)まぁ第一話は5月以前、4月と考えるのが妥当、付き合い始めて8ヶ月、んで第一話な感じ、うまく行ってんじゃない?
(0-20)んでも就職もしないダメな男は絶対嫌!あたしと付き合ったらダメになるなんてもう耐えられない!
(0-24)でもそれで別れられてもあたしが困るし、いくらでも下手に出ますよ?
(0-44)排卵の前後と見えて調子いいっすねぇ
(0-51)んで同級と相性悪い、(5-146)で書いてある通りですな
(0-55)お願いだからちゃんと就職してくれないかなぁと縷々説得、だってまた相手がダメになっちゃうと耐えられないし
(0-60)あーらまたあたしが悪いのかしら、泣いちゃうしかないー
(0-74)目の前にはあたしの理想の状態がいるのになぁ
(0-3話)芳乃さんとアキオが徹底的にシンクロしているのが面白いね、終わったら仲直り、アキオも就職開始
(0-125)アキオがやる気になれば芳乃さんも嬉しくて協力しちゃうよ? 裕介と有賀さん状態に。
(0-135)うわ、ここでも河合くん出てたんだ、気付いてなかった
(0-5話)こうしてみると「四年生」はアキオが主人公の物語なのねー、故にこの文中では「負い目」とかスルー
(0-6話)もう2人では添い遂げる気満々なのがすげぇ、しかもこの翌々月から「五年生」が始まるわけで、ここでこーゆー描写を入れることを「五年生」前提でやってるのがもう
(0-あとがき)どう見ても芳乃さんとアキオをいじめて苦しめて困らせようとしています、なんでよ。しかも芳乃さんのいじめかたがナンパもののAVだ。本当に好きなんだなぁ。

あとはこれを踏まえた上で「読み解く」シリーズを読み返してちょ。