農大現代視覚文化研究会

「げんしけん」の荻上と「もやしもん」のオリゼーを探求するブログ

ちょっとだけ気付いたこと

2006年06月18日 22時43分15秒 | げんしけん以前
あーそーだよ、「五年生」に無駄が無いとすると、どう見ても無駄なシーンも無駄じゃないんだよ。例えば1巻114ページで教授が問屋について語るシーン。最終コマで吉村さんがいるって事は、ありゃ吉村さんが問屋だって言ってるわけで、吉村さんが「自分の名義で他人のために物品の売買」をしていると考えられる。もちろん比喩だが、一体何を意味しているのか。本当にしているといいんだが。

吉村さんと言えば、3巻19ページで、アキオが浮気したのかと教授が疑った時の相手が吉村さんだったわけだが、教授は一体何を知っていたのだろうか。

今日はこんだけ。

芳乃さんを読み解く

2006年06月15日 19時56分45秒 | げんしけん以前
ちょっと補足。思ったより長くなったんで、芳乃さんを中心軸に「五年生」の流れを追ってみたい。
頭の(○-○○○)は巻数とページ数。0は「四年生」

(3-139)1年次6月の段階で既に非処女
(0-84)4年次の段階では経験人数は2人
(3-167)1人は当然河合くん
(2-カバー)もう1人は多分若ハゲの松山くん(既にギャグ担当)

(4-おまけ)中学の段階で既に欺瞞を読み解くスキルを持っている
(3-90)高校でも大発揮、バカが嫌いと言うより無意識の欺瞞が嫌いと言うか
(3-177)だったら童貞のなにも知らない男の子を、自分好みの男に育てれば!(多分無意識)
(3-169)てゆうか趣味が合わない男子と寝てんじゃねーと思うが
(3-173)でも河合くん、初めての時緊張して立たなかったんだし、かわいがらないとね
(3-171)んでも河合くんからしてみれば、人生で初めてタダでみかんさせてくれる女性ができた!もう超好き!陽炎日記2みてぇ! 愛情と性欲が超混同しているみたいな!
(3-175)んでも欺瞞を見抜くスキルを持っている芳乃さんには耐えられませんよ
(3-180)まぁ自然に態度に出るわけで、河合くんも思いつめます。玉砕。無茶しやがって……
(3-184)別れました~
(1-58)そのままダメになって大学中退~
(0-94)あーまたダメにしちゃった~
(1-62)いや、でも、情けない男も悪いんだもん!あたしだけが悪いんじゃないもん!
(3-187)心ここにあらずみたいな
(3-189)寂しいな、優しい人がいるといいな、そーいえば愚痴聞いてくれる人がいるな、連れ込んじゃおう(無意識)
(3-164)やっちゃった、図書館の時と服装同じな事に注意、3年次8月か

「四年生」

(0-49)まぁ第一話は5月以前、4月と考えるのが妥当、付き合い始めて8ヶ月、んで第一話な感じ、うまく行ってんじゃない?
(0-20)んでも就職もしないダメな男は絶対嫌!あたしと付き合ったらダメになるなんてもう耐えられない!
(0-24)でもそれで別れられてもあたしが困るし、いくらでも下手に出ますよ?
(0-44)排卵の前後と見えて調子いいっすねぇ
(0-51)んで同級と相性悪い、(5-146)で書いてある通りですな
(0-55)お願いだからちゃんと就職してくれないかなぁと縷々説得、だってまた相手がダメになっちゃうと耐えられないし
(0-60)あーらまたあたしが悪いのかしら、泣いちゃうしかないー
(0-74)目の前にはあたしの理想の状態がいるのになぁ
(0-3話)芳乃さんとアキオが徹底的にシンクロしているのが面白いね、終わったら仲直り、アキオも就職開始
(0-125)アキオがやる気になれば芳乃さんも嬉しくて協力しちゃうよ? 裕介と有賀さん状態に。
(0-135)うわ、ここでも河合くん出てたんだ、気付いてなかった
(0-5話)こうしてみると「四年生」はアキオが主人公の物語なのねー、故にこの文中では「負い目」とかスルー
(0-6話)もう2人では添い遂げる気満々なのがすげぇ、しかもこの翌々月から「五年生」が始まるわけで、ここでこーゆー描写を入れることを「五年生」前提でやってるのがもう
(0-あとがき)どう見ても芳乃さんとアキオをいじめて苦しめて困らせようとしています、なんでよ。しかも芳乃さんのいじめかたがナンパもののAVだ。本当に好きなんだなぁ。

あとはこれを踏まえた上で「読み解く」シリーズを読み返してちょ。

「五年生」を読み解く(終)

2006年06月11日 08時27分53秒 | げんしけん以前
いいかげん放置するのも気分悪いので、まずは一応終わらせないと。そしたらもっかい折り返して、「四年生」「陽炎日記」あたりとリンクさせて語りなおさないとなぁ。

その前に吉村さんがアキオをすっきりさせて別れるシーンを説明しておくと、多分だけど、愛情と肉欲が直結しているなら、さっくり抜いて性欲を解消しちゃえば、愛情も無くなるとゆーわけだ。通常のみかんの場合はどちらも興奮状態にあるからある程度ごまかせるけど、出したら速攻寝る男とかいるわけじゃん? 知らんけど。まぁそんな感じじゃないのかなぁ。つまりアキオは吉村さんに口で抜いて貰って、性欲が無くなった瞬間に愛情も消えうせた事を「わかりやすく」教えて貰ったと。このへんはすっとこさんが男だからわかるんだけど、「いいよね男の人は簡単で」って言うように、女性の場合はどうなのだろうか。知らねぇよ。神経症的ってのは男も女も変わらないわけで、男は精液というわかりやすいバロメーターがあるけど、まぁ以下略か。

「四年生」冒頭で鯵の開きを焼いていた芳乃さんを手抜き呼ばわりしていたアキオが、「五年生」最終話で自分で同じ料理を作っているが、これももう偶然じゃないよなぁ。司法試験の話はとりあえず余談、と。アキオの普通の確認はまぁ確認できたって自分で言ってるんだからいいんじゃねぇの? 前に言ったように吉村さんに普通にされて、後は確認するだけだったんだし。「要するに」というのは、思考をその段階で止めて安心する事なんだけど、世の中は思った以上に複雑で、「要するに」で止まらず、もっとよく考えろと芳乃さんは言っているんだが、なかなかねぇ。原因なんていくらでも遡れるんだから、ある程度の所で要して、一休みしたいよね。

「本能に委ねるのも理性に頼るのも」ってのも、性欲のみに支配されず(吉村さんと付き合っていた頃のアキオ)、しかし頭でっかちになりすぎず(吉村さんと別れた直後のアキオ)、ほどほどの所で折衷するのがいいねぇという事か。「運命の出会い」ってのが芳乃さんが散々苦労した一目惚れね。そうした抑圧(過去)に支配されず、常に現在の自分を支配して、慎重に、主観性も客観性も大事にして、理性と性欲も認めて、少しずつやっていかないと、芳乃さんとアキオ……と言うか、人はダメなんじゃないかなぁ、という事でどうよ。

「このまま私を駅まで送ることかな」ってのが、211ページの「そんで駅まで送る」を受けているのも興味深い。また付き合えるとわかった瞬間に、さっき言った事を忘れてる、ってのも可愛いもんだ。「具体的」ってのを文章にすると、今日書いたような文章になると思うんだけどどうかねぇ。

最後、あとがきまんが。「私は知ってたわよ」って、何を知ってたのか、じっくり考えるすっとこさんにはわからんので、誰か直感で感じて教えてください。

というわけでようやく一周しました「五年生」の読み解き。木尾士目の怨念とすっとこさんの怨念がうまく噛み合って、非常に嫌な読み解きになりましたが、俺の得たものは大きかった。というわけでとりあえず「五年生」からは復帰して、「げんしけん」に帰ろう。

「五年生」を(略略)読み解く

2006年06月04日 00時02分26秒 | げんしけん以前
武蔵野公園まで聖地巡礼に逝ってきた。聖地巡礼は楽しい。しかし「五年生」の聖地巡礼なら、筑波大とか木更津に行けよと思うが、なんかこっちの方に呼ばれたのよねぇ。「久我山」という土地も通ったので良しとしよう。それにしても武蔵野公園で、久我山で、裕介のアパートが三鷹だったり、あと中央大があの辺な事を含めて、あの辺になんかあるんですか? 出身地?

ちなみに写真は上から4巻の174、175ページ。ベンチにナイフの傷はありませんでした。付けてくればよかったかな。ムジナ坂も撮ってきたよ。

聖地巡礼をしながらいろいろ思索を巡らせていたが、夢枕獏から思考を転がしていると、なんか気になる。芳乃さん×河合くんと、吉村さん×アキオの二重構造から始まり、「五年生」は、二重構造がキーワードっぽい。ざっと挙げると、ラブホシーン2回、オナニー2回、吉村さんが買い物で人に会うの2回、アキオも芳乃さんも別れた前後に新しい相手がいる相似、芳乃さん一家のシーン2回。まぁこじつけっぽいけど最後まで聞いてくれ。んで、物語の最初と最後で芳乃さんとアキオは結ばれているが、その間は離れており、相互が交わらない。となると、夢枕獏ファンなら思い浮かぶ作品がある。「上弦の月を喰べる獅子」である。この作品、あとがきによると「物語自体が、遺伝子の二重螺旋の構造を持った物語である。本自体の構造も、二重になっている」「そして、さらには、人称や文体までもが進化していく物語である」とある。つまり、木尾士目がマンガで「上弦の月を喰べる獅子」をやろうとした、とするなら、「五年生」にある不可解ないくつかの謎がすっきり説明できる……ような気がするのだが、何しろ今日、すっとこさんの思い込みで考えたので、本当かどうかなんて全くわからない。しかし特に絵の変化とか、いくつかの点で納得が行くので、しばらく考えてみよう。夢枕獏は「上弦の月を喰べる獅子」に救われたと書いているが、木尾士目は「五年生」によって自分を救い、クラカチットで決意表明をして、げんしけんで覚悟を決めた、と説明すると美しいね。

ああそれから、吉村さんの正体がわからず、考察を止めてたが、今日になってようやく傍証を発見した。5巻43ページ左上。「あの彼氏と続いてたらマジやばかったけど(大学入れなかったわ)」と、62ページ「あははそれじゃ性感じゃん」(何故その単語が一発で出る?)。えーと、浪人時代に何かあって、ひょっとして、マジで風俗で勤めてませんか吉村さん? してみると、42~43ページの、口でするのが妙に慣れているとか、偽風俗嬢という言葉への反応とか、なんかこー、男の体に散々奉仕してきて、体ではなく心で結ばれたい、という欲求がある、という解釈をすると、なんかしっくり来るんだけど、証拠があまりにも無い。2巻あたりで自分が醜い事を一人だけ自覚しているとか、「色々あって一浪している」とか、あーもー、証拠出てきた出てきた。色々あったって何があったんですかー! これに気付くと、吉村さんの分析ももっかいやらんといかんのかー!うひー!

しっかしこの分析、いつになったら終わるんだトホホ。だいたいだなぁ、「五年生」は「げんしけん」が売れるまで重版かかってないわけで、金銭的な見返りがほとんど無い上に、ここまで怨念のこもった作品を作るのにどれだけ強烈な怨念が必要だって事だ。本当に「自分のためだけのマンガ」だよなぁ。それが「クラカチットの街」で頂点を極めて、十分に怨念を発散させた所で「げんしけん」に入ったわけだが、笹荻編で、昔は怨念でやっていた事を、エンタテイメントでやろうとしたとゆー理解をしているんだが、本当かねぇどーだかねぇ。

というわけで30話。きっちり落ち込んでいるアキオです。「肉欲と愛情を混同していた」と言ってますが、芳乃さんが「そんな事言ったら誰とも付き合えないよ」って言うのも、河合くんや昔のアキオの場合は態度だけだったわけですが、言葉にすると冷静に判断できる、って事でいいのかな。あとまぁ、男……と一般化せずに、「肉欲と愛情を混同している男」は基本的にいつだってヤリたいもんである。でも女性にはヤリたい時とヤリたくない時があるのは事実で、そうなると、女性がヤリたくないのがわかっているのに、求めるのを抑えられないのは罪悪感になる。女性も素直に「ごめーん今生理で血まみれ」とかウソでも言ってくれれば素直に引き下がると思うんですがどうですか?
182ページの「会いたいって言ったら……怒るか?」が、「陽炎日記」の「『何があったのか』ときくべきかどうか悩んでる」を髣髴とさせる、と書いた所で、やっぱりその3ページ後に「恋愛とSEXは直結してるの?」ってテーマは同じやんトホホ。唯言論的に言うなら、人間は本能が壊れているので、本能ではみかんできないので、仕方なく恋愛を発明した、となるところなので、つまり恋愛とはみかんをさせる手段の事であるとあっさり結論付けちゃうよ? つまり愛情はみかんを伴うのを確認しているのが「陽炎日記」。みかんから愛情が伴う場合がある、つまり肉欲と愛情の混同OKというのが「陽炎日記2」のテーマか。本当かよ。てゆうか、「陽炎日記」「五年生」を、リアルな恋愛、で片付けるなーって気がしてきた。

話がずれた。「会ったら普通に戻れる」と言っているが、アキオは以前の無愛想男から、既に丸くなって、人を受け入れる「普通」の人になっている事に注目。つまり芳乃さんに会うのは、普通に戻るためではなく、普通であることを確認する作業であると思われる。もちろん原因は吉村さん。芳乃さんに何言われても簡単に引き下がるアキオ。なんか思惑通りに話が進むので、ついうっかり小自爆してしまった芳乃さん。「保険になるでしょ」とか、昔のアキオなら怒りかねない言葉も「ははっそうだな」なんて芳乃さんにしてみれば意外なセリフも出てくる。でも電話を切った後の、アキオの嬉しそうな顔はわかるんだけど、芳乃さんの微妙な表情は何だ。

いよいよ最終話。タイトルが「ダメ男とさせ子」。ダメ男はいいとして、芳乃さんはさせ子なのか。まぁ童貞好きとして、やりたくてやりたくてしょうがない童貞にやらせてあげる女子、と言えばいいんだろうが、実際童貞にしてみれば神みたいな存在だろうがねぇ。うーん、なんか今日、うまい分析できないや。ラストなんだから、ちょっとリキ入った分析しないといけないんで、明日に続こう。すっとこさんは仕事中が一番ひらめく。

「五年生」を(略)読み解く

2006年06月03日 10時16分09秒 | げんしけん以前
また前回に追加。隆行くんの難聴・失語症が治ったので、長谷川家は丸く収まるでしょう。つまり、苦痛な状態を体験したおかげで、普通の家庭の状態がハッピーに感じられてしまうんですね。これもいろいろと示唆に富んでいます。当然後から関係してきます。

「ムジナ坂」でぐぐると実在するのね。野川沿いにある。意図があるのかもしれん。武蔵野婦人? 読めってか。近くに武蔵野公園がある。ぐぐる。公園の地図を探す。
http://www.tokyo-park.or.jp/park/format/map056.html
4巻174ページ参照。聖地巡礼してこようかなw。googleマップだとこのへんね
武蔵野公園
こんな証拠はいくらでも残すのに、肝心の「読者に対して親切な内面描写」を、何故「同時には1人まで」と徹底的に隠蔽するんだ。

さて、吉村さんに溺れさせられるアキオの話。これまで芳乃さんとのひかえめなみかんだったが、吉村さんの意図で、肉欲を愛情と誤解させられる。前書いたように、女性が気を使って、男性のやりたい事をやりたいようにやらせてあげると、男性はやりたい事をやりたいために、その女性を愛していると誤解してしまうのである。アキオの場合と、河合くんの場合を参照。アキオが最終的に自己嫌悪に陥っているのは、吉村さんに口でしてもらって、欲望が消えうせた瞬間に、自分が吉村さんを全然愛してない事に気付かされたため、と分析する。わっかりやすいやり方、だと思う。あっさり説明できたな。

後輩ズの後始末も。考えてみると、女性をナンパして捨てて傷つけてきたであろう鳩山と、男にすっかり依存してきたであろう本田さんは、吉村さんに「壊された」と言ってはいるが、よくよく見ると「女を傷つけない」「男に依存しない」という「普通の状態」になっていると言える。さっきの長谷川さんの状態と同じく、元から振幅が大きかった状態が、平均の所で安定すると、以前の状態から強烈に変化したと誤解する、とは言えないか。長谷川さん、後輩ズ、アキオを見てそう思えないかね。俺はそう思うんだけどさ。「大好きっ」「本当っ」ってのも怖い言葉で、「本当」に愛してるなら「本当」ってわざわざ言う必要ねーじゃん、って事よ。問題なのは「本当」って意識的に言うか無意識で言うかなんだけどなぁ。無意識の場合でないと、この推論は当てはまらないんだけどね。

鳩山も肉欲と愛情を露骨に混同している。自覚っぷりはアキオより上だが、多少自覚したところでどうしようもないようだ。吉村さんへの唯一有効だった反論が「よく喋るな」だったわけだが、吉村さんの「本心や客観的事実の指摘に弱い」ってのが、なにを意味してるのかわからん。実際人間は誰でもそんなもんには弱いが、あの吉村さんが、単に「よく喋るな」と言われただけで、人並み以上に動揺するのは何故か、って事なんだけどさ。

以上の観点からすると、吉村さんのした事は本当に破壊だったのかという点と、吉村さんがどこまで状況を意図していたのか全くわからない点が、わからない。吉村さんが謎すぎるんで、もう考えるのはやめとこう。

さて、吉村さんのおかげで、めでたく河合くんと同一条件下に置かれたアキオです。つまり肉欲を愛情と勘違いしていた欺瞞のツケをきっちり払わされた状態ですな。芳乃さんの場合は、誤解を解くヒントすら河合くんに与えませんでしたが、吉村さんはきっちりヒントを残した点が優しい。28話で芳乃さんと電話するシーンで、アキオを一切描写していないのが、相変わらず木尾士目の意図を感じさせる。つーかそこまでわかりにくくすんな、と思う。なのに扉絵で一応描いているのが首尾一貫しとらん。まぁ顔を隠してるから一応セーフと考えておこう。その電話だけど、以上のアキオの真理を踏まえた上で、どういう気持ちで芳乃さんの質問に答えているかを考えてみよう。でもってアキオの「俺どうしようもなくダメな奴だから……」というのが、アキオの「決定的な目覚め」だったりするわけで、目覚めさせたのは当然吉村さんだと、この文中で何度も書いている。しかし以前の「人を寄せ付けない」アキオから、自己反省して(157ページ)、すっかり丸くなってしまっているアキオ(2回目の電話)に変化しているのが恐ろしい。ヒントはアキオの返事に対する芳乃さんの表情である(2本目の方ね)。

芳乃さんの髪を染めた件は、むしろ妹さんと佐久間さんが真似をしたがっている点が本意である。めんどくさいんで精神分析用語を使うが、人が人を真似するのは、相手の安定した自我を見て、その自我が羨ましくなり、自分にその自我をコピーして、自分の自我を安定させようとする試みである、と説明できる。これを日本語に翻訳すると「芳乃さんの茶髪が似合ってるので真似したい」となる。そのまんまやないかい。すいません。

しかし芳乃さん父の転勤はなんだありゃ。普通に考えて木尾士目の実体験か。だって「五年生」に全然関係ねーもんなぁ。芳乃さん母が振り向かない点を含めて「怖いよ」。教授との会話は特に見るべきものが無い気がするのでスルー。

「俺はもう落ち込んでいなかった」も単純に自己欺瞞。読者の誰から見ても落ち込んでるしねぇ。オギーがやおい好きがバレバレなのに、やおい原稿を笹に見せられないのと同じ心境です。アキオの場合は落ち込んでいる事を糊塗するために「落ち込んでいない」と欺瞞しています。んで、何故オギーが笹にやおい原稿を見せられないかとゆーと、笹斑を書いている自分を抑圧しているので(もちろん巻田くんの件はさらに深く抑圧されている)、笹に「普通のやおい原稿を見せる」事は、オギーにしてみれば「笹斑のやおい原稿を見せる」のと同じ事なわけです。そりゃ見せられんよねぇ。オギーの内心ではこのように整合性は取れていますが、そんなん誰にもわからないので、大野さんからすると全く理解できないんですね。

芳乃さんの心境の変化も凄いなぁ。
「木更津に行ってアキオと会う可能性があるって事?」「やだわそんなの」
 ↓
「アキオに電話してみようかしら」「どんな反応をするんだろうか」
 ↓
「ふふっ」「そんでね何かね」「木更津で教授の助手やったらどうかって」「ふふっ」(あの口元の笑顔から、アキオのどういう反応を期待しているかバレバレだ)

しかし芳乃さんの期待は裏切られる。確かに以前のダメだったアキオだったら餌に食いついただろうが(4巻145ページ)、ダメじゃなくなってしまったアキオには、その芳乃さんの歩みよりは苦痛でしか無いのであった。後輩ズの4人は表面の感情だけの交錯だった。長谷川さんの場合は表層の感情と内心を含んだ交錯だったが、今回のアキオと芳乃さんの交錯は、時間による変化を含んだ交錯である、と解釈できる。芳乃さんは以前のアキオに最適化した誘いを考えて、その脳内シミュレーションに自信を持ったので連絡したんだが、アキオはアキオで変わってしまっていたため、芳乃さんの脳内シミュレーションとは違った結果になってしまった、というのがこの回で説明されている事かと。

そーいやちょっと前から薄々考えてたんだけど、すっとこさんが男性なので、男性のアキオの立場に立って考えやすいから、アキオの状況がよく理解できるんだけど、芳乃さんの方はいまいちよくわかんないのよねぇ。これはすっとこさんが男性なせいだと思うんだけど、もう一回芳乃さんの立場で「五年生」を再解釈しないといかんのか。めんどー。

30~最終話に続く。まだ続くのかー。

「五年生」をさらにまたまた読み解く

2006年06月03日 01時18分55秒 | げんしけん以前
今回も前回の訂正から。

3巻の1年次6月の飲み会に河合くんがいると書いたが、168ページでアキオが知らないって事は、会ったこと無いって事じゃん。しくー。しかし、河合くんもそうだが、柚子原さんと、アキオの元カノ(3巻144、149ページで話していた)を出さないのは、何を意図しているのか。

追加事項。木尾士目って夢枕獏に影響受けてないか? 具体的にどこかっつーと、いろいろあるのに今ちょっと思い出せないんだが、1つだけ確実なのは、1巻17ページで、芳乃さんがアキオをひっぱたいて、アキオの脳が揺さぶられてぐらキーンと来るシーン。これ、飢狼伝とかで、アゴを横に払うと首を軸に脳が揺さぶられて失神するってアレじゃん(板垣恵介もよく使っている)。この件についてはもうちょっとよく読もう。


えーと、4巻の22話から再開。げんしけんで謎擬音として使われていた「がふがふ」が、五年生で既に使われてるのよね。ところでテレビの横に積んであるのガンプラ?

吉村さんとバトル開始。東京で就職しないのは、東京で変わってしまった芳乃さんを忌避する心と、問題あったかもしれないけどまぁうまくやってた木更津に未練があるって事を説明している、でいいのかね? んで吉村さんなんだけど、彼女は一言で言うと「欺瞞を見抜く目」を持っている。突然何をと思うが、「口は災いの元」という諺に注目してほしい。3巻のラブホシーンで、芳乃さんが欺瞞を暴かれて怯えていたが、欺瞞をバッチリ指摘すると、問題が表面化してしまうのである。隠蔽してだましだましやり過ごしていた問題が表面化してしまう。元々問題はそこにあった筈なのだが、それが表面化して本当の問題になってしまった責任は、実は欺瞞を見抜いた者に押し付けられてしまうのである。例は3巻90ページの芳乃さん。芳乃さんは気付いただけで迫害されたが、吉村さんは欺瞞を指摘せずにはいられない人なのではないか。その思いが117ページで述べられていると考えられる。

もう1つ例を挙げよう。「陽炎日記」の208ページ。「点の領域」の圭太は「欺瞞を見抜くと口にせずにはいられない男」である。まぁあれじゃまともな生活はできんね。ところで問題なのは、木尾士目デビュー作品であり、しかも自分でこの作品は「妄想」と書いているように(236ページ)、実はこの作品「俺(木尾士目)に落ちモノ少女(うる星とか女神さま)が発生した場合、どんな女で、どんな反応をするのか?」という妄想(シミュレーション)じゃねーの?」という疑念が沸く。て事ぁ可能性として(1)このタイプの人間である(2)弟キャラ(キャラて)である(3)中だしして責任取りたくねーと思っている、ごめんうそ、避妊しなくても責任の取れる相手、つまり奥さんが欲しいと思っている(4)未定(ぉぃ)。問題なのは、このうちどれが木尾士目で、それが友人の投影なんだ(237ページ参照)って事。まぁ「陽炎日記」収録作品についてはまた後日詳しく分析する。

吉村さんの話だったな。「欺瞞を見抜けて、放置すれば問題が悪化するとわかっていて、しかも問題を指摘すれば恨まれるとわかって、それでいて放置せずにはいられない」人である。しかもそれを自分で知っている。117~122ページね。123ページ以降は、ヨシオが自分の同類なんじゃないかってゆー確認かなぁ。実はこれは分析じゃなくて直感なんだけど。「島くんはそういう事分かってるかと思ってね」。がクサいんだよなぁ。これで吉村さんが確認する事は全部。いきなりみかんモードに突入。

23話前半は説明できねぇ。なんか詰め込めるだけ詰め込んどけって感じで。んで、アキオが欺瞞を続けるなら攻めるが、本心で話すとあっさり引く吉村さん。その後、アキオが「電話あんじゃねーとか」「元戻れるかもとか」言っているが、実はこれらを拒否し続けていたのはアキオの方だというのに注目。「自分で選択の余地を無くしてきたんだ」よな。

おっぱいについて考える。例によってミもフタも無い事を言うが、男は女のおっぱいが好きである。「何故か」。単純に言って、男が持ってないからである。あんなにやわらかくて、美しいものを男は持っていない。思わず欲しくなってしまう。男のデブの事は忘れろ。同様に、女は女で、男のアレを持ってないので、思わず欲しくなってしまと思われる。おれ女じゃないから実感できないけど。女でも語弊があって認めないと思うけど。いずれにせよ無意識の話だから考えても仕方ないけど。ここで問題なのは、女のおっぱいはそれだけで完成した存在だが、男のアレは「たつよね」したものでないと、需要が落ちてしまうのであった。他には、世の中の男にはおっぱい派とおしり派がいるのは何故かという問題があるが、あれは、おっぱいに対して需要が少ない層がおしりに流れているのではないかと考えられ、荻ラブの絵板で、笹原くんがおしり派と捉えられているのは何故かを考えると、オギーが微乳である事を含めて、見えてくるものがあるような気がするんだがまだわからぬ。

閑話(なのか)休題。「上だけで済む訳ねーだろ」てのが「陽炎日記2」の「優しく抱き竦められたら」「抵抗できない女の性を」「知っていたはずだ……」を彷彿とさせる(のか?)。あっちは女性でこっちは男性だが、一定レベルを超えると抵抗できない点では同じ。その後の吉村さんの唇が怖いのは、いったいどこまで意図してやってるかが不明な点だ。もちろん吉村さんほどの心と体なら、意図的に男を自分に愛させるなんて簡単なんだろう。そこが魔女か。こえーぜ。

というわけで吉村さんに溺れるアキオ。それは置いといて、先に長谷川奥さんvs芳乃さん。長谷川奥さんの罪悪感は、もちろん自分の家系に難聴の……なんとかがある事。もちろん本人に責任は無いけど、息子や旦那が散々苦労した(であろう)事を考えると、誰かを責めずにはいられない。もちろん相手はその息子を作った自分しかいない。劣性遺伝がどうこう言ったって、現実に何も解決できない以上、科学は何の役にも立たない。それを踏まえて、踏まえなくてもいいけど、芳乃さんは何度も長谷川さんを愛してもメリット無いし、全く根拠が無いと理性で押さえ込もうとしているが、結局無意識では河合くんに罪悪感を感じているので、いくら口で否定しても、葛藤が深まるだけで、何も解決しません。むしろ悪化します。てゆうか長谷川さんも、芳乃さんが自分の事を好きだと知っているにも関わらず、自分の息子に友達を作ってあげたいという下心が、無意識で芳乃さんを自分に縛り付けておこうとしたわけだ。それが芳乃さんと長谷川奥さんを傷つける結果になってるのにねぇ。やはり親は息子の事が、妻より、愛人より好きなんかねぇ。親、と一般化せずに長谷川さんは、と特定しておくか。

長谷川奥さんの「長谷川に誘われれば~」は、芳乃さんを責めていると言うより、旦那の方を疑っている。「あの人が何を考えているのか分からない」?も自分の本心だろう。後輩ズの時は4人が4人をどう思っているかだったが、この場合は3人が3人のそれぞれを、表面上それぞれどう思っているかと、無意識ではどう思っているか。複雑に交錯している、と書いてみたらこの回のサブタイトルが「交錯」じゃねぇか。ビンゴか。奥さんが芳乃さんを刺そうとしているのは、どう見ても旦那を殺したい代償です。本当にありがとうございました。だって本当にお茶しただけ、自分から連絡を取ってない、長谷川さんと会うことによって苦しんでいる芳乃さんを殺すメリットがありますか? ありません。つまり、旦那を殺したいほど憎んでいる本心を欺瞞して、芳乃さんを殺せば、旦那を憎む原因そのものが無くなるので、本人としては辻褄が合うんでしょう。それでぬっ殺される芳乃さんはいい迷惑と言えましょう。この解釈微妙に間違ってるような気がしますが、概ね正しい筈です。

んで解答編。先に25話の後半から解説。事情は知らんが隆行くんが言葉を取り戻したらしい。状況を想像すると、隆行くんの前で芳乃さんと電話していた奥さん。奥さんは隆行くんが聞こえてないと思ってたんだが、隆行くんは聞いていた。耳で聞いていたのか、で聞いていたのかはわからない。そこで長谷川さんが帰宅。恐らく包丁を持ち出す所を見ていたのだろう。その因果関係が分かれば、長谷川さんに言わないとヤバイと思った瞬間に、言葉を取り戻した、と考えられるが、これはもう想像するしかない。となると、奥さんの呪縛の主原因は昇華されたと判断できる。耳が聞こえないために友達がいないであろう隆行くんに友達を作ってあげたいという長谷川さんも、隆行くんが言葉を取り戻せば欺瞞をする必要が無く、芳乃さんに本心が言える。芳乃さんも長谷川さんの欺瞞を知れば、長谷川さんが自分を愛していない事を確認できれば、葛藤から開放されるし、奥さんも芳乃さんと旦那を憎む必要が無くなる。33ページで芳乃さんが自分の手を見つめているのは、傷を見ているのではなく、自分の手が自律神経失調症で震えていない事を確認していると思われる。交錯した感情が、主原因である隆行くんの言葉の回復によって、一発で解消されたのである。ただ、しかし、長谷川さんに会う前から存在していた、芳乃さんの河合くんに対する罪悪感は消失していない。よってまだ物語は終わっていない。

25話前半に戻る。実はこの「言葉」についてはよくわからない。「言葉は信じるか信じないかじゃない」「有力か無力かだ」「だから今私は一言も話すものか!」が、結果的にその通りだが、何故芳乃さんがこの結論に達したのか、同様の経験をした事のないすっとこさんには全くわからない、のである。多分この種の経験をした人間なら、理論的にではなくとも、直感で理解できる事を理解できる筈なんだろうが、全くわからないすっとこさんには、全く理解ができない。これについてはお手上げだ。もちろんヒントは芳乃さんとアキオの会話の中に隠されているんだろうが、何度読んでもわからない。

 また長くなったのでこれにて続く。吉村さん×アキオの分析がまた長くなるだろうなー。

「五年生」をさらにまた読み解く

2006年05月30日 09時44分12秒 | げんしけん以前
昨日の訂正。「4人それぞれが、他の3人の事をどう思っているか」と書いたが、「4人それぞれが、『4人』の事をどう思っているか」、つまり自分自身をどう見ているかという視点が欠けていた。アキオは部外者を徹底、本田さんも鳩村も自分がまさか『本当に』醜いとは思っておらず、吉村さんだけが客観的に自分と、全体の構造を把握しているというのが凄い。そこで全体を調停しようと、アキオに忠告をしたんだろうが、本田さんが意外に頑張ってしまったんで、116ページの表情が出てしまったと、そんな感じなのかなぁ。

そして第12話、芳乃さんの一目惚れ。既に何度か書いている通り、長谷川さんを好きになったのは、河合くんへの罪悪感への裏返しである。ここんとこの風通しをもーちょっと良くしてくれれば、「五年生」が多人数にとって名作に化ける可能性があったと思うんだけどどうかねぇ。「芳乃さんは河合くんに一目惚れした」とかゆー設定でもよかったと思うんだけど。ここんとこの隠蔽が強すぎたせいで、物語全体の風通しが悪くなってると思うよ。

ラブホシーン。裸の男女が月刊誌で4ヶ月、100ページ超に渡り哲学的論争を繰り広げる、マンガ史上後にも先にも無いであろうシーン。これを許したアフタヌーンは本当に偉い。まぁクラカチットの街まで載せるような雑誌だからな。基本的に余裕があるんだろう。余裕があるってのは素晴らしいねぇ。アキオって早漏なんか。木尾士目や俺がやるうつ伏せ方式だと長持ちするんだけど、本当にアキオって木尾士目じゃないのねぇ。芳乃さんの泣いたトリガーが、アキオの「あんまり会わないほうが調子いい」だったのは凄いな。元は自分で言ってたのに。

芳乃さんの一目惚れ告白は、アキオも先日本田さんで覚えがあるしねぇ。でも芳乃さんはそれを知らないので、何でアキオがそこまでショック受けるのかわからんのが伏線効果。本田さんの泣いてまで「好き」ってのを見た後じゃねぇ。「本当に好き」ってのが幻想なんですが、幻想同士がうまく噛み合うと感動的な話になってしまうのは「げんしけん」を見れば分かる通りなので、無下に否定できません。失敗した時に積極的に採用すればいいんじゃないですかね。タチわるー。アキオが「芳乃さんが自分の事が好き」なのを疑うのは、単純に自分の自信の無さの裏返しです。なんでこんなダメな俺なのにあんな才女が俺の事好きなんだ、嘘じゃないか。という感じですね。欺瞞が暴かれるのは怖いです。暴くのはなかなか気持ちいいです。暴かれた人間が混乱する所が特に。後々自己嫌悪になりますが。まぁ人間、欺瞞してかないと生きていきませんからねぇ。

「この感じだよな」がなかなか謎なんだけど。好きな人の事を言及する時の態度の事かねぇ。後輩ズを見ての。んで芳乃さんの初恋告白。人間不信は木尾主張? 人権はウザいので、すっとこさんとしては基本的に尊重しつつ放置し、自分のが脅かされた場合は徹底的に抵抗していきたい。勝手だなぁ。ほんでこの後の15話終わりまでの台詞回しが見事なんだよねぇ。

16話。一目惚れが気の迷いなのは芳乃さんも薄々気づいているっつーか、いずれにしても長谷川さんに抱かれても、超気持ちのいいみかん以上のリターンは無いわけで、リスクは山ほど付いて回ると最初から知ってればそりゃアキオにすがるのも仕方ない。ちなみに全部晒すのは、すっとこさんなら5時間くらいかかるかねぇ。これは余談。まぁしかし、一目惚れは構造を知ってたってどーにも対処できんもんなんだから、一目惚れの構造の原因を潰すか、自爆するかしか方法無いのよねぇ。

過去話開始。ポイントは芳乃さんが河合くんの事をどう考えているかの流れ。あてずっぽで言うと、6月の飲み会の中に河合くんはいると思うが、いたっていなくたって別にどうでもいい。よって17話はスルー。問題は18話。冒頭2.5ページは191ページ以降の続きだからね。童貞だった河合くんが、経験深い芳乃さんの体にハマっちゃって、大変な事になると。ここでミもフタも無いこと書くと、男ってのはタダでヤラしてくれる女が好きなんです。好きってのも多様で、河合くんの場合は肉欲と愛情がもう切り離せないくらいになっちゃったんですね。しかし芳乃さんからすると愛情と肉欲は切り離して考えられるわけで、それは負担なんですね。河合くんはただヤリたいために芳乃さんが好きなだけなんですが、芳乃さんはその欺瞞が許せないので振ったと。そーゆー河合くんを作ったのは芳乃さん自身なのにねぇ。罪悪感はアキオに愚痴をこぼしてとりあえず昇華するんですが、心にじわじわ溜まってくるわけなんですね。それが放心の表情に表れる。んでも芳乃さんの童貞好きは本心でしょう。無邪気な童貞男子を自分の思いのままの男に育てたいんかね。光源氏の逆パターンか。

ちなみに後述しますが、「五年生」の伏せられた構造の最たるものは、この河合くんの経験を、アキオに追体験させている事でしょう。具体的には芳乃さん×河合くんのパターンが、吉村さん×アキオで反復されているのです。これについては後述。そーいや男物のシャツ着てるね芳乃さん。北川さんを彷彿とさせます。後で共通点を探そう。んで気持ちのやり場のなくなったアキオは、ついうっかり就職活動初めてしまったと、はい3巻終わり。もう芳乃さんに会う可能性のある東京にはとても行けないもんね。

3巻。19話後半。まぁアキオにしてみれば、とっとと芳乃さんの事は忘れて次のステップに行こうとしてたら「まだ続いているよ」とか言われてもねぇ。しかもアキオからすれば「どっちの方がより好きか」というレベルの話なわけだし。芳乃さんからすれば好きのベクトルが全然違うんだけど(「この人といると安らぐ・この人がいなくてもまぁ平気」と「この人といるときだけ安らげる・この人がいないと不安」は全く別、ああゲーム理論だ、最初から順に+3,-3,+10,-10)。そりゃ区別つかんよねぇ。そう思われているのも承知で、それでも電話せざるを得ないほど追い込まれている芳乃さん、自らの欺瞞のツケを自律神経失調症という代償で払ってます。妹さんなにげにかわいいですね。ちなみにまたミもフタも無い事言うと、初恋や失恋で胸がキュンとなるってのは、急性の自律神経失調症です。「なんでこんなに胸が苦しいの!」ってのは実際苦しいからなんですよ。経験者は語ります。普通にこうしてタイピングしてても、いきなり左耳の聴力が落ちて耳鳴りがするんだもんなぁ。んで何の理由も無く元に戻るの。しかしこれを根本的に治療するのは、身体の感じているストレスを全部落とさないと完治できないので(例えばめんどくさい仕事したくないとか、嫌な野郎に会いたくないとかゆう社会人としては感じざるを得ないレベルのストレス)、まぁ無難にストレスと上手に付き合っていくしかない、と心療内科のお医者さんも言ってますねぇ。おっとちょっと飛んだ。

余談ですが、以前のすっとこさんは、「寝すぎると強度の頭痛に襲われる」という症状がありました。「寝すぎると○○する」がオギーみたいでちょっと嬉しいですが、頭が割れるように痛いのでシャレになりません。頭痛がしても脳は痛みを感じないはずなのにねぇ。ちなみに痛い瞬間にCTを取った事があるんですが、脳内に動脈瘤とかの異常は無かったので、今にして思うと心身性のものだったんですねぇ。思うに、寝すぎると発動する身体の欠陥、てのはたいていオギーや芳乃さんと同じ、心身性のものでしょう。治療するにはトラウマの原因を探し出して、それを抹殺しないといけないんですねぇ。患部が心の中にある病気、と言えばいいのか。

隆行くんとの会話は、これまたいろいろな示唆が。例えば物理的に鼓膜が損失している、ってんなら聞こえなくて当然だが、鼓膜があるのに聞こえない、しかも隆行くんの場合、あるきっかけから、徐々に聞こえるようになっている。さらに加えると、この回の最後で、芳乃さんが自律神経失調症で「耳鳴りが聞こえると」「周りの音が聞こえない」と言っている、また、後々隆行くんは言葉を取り戻している。以上を総合すると、隆行くんの難聴も心身性のものであると判断できる。問題なのは、隆行くんに何があったかとゆー事だが、実際の所、確かに遺伝子は関わっているのである。つまり、心身性の病気の原因がトラウマだったとして、同じ症状の心身性の難聴が遺伝によって発症するとするなら、遺伝子にはトラウマ(と同じもの)を遺伝する能力があるという結論になってしまう。自分で書いてて本当かよと思うが、そもそも遺伝子ってのはアミノ酸配列を書いたタンパク質の設計図に過ぎないんだが、とすると、トラウマの正体はある種のタンパク質であるという結論に達するんだけど、要するに心身性の病気を処方薬でどうにかできるのってこのへんがメカニズムなのかなぁ。難聴の原因になるのはどのタンパク質なんだろう。分子生物学って面白いなぁ。

本田さん怖すぎる。医者の診断は示唆に富んでいるが長くなるのでパス。佐久間さんの自律神経失調症の知識は所長の本の受け売りだったわけだが、自律神経失調症の本は自律神経失調症になるか、自律神経失調症に関わらないと、普通は買わないわけで、となると所長になにがあったのかが興味深いが、まぁ弁護士っていう仕事上いろいろあっただろうし、いろいろな人と会うしなぁ、という事でお茶を濁しておこう。

アキオと吉村さんの会話もまたすごい。アキオは他人事気取りだが、張り詰めた伏線の糸が切れた原因のいくつかにアキオも関わっているわけで、具体的には芳乃さんや本田さんや鳩村を全く受け入れなかった点にある。本人も薄々気付いているけどね。そりゃアキオの主観からすれば「面倒事を俺に持ち込むな」というのも当然だが、その態度が周囲の環境をさらに悪化させた事には気付いていない。しかも吉村さんはそれに気付いている。なんなんだ彼女は。問題点全体の構造を把握して、最悪の部分にメスを入れる存在が彼女の役割とするなら、あんだよもう、彼女まで作者つまり木尾士目かよ。俺何人のキャラに作者認定してるんだトホホと思うが、そもそも「五年生」のキャラが全員木尾士目の創造したものだとすると、全員にどこかで木尾士目が自身を投影していると考えられる、と書くのも詭弁くさいんだがどうかね。

長くなりすぎたんでここで切る。この後、他人事気取りだったアキオが決定的に目を覚まさせられる事になるんだけど、はてさて。

「五年生」をさらに読み解く

2006年05月29日 01時39分55秒 | げんしけん以前
「五年生」実に恐ろしい話である。

この物語は、登場人物の心理を読者が推測し、その推測した心理がぴったり噛み合った瞬間の恐ろしさを体験するマンガであると言える。根底に流れるキーワードは「罪悪感」。木尾士目は全ての登場人物に「罪悪感」を植え付け、最後に癒す人、壊す人をきっちり分けている。いや、全ての登場人物と言ったが、主要キャラで罪悪感を植えつけられていない人が1人だけいる。吉村さんである。彼女はきままな自我であり、混沌(エス)を産み出す原因であるアキオに罰を与える超自我として存在するので、超自我に罰を与えられる存在はいないのである。精神分析用語を使うとわけわかんないので、以後使いません。

1巻から順に見ていこう。と思って1巻をざっと見たんだが、第1話と第2話の絵が違いすぎると思った。木尾士目の絵の感じ……うまく言えないんだが……「陽炎日記」&「四年生」時代の絵と、「五年生」の絵の境が、「五年生」の第1話と第2話の間にあるのは偶然か意図したものなのか。特に芳乃さんの顔に顕著なように思えるのだが。邪推すれば、芳乃さんの卒業を期に世界観が一変したのを意図しているのかもしらんが、単なる偶然という事にしておこう。

やっぱり「四年生」から入るか。芳乃さんの疑念は、自分が「さげまん」なんじゃないかという事。もちろん漠然とした疑念ではなく、男の扱いが下手なのではないかという事、もっと具体的に書くと、自分と付き合った男がダメになってしまう事を恐れている。過去の2人(84ページ)はダメになってしまったし、アキオも1年の時は成績が良かった筈なのに……とは言え、芳乃さんとアキオが付き合い始めたのは実は3年次の8月からなので(五年生3巻で判明、「四年生」時点では未定)あまり関係は無く、ダメ男くさかったアキオの就職も決まって、アキオの両親との面会もうまくいって、二人が添い遂げるところを想像してめでたしめでたし……というのが「四年生」。

んで「五年生」1巻。順風満帆だったアキオが(自分のドジで)留年。さらに芳乃さんの元カレの河合くんも退学していた事が判明。芳乃さんの自分に対する疑念が募る所にアキオの冗談にならない一言。芳乃さんは泣く。アキオは驚く。ここまでが2話。3話ではアキオの疑念を芳乃さんが先に述べつつ、「少しは防げる……?」と自分から述べてアキオがちょっと感動している。そのままみかんになだれ込む。3話終了。

4話から5年生開始。新キャラ3人登場。ムチムチ吉村さん。野郎鳩山。まだ名前の出ない本田さん。オナニー話は余談かね。木尾士目の意見陳述って所か。倉橋さんも当て馬。一人称がころころ変わる同士、倉橋さんを見るのは同類嫌悪なすっとこさんですよ? 多分俺あんなんだし。自分の頭のよさが自信につながってるとあんなんなるのかねぇ。1巻終了。

2巻。アキオの学生っぷりと、芳乃さんの社会人っぷりのギャップをお互いに確認。アキオが自分勝手で、それによって生じるひずみを芳乃さんが吸収している、という言い方はどうかなぁ。あと、やっぱり男はいつでもみかんしたい。女はみかんしたい時としたくない時がある、ってギャップはでかいんだよね。遠距離恋愛で、男はみかんする時のために準備をできるけど、女は生理(すまん)の関係で、みかんしたい時としたくない時がある、なんて普通の男は知りません。すっとこさんも「五年生」5巻で初めて知りました。彼氏のいる女性は彼氏にはっきりと言って、この事実を普及せしめるべきです。頼むよホント。お互いのために。

芳乃妹&家族登場。親父さんが帰ってきた時、芳乃さんが母親&妹をみて何を思ったのかは不明。アキオとの結婚の可能性かね。妹をアキオに見立てての、アキオ両親との面会の思い出か。裕介&有賀さん再登場おめ。裕介に遠距離恋愛の感想を述べる。木尾士目の実感?「家族」についても木尾士目の実感かねぇ。しかしこの「家族」ってのがやっかいな共同体だって最近気づいて、って「五年生」でも家族ってのはあまり重要なテーゼじゃないから置いておこう。一言だけ書いておくと、この世にごまんと種類があり、1つ1つ全く違うのに、「家族」という同じ言葉でくくられるのは良くない。しかも「世間」とは異なる価値観があり、世間に順応できる個人を作る家族ならいいんだけど、順応できないといろいろ悲惨だよー? という話。「四年生」のアキオの家族がそんな感じかね。知らんけど。とりあえずここまではアキオも芳乃さんも、環境の変化に応じて関係を微妙に変化させるも、互いの気持ちにほぼ変化は無いわけだ。第8話終了。

後輩編の開始。いきなり持ち込まれる混沌。アキオに焦点を絞ると、一目惚れというものが実在し、自分がその対象になるという事を認識するのがヤバイ。芳乃さんとの、なんか煮え切らない恋愛より、いわゆる「運命の出会い」的な方が「本当の恋愛」であるという誤解だな。すっとこさんや岸田秀の考えだと、いわゆる「運命の出会い」「一目惚れ」というのは、抑圧した過去の記憶の反復に過ぎない、と。過去の失敗した記憶の賠償を心が求めているだけであるとゆーこった。本田さんの場合は、アキオに一目惚れをした原因は明らかにされていないが、後々の芳乃さんの場合は「五年生」のメインテーマとも言える。

アキオが言う通り、「よく知りもしない相手をんな簡単に好きになれんのか」だが、つまるところ過去の抑圧された記憶と、何らかの共通点があれば、一目惚れは発動してしまうのである。これは無意識の問題なので、そのメカニズムは普通の人には理解できないだろう。よっぽど自分の心を見つめる訓練をしないと無理だろうねぇ。性欲との直結はわかりやすいね。笹ヤンは抑圧と性欲の複合っぽいんだけど、それはまたそのうちの話。この「一目惚れ」がやっかいなのは、このようにメカニズムを知ってても余裕で発動してしまう所なんですよ。そうなるともう自律神経失調症並の苦痛に襲われて苦しい苦しい。これを無理やり抑圧すると、さらに抑圧がひどくなるので、とっとと告白して自爆した方が楽です。万一うまく行ったらめっけもんですが、たいていうまく行かないのは「初恋はうまくいかない」という言葉の伝える通りです。ああ。

んでもまぁ、抑圧した記憶が発動しても本人に責任は無いんですがねぇ。んでも発動した故に行動した結果には責任を負わないといけないのがつらいとこ。本田さんは鳩村に一目惚れ、鳩村は本田さんに一目惚れ、しかし、吉村さんが鳩村を好きなのは……5巻を読むと、やっぱりそうなんだろうなぁ。吉村さんの恐ろしい所は、自分の受けたダメージを、他の3人にもきっちり返して帳尻を合わせてしまった所にある。みんなが自分勝手をするならば、それに辻褄を合わせる人間が必要だという事か。このへんは後述。
4人それぞれが、他の3人の事をどう思っているかが、この部分の面白い所なんだが、説明すると長くなりそう……とりあえず108ページの吉村さんの説明は重要。この関係の根本の原因は、本田さんがアキオと鳩村を両天秤にかけた所にある事に気づいているのか。

男女関係におけるみかんの効用なんか、男女関係そのものの解説をしないといかんので、この場じゃ無理っす。吉村さんの呪いは、元ネタは京極夏彦の「姑獲鳥の夏」かね。11話終わり。ここまでが「五年生」の準備段階に当たる。伏線の仕込みが全部終わったわけね。そして、芳乃さんの一目惚れをきっかけに、張り詰めた伏線が動き始めるわけだ。それに関しては次回以降で。

一点だけ忘れないように書いておくと、芳乃さんとオギーはやはり同一人物である。ポイントは「五年生」5巻142ページ2コマ目と、「げんしけん」6巻86ページ5コマ目。話し始める前に喉の調子を整えるという共通点がある。ここまで露骨に描かれるとねぇ。それが木尾士目なのかどうかはわからないけど。

「五年生」を読み解く

2006年05月27日 23時03分15秒 | げんしけん以前
「げんしけん」最終回の感想を書く前に、「五年生」の分析をする必要があると思った。てゆうか、芳乃が長谷川さんに一目惚れをした理由がやっとわかった。まぁどこから語ろうか。

きっかけは「げんしけん」本スレで、オギーと芳乃似てない?という発言に「・自律神経失調症・微乳・男と別れた経験あり」というレスをすっとこさんがした事による。余談だがその直後のレスに「オギーって自律神経失調症だっけ?コミフェスの気持ち悪くなっちゃった場面だけでそうと決めてしまうのはちょっと違わない?」というレスがあったが、雨に濡れて着ていた服をそのままにしていた人が、咳をしてだるいとか言い始めたら「風邪をひいた」と判断して医者に連れて行くのが人類の英知という奴です。本人が「風邪だ」と言うまで医者に連れてかなかったら死にます。んでも、風邪を今までに一度も見たこと無い人だったら風邪だとわからないかもしれません。よって、自律神経失調症だと気づかなくても仕方ないです。俺はやった事あるんでわかってしまいますが。てゆうか、未だ耳鳴りします。

閑話休題。芳乃さんが男と別れた経験があると書いてハタと気づいた。一目惚れの理由は抑圧された過去の経験によるというのは前に書いたが、その理由は当時まだわかってなかった。気づいたのは4巻で、アキオと芳乃の大学入学時からの過去話の中で、芳乃が男と別れた話をしている。相手は河合くん。姿形は作中に出てこない。1巻に名前だけ出てくるけど。芳乃さんの河合くんに対する態度を見ていると、アキオには河合くんの悪口を言いまくっているが、アキオが芳乃さんの無防備な所を見ると、芳乃さんは明らかに放心している。また、「四年生」84ページのアキオのセリフ「結構気にしてんだよアイツ」「今までつきあった男みんなダメにしてっから」というセリフもある。事実1巻で大学やめてるし(これが伏線のための伏線か)。また「五年生」3巻173ページの芳乃さんの河合くんに対するコメントを読むと、「自分が河合くんのハンドリングに失敗した」と言っている。つまり総合すると、河合くんをダメにしたのは自分だという自覚があるわけだ。そこをアキオに茶化されたら泣くほど落ち込んでるし(1巻)

その自分が育て間違えた河合くんが、夜中にプロポーズしに来て、大学やめるほど「ダメ」になってしまった罪悪感が、芳乃さんの一目惚れの原因かと。

河合くんは作中に出てこないのは、この辺の事情を隠蔽するためで、多分長谷川さんは、河合くんと共通する何かを持っていたんだろう。外見か、よどみないタイピングか、もしくは無意識でしか知覚できない何かか。

この先、下世話な深読みになる事を承知で書くと、作者の分身として作中に登場しているキャラは、芳乃さんか河合くんか、どっちかじゃないかなぁ。芳乃さんが木尾士目だとすると、自律神経失調症の表現のリアルさ加減がしっくり来るし、芳乃さんの癒しの物語である「五年生」で、木尾自身が癒されるという解釈もできる。また、河合くんが木尾士目だとすると、ほんとーに「やっちまった」可能性もあるし(ああ、俺の心にも心当たりが)、芳乃さんがその相手だとすると、復讐と謝罪を行っているという解釈も可能。もちろん以上が下世話な邪推という可能性はもっと大きい。しかしあの、作品の表現を壊してまでする、必要以上の隠蔽感が木尾士目の警戒心を感じさせるのである。「五年生」が娯楽作品なら、もーちょいバラして物語の辻褄を読者に提示してもいいんじゃねー? それをしない理由はなんだ?

しかしこう考えると、「五年生」にムダな部分が無い事に気づく。2ちゃんねるの過去ログや、Webに現存している感想を読んでも、以上のような解釈は存在していないようだ。あーでも、AV借りに行って悩むのはムダだ。あそこだけは木尾士目の趣味全開やね。しっかしナンパものはたまに面白いとか、AV借りに行って悩むのが嫌とか、まるですっとこさん自身を見ているよォだ(苦笑)。そのうち書くけど、「げんしけん」の作者投影キャラが笹原だとして、なんかスゲーすっとこさんに似てると思っているが、ひょっとしたらすっとこさんと木尾士目って似ているのかもしんねー。オタという共通点があるせいかもしれんが。一度会ってみたいもンだ。「自分が恥をかかずに自己満足できるなら自分だけ苦労するのも厭わないタイプの人間」か、俺は、イヤだねえ、この前の軽井沢とかよ。

あと精神分析的に言えば、吉村さんが超自我当たるとか無理やりな解釈もできるねぇ。あそこでアキオをどん底に突き落とさなかったら、芳乃と復縁してなかったんだし。あと、これはオギーと芳乃さん両方見るとわかるけど、人間を最も狂わせる感情は「罪悪感」なんだねぇ。もちろん多少の罪悪感は、同じ失敗を2度しないという戒めになるけど、大きすぎる罪悪感は下手すると人生を縛ってしまうのだなぁ。そりゃ悪いことしたら罪悪感ないよりある方が正常だけど、この先の一生を棒に振ってまで謝らなければならない事態もそうそう無いし、棒に振った所で相手への謝罪にはならないんだから、そこそこの所で切り上げる勇気を持つべきなんだよなぁ。その際に厚顔無恥と言われても仕方ないが、罪悪感は罪悪感として心に秘め、罪悪感に飲み込まれないようにしないといかんよ。本当にな。

「クラカチットの街」を真剣に読む

2006年05月09日 21時03分15秒 | げんしけん以前
先日は現代マンガ図書館で脳内に焼き付けてきた内容で作品を分析したが、さすがに現物が手元に無いと厳しい。んが、現代マンガ図書館では複写が1枚100円。前後編で116ページの「クラカチットの街」をコピーするには5000円ちょいかかってさすがにちょっとお高い。どうすべぇと考えたが、学生時代にお世話になった図書館がもう1つあったではないか。国立国会図書館。よく国会図書館の雑誌課別室で「なかよし」を請求したもんよ。何をやってたんだ10年前の俺。それはともかく、調べてみるとコピーは1枚あたり25円。現代マンガ図書館の1/4。これは使わない手は無いってんだ、早速社会民主党の隣にある国会図書館に行ってみた。

10年ぶりの国会図書館はすっかり電子化されていて超ビビった。てゆうか資料請求は全部端末からかよ! 説明書も読まずにサクサク使いこなし、アフタヌーンの2002年2月号、3月号、ついでに「げんしけん」第一回が掲載されている6月号も請求する。10年前は出架も人力で、請求してから40分くらいしないと出て来なかったが、今回は20分程度。凄い。とりあえず借りたものを複写受付に行って当日複写を請求する。複写代は1枚25円だが、全部やってくれるので超楽。しかもコピーの質がいい。トーンもしっかり再現されている。凄ぇよ国会図書館。超惚れた。愛してる。結婚しよう。

さて、「クラカチットの街」の分析は前回した通りだが、前回は3人の男が木尾士目の内面を表しているという所まで話をしたが、今回は吹部さんにスポットを当てる。キーワードはラストのセリフ。「あまり女を自覚させないで……」「私が望んだのはこの街を出て行く事だけ」「でも その為に爆弾という力を使ってしまった……」「私は女……?」「それとも……」。相変わらず訳わかンねェが、最後の2つのセリフから、吹部さんは女か、そうでないかという事がわかる。女でなければ何だ? 単純に才能のある女性という事で考えれば、この吹部さんは木尾士目の才能だ。しかしそうなると、ラストで教授とDQNを殺しても、学生を置いて街から出てしまうわけで、その解釈は間違っている。では何だ? さらに単純に木尾士目の元カノ、という事も考えられるが、それじゃ女だ。では何だ、わからねぇ。

「あの人(教授)の描く君は母性が強すぎると思う」というセリフからすると、吹部さんは木尾士目の作品そのものか? いや、吹部さんを描いた絵が母性が強すぎるってんなら、その描いた絵が作品なんだろう。じゃあ木尾士目の作品のモデルである吹部さんは何だ? 木尾士目の過去か? 過去の自分を使った作品が「地面や樹に安易に結びつける構成で」「大きな骨盤で脚を開き蛙を出産する」「それがパターンだろ」、それが自分の過去をモデルにした木尾士目の作品か? つーことかねぇ。知らんけど。ここんとこは俺の考えすぎくさい。ここんとこだけかい。吹部さんが殺そうとしている男3人に「こんな私を愛してくれる?」と聞くのもなんか臭い。木尾士目の精神かなぁ。

吹部さんが木尾士目の(この話での)理想の女性という解釈は間違ってないと思うんだけど、DQN(マンガ家でない木尾)と教授(「五年生」以前の木尾)は吹部さんと死んでもいいと思っているが、学生(「げんしけん」以降の木尾)は死にたくないと思っている方面から解釈できるかねぇ。なんだろう、「五年生」以前の作風? 方法論? むーん、漠然としていてわからん。

吹部さんの解釈はひとまず諦めるとして、肝心の小道具、ボルトを忘れていた。どう見ても男性器の象徴です。本当にありがとうございました。ナットは出てこないけどね。こんなもん1ページまるまる執拗に描くなよな木尾士目。いえーい男性器を1ページまるまる描いてやったぜーとか喜ばれても困ります。吹部さん、街から出る時にこのボルト持ってくんだけど、これもちょい解釈微妙。それが右目に当たるんだけど、その後に吹部さんを取り押さえる時、教授が吹部さんの右目をグーパンチで殴って、吹部さんが失神するんだけど、ここんとこの描写、どう見ても絶頂にしか見えません。足からフキダシが出てて「ビクッ」ってさあ。んで、物語の終盤、吹部さんの右目、閉じっぱなしなんだぜー。これってやっぱりさあ。服着たあと前髪で隠すし。

というわけでせっかく国会図書館まで行って複写してきたのに、十全の解釈は得られなかった。多分いくら頑張っても無理だろう。作者である木尾士目にしかわんねぇっての。てゆうか今の日本で「クラカチットの街」にこれほど注目しているのは俺しかいねぇ。カレル・チャペックの「クラカチット」も買っちまったしなぁ。「五年生」と「げんしけん」のミッシングリンクとして、「クラカチットの街」は大変貴重な資料だ。さらなる読み込みが必要になるだろう。