気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

初冬の武州と信州を結ぶ十文字峠

2022-12-17 13:14:10 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は古い歴史を持つ武州と信州を結ぶ交通の要衝
十文字峠(じゅうもんじとうげ)を掲載してみたいと思います

濃霧の登山道を十文字峠へと進む

零下の気温の十文字峠に到着

十文字峠に建つ十文字小屋

十文字峠(じゅうもんじとうげ)
十文字峠は、長野県南佐久郡川上村と埼玉県秩父市の境、
奥秩父にある峠 標高1,962m
江戸時代以前より武蔵国と信濃国を結ぶ街道として往来があり、
交易や善光寺・三峰神社への参拝に使われた
中央分水嶺でもあり、埼玉県側は荒川、
長野県側は千曲川の流域である
埼玉県側斜面に、十文字小屋がある 
登山道であり、自動車の通行は不可能
長野県側の梓山の毛木平から登ると、
2時間余りで辿り着く コメツガ、シラベの樹林がある
5月末から6月にはシャクナゲが咲く

十文字小屋

気温は零下まで下がりあまりの寒さで
長居はできませんでした サーモスに入れたホットコーヒー飲み
撤収です シャクナゲが咲く頃に何時か来てみたいと思います

登山口 毛木平に下山していきます

登山道脇に佇む五里観音菩薩
武州と信州を結ぶ十文字峠は、碓氷・箱根の中間道として
主要な役割を果たしていた この里程観音(リテイカンノン)は、
元治元年(1864)に武州栃本と信州梓山・居倉などの
有志により建てられ、武州地内に4基、信州地内に1基、
一里(約3.9km)ごとに配置されている
三峰参詣者や善光寺参りに行き交う
人々の旅の安全を見守るとともに、目安となっていた

十文字峠の里程観音(リテイカンノン)

苔むした毛木平付近の景観 青空が広がってきたようです

千曲川源流にかかる峡霧橋

信濃川上(信州)毛木平登山口付近にある石仏
三峯山大権現の石仏

江戸時代以前より武蔵国と信濃国を結ぶ街道として往来があり、
交易や善光寺・三峰神社への参拝に使われた
長野県と埼玉県を分ける十文字峠は交通の要衝として古い歴史を持っている
人々が峠を越えたのは石器時代からと言われ、
八ヶ岳山麓で採れた打製石器の材料である黒曜石は、
この十文字峠を経て関東全域へと広がっていったとされる。
その後、十文字峠越えは交易の道として発展していった
埼玉側・武州大滝の栃本の人々は蚕を飼い、繭に育てて、
それを背に峠を越えて信州で売り、米に変えて再び峠を越えた
また信州野辺山から仔馬を仕入れ、
峠を越えて栃本から秩父西部の各地に運ばれ、
そこで三歳馬程度まで育てられて、成馬として再び峠を越えて
野辺山の馬市場で売られていたという

三峰神社への参拝への道しるべとなった歴史を感じる石仏

元治元年1864年十文字嶺道標権現碑

古の頃より往来する人々の目印となってきた道標
行き交う人々の旅の安全を見守るとともに、
目安となっていたのでしょうか!



最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう






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