気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

天下分け目の戦いの舞台 関ヶ原古戦場を訪ねて

2024-07-24 20:51:45 | 旅行
こんばんは!
本日の記事は近畿地方峠巡りの旅の途中、立ち寄った
天下分け目の戦いの舞台 関ヶ原古戦場を掲載してみたいと思います
奈良県のビジネスホテルを早朝に出発し、琵琶湖を周遊しながら
関ヶ原古戦場を訪れてみました

天下分け目の戦いの舞台 関ヶ原古戦場最終決戦の地
関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、
安土桃山時代の慶長5年9月15日(1600年10月21日)に、
美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として
行われた合戦
向かって左方向、笹尾山中腹に石田三成の陣が小さく見える

関ヶ原古戦場最終決戦の地 解説の碑

関ヶ原古戦場最終決戦の地より眺める西軍本陣方面を眺める

石田三成本陣を固める島左近陣地



石田三成本陣を固める島左近陣地

関ヶ原の戦いのあらましが書かれているガイド板

石田三成本陣跡に徒歩5分と書かれている道標

石田三成本陣を固める島左近陣地



石田三成陣解説板



関ケ原 天下分け目の戦い最終決戦の地跡
関ヶ原の戦いは、安土桃山時代の慶長5年9月15日(新暦1600年10月21日)、美
濃国関ヶ原(岐阜県関ケ原町)を主戦場として展開された野戦
「天下分け目の戦い」と呼ばれるように、
徳川家康率いる東軍が石田三成率いる西軍に勝利し、
家康は1603年に江戸幕府を開く

関ケ原 天下分け目の戦い最終決戦の地跡より
東軍 徳川家康陣地方面を眺める

東軍 徳川家康最終決戦の陣地跡



東軍 徳川家康最後陣地 陣解説板

床几場跡 合戦の際、討取った敵将の首実検を行った場所



床几場跡

関ヶ原合戦は
豊臣秀吉の死後に発生した豊臣政権内部の政争に端を発したものであり、
徳川家康を総大将とし福島正則・黒田長政らを中心に構成された東軍と、
毛利輝元を総大将とし宇喜多秀家・石田三成らを中心に結成された
反徳川の西軍の両陣営が、関ヶ原での戦いを含め、各地で戦闘を繰り広げた
この戦役の結果、勝者である徳川家康は強大な権力を手に入れ、
秀吉没後の豊臣政権を構成していた五大老・五奉行体制は崩壊した
家康の権力掌握は徳川氏を中心とする江戸幕府の成立に繋がり、
幕藩体制確立への道筋が開かれることになった

関ヶ原合戦 東軍、西軍布陣図


最後まで御覧頂きありがとうございます
関ヶ原古戦場を後に伊吹山付近にある国見峠へと向かいました
次の投稿までご機嫌よう


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お伊勢参り

2024-06-24 15:29:20 | 旅行
こんにちは!
6月中旬 戦没者慰霊のため(南方の戦線に於いて若くして戦死された叔父)
伊勢神宮に参拝に出かけてきました
戦死した叔父は鈴鹿海軍航空隊に所属 戦線に出撃する際、伊勢神宮に参拝
仲間と共に神宮内宮の参道入口大鳥居の前で撮影した写真が残っています
今回は伊勢神宮に参拝の後、近畿地方の歴史ある峠巡りも行って参りました
峠巡りの様子は順次掲載して参りたいと思います

神宮内宮の参道入口大鳥居

神宮内宮の参道入口大鳥居

神宮内宮参道にかかる歴史ある橋を渡る



伊勢神宮内宮
伊勢神宮(いせじんぐう)は、
日本の三重県伊勢市にある神社
正式名称は「神宮」(じんぐう)である
他の神宮と区別するために、「伊勢」の地名を冠し伊勢神宮と通称される
「伊勢の神宮」または親しみを込めて「お伊勢さん」
「大神宮さん」とも称される
古来、最高の特別格の宮とされ 
現在は神社本庁の本宗(ほんそう 全ての神社の上に立つ神社)であり、
「日本国民の総氏神」とされる
律令国家体制における神祇体系のうちで最高位を占め 
平安時代には二十二社の中のさらに上七社の1社となった
また、神階が授与されたことのない神社の一つ明治時代から
太平洋戦争前までの近代社格制度においては
、全ての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた

伊勢神宮 神官による儀礼(早朝に行われる儀式でしょうか)

伊勢神宮は皇室の氏神である天照大御神を祀るため、
歴史的に皇室・朝廷の権威との結びつきが強い
神宮の神体である八咫鏡は、
宮中三殿の賢所に祀られる御鏡と一体不可分の関係とされ、
神宮祭祀と宮中祭祀は一体性をもって行われてきた
また、南北朝時代に途絶するまで、未婚の皇女が宮中から派遣され、
神宮に奉仕する斎宮の制度が設けられていた
現代でも天皇・皇后が参拝するほか、神宮の神嘗祭に際しては
毎年天皇から勅使が派遣され、
神宮の祭主を元皇族の女性が務めるなど、天皇と神宮の繋がりは深い

伊勢神宮 内宮御朱印









戦死した叔父は鈴鹿海軍航空隊に所属 戦線に出撃する際、伊勢神宮に参拝
仲間と共に神宮内宮の参道入口大鳥居の前で撮影した写真と同じ場所で



伊勢神宮土産店が並ぶ

朝熊峠へ向かう途中の展望所より望む伊勢神宮方面と伊勢湾方面


最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう

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残雪の志賀高原横手山山頂の絶景

2024-05-02 21:11:04 | 旅行
こんばんは!
本日の記事は残雪の志賀高原横手山山頂の絶景
と題しまして山頂部:展望テラスからの美しい眺めをお届けしたいと思います
撮影日 2024.04.25

志賀高原横手山登り口 渋峠の景観

世界で唯一のスカイレーターと
日本で一番標高の高いリフトを乗り継ぎ横手山山頂へ

白銀の横手山山頂リフト

白銀の横手山頂ヒュッテ

横手山頂ヒュッテ 雲上の手作りパン屋さん

雲上の手作りパン屋さんで朝食タイム

横手山頂ヒュッテ内部より白銀のスキー場を眺める



山頂部:展望テラス"付近より眺める志賀高原の山並と
遠く浅間山を望む

展望テラス"付近より眺める白銀の北アルプス山並

山頂部:展望テラス"付近より眺める志賀高原の山並

山頂部:展望テラス"より眺める日本で一番標高の高いリフト





横手山頂部 スキー場

志賀高原横手山 満天ビューテラス
標高2307mからの展望は圧巻でした 遠く白銀の北アルプス山並、
志賀高原の山並、浅間山、新潟県境の山並が良く見えていました

志賀高原横手山 満天ビューテラスからの絶景

日本で一番標高の高いリフトに乗り渋峠へ

渋峠付近より眺める白銀の北アルプス山並
次の目的地の長野市へ向かう


最後まで御覧頂きありがとうございます
旅は続きます
次の投稿までご機嫌よう


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志賀草津高原道路「雪の回廊」2024

2024-04-28 15:37:45 | 旅行
こんにちは!
2024年4月24日(水)10:00に開通した
群馬県草津津温泉と長野県志賀高原をつなぐ志賀草津高原ルート
に出かけてきました 
冬の間、閉ざされていた国道292号・志賀草津高原ルートです
目指すはこのシーズンに出現する「雪の回廊」
撮影日 2024.04.25(木)

こうして路面から撮ると「結構あるなあ」と見えますが、
今年は正直言って壁の高さも例年より低いですし距離も短いようです
クルマで走るとあっという間に通り過ぎてしまいます
ご覧になりたいのであれば、できるだけGWの前半をおすすめです

人混みの少ない早朝に「雪の回廊」に到着すると
辺り一面 濃霧の世界 霧が晴れるまで しばらくの間
待機することに!

待つこと2時間余り 「雪の回廊」に青空が広がりだしました

朝の志賀草津高原道路「雪の回廊」です
この回廊が見られるのは標高でだいたい2080m〜2110mのあたり、
草津からは国道最高地点の目前になります



駐車スペースは国道最高地点より下にあります
「雪の回廊」付近に駐車スペースがありません
歩いて「雪の回廊」へ行くのが無難です





駐車スペースから眺める「雪の回廊」2080m〜2110mのあたり







志賀草津高原ルートにある日本国道最高地点

志賀高原渋峠

冬景色の志賀高原渋峠


最後まで御覧頂きありがとうございます
旅は続きます
次の投稿までご機嫌よう






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碓氷峠鉄道文化むらを訪ねて

2024-04-22 16:27:06 | 旅行
こんにちは!
今回の記事は碓氷峠鉄道文化むらを取り上げてみたいと思います
東日本旅客鉄道(JR東日本)の信越本線横川 - 軽井沢間の廃止とともに
役目を終えた、横川駅に隣接した横川運転区跡地に建設された
碓氷峠鉄道文化むら 体験型鉄道テーマパーク

碓氷峠鉄道文化むらに展示されている特急あさま号
特急あさま号は上野~長野・直江津を結ぶ特急として長野新幹線が開業する
直前の1997年まで運転されていた
EF63との協調運転による碓氷峠越えは見もののひとつだった
横川駅では毎回機関車の解結作業が行われるため長めの停車時間があり、
名物駅弁「峠の釜めし」を中心とした買い物タイムで賑わった
しかし、あさま号の廃止と同時に信越本線の横川~軽井沢間も廃止、
軽井沢~小諸間がしなの鉄道として生まれ変わった
したがって、リバイバル運転が物理的に不可能な列車の一つとなった

碓氷峠鉄道文化むら入口

碓氷峠鉄道文化むらの広い敷地に往年の貨車をけん引した
電気機関車が展示されている

SL D51形 (D51 96)
埼玉県長瀞町でSLホテルとして使用されていたものを移設

D51形 (D51 96)
日本全国を(デゴイチ)の愛称で走り回った蒸気機関車

SL D51形 (D51 96)



一般型気動車 キハ20 467
全国各地に見られたこのキハ20系も現在は数両を残すのみとなった

一般型気動車 キハ20解説

八高線、川越線で乗車したことがあるキハ35 901
非電化区間で活躍した一般型気動車

一般型気動車キハ35 901の解説

EF65形電気機関車(EF65がたでんききかんしゃ)は、
日本国有鉄道(国鉄)が1965年 (昭和40年)に開発した、
平坦路線向け直流用電気機関車

特急あさま号

かつて信越本線を走っていた189系あさま号解説

左にEF30形電気機関車、右にEF58形電気機関車
EF30形電気機関車(EF30がたでんききかんしゃ)は、
日本国有鉄道(国鉄)が製造した交直流電気機関車
関門トンネルを挟む山陽本線下関 - 門司間では、
1942年の開通以来、直流1,500 Vで電化され、
これに対応するEF10形電気機関車が
専用機関車として用いられていた
EF58形電気機関車(イーエフ58がたでんききかんしゃ)は、 
日本国有鉄道(国鉄)の前身である運輸省鉄道総局が製造した
旅客用直流電気機関車
終戦後に激増した旅客輸送需要に対応する機関車として
1946年(昭和21年)に登場した

EF58形電気機関車の解説



日本の高度成長期に活躍したお座敷列車車内

お座敷列車車内



碓氷峠鉄道文化むらの広い敷地に往年の貨車をけん引した
電気機関車が展示されている

かつての信越本線 横川駅~軽井沢駅を結んだアプト式
明治26年4月1日碓氷峠を越える為に採用されたわが国で
最初のアプト式鉄道

信越本線 横川駅~軽井沢駅を結んだアプト式解説



碓氷峠鉄道文化むら入口


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