気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

中世、近世の息吹を感じる峠2話

2024-02-26 10:14:58 | 登山に通った峠道
こんにちは!
blogカテゴリー登山に通った峠道も98話となり、
訪れた峠道を少し振り返ってみたいと思います
印象に残った絶景が広がる峠、歴史を感じる峠、最も美しかった峠等
掲載してみたいと思います
2024年も関東甲信越を中心とした歴史散歩を楽しめる峠、
絶景を楽しめる峠等巡っていきたいと思っております
今回の振り返り記事は中世、近世の息吹を感じる峠2話を
お届けしたいと思います

三国峠には上野赤城・信濃諏訪・越後弥彦の三明神を祀った
三国権現が建っている
三国峠(みくにとうげ)は、
日本の新潟県南魚沼郡湯沢町と
群馬県利根郡みなかみ町の境を越える峠
標高1,244m

三国新トンネルと三国旧トンネルが並ぶ

群馬県利根郡みなかみ町三国旧トンネル側から三国峠へ

群馬県利根郡みなかみ町三国旧トンネル側から
山道を徒歩で30分程で三国峠に辿り着きます

三国峠に到着
三国峠(みくにとうげ)標高1,244mの峠
峠上にある三国権現
(三坂神社・御坂神社・三阪神社・三社明神などとも呼ばれる)

三国峠道標

三国峠に建つ三国権現

三国峠を越えた名だたる人々が刻まれた石碑
中世以前 三国権現の縁起に坂上田村麻呂が、
法師温泉の開湯伝説に弘法大師(空海)の名が残る
1486年(文明18年)道興准后が三国峠を越える
(『廻国雑記』)尭恵法印が三国峠を越える
(『北国紀行』・三国峠の文献における初出)
1488年(長享2年) - 万里集九が三国峠を越える(『梅花無尽蔵』)
戦国時代 関東管領となった上杉謙信が、
関東への足がかりとして整備
上杉氏の会津移封の後、堀直寄によって改良が進められる
江戸時代 佐渡島への主要道路として、江戸幕府が整備
元文5年2月5日 - 越後長岡藩の藩士7名と人足4名が罪人の移送中、
雪災にあい遭難 1818年(文政元年)卯月 - 十返舎一九が越える
幕末の戊辰戦争の際には、三国峠の戦いが起こった等
古生、中世、近世にかけて歴史の息吹を感じることができる峠です

三国峠から三国山へ登る中腹より眺める県境の山
200名山の白砂山が見える

三国峠から三国山へ登る中腹より眺める苗場山と苗場スキー場

群馬県吾妻町側より万騎峠へ

万騎峠 吾妻郡吾妻町と長野原町の町境にある峠、
菅峰南方1.2kmほどの尾根にあり、標高1281m

かつては信州街道の須賀尾宿(吾妻町)と狩宿宿(長野原町)の中間に位置し、
草津への湯治客、善光寺参りなどの旅人のほか、
北信州の飯山・須坂・松代藩の江戸出し城米をはじめ、
信州の特産物であるソバ・大豆・小豆の輸送、
白根山や万座山から幕府の火薬製造原料となった
硫黄の搬出などで人馬の往来も多かったが、
明治26年信越本線の開通によりさびれ今は訪れる人もほとんどいない
頂上にはブナの古木があり、旅人の目印となったと言う
(歴史の道調査報告書/信州街道)ここからの展望は素晴らしく、
東は榛名山、西は白根山・四阿(あずまや)山から鳥居峠まで一望できる

旅人の目印になった 万騎峠のブナ古木

静かに佇む万騎峠
この万騎峠の名は、「曽我物語」にも記録のある
建久4年(1193)の源頼朝の三原・那須の狩の際、
狩宿の地に宿泊ののち、頼朝が万騎の兵を従えて峠を
越えたことに由来する
また別名を万字峠とも言われ、前記狩りの峠越えのときに、
山中の狐や狸が勢子に化けて行列にはいって邪魔をするので、
陣笠に卍の印をつけて越したことから、
卍(まんじ)峠といったのが、いつのまにか
万字・万騎となってしまったという伝説がある

長野原町北軽井沢側から万騎峠への道標

六十里越峠開道記念碑
国道252号を新潟県魚沼市方面へ走行していくと
六十里越トンネル手前に六十里越峠開道記念碑がある
昭和48年9月開通、あの田中角栄総理大臣の時代です

六十里越峠開道記念碑より眺める田子倉水力発電所

六十里越(ろくじゅうりごえ)は、
魚沼市大白川と、只見町大字田子倉の間に所在する峠で、
最高点の標高は863 m

六十里越は国道252号を新潟県と福島県に通じる峠道
その昔六里(24km)が十倍にも感じたことから六十里という名がついたと言われています
雪深い豪雪地にあるため例年12月上旬~翌年GW頃まで冬期閉鎖があり、
限られた半年間のみ通ることができ、
開通するとドライブやツーリングに多くの方が訪れます
国道252号に並走するように走るJR只見線は車窓から
眺める渓谷などの絶景が人気のローカル線で、
ドライブ中もタイミングが合えば
只見線と景色を一緒に楽しむことができる

六十里越峠開道記念碑付近より眺める田子倉湖絶景

六十里越峠開道記念碑付近より眺める越後の奥深い山並



新潟県県境より眺める六十里越トンネル

六十里越トンネル標識

新潟県県境より眺める六十里越(ろくじゅうりごえ)標識
六十里越 の歴史  戦国時代末期から江戸時代にかけて、
会津と越後の結びつきは深い
戦国時代に“越後の龍”と呼ばれた上杉謙信から家督を継いだ
上杉景勝が会津に移封し、高田藩初代(1614年)藩主である
松平忠輝は徳川家康の六男で、会津松平藩祖である保科正之の叔父にあたる
会津藩と高田藩の交流が生まれるのは自然で、
険峻でありながら「六十里越」を経る街道の往来が続いた歴史深い峠道


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古代、中世の息吹を感じる峠1話

2024-02-21 13:19:05 | 登山に通った峠道
こんにちは!
blogカテゴリー登山に通った峠道も98話となり、
訪れた峠道を少し振り返ってみたいと思います
印象に残った絶景が広がる峠、歴史を感じる峠、最も美しかった峠等
掲載してみたいと思います
2024年も関東甲信越を中心とした歴史散歩を楽しめる峠、
絶景を楽しめる峠等巡っていきたいと思っております
今回の振り返り記事は古代、中世の息吹を感じる峠1話を
お届けしたいと思います

雁坂峠(かりさかとうげ)景観
雁坂峠(かりさかとうげ)は、埼玉県秩父市と山梨県山梨市の境にある峠
標高2,082m
奥秩父の山域の主脈の一つであり針ノ木峠、三伏峠と並び、
「日本三大峠」に数えられる



雁坂峠付近より望む富士山

雁坂峠頂上より眺める富士山

雁坂峠付近の景観

峠の頂上には笹薮の草原が大きく広がり、南側に広い展望が開けている
日本三大峠(飛騨山脈越えの針ノ木峠2,541m、赤石山脈越えの三伏峠2,580m、
奥秩父主脈越えの雁坂峠)のひとつ
武田信玄の軍事用路「甲斐九筋」の一つ
『日本書紀景行記』に「日本武尊が通った」と記載されている



雁坂峠の歴史は古く、
日本書記には日本武尊が蝦夷の地平定のため利用した道と
記されているため日本最古の峠道といわれています
また武田信玄の軍用道路、江戸時代から大正にかけては
秩父大滝村の繭を塩山まで運ぶシルクロードとして使われました
そんな歴史ある峠です

雁坂峠(かりさかとうげ)

古代、中世の息吹を感じる雁坂峠景観

静かに佇む雁坂峠(かりさかとうげ)

妻坂峠に建つ小さなお地蔵さま
延享4年(1747年) 275年前供養のため建てられた石仏

武甲山登山口(生川)から妻坂峠へ





妻坂峠の景観

妻坂峠は
埼玉県西部の名栗地区と秩父横瀬町との境に位置し、
奥武蔵大持山と武川岳の鞍部となっている
妻坂峠(つまさかとうげ)   標高839m
その昔、妻坂峠は秩父から江戸、鎌倉へと通じる主要道路であった
鎌倉時代に秩父の荘官、畠山重忠が鎌倉に遠征するとき、
妻を峠まで見送らせ>名残を惜しんだのが峠の名前の由来であるとか
室町末期の1572(元亀3年)、小田原の北条氏を攻撃した
上杉謙信が、飯能から麓の名栗川を越えて出陣し、
妻坂峠を通って大持山に陣を取ったという記録がある



静かに佇む妻坂峠に建つ小さなお地蔵さま

高麗峠(埼玉県日高市) 標高170m
「高麗」は名前が示すとおり、
1300年以上前に高麗人が渡来したという
長い歴史的関係を有する場所であり、
また石器時代の住居跡があるという長い歴史のある場所でもある

日高市巾着田(曼珠沙華群生の)より高麗峠へ

高麗川を渡り高麗峠へ



静かに佇む高麗峠(こまとうげ)
かつて、古代朝鮮半島には「高句麗」という国が栄えていました
しかし、唐(現在の中国)や隣国の新羅との戦いに敗れて
668年に滅亡してしまいます
そこから逃げ延びた人たちを716年に受け入れ、
現在の日高市を中心につくられたのが「高麗郡」という
ある種の行政区でした

高麗峠周辺には武蔵丘ゴルフコース、
宮沢湖ムーミンバレーパーク等があり、
人の声が聞こえてくるほどです

遊歩道沿いにある古き石仏

秩父山地の東麓、高麗川の谷口にある巾着田付近景観


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絶景が広がる眺めの良い峠後編

2024-02-16 12:13:35 | 登山に通った峠道
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blogカテゴリー登山に通った峠道も98話となり、
訪れた峠道を少し振り返ってみたいと思います
印象に残った絶景が広がる峠、歴史を感じる峠、最も美しかった峠等
掲載してみたいと思います
2024年も関東甲信越を中心とした歴史散歩を楽しめる峠、
絶景を楽しめる峠等巡っていきたいと思っております
今回の振り返り記事は絶景が広がる眺めの良い峠後編をお届けしたいと思います

大菩薩峠付近より眺める朝焼けの富士山

大菩薩峠
大菩薩峠(だいぼさつとうげ)は、
山梨県甲州市塩山上萩原と北都留郡小菅村鞍部の境にある峠
標高1,897 m 大菩薩嶺(標高2,057m)の南方約2kmに位置する
尾根の鞍部である

大菩薩峠付近より眺める霊峰富士





大菩薩嶺稜線より眺める霊峰富士

大菩薩嶺稜線より眺める南アルプスの山並

冬のむ大菩薩嶺稜線より眺める奥秩父金峰山、八ヶ岳





甲府盆地の向こうに南アルプス山並が見える

大菩薩嶺稜線より眺める甲府盆地と白銀の南アルプス山並

大菩薩峠は
1913年(大正2年)から1944年(昭和19年)の32年にわたって
『都新聞』に連載された、
中里介山の未完の大河小説『大菩薩峠』で広く知名度があり、
大菩薩峠から流れ出す多摩川流域の自然や、
そこを往来した人々に触れたことで
介山の人格や思想形成に大きく影響したともいわれている
富士山、南アルプス、甲府盆地が視界一杯に広がる絶景にも出会えます

しらびそ峠
南アルプスの登山口でもある標高1833mの峠 
3000m級の南アルプスを間近に望む
絶好のマウンテンビューポイントとして知られる
谷を一つ隔てて荒川岳、赤石岳、大沢岳、聖岳などが並ぶように見える

しらびそ峠から眺める南アルプス核心部の山並



しらびそ峠から眺める南アルプス核心部の山並

しらびそ峠から眺める南アルプス悪沢岳?



しらびそ高原にある日本唯一の隕石クレーター案内図
御池山隕石クレーターは直径約900mで、
直径約45mの小惑星(隕石のかたまり)が
およそ2~3万年前に御池山南東斜面に衝突したと推測されます
現在、御池山の尾根沿いを中心に
クレーター地形の約40%が残っています

御池山隕石クレーター付近より眺める雲海

しらびそ峠から車で30分程で辿り着く下栗の里

下栗の里は
南アルプスから伸びる尾根に拓かれた高原の地
下栗の里は標高800~1100m、「日本のチロル」と
表現されるほどの絶景地です
2009年に「にほんの里100選」に選ばれました

紅葉と雲海と青空の三拍子揃った絶景の下栗の里
プロの写真家もなかなか撮れない素晴らしい絶景に
たまたま出会えた感動的な風景でした

開田高原地蔵峠展望台から眺める木曾の御嶽山

展望台から眺める木曾御嶽山の雄姿

開田高原地蔵峠にあるお地蔵様

開田高原地蔵峠について記されている古い案内板

開田高原地蔵峠

開田高原地蔵峠付近より眺める錦秋の木曾御嶽山の雄姿



開田高原地蔵峠付近より望む木曾御嶽山


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絶景が広がる眺めの良い峠前編

2024-02-12 15:01:02 | 登山に通った峠道
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訪れた峠道を少し振り返ってみたいと思います
印象に残った絶景が広がる峠、歴史を感じる峠、最も美しかった峠等
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今回の振り返り記事は絶景が広がる眺めの良い峠前編をお届けしたいと思います

御坂峠(みさかとうげ)から眺める秀麗富士山

御坂峠(みさかとうげ)からの絶景
「御坂峠」の呼称は御坂隧道の富士吉田側入り口地点(標高1300 m)
付近を指すようになる
また、古道の峠を「旧御坂峠」、御坂隧道の峠を「新御坂峠」と
分けて呼称する場合もある

御坂峠にある天下茶屋



御坂峠にある天下茶屋から眺める富士山
太宰治の「富嶽百景」の舞台となった天下茶屋

御坂峠(みさかとうげ)から眺める秀麗富士山

紅葉の御坂峠(みさかとうげ)と御坂トンネル

尻吹(しりふき)峠から望む奥会津大志集落

尻吹峠から望む只見川峡谷の絶景

尻吹(しりふき)峠から望む奥会津大志集落

只見線の絶景スポット
小さな大志集落は峡谷の狭い台地に寄り添うようにひしめく 
赤と青だけの屋根が夕日で金色に染まりながら、
いにしえの絵画のように広がっている

夜叉神峠(やしゃじんとうげ)は、山梨県南アルプス市にある峠
標高は1,770メートルで、日本第二位の高峰・北岳を含む白峰三山の
展望ポイントとして知られており、多くのハイカーで賑わう

夜叉神峠付近より眺める南アルプス白峰三山

夜叉神峠(やしゃじんとうげ)

夜叉神峠付近より眺める南アルプス白峰三山
峠からは白峰三山(北岳、間ノ岳、農鳥岳)の眺望が
素晴らしく、撮影ポイントとして訪れる人も多い


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陽だまりの荒川サイクリングロード2024後編

2024-02-08 14:57:10 | 日記
こんにちは!
2024年1月31日 春の訪れの陽気に誘われて
荒川沿いのサイクリングロードを走ってきました
真冬というのに気温13度近くの温かさです
今回の記事は陽だまりの荒川サイクリングロード後編と題しまして
途中、立ち寄った三ツ又沼ビオトープの景観をお届けしたいと思います

三ツ又沼ビオトープの景観
西には入間川、東には荒川という大河が流れています
その昔、荒川は上尾市浅間山南付近で流路を西に変え、
入間川と合流しまさに「三ツ又」になっていました
そのため周辺住民は常に氾濫、洪水に悩まされていました
1932(昭和7)年ごろから入間川と荒川の合流点を
付け替える工事が始まり、
1954(昭和29)年ごろまでに合流点が
現在のずっと南の上江橋付近に付け替えられました
昔の合流点にポツンと残ったのが三ツ又沼なのです

三ツ又沼ビオトープの見所が書かれた案内板

三ツ又沼ビオトープ内は木道が引かれています
木道の上はサイクリング車の走行は禁止です
ゆっくりと転がしながら散策します

冬場の平日は散策する見学者はほとんと見当たりません!
野鳥の撮影に訪れたカメラマンさんが池の側にいるだけでした

ビオトープの植物について記されたイラスト

ビオトープ内に生息する昆虫ついて記されたイラスト

ビオトープ内には水生植物や湿地性の植物が豊かに茂り、
様々な野鳥やトンボ類が暮らし、
メダカやスミレなどかつて身近に見られた動植物のほかにも、
ミクリ、エキサイゼリ、ハナムグラなどの希少な
植物も多く確認されています





三ツ又沼は、埼玉県上尾市、川越市、川島町の境に位置する、
荒川と入間川のかつての合流点付近の旧流路の一部です



ビオトープ内に残されている自然散策の遊歩道

入間川と荒川の合流点が沼として残っています
ここに野鳥の撮影に訪れたカメラマンさんが群がっていました
カワセミなどの撮影ポイントになっているのでしょうか?

三ツ又沼ビオトープ入口にある場内案内図
ビオトープ内の自転車、バイクの走行は禁止と書かれています

三ツ又沼ビオトープを後に荒川の橋を渡り自宅へと戻ります


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