気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

御斎峠(おとぎとうげ)家康が本能寺の変で避難した峠

2024-07-15 13:36:15 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は滋賀県甲賀市信楽町多羅尾と三重県伊賀市西山町を結ぶ峠
御斎峠(おとぎとうげ)を取り上げてみたいと思います

御斎峠(おとぎとうげ)は、滋賀県甲賀市信楽町多羅尾と
三重県伊賀市西山町を結ぶ峠
於土岐、於登岐、御伽とも表記する
昔から近江では伊賀・伊勢道、伊賀では
京道(京街道)と呼ばれていた   標高は570m
峠の名前の由来は、「三国地志」によると、
鎌倉・南北朝時代の禅僧、夢窓疎石(夢窓国師)が訪れた際、
この峠で村人のお斎(接待)を受けたことによるという
1582年、本能寺の変の後、摂津国にいた徳川家康が
三河国岡崎城へ帰還するため、宇治田原から滋賀へ抜ける
経路としてこの峠を使ったといわれる
案内した多羅尾光俊は、この功によって明治まで長い間、
多羅尾領を押えていた

御斎峠(おとぎとうげ)付近の景観

御斎峠(おとぎとうげ)より伊賀方面の街並みを眺める

御斎峠より伊賀越えの景観



伊賀方面より御斎峠(おとぎとうげ)を眺める

御斎峠(おとぎとうげ)跡石碑
この峠は、伊賀と甲賀を結ぶ峠で、
あの『徳川家康』が本能寺の変の際、急ぎ伊賀の国を切り抜け、
船で三河国へ渡る際に越えたと言われる峠です
これが、「伊賀越え」と言われており、
小説や映画の『梟の城』にも登場します





御斎峠(おとぎとうげ)にある石碑

御斎峠(おとぎとうげ)にある石碑
「本能寺の変」の報
堺に宿泊中であった家康は、6月2日の朝上洛しようとしていましたが、
京都から急ぎやって来た茶屋四郎次郎から、
事件の一部始終を知らされました
茶屋は情報収集のために家康が京都においた呉服商です
この畿内への旅は出陣ではなかったので、
家康周辺には少数の供しかいませんでした
しかも、明智光秀は信長との同盟者として
家康の命を狙って来るのは当然で、
本国へ通じる近江国の主要街道は押さえられていました
家康としては落武者狩りの危険を冒しても、
脇道を通って本国に至る逃避行をせざるを得なくなったのです
ただ、最短距離で伊勢湾に至る伊賀国は、
織田信長が前年に徹底的に攻撃し、全滅させた
「天正伊賀の乱」の地でした信長の死を知って、
反信長勢力が息を吹き返しており、
家康としてはなるべく伊賀国を通りたくなかったのが本音でした

御斎峠より三重県伊賀市方面を眺める

御斎峠より三重県伊賀市方面を眺める

御斎峠より滋賀県甲賀市方面を眺める

御斎峠から滋賀県甲賀市に下ってきました
この地域は多羅尾の名称が多く見られます
御斎峠より奈良県、大阪府との境
日本の酷道と言われる暗峠へ向かいました


最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう



コメント
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