気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

近世五街道の中山道笠取峠

2022-12-27 12:29:00 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は長野県北佐久郡立科町と長野県小県郡長和町との境にある
旧中山道の笠取峠を掲載してみたいと思います

笠取峠 (長野県)(かさどりとうげ) 記念碑
笠取峠 (長野県)は
長野県北佐久郡立科町と長野県小県郡長和町との境にある、
旧中山道および国道142号の峠  標高は900m
芦田宿と長久保宿の間にあり、旅人が上り坂で暑さと疲れのあまり、
皆いつの間にか笠を取っていることから笠取峠と呼ばれるように
なったと伝えられる 松並木が残り往時の面影を留めている

笠取峠手前にある道標

信州長和町周辺の案内図

笠取峠 峠の茶屋が見える

信州立科町側に設置されている笠取峠記念碑
この峠道は、近世五街道の1つ中山道の笠取峠である
徳川政権は、関が原の戦い後の慶長6年(1601年)
東海道に伝馬制を実施し、翌7年には中山道にも着手した

信州立科町側より眺める笠取峠長和町方面

笠取峠より眺める信州立科町方面

笠取峠から立科町方面1.3キロメートル下った所にある
国道142号沿いの笠取峠マツ並木案内板

笠取峠マツ並木は
徳川秀忠は、慶長九年(1604)諸街道の改修、一里塚の設置とともに
街道に樹木を植えさせて並木をつくらせた
この幕府の植樹政策によって街道の並木は全国的な広がりをみせ、
松・杉のほかに樫・榎・漆などが植えられた
特に箱根や日光の並木は、「昼尚暗き」杉の並木として広く知られている
笠取峠のマツ並木は、近世五街道の一つ
中山道芦田宿の西方1キロメートル地点から笠取峠にかけて
約2キロメートルにわたっている
言い伝えでは慶長七年頃、公儀より赤松苗753本を小諸藩に下付され、
近隣の村へ人足が割り当てられ小苗を植え付けたとされ、
幕末まで手入れ・補植等管理されていた
現在、松の総本数はおよそ150本で、その内、
約60本の松の樹齢は150~300年以上経たものである
その景観は往時の中山道をしのばせてくれるみごとなものである

笠取峠マツ並木にある道標

笠取峠松並木の由来が書かれている案内板

笠取峠マツ並木
この峠道は、近世五街道の1つ中山道の笠取峠である
徳川政権は、関が原の戦い後の慶長6年(1601年)
東海道に伝馬制を実施し、翌7年には中山道にも着手した



旧中山道の風情を感じることができる閑静なマツ並木



歌川広重の「木曽街道六十九次」芦田宿に描かれている中山道の名所である

往時の中山道をしのばせてくれるみごとな松並木です



最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう






コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 歴史ある中山道の要衝和田峠... | トップ | 妻の実家名栗でお家キャンプ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

登山に通った峠道」カテゴリの最新記事