気ままなピークハンターズの山旅

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源頼朝が万騎の兵を従えて越えたとされる伝説の万騎峠

2022-09-02 12:19:36 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は吾妻郡吾妻町と長野原町 古の伝説の町境
万騎峠を掲載してみたいと思います

吾妻郡吾妻町側の万騎峠入口

万騎峠入口にあった7km先通行止の看板
雨が降り出し、万騎峠への通行を確認するため翌日に延期することにしました

翌日、全面通行止は万騎峠より長野原北軽井沢方面とわかり
万騎峠へと向かいます

吾妻郡吾妻町と長野原町の町境万騎峠に到着

東吾妻町万騎峠線終点

樹齢500年以上の万騎峠「大ブナの木」
古来から峠を越える旅人や人馬の往来を見守り続けたブナ古木

万騎峠の景観

万騎峠の由来を書いた標識
吾妻郡吾妻町と長野原町の町境にある峠、菅峰南方1.2kmほどの尾根にあり、
標高1,281m かっては信州街道の須賀尾宿(吾妻町)と狩宿宿(長野原町)の中間に位置し、
草津への湯治客、善光寺参りなどの旅人のほか、
北信州の飯山・須坂・松代藩の江戸出し城米をはじめ、
信州の特産物であるソバ・大豆・小豆の輸送、
白根山や万座山から幕府の火薬製造原料となった
硫黄の輸出などで人馬の往来も多かったが、
明治二六年信越本線の開通によりさびれ
今は訪れる人もほとんどいない
頂上にはブナの古木があり、旅人の目印になったと言う

万騎峠の由来
伝説によると源頼朝の三原・那須の狩りの際、狩宿の地に宿泊ののち、
頼朝が万騎の兵を従えて峠を越えたことに由来します
また別名を万字峠とも言われ、前記狩りの峠越えのときに、
山中の狐や狸が勢子(せこ)に化けて行列にはいって邪魔をするので、
陣笠に卍の印をつけて越したことから卍(まんじ)峠といったのが、
いつのまにか、万字・万騎となってしまったという伝説もあります
この万騎峠は、吾妻町と長野原町の町境に位置し、
かつては草津の湯治客や善光寺参りの旅人の往来が多かったそうです
また、蕎麦、大豆、硫黄などの交易の道でもありました
しかし明治26年の信越本線開業により廃れてしまいました
しかし、今は、新しい道路ができていますが、ここを通る車は、めったにあらわれません

万騎峠より長野原北軽井沢方面を眺める

長野原北軽井沢方面 全面通行止看板

長野原北軽井沢からの万騎峠入口案内板

長野原北軽井沢から4km先通行止案内板
北軽井沢より天気の良い日にもう一度絶景を見に訪れてみたいと思います



最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう


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