気ままなピークハンターズの山旅

日本百名山の頂と風景や国内旅行を中心とした絶景を掲載致します

三国峠(みくにとうげ)新潟県と群馬県の県境峠道

2023-05-28 12:15:09 | 登山に通った峠道
こんにちは!
日本の峠は約3773件存在するそうです
かつて、山登りでいったいどのくらいの峠を越えていったのでしょうか?
よっぽど印象に残った峠道以外は>ほとんど素通りして記録に残っていないのが現状です
年のせいでしょうか 人生の峠道 苦労しながら越えて行った峠道、
車に乗り難なく越えて行った峠道、人生の岐路にさしかかり思い出しております
峠(とうげ)とは、山道を登りつめてそこから下りになる場所
山脈越えの道が通る最も標高が高い地点である
今回の記事は新潟県と群馬県の県境三国峠(みくにとうげ)を
掲載してみたいと思います

三国峠(みくにとうげ)標高1,244mの峠
峠上にある三国権現(三坂神社・御坂神社・三阪神社・三社明神などとも呼ばれる)

三国トンネル手前にある駐車スペースからの景観

駐車スペースから三国トンネルへ進む

三国新トンネルと三国旧トンネルが並ぶ
関越自動車道(関越トンネル)の開通により交通量は再び減少した
ただし、燃料や一部の薬品などの危険物を搭載した車輌は
関越トンネルの通行が禁止されているため、現在でもこの峠を経由している
バブル景気(スキーブーム)のころには、
月夜野ICから苗場スキー場に向けてスキーヤーの車で大渋滞した
三国トンネルの老朽化などに伴い、
2022年3月19日からは新三国トンネルが供用されている

三国峠へは三国新トンネル入口付近に三国峠への登山道有

三国新トンネル構内入口付近に三国峠登山道出入口有

三国旧トンネル(現在通行止)
この旧トンネル真上に旧三国街道の上越国境三国峠がある

三国旧トンネル脇の登山道を三国峠へ向けて進む



緑の回廊のような登山道を進む





三国峠へあと1㎞

いにしえの旧三国街道分岐に到着 三国峠へあと500m

上杉謙信ゆかりの新潟県と群馬県の県境三国峠に到着


峠上にある三国権現
三国峠(みくにとうげ)は、日本の新潟県南魚沼郡湯沢町と
群馬県利根郡みなかみ町の境を越える標高1,244mの峠
日本海側と太平洋側を隔てる中央分水嶺上
(越後山脈・三国山脈・谷川連峰)に位置しており、
新潟県と群馬県の県境(上越国境)であるだけでなく、
文化・習俗・言語・風習・食文化から気象に至るまで
様々な境界として機能している
戦国時代の頃は峠を挟んで越後の上杉氏と関東の北条氏が
睨み合った歴史を持つ 上杉謙信の関東遠征のための峠越えを特に
「越山」と称し、直越(清水峠)、土樽越(両山越・蓬峠)と
並んで軍事的な要衝として重要視された

江戸時代には越後と江戸を最短距離で結ぶ三国街道の一部として整備され、
米や紬、縮(越後上布)といった越後の様々な産物や
佐渡へ送られる罪人・無宿人(水替人足)などの輸送経路として、
また越後諸藩の参勤交代の大名行列が通るなど賑わったが、
冬期の積雪、雪崩、夏場の集中豪雨による土砂災害や
山岳地帯特有の気象の急激な変化など難所であった

三国峠に建つ周辺の案内図

三国峠を越えた名だたる人々が刻まれた石碑
三国峠歴史
中世以前 三国権現の縁起に坂上田村麻呂が、法師温泉の開湯伝説に弘法大師(空海)の名が残る
1486年(文明18年)
道興准后が三国峠を越える(『廻国雑記』)
尭恵法印が三国峠を越える(『北国紀行』・三国峠の文献における初出)
1488年(長享2年) - 万里集九が三国峠を越える(『梅花無尽蔵』)
戦国時代 関東管領となった上杉謙信が、関東への足がかりとして整備
上杉氏の会津移封の後、堀直寄によって改良が進められる
江戸時代 佐渡島への主要道路として、江戸幕府が整備
元文5年2月5日 - 越後長岡藩の藩士7名と人足4名が罪人の移送中、雪災にあい遭難
1818年(文政元年)卯月 - 十返舎一九が越える
幕末の戊辰戦争の際には、三国峠の戦いが起こった



最後まで御覧頂きありがとうございます
次の投稿までご機嫌よう

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 六十里越(ろくじゅうりごえ... | トップ | 群馬県と長野県の県境でカモ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

登山に通った峠道」カテゴリの最新記事