てなわけでひさびさ早起き。というか睡眠剤飲み忘れた
だけなんでありますが。
ぼけっとしてたまに服用し忘れると、安定剤と抗鬱剤の
効き目というのはハッキリと実感できますな。なんかこぉ、
頭が普段と比べて妙に鋭敏になったような錯覚。こう書く
となんかポジティヴでありますが、実のところをいえば「頭
が鋭敏=妄想抱きやすい。不安を感じやすい」ということ。
多少頭がぼんやりとしていた方が人間つーのは正常なの
かもしれません。しかも「錯覚」だし。
「俺は頭がハッキリしている」と感じること自体、「誇大妄
想」のやや手前なわけで。「世の中のことを全部わかった気
になる」というのがいちばん危ないアレなんでしょうな。20
代前半にはありがちなことでありますが、それが40才過ぎ
てまで続いていたらやっぱりデンジャラス。「机上の論理」と
「世の中の実態」というのは、合致しないことが99%以上で
しょうから。
わたしのように「人生の密度」が発泡スチロール並みにス
カスカの人間でもそう思うんですから、さまざまな経験をし、
いろんなことを「肌で知っている」人間には、上記のような誇
大妄想は、まあアホらしくて屁も出ないに相違ありません。
でもネットの普及によって、案外その手の人間が多いことが
わかってまあなんと言うか。自分自身を棚に上げて言うなら
ば、逆に、その手の人間だからこそ「ネットによる自己表現」
というのにハマってしまうのかもわかりません。昔ならこの手
のことを世間に訴えるには自費出版しか方法がなかったわけ
で。あれはお金がけっこうかかるらしいですし。
しかもネットの場合、言葉の使い方によっては結構他者の
反応を呼び込むこともできますし。町へ出て拡声器使って、
「わたしは世界を統括する真理をついに発見しました。アイン
シュタインは間違っている!」と叫んでも、反応する人間は皆
無でしょうけども(かかわりあいになるの怖いしね)、ネットだと
すぐに反応が返ってくる場合もありうる。町中で反応する場合
と異なりある程度の距離が保てるから。反応されれば、それ
が「罵倒」でも「誤解釈の部分に関する冷静かつ親切な指摘」
でも同じように嬉しくなったりする。なぜならば、目的は「真理
の啓蒙とそれによるリスペクトの獲得」なんてものじゃなくて、
「自己の存在を他者、それもなるべく多くの人間に知ってもらう
こと」だから。
ここまで書いてきたところで某掲示板の某固定ハンドルの方
が、頭に浮かんできました。その方、数回テレビに出たことを幾
度も幾度も自慢げに書いておられましたが、つまりはテレビ出
演の方がネットよりもさらに上記の目的にかなっているからであ
りましょう。視聴率0.1%くらいの番組でも、それを視聴する人
間はたぶん十万単位、ブログなどとは比較になりません。
「目立ちたい」「他者に認められたい」という欲望はむしろごくあ
りふれたもので、たしかマズローの段階説でも語られていた記
憶がぼんやりとありますが、それも行過ぎると破滅の元、日本
人は和を重視なわけであります。つーか、こんな益体もないこと
を長々とつづるなんて。本日の教訓は、「医師に処方された薬剤
は、ちゃんと指示通り飲まないといけない」。おあとがよろしいよ
うで。
だけなんでありますが。
ぼけっとしてたまに服用し忘れると、安定剤と抗鬱剤の
効き目というのはハッキリと実感できますな。なんかこぉ、
頭が普段と比べて妙に鋭敏になったような錯覚。こう書く
となんかポジティヴでありますが、実のところをいえば「頭
が鋭敏=妄想抱きやすい。不安を感じやすい」ということ。
多少頭がぼんやりとしていた方が人間つーのは正常なの
かもしれません。しかも「錯覚」だし。
「俺は頭がハッキリしている」と感じること自体、「誇大妄
想」のやや手前なわけで。「世の中のことを全部わかった気
になる」というのがいちばん危ないアレなんでしょうな。20
代前半にはありがちなことでありますが、それが40才過ぎ
てまで続いていたらやっぱりデンジャラス。「机上の論理」と
「世の中の実態」というのは、合致しないことが99%以上で
しょうから。
わたしのように「人生の密度」が発泡スチロール並みにス
カスカの人間でもそう思うんですから、さまざまな経験をし、
いろんなことを「肌で知っている」人間には、上記のような誇
大妄想は、まあアホらしくて屁も出ないに相違ありません。
でもネットの普及によって、案外その手の人間が多いことが
わかってまあなんと言うか。自分自身を棚に上げて言うなら
ば、逆に、その手の人間だからこそ「ネットによる自己表現」
というのにハマってしまうのかもわかりません。昔ならこの手
のことを世間に訴えるには自費出版しか方法がなかったわけ
で。あれはお金がけっこうかかるらしいですし。
しかもネットの場合、言葉の使い方によっては結構他者の
反応を呼び込むこともできますし。町へ出て拡声器使って、
「わたしは世界を統括する真理をついに発見しました。アイン
シュタインは間違っている!」と叫んでも、反応する人間は皆
無でしょうけども(かかわりあいになるの怖いしね)、ネットだと
すぐに反応が返ってくる場合もありうる。町中で反応する場合
と異なりある程度の距離が保てるから。反応されれば、それ
が「罵倒」でも「誤解釈の部分に関する冷静かつ親切な指摘」
でも同じように嬉しくなったりする。なぜならば、目的は「真理
の啓蒙とそれによるリスペクトの獲得」なんてものじゃなくて、
「自己の存在を他者、それもなるべく多くの人間に知ってもらう
こと」だから。
ここまで書いてきたところで某掲示板の某固定ハンドルの方
が、頭に浮かんできました。その方、数回テレビに出たことを幾
度も幾度も自慢げに書いておられましたが、つまりはテレビ出
演の方がネットよりもさらに上記の目的にかなっているからであ
りましょう。視聴率0.1%くらいの番組でも、それを視聴する人
間はたぶん十万単位、ブログなどとは比較になりません。
「目立ちたい」「他者に認められたい」という欲望はむしろごくあ
りふれたもので、たしかマズローの段階説でも語られていた記
憶がぼんやりとありますが、それも行過ぎると破滅の元、日本
人は和を重視なわけであります。つーか、こんな益体もないこと
を長々とつづるなんて。本日の教訓は、「医師に処方された薬剤
は、ちゃんと指示通り飲まないといけない」。おあとがよろしいよ
うで。