この映画、筋書きだけ読むと感動しそうではありますが。
職場の知り合いの方、奥さんと一緒に行こうと誘ったら断ら
れたという。「こんな、死ぬ間際に初恋の女に会いに行くよう
な不誠実な男の出てくる映画なんか見たくない」と。奥さまの
立場にしてみれば至極真っ当な理屈であります。
男女逆にして考えてみればよろしい。長年連れ添ったカミサ
ンが、不治の病におかされたとする。ところがカミサン、残され
た短い月日をダンナと一緒に過ごそうとはせず、初恋のひとや
ら喧嘩別れした友人と会うことで時間を消費する。許せるかこ
れ。「相手のことを考えてれば許せるはずだ」とかいう、そうい
う問題ではないと思うのだが。実質的に夫婦関係が破綻して
ないと、こんな行動は起こさないような感じがする。実際に妻
や夫がいる人間は違う感じ方をするのだろうか。
まあ、実際に映画見てみればその点はきちんと「だまされる」
ように描かれているんでしょうが。実在の女性はそんなに男の
都合のいいよう動きはしないんじゃなかろうか。短い余命を知り、
「苦労かけるだろうが、一緒に生きてくれ」と頭下げる男ならまだ
しも、うやむやのうちに亭主の行動のすべてをわだかまりなく許
すなんてありえないのではないか。
やっぱり人間、「いつも自分の都合のいいように動いてくれる
異性」の存在を願うのは、当然というか当たり前というか、普遍
的なものなのかもしれません。若いオタクが生身の女性と距離
をとり、二次元美少女に耽溺するのもしかり、「愛の流刑地」人
気で、日経新聞の部数が伸びたというのもしかり。自分が勝手
なことをしても、すべて許してしかもこころから愛してくれる異性
の存在。なにやっても怒んないんだからそれはもうやりたい放
題。いや、こういう存在は現実においてはむしろ歪んだ関係で
あろう。
地に足つけて生きていくのがもっとも肝心。相手の気持ちを類
推し、「こんなことをすれば嫌がるだろう」「こういうことをすれば喜
ぶだろう」と常に考え、嫌がるであろうことはやめ喜ぶであろうこ
とは実行する。そうすりゃすべて円満におさまると思うのだが、や
っぱり人間、自己の利益を考えちゃうからなあ。自分の支払った
コストに見合うベネフィットが得られないと、イライラするのは仕方
のないことなのかもしれない。
問題は、「自分の支払ったコストは大きく見え、それにより得たベ
ネフィットは小さく見えがちだ」ということなのだな。「俺はこれほど
つくしてやったのに・・・」のたぐいの女々しい台詞の源泉。このたぐ
いの台詞だけは、一生言わずに生きていけたらと本当に思ってい
る。難しいことなのはわかっちゃいるが。
職場の知り合いの方、奥さんと一緒に行こうと誘ったら断ら
れたという。「こんな、死ぬ間際に初恋の女に会いに行くよう
な不誠実な男の出てくる映画なんか見たくない」と。奥さまの
立場にしてみれば至極真っ当な理屈であります。
男女逆にして考えてみればよろしい。長年連れ添ったカミサ
ンが、不治の病におかされたとする。ところがカミサン、残され
た短い月日をダンナと一緒に過ごそうとはせず、初恋のひとや
ら喧嘩別れした友人と会うことで時間を消費する。許せるかこ
れ。「相手のことを考えてれば許せるはずだ」とかいう、そうい
う問題ではないと思うのだが。実質的に夫婦関係が破綻して
ないと、こんな行動は起こさないような感じがする。実際に妻
や夫がいる人間は違う感じ方をするのだろうか。
まあ、実際に映画見てみればその点はきちんと「だまされる」
ように描かれているんでしょうが。実在の女性はそんなに男の
都合のいいよう動きはしないんじゃなかろうか。短い余命を知り、
「苦労かけるだろうが、一緒に生きてくれ」と頭下げる男ならまだ
しも、うやむやのうちに亭主の行動のすべてをわだかまりなく許
すなんてありえないのではないか。
やっぱり人間、「いつも自分の都合のいいように動いてくれる
異性」の存在を願うのは、当然というか当たり前というか、普遍
的なものなのかもしれません。若いオタクが生身の女性と距離
をとり、二次元美少女に耽溺するのもしかり、「愛の流刑地」人
気で、日経新聞の部数が伸びたというのもしかり。自分が勝手
なことをしても、すべて許してしかもこころから愛してくれる異性
の存在。なにやっても怒んないんだからそれはもうやりたい放
題。いや、こういう存在は現実においてはむしろ歪んだ関係で
あろう。
地に足つけて生きていくのがもっとも肝心。相手の気持ちを類
推し、「こんなことをすれば嫌がるだろう」「こういうことをすれば喜
ぶだろう」と常に考え、嫌がるであろうことはやめ喜ぶであろうこ
とは実行する。そうすりゃすべて円満におさまると思うのだが、や
っぱり人間、自己の利益を考えちゃうからなあ。自分の支払った
コストに見合うベネフィットが得られないと、イライラするのは仕方
のないことなのかもしれない。
問題は、「自分の支払ったコストは大きく見え、それにより得たベ
ネフィットは小さく見えがちだ」ということなのだな。「俺はこれほど
つくしてやったのに・・・」のたぐいの女々しい台詞の源泉。このたぐ
いの台詞だけは、一生言わずに生きていけたらと本当に思ってい
る。難しいことなのはわかっちゃいるが。