MOONの似顔絵エッセイ

似顔絵師MOONです。
似顔絵よもやま話をぼちぼちと書いていきます。

どうせ、生きるなら

2006年01月13日 | 似顔絵
新潟でブライダルプロデュースHIROを主宰し活躍している
相馬弘子さんは、4年連続毎年ホノルル・マラソンに参加している。
4年前、ホノルルで車いすレースの実力者 廣道 純さんと始めて会った。
その日から廣道さんの人柄とオーラに魅せられ熱烈なフアンになった。
廣道さんは身体障害者であるが、「夢おい人」である。
北京で行われるパラリンピックで金メダルを目指しているアスリートだ。
車イスレースでの実績は活目すべきものがある。
32歳という若さであるが、大分県の名誉県民でもあるのだ。

廣道さんに新潟にきてもらうことを夢見てきた相馬さんも「夢おい人」である。
夢を夢のままに終わらせない。夢を実現しようとする情熱をもっている。
その夢が実現することになった。下記の情報が相馬さんからメールで届いた。
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2月10日(金)午後17時半~受付 18時講演会
場所 万代シルバーホテル 3階柳江苑(中華)
参加費 ¥5000(食事付)講演後親睦会です。
演題 「どうせ、生きるなら」出版の本のタイトルと同じです。
先着50名です。もうすでに申し込みが沢山きています。

1月25日の「新潟KOMACHI」・「くるまる」等に記事がでます。
1月25日・2月1日には「新潟情報」にもでます。
車椅子可・手話通訳相談応です。気兼ねなく起こしください。
お問い合わせは・・・・・・ブライダルプロデュースHIRO
             代表 相馬弘子
             TEL 025-248-1045
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新潟は車いすレースにはなじみがない。
64年生きてきたが、私も車いすレースを見たことがない。
たぶん新潟は身体障害者には優しくないのかも知れない。
車いすレースはかなりのスピードが出るレースだが
新潟市内では、車レースに使える道路に問題があるようだ。

新潟は地震や水害に打ちのめされ、さらに大雪災害で痛めつけられている。
だからこそ、廣道さんから新潟にきてもらって
「新潟に勇気と元気を与えたいと」いう相馬さんの熱い想いが通じて、
廣道さんを動かし、今回講演会という形で実現することになったのだろう。

「ともかく身体障害者という暗いイメージが廣道さんにはないんです。
廣道さんには、オーラがでているんですよ」と相馬さんは熱く語る。
新潟に廣道さんを呼ぶことができれば、身体障害者だけではなく
健常者も廣道さんに勇気をもらえるだろうなと私も思う。

昨年6月1日に当ブログに「廣道純さんの結婚」を書いた。
廣道さんはハワイで昨年結婚式を挙げ、5月28日に福岡で結婚披露宴を開催した。
この結婚披露宴をプロデュースしたのは相馬さんだった。
5月1日に、相馬さんから廣道さんご夫婦へ「ウエルカム色紙」を、
廣道さんのご家族に「サンクス色紙」を贈りたいということで
私が依頼を受けて、2枚の色紙に似顔絵を描かせていただいた。
廣道さんとご家族からは、喜んでいただいたようである。
掲載したイラストはその時の「ウエルカム色紙」である。

■ 蛇足 & 宣伝 ■
「似顔絵工房MOON」には複数の似顔絵スタッフがいます。
個性が違う絵柄を見たうえで、お好きな絵柄の作家を指名することができます。



新潟初!中年お笑いコンビ

2005年11月22日 | 似顔絵
新潟から中年お笑いコンビが誕生した。
新潟お笑い集団NAMARAの中年部に所属し
コンセプトは「笑いで世界を救う」である。
コンビの芸名は「笑いま商会・ラブとコバ」

ますます殺伐としてきた現代の社会の中にあって、
機知とユーモア、ボケとツッコミで笑いを提供していこうという
二人の勇気と心意気にエールを送りたい。
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中年お笑いコンビ「ラブとコバ」二人のプロフィールをご紹介しよう。

●白倉貴美江
(しらくらきみえ)1944年7月6日生まれ 新潟県五泉市出身
結婚後、夫の転勤にともない転居11回、現在は新潟に落ち着く。
その間、主婦業、手芸講師、ボランティアを経て
ホームヘルパー歴15年。娘2人、孫4人。
還暦を過ぎてお笑いの世界に目覚める。よろしくね。

●小林秀伸
(こばやしひでのぶ)1948年3月8日生まれ 新潟県新潟市出身
印刷業一筋、かたわら少年サッカークラブ(新通イーグルス)旗揚げし、
代表として18年経過。趣味は酒、カラオケ、オーディオ、
アマチュア無線(JIφ0WG)。退職後、姫との出会いがあり、
笑いの世界にたらかされ、アップアップしています。(トホホ)
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敬老会、地域の茶の間、自治会、お誕生会、各種イベントに
お声がかかれば、どこへでも参上いたします。
司会、漫才、お話相手・・・などなどにご利用ください。
なんと出張無料。



似顔絵まいどぼーど

2005年09月23日 | 似顔絵
紙ひも細工の達人Fさんはの本職はコックである。
中華料理のお店「舟和」を奥さんと一緒に30年間切り盛りしてきた。
Fさんとは何回かお会いしているが、生Fさんとお会いする前に
私はFさんの似顔絵を描いている。
その経緯については、当ブログに6月25日に「続・サンクスボード」で書いた通りである。
興味がある人はみていただきたい。
Fさん58歳、私64歳、この初老の二人を結びつけるきっかけとなったのが
なんとインターネットなのである。

私が描いた似顔絵は、描いた本人が言うのもヘンだが、生Fさんにそっくりだ。
彫りが深く、役者のような味のある顔をしている。
Fさんの人柄が似顔絵にも反映されていると思っている。

コックや板前はお店の味を決める重要な役を担っている存在である。
にもかかわらず、お客様の前に顔を出す機会が意外に少ない。
私はコックや板前の似顔絵を、お店に飾ることを提唱している。
この趣旨については7月19日に当ブログで「店主の顔はオンリーワン」
で書いたとおりである。

この名称について何と呼ぶべきかを考えてきた、適切な名前が欲しい。
考えた結果「似顔絵まいどぼーど」と命名した。一発で理解できる名称だと、
自分では気に入っている。
この度Fさんというユニークな人とお会いできたことを機縁に
Fさんの中華料理のお店を想定して「似顔絵まいどぼーど」を勝手に作ってみた。
この作品をFさんのお店のどこかに飾って欲しいと思い、贈呈させていただいた。

「米どころ新潟」と言えば全国的にも定着しているフレーズだ。
私は新潟市坂井という町に住んでいる。我が家の周辺には田園があり
静かな住宅地である。近年我が家周辺の田んぼは開発という美名のもとに
どんどん埋め立てられて、宅地造成され、住宅地になっている。
大型ショッピングセンターも建設された。

何もこれは我が家の周辺だけのことではない。新潟市の近郊近在の田んぼが
どんどんつぶされている。日本の農政は一体どうなっていくんだろう。
「米どころ新潟」のフレーズは、やがて返上しなければならなくなる
のでは、と思うのは私だけのとり越し苦労なのだろうか。
資本力にものを言わせて大型ショッピングセンターもどんどん進出している。
大量の消費者を呼び込むための、広い駐車場を設けている。

市街地にはコンビニ、ドラッグストア、レンタルショップ、書店、
レストラン、回転寿司、ラーメン店・・・・
いわゆるフランチャイズの店が進出してきている。系列化という
名のもとに、大資本に組み込まれていく中小のお店、あるいは廃業を
余儀なくされるお店がある中で、昔ながらのお店を守って必死に
頑張っているお店もある、が実態は青息吐息状態のお店が大半。

大型ショッピングセンターやフランチャイズのお店と共存共栄し、
地元商店街が活性化しているところもあるのかも知れないが、
そのような商店街はむしろ例外だとみる方がいいだろう。
新潟市、その周辺の町の地元商店街は元気がない。悲しいかな
地元商店街を歩いてみるとシャッタショップがやたらと目につくのだ。

一匹狼的お店にエールを贈りたい。
これは、心情的に私自身が一匹狼という意識があるからなのだろう。
とにもかくにも、地元商店街には必死こいて頑張ってほしい。
そのためには、お店のポリシーを明確にすることだ。
ナンバーワンではなくオンリーワンの店にしていこう。
お客様との接点を積極的に構築して、信頼感、親近感を勝ち取ることだ。
頑固ものだったら、頑固を売りにしていけばいい。
他の店にはない特徴を出していってほしい。

その手段として店長の顔、コック、板前の顔をもっと前に出すことだ。
といっても、仕事の現場を切り盛りしているコックや板前は
お客様が来るたびに顔を見せにくることは現実的ではない。
そこで、似顔絵の登場となる。
写真ではナマナマしすぎる。やはり似顔絵がいいのだ。
「似顔絵まいどぼーど」をお店に飾ろう。

固定客を増やし、一度お店にきたお客様には
確実にリピーターになってもらうこと。これは商売の鉄則だ。
そのためにはお客様に媚びを売る必要はないが、
お客様から愛される店にしていかなければ生き残っていくことはできない。
しかし、自分の顔をさらすようなことは考えられない、と思っているコック、
板前、店主が多いことことだろう。特に新潟の人はシャイな人が多い。
その観念は捨てて欲しい。おつに済ませていればいい時代は終わった、と考えよう。
ともかく大型ショッピングセンターやフランチャイズには
負けない心意気誇りを、似顔絵に託して、堂々と店内に飾ろう。





似顔絵講座(3)

2005年08月05日 | 似顔絵
似顔絵は講義を聴いただけでは上手くならない。
上手くなるためには実習は不可欠な訓練である。
「現在・過去・未来」という課題については
当ブログで、すでに書いたあるので参照していただきたい。
この作品は、学生と一緒になって私自身が自分の顔を描いた作品である。
14歳、20歳の顔は、写真をもとに描いた。
60歳の顔は、鏡を見て描いた現在の顔である。

実習課題として、まずこの課題「現在・過去・未来」を学生に
やっておもらうことにする。人間の顔は、年齢と共に変化する。
それを自分の顔をモデルにして、描いてみようという実験的な課題である。
1日目、2時間の講義のあとで、スケッチブックを三分割し、
学生に鏡を見ながら現在の自分の顔を真中に描いてもらった。

2日目にスケッチブックの左側に14歳の時の顔を、右側に60歳になった時の
自分の顔を想像して描いてもらうのだが、あらかじめ
アルバムで14歳の時の顔の写真をもってくるように連絡をしておいた。
問題は60歳になったときの顔だ。
特に女性にとって考えたくもない、つらい課題ということは
あらかじめわかっている。
しわも増えるし。髪型も変化していく。
どこにどういうしわができるのだろう・・・・?
つるつるの肌も、どこかたるみもできてくるだろう。
アドバイスとして、父親あるいは母親の顔が参考となるので
スケッチしておくように指導しておいた。

似顔絵講座2日目はスケッチブックの左側の14歳、
右側に60歳の自分の顔を、3時間かけて描きあげる。
これで人生を考える課題
「現在・過去・未来」が一枚の紙に収まったことになる。

似顔絵講座3日目は、24名の学生を半分に分けて、
お客と描き手に分け役割り分担をし、いよいよ席描きを開始する。
鉛筆によるデッサンを、制限時間30分以内で描き終えるよう指示し開始。
次の時間に役割り分担を交代して、やはり30分で仕上げてもらった。
さて、コミュニケーションの大切さについては、前回書いたとおりであるが
この日の様子はというと、終始、どの組あわせも対話が弾んでいた。
女性がほとんどだったことから、うるさいくらいよくしゃべっていた。
学生同士という気安さなのだろう。

最後の時間を使って講評をする。
スケッチブックに描いた自分の作品を全員に見てもらい、一人一人に
私からアドバイスを与えるのだが、その前に、講評を受ける学生は
他の学生を指名して、感想やアドバイスをもらうことにする。
指名された学生は、正直に感じたことを言ってもらうのだが、
これは非常にいい効果がある。指名を受けた学生は緊張しながら
言葉を考えて、的を得たアドバイスをしてくれた。
的外れのコメントをした場合は、こちらでフォローさせてもらった。
講評を受ける学生も真剣になって聞いてくれた。

この方法は、私が一方的に学生の作品を批評するより、
学生にとっては勉強になる。またクラスの一体感が生まれる。
24名のうち3人は席描きの体験者だったが、やはり体験している学生は
他の学生とは違い、つぼをおさえる技を身につけていたように思う。

3日間の夏季集中講座、似顔絵講座はこれで終了した。
これから席描きのイベントに全員が参加する、というわけにはいかないだろうが
このクラスから、本番の席描き体験をする学生が何人かでてくるだろう。
自分のせまい殻を破り、大きく成長するためにも
積極的に真剣勝負に挑んでほしいものだ。
今回の似顔絵講座で学んだことが、少しでも生かされてくれれば幸いである。




似顔絵講座(2)

2005年08月02日 | 似顔絵
冒頭の画像は、似顔絵が大好きな専門学校の卒業生らと開設した
似顔絵工房MOONというサイトのイメージ画像である。
似顔絵スタッフ・ペットイラストスタッフ・サポートスタッフを含め
現在7名のスタッフが参加している。ペットイラストの注文も受け付けている。
ペットは癒しを与えてくれる家族の一員だからだ。
前回に引き続いて、講義を続けることにしよう。

②似顔絵を描くときのコミュニケーションの必要性
お客にいすに座ってもらって、お客と対面して席描きする場合
口に泡を飛ばしておしゃべりする必要はない、が、前回にも書いた通り
軽い会話を楽しむというゆとりがないと、お客も描く側も息がつまる。
緊張感を和らげるために、そして、お客のいい表情を引き出すためにも
コミュニケーションは大切なのだ。

③似顔絵にいいところ(写真との違い、どんな要素があるのか等)
いま、だれでもカメラを持っている時代である。逆にいえば
写真がもつ価値が、昔より下がっているということもできる。
似顔絵は写真と違った手作業の暖かさ、ほのぼの感がある。
贈り物に似顔絵をプレゼントすると喜んでもらえる理由がここにある。

さて、席描きが似顔絵の王道だということには違いはないが
当然のことながら、写真を見て似顔絵を描くというケースも多い。
似顔絵のニーズは確実に広がってきている。
その理由について考えてみよう。
日本は確実にIT社会が進んでいる。価値観がますます多様化している。
混沌とした現代にあって、自分らしさが失われてきているといえる。
その反作用として「自分らしさが、今求められている」と私は思っている。
自分らしさの表現の中に、似顔絵というカテゴリーが存在しているのだ。
似顔絵はユーモア感覚、遊び感覚を楽しむ人たちに歓迎されている。

たとえば、結婚を前にしたカップルが、「自分たちらしい結婚式にしたいね」
ということから、似顔絵を描いたウエルカムボードの注文がくるようになった。
その延長線上に似顔絵サンクスボードの注文がくるようになった。
この傾向は私が結婚した30年前にはなかった現象だ。
似顔絵のニーズの可能性は確実に広がってきていると思っている。
私はインターネットでも、注文できるサイト作ってあるので
ご参考までここでご紹介しよう。

似顔絵名刺
寄せ書き用似顔絵色紙
似顔絵ウエルカム色紙
似顔絵サンクス色紙
似顔絵ウエルカムボード
似顔絵サンクスボード
似顔絵ハッピーボード
ペットイラスト

今日の授業
私の似顔絵コーナーに飾ってある色紙に描いたサンプル
額装した似顔絵ウエルカムボード、サンクス色紙などなど
教室に持ち込んで、それらの作品を見てもらいながら講義をした。
出会いから生まれたエピソードはいっぱいある。
インターネットから注文を受けた時のエピソードなどを学生に伝える。
一期一会の意味について理解してもらっただろうか。
似顔絵は感謝される仕事だ。
お客の感謝の声が、明日への活力につながっている。
みなさんと一緒に、似顔絵文化を一緒になって広げていきたいものだ。


似顔絵講座(1)

2005年08月01日 | 似顔絵
新潟市にある日本アンメ・マンガ専門学校で、夏季集中特別授業として、
明日から3日間、私は非常勤講師として似顔絵講座を担当することになる。
受講する学生はコミックイラスト科1年生24名である。

先日、担任の先生から下記のメールが届いた。
夏休みはいろいろなところでイベントが行われます。
いつでも、似顔絵イベントに出動できるようにレクチャーをお願いします。

①似顔絵を描くときに気をつけなければならないこと。
②似顔絵を描くときのコミュニケーションの必要性
③似顔絵の良いところ(写真との違い、どんな需要があるか等)
④似顔絵制作の心得(ポイントというかコツを伝授願います)
上記をポイントに講義頂き、最後は実際に似顔絵の実習ということで
⑤お客さんと描き手に分かれて似顔絵実習          以上

ということで、私なりに一日3時間、3日間の授業を進めていくことになる。
学生に私が伝えておきたいことを、このブログにまとめてみた。

似顔絵はマンガと違って、生身の人間を相手にして描くのが基本である。
直接お客と対面しながら似顔絵を描くことを、席描きという。
席描きこそ、昔から似顔絵の王道だと思う。
席描きを体験しておくと、画力が確実にアップする。
マンガを描いている人は、得意なキャラクターは格好よく描けるが、
年配者のキャラクターが、からきし下手な学生が圧倒的に多い。
主人公の魅力を引き立たせてくれるのは、脇役であり、
魅力的な脇役のキャラクターを描けるようになって欲しいものだ。
そのためにも席描きを体験しておくことは無駄にはならない。

同年輩のお客だけではない。おじいさんやおばあさん、時には
赤ちゃんを描いてほしいとお客から要望される場合がある。
私の似顔絵コーナーでは、意外にも赤ちゃんを描いてという要望が多い。
冒頭の似顔絵は2歳の女児で昨日の日曜日に描いたばかりに最新作だ。


①似顔絵を描くときに気をつけなければならないこと。
席描きに挑戦するに当たって、まずもって
席描き心得八か条をあげるとしよう。
いずれも私自身が心がけというるものである。

1、一期一会を大切にしよう。
  やさしく言えば人との出会い、関係性を大事にしよう。
  一回こっきりのお客であっても、人との出会いだ。
  人との出会いから何かが始まるものだ。

2、平常心で描く
  最初はどうしてもあがってしまうのは仕方がないだろう。
  あがると、冷静さを失って実力を発揮できない。  
  これは場数を踏むことで乗り越えていくしかない。

3、苦手意識は捨てること
  描きやすい顔と、描きにくい顔はだれにでもあるものだ。
  たとえば、赤ちゃん、子供、お年よりを描くのが苦手だとしても、
  苦手意識を乗り越えて、挑戦させてもらうつもりで描こう。
  たとえどんなお客がきたとしても「私にまかせてください」という
  プロの心意気で描かせてもらうこと。
  かといって、肩に力を入れすぎてはいけない。
  ユーモアでお客の緊張感を和らげつつ、自らは真剣勝負だ。

4、すばやくお客の顔の特徴をつかむこと。
  具体的にいうと、顔の輪郭と、眉毛、目、鼻、口などの部分品の
  形を配置をしっかり把握しておくこと。髪型もしっかり抑えておこう。
  日ごろの観察力がものをいう。どんな人の顔でも特徴がある。
  特徴を捉えたら、その特徴を少しオーバーに表現してあげる。
  これをデフォルメという。
  これといって特徴のない顔は、それ自体が特徴と心得よ。

5、お客の緊張感をほぐすこと。
  だれしも、自分の顔をじいーっと見られていると緊張するものだ。
  お客が緊張していると、描き手も緊張する。その状態で似顔絵を描くと
  とても硬い表情の似顔絵になってしまう。
  ちょっとした軽い会話が、緊張感から解放してくれる。
  お客との会話を楽しめるようになれれば本物だ。

6、似顔絵の仕上げは20分を目標にしよう。
  赤ちゃんや子供はジーとしていない。せいぜい20分が限界と心得よ。
  大人でも書き始めから仕上げまで、長くとも30分を超えないように。

7、似顔絵は真剣勝負と心得よ。
  お客にはリラックスさせておいて、自分自身は真剣勝負だ。
  勝つか負けるか、自分自身との戦いである。
  お客に気に入ってもらえたら、あなたの勝ちだ。
  勝てば自信がつく。画力もアップする。
  負ける場合もあるだろうが、次は勝ちにいけばいい。

8、看板としての似顔絵サンプルを用意すべし。
  あなたが、どんな似顔絵を描く人なのか、
  描いた作品を見てみたい、というのがお客の心理だ。
  サンプルとしての似顔絵作品をあらかじめ数枚描いておくこと。



店主の顔はオンリーワン

2005年07月19日 | 似顔絵
私が子供の頃、新潟の繁華街といえば古町だった。
映画館が何軒もあって、非常ににぎわっていた。
21世紀になってから、古町商店街の様相が一変した。
古町はシャッターが降りている店が増え
かつての賑わいがウソのようになってしまった。
シャッターが降りている店がある商店街には、やはり魅力はない。
古町にあった映画館はことごとく姿を消した。

寂れたのは古町だけではない、新潟近隣の市町村の
地元商店街の衰退ぶりは目を覆うがごとくである。
日本列島眺めてみれば、地元商店街は確実に衰退している。
商店街を独自な工夫でよみがえらせている例もあるが
総じて、地元商店街の現状は深刻で、青息吐息状態なのだ。
この現状はきわめて深刻と言わざるを得ない。
あなたの町の地元商店街はいかがだろうか?

地元商店街が元気をなくしている原因は何だろう?
改めて言うまでもなく、大型ショッピングセンターの進出である。
近郊に進出してきた大型ショッピングセンターに
顧客を奪われているのが実態といってもいいだろう。
広い駐車場がある大型店に行けば、ほとんどのものが買えるのだ。
日本列島は弱肉強食の様相を呈している。

一方、個人的に地元商店街の活性化を期待するものの一人として
「頑張れ地元商店街!」とエールを贈りたい。
中小の商店が大資本の大型ショッピングセンターに対抗するには
大型ショッピングセンターができないことを商店主同士が知恵を絞って
考えて対策を講じなければ、生き残っていくことはできなくなっている。

中華料理、和食、洋食のお店、靴屋、洋服店、八百屋、魚屋、理髪店・・・
中小の商店主は一国一城の主である。
であるならば、商店主の顔と心意気を全面に出していくことが肝要だと考える。
商店街お店同士が連携して活性化の道を図り、お客を呼ぶ必要があるのは当然だが、
お客様に対して、どんな商品とサービスができるお店を目指していくのか
個々のお店のアイディンティティをしっかり確立することが先決である。

そこで、ちょっとしたアイデアを提供したい。
その店に店主の似顔絵を活用していってどうだろう。
具体的には、お店の中に店主の似顔絵入りのボードを飾ることをお勧めしたい。
私は勝手に「似顔絵ハッピーボード」とネーミングした。
その商店街のすべてのお店がこのアイデアを採用した暁には
店主の似顔絵が迎えてくれる商店街として、商店街自体が注目されるだろう。
写真入りの名刺もいいが、写真だとちょっとリアルすぎる。
写真にない温かみのある「似顔絵入りの名刺」を活用してみてはどうだろうか。
写真と一味違った親しみが伝わる。

十人十色というけれど、店主の顔はお店の顔であり、
ほかの店にはないオンリーワンなのだ。
商店街の活性化を真剣に考えるのであれば、まずは
大型店や外の店との違いをはっきりと打ち出していくことだ。
お店の店長は、ご自分の顔に自信をもってほしい。
そして、ご自分の似顔絵を使って
お店の誇りと心意気を前に出していくことをお勧めしたい。
似顔絵のことなら、64歳の新人似顔絵師MOONに
おまかせいただきたい。
微力ながら地元商店街活性にむけてお手伝いをしていきたい。

映画看板修行時代

2005年07月08日 | 似顔絵
前回、映画看板の修行時代のことを少々書いた。
20歳から23歳のわずか3年間が私の映画館版修行時代である。
日本一の繁華街、新宿の歌舞伎町に隣接する大久保にその会社はあった。
東京宣伝美術社という会社だ。
東京における唯一の映画看板の老舗として現在も存在している。

その会社に入社したのは1961年、いまから44年も昔になる。
今思うと隔世の感がある。
ガガーリン少佐「地球は青かった」・柏鵬時代
所得倍増計画・アンネナプキン発売開始
“安保”が済んで国民はともかくホッとした。
テレビが1000万台を突破。ラジオは1000万台を割り、
放送メディアの地位が逆転した。

その年の日本映画は、「用心棒」「豚と軍艦」「宮本武蔵」
「名もなく貧しく美しく」「日本無責任時代」
洋画は「荒野の七人」「ディファニーで朝食を」
「ウエストサイド物語」「スパルタカス」が上映されている。

この時代は映画界は日本映画も洋画も元気があった。
多くの意欲作、話題作が生まれている。
映画看板修行時代は、毎日が非常に刺激的な日々だった。
今思えば、毎日が楽しかった。
私を含めて、職人さんたちはみんなが大の映画好きで
私は毎週映画を見ていた。
当時3本立ての映画館があった。
一日に2館、3本立て映画館をはしごして見た記憶がある。
その頃はエネルギーがあったのだろう。
今思うとめちゃくちゃなことをしている、と思う。

冒頭の絵は、映画看板のスターの絵を描いている職人の
仕事風景である。上手い絵描きさんがそろっていた。
今の映画界は残念ながら、当時の勢いは失せて元気がない。
手描き看板も極端に少なくなった。
職人の仕事がコンピュータに奪われてしまった感がある。
1964年、東京オリンピックが開催された。
その年に私は東京宣伝美術社を退社している。

20世紀の最後の年、2000年の9月に最初のホームページ
ホームページ「20世紀の館」を立ち上げた。
1940年から2000年までの60年間の出来事、流行語、音楽
邦画、洋画、テレビ、出版、漫画事情、アニメ、手塚治虫
の出来事と作品のデータをまとめてアップした。
いわば、20世紀の巷の文化史である。
20世紀がどういう時代だったのか、興味がある読者は
あなたが生まれた年から、是非見ていただきたい。

文章を書くのが苦手な私であるが、
私の映画看板修行時代の得がたい体験を
記録として残しておこうと思い立ち
エッセイとして書き留めた「映画の時代」も
覗いていっていただきたい。


フロリダから愛をこめて

2005年07月07日 | 似顔絵
日曜日にHさんがフィアンセと一緒に似顔絵コーナーにやってきた。
似顔絵ウエルカムボードに注文と思いきや、ちょっと違った。
普段着のままの姿で、二人の似顔絵を描いてほしい
という依頼だった。
招待状や、ウエルカムボードを自ら似顔絵を使って作りたいという。
二人の目的を理解して、何の演出もせず、
今回は二人の似顔絵だけを描いてさし上げた。

そもそも自分たちらしい結婚式をしたいね、ということから
生まれたのがウエルカムボードである。
ウエルカムボードにしても、席次表、案内状などなど
二人で気持ちをこめて手作りで演出するのが一番心が通じるのだ。
Hさんはパソコンの使い手、アメリカでしっかり修行してきたので、
いろいろなアイテムを楽しんで作ることになるのだろう。

しかし、自分たちの似顔絵は描けない、ということで
私がその部分をお手伝いをさせていただいたということになる。
手描きで描いた似顔絵をパソコンで取り込んで加工
画像データとしてメールで送ってさし上げた。

お二人の顔をデッサンしながら、しばし対話が弾んだ。
お二人はなんとなんと、9年間フロリダに住んでいたのだそうだ。
海外で知り合って、しっかり愛を育んできたのだろう。
二人とも大阪出身で、新潟で住むのは初心者という話もしてくれた。
映画の話になり、Hさんは「ウエストサイド物語」が好きだ
という話が飛び出してびっくりする。

この映画は最近は話題にもならないが、
70ミリのミュージカル映画の大作で、1年以上ロングランで
上映された映画史上に残る素晴らしい名作なのだ。
映画看板の修行時代があったが、この頃の映画界は活気があった。
感心のある方は、エッセイ「映画の時代」を是非みていただきたい。
5年前に最初に立ち上げたホームページ「20世紀の館」
映画看板の修行時代のことをエッセイとして書いたものだ。

「「ウエストサイド物語」は、私が20歳の時だから44年も昔に制作されている。
私はこの映画を最初見たのは二十歳の時だった。
非常に衝撃を受けた。圧倒的な踊りと音楽に圧倒され全身で感動した。
その後、私は5回もこの映画を見ている。
まだ若いHさんから、この映画の話がとび出して嬉しくなり
しばし映画の話で盛り上がった。
Hさんの許可をいただいたので、Hさんからいただいたので
似顔絵とHさんからのコメントを紹介することにする。


Hさんより_________________________

MOON様

先日はどうもお世話になりました。
もう似顔絵が完成したとの事で、
予想以上に早い仕上がりに驚いております。

さて、絵の感想ですが、MOON様の
おっしゃっていた通りで、
初めのうちは、二人ともお互いの絵を見て、
「そっちの方が絶対に似てる!」
と言い合っておりました。

ところが、小一時間ほど上から見たり、
下から見たり、小さくしたり、
大きくしたり、鏡に映してみたり、
と色んな見方をして楽しんでいるうちに、
自分でも「やっぱり似てる」と思えてきました。
シンプルな線だけで、よくあれだけ特徴が
とらえられるものだなぁ、と感心しております。
自分で自分の顔って案外分かっていない
ものですね。

というわけで、結局二人とも満足しております。
本当に素敵な絵をありがとうございました。
大事にしますね。

それでは、ジョイフル2でまたお会いできることを
楽しみにしております。West Side Storyの話で
また盛り上がりましょう。

_____________________________

アメリカ娘を描く

2005年06月27日 | 似顔絵
日曜日に、青い目のアメリカ娘が似顔絵コーナーにやってきた。
現在17歳で高校2年生だそうだ。笑顔が可愛い。
彼女は日本語がまだしゃべれない。
私も英会話が苦手ときている。かなりとまどったが、
外人さんの顔はメリハリがはっきりしているので、描きやすかった。
ホームステイでお世話している家の母子が一緒についてきてくれた
ので、完成した作品を中心に3人の写真を携帯で撮影した。

シャイロさんは新潟のある家で現在ホームステイをしていて
ホームステイをしている家の、母親と娘に案内してもらい
似顔絵コーナーにきたという。

似顔絵を描き始めたら、二人の母親と娘はお店でショッピングにいったので
似顔絵コーナーは、私とシャイロさんだけの世界になる。
考えてみれば、終始無言で描く、というのは今までやったことがない。
相手となんだかんだと言葉を交わしながら、良い表情を引き出していたのだ。
終始無言で描くというのは・・・・、考えられない。
描く方も描かれる方も大変疲れるだろうな、ほとんど苦痛に近いかもしれない。
やりとりの言葉の大切さを改めて自覚させられる。

似顔絵を描きながら、シャイロさんと片言の英語で軽い会話を交わす。
なんともたどたどしい会話を交わしながら分かったことは、
現在17歳、高校2年生でアメリカのテキサス州に住んでいること。
4人兄弟の末っ子で、お父さんは46歳、お母さんは45歳だと話てくれた。
兄弟は上から24歳、21歳、18歳で、3人とも男だということも教えてくれた。
お父さんもお母さんも若いのでびっくりする。

実は、アメリカの女性を描くのははじめてではない。
前日、アメリカから子供たちを引率してきたという年配のアメリカ女性を描いた。
描き終わった作品と一緒に、例によって写真を撮ったのだが、
保存に失敗してしまった。
描き終わった作品は、青い目を輝かせて大げさなほど気に入っていただいた。
額縁にセットして、感激して持ち帰ってもらった。
シャイロさんはその時、一緒に同行していたのだ。
自分も描いてもらいたかったが、その時、時間がなかったので
翌日描いてほしいと、予約を受けていたのだ。
土曜日そして日曜日と、二人のアメリカ女性を描いたことになる。
日本でのいいお土産になったようで、描いた私としても嬉しかった。