MOONの似顔絵エッセイ

似顔絵師MOONです。
似顔絵よもやま話をぼちぼちと書いていきます。

どうせ生きるなら

2006年02月13日 | トピックス
「若いのにかわいそうに・・・・」と言われたことが
プライドが高く、負けず嫌いの廣道少年に火をつけたのだろう。
廣道さんのその後の人生に勢いを与えたことになったのでは
ないだろうか。

15歳、やんちゃ盛りの廣道少年が盗んだオートバイで
事故を起こし、病院に担ぎ込まれた。死か生か、きわどい
死線をさまよいつつ、よみがえったものの下半身不随の身体に
なってしまった。車イスに頼らざるを得なくなった。
廣道少年の車イス姿を見て、病院にいたおばさんが言った
言葉が冒頭の言葉だった。

「かわいそうに」という言葉は、身体障害者につきまとう
一般的イメージだが、生還した廣道さんの人生は、そういった
同情心を拒否するかのように感じた。

昨晩、友人と一緒に廣道純さんの講演会に出席してきた。
講演の演題が彼の著作と同じ「どうせ生きるなら」だった。
この講演会を企画して、新潟にきてもらったぴろこさんが
廣道さんのオーラにひきつけられ、熱烈なファンになった
ということが納得できた。

廣道さんの講演は静かな語り口で始まった。
時より大阪弁が混じりながら、確信に満ちた廣道さんの
話はよどみなく、現在の車イス・アスリートになるまでの
経過を、さまざまなエピソードと共に話してくれた。
冒頭にパラリンピックの車イスレースの模様をビデオで
見せてもらった。私は64歳になって車イスレースを見たのは
このビデオで見たのがはじめてだった。非常にスピード感が
ある競技だということが理解できた。

廣道さんは常に自分に目標を課し、それをクリアしながら
次の目標を決めステップアップしてきた。
負けん気と、向上心は半端じゃない。
当時の車イスの連続トップをいく選手がアメリカにいた。
そのトップ選手との勇気ある接触と交流の話には
ワクワクするものがあった。
やがてトップ選手から「家にこないか?」という呼びかけ
を受けて、彼の家にホームステイすることになる。
お金をためてアメリカに行くのだが、その時点では
英語はまったく話せなかったという。

トップ選手との交流が廣道さんをスケールアップしてくれた
ことは間違いないと感じた。トップ選手から競技に関して
だけではなく、人間的にも多くのことを教わったこと。
その後、廣道さんにスイッチが入ったように
優勝を重ねていったことを淡々と話してくれた。

廣道さんが話す言葉は無駄がなく、そのまま原稿にすると
一冊の本になるなあ、と思った。

とにかく、廣道さんの第二の人生ともいうべき生き様は
健常者をも元気を与えてもらえる内容だった。

廣道さんの2時間ほどの講演が終わり、休憩後
廣道さんを囲んでの酒宴となった。
ぴろこさんから指名を受けて、私が乾杯の挨拶を
させてもらった。
4年連続ホノルルマラソンに参加しているぴろこさんの
マラソンのグループ・アロハ会の人たちをはじめ
入院中だという車イスで参加していた若者や
新聞社の方などなど、参加者は熱っぽい会話が弾み
会場はなごやかな雰囲気に包まれた。

「どうにもならない苦しいことがあったら
 それより楽しいことを考えてやればいい」
「私の人生に後悔はない、いくらかの反省はあるが」
「出会いには意味がある」
印象に残った廣道さんの言葉だ。

出会いを大切にして向上心を常に忘れない廣道さんは
32歳(?)にして大分県の名誉県民に選ばれるにふさわしい
人間力をもった人だということが納得できた。

ホノルルマラソンで偶然出合ったぴろこさんと廣道さん。
ぴろこさんの熱い思いが実って、私たちも生の廣道さんと、
奥さんのナナさんとも会うことができた。

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廣道さん、本当にありがとうございました(^^)
ぴろこさん、お疲れ様でした。
どっと疲れがでたことでしょう。
(携帯カメラで撮った画像があまりよくありませんが
とりあえずアップしました。いい画像ほしいで~す)
本当に元気と勇気を与えていただきました。
まだまだ、昨晩の余韻が残っています。



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