MOONの似顔絵エッセイ

似顔絵師MOONです。
似顔絵よもやま話をぼちぼちと書いていきます。

続・三丁目の夕日

2005年11月30日 | 映画
「ALWAYS三丁目の夕日」の続編ができた、ということではない。
私のエッセイでの「続」だということをまずお断りしておく。

この映画について、もっと知りたいと思って、
映像プロダクション白組に勤めている弟から資料を送ってもらった。
資料には、この映画づくりの裏話・エピソードなどがたっぷり詰まっていた。
監督・脚本・VFXを山崎 貴という人が担当していたことを知った。
監督が若いのに驚いた。山崎監督は丁度東京タワーが完成した年、
1958年長野県で生まれた。ということは、生まれる前の東京を
再現したことになる。東京オリンピックの年は6歳ということになる。
阿佐ヶ谷美術専門学校卒業後、白組に入社。ここでデジタル映像や
イベント映像に参加して高い映像技術を身に付ける。

2000年、監督デビューを飾った作品「ジュブナイル」は高い評価を得る。
現在、理屈抜きに面白いエンターテイメント作品を撮れる業界注目の映像作家、
ということが理解できた。しかも山崎さんは白組の会社員として
この映画を作ったということに、正直私は驚いた。
高度な映像技術のスキルをもっている白組という会社に入社して、
実績を積み上げてきた人が、会社のバックアップを受けて
この映画をものにした、ということなのだろう。
どこかのブログで「映像オタクの新境地」と言っていた、分かる気がする。
これは新しいモノ作り、映画作りのカタチではないかと思った。

戦後の疲弊した当時の日本において、東京タワーは高度成長の先駆けとして
明るい未来を象徴する建造物だった。
東京タワーが完成するのが1958年(昭和33年)である。
私は高校1年生だった。1960年(昭和35年)に新潟から東京に集団就職をする。
夢と希望とあこがれをもってSL列車にのり、上野駅に着いた時の感激が
映画のシーンを見ていて、よみがえってきた。
当時の列車内部ディティール、上野駅の壁面に描かれていた壁画までが
再現されていて嬉しくなった。
あの大壁画は、集団就職で最初に上野駅につき、上野駅の雑踏の中ではじめて
見たのだが、大東京の心象風景として心のひだに残っている。

今はなくなった都電が走っている東京の町並みは、高いビルがなく、
空が広く夕日もきれいだっただろう、それを見事に再現してみせてくれた。
これがVFXの技術なのだろう。未来を作るより50年前の東京の風景を再現する方が
よほど難しかっただろう、と想像できる。CG合成の違和感はなかった。
映画のストーリーの進行とともに、東京タワーができていくという設定がいい。
これから未来を築いていくという前向きな気概が
東京タワーに象徴されているからだ。
町の隅々までに熱気が溢れた様子が映画でもよく表現できていて、
それがこの映画にリアルを与えている。

1964年に東京オリンピックが開催される。
この時代から東京は急激に変わり始める。
古い建物に代わってビルが建設され、首都圏高速道路が作られると共に
都電が消えていく。高度成長の影で古いものが捨てられてきたのだ。
日本橋の上空に、首都圏高速を作ってしまった。
東京ほど急激変化した都市は、世界の中でも類がないのではないだろうか。
ともかく当時の日本人は、誰もが21世紀に明るい未来を感じていた。

この映画が今受ける要因は病める国、日本の社会背景があると思う。
21世紀になって、物質的には確かに豊かになった。
今や三種の神器どころか携帯やPCを持っていて当然の経済大国
日本で失ったもの、それが何か・・・ということを、
この映画は見た人に問い掛けているようだ。
三丁目に生活している庶民の暮らしと生き様を通して、忘れていたものを
蘇らせてくれる見事な作品となっている。
吉岡秀隆、堤 真一、小雪、薬師丸ひろ子、三浦友和らの出演者も昭和30年代を
生きていた人として、生き生きと演じていた。
昭和の子供を見事に演じた二人の子役にも拍手を贈りたい。

これから国内のおける今年の色んな映画賞が決まっていくのだろうが、
その先陣を切って、「報知映画賞」(第30回)が先日発表された。
いま公開されている『ALWAYS 三丁目の夕日』が、
作品賞と助演男優賞(=堤真一)
と助演女優賞(=薬師丸ひろ子)を受賞した。

ALWAYS三丁目の夕日

2005年11月23日 | 映画
妻と二人の息子4人でワーナーマイカルで見てきた。
日本らしい映画だった。心が暖かになって帰ってきた。
ホームページ「20世紀の館」を開設している私としては
こんなすばらしい映画を作ったスタッフに敬意を表したい。
まさにノスタルジーたっぷりの映画であるが、
現代が失ってしまった何かを感じさせてくれる作品だ。

「蝉しぐれ」を見て感動して、学生に見ることを薦めてみたら、
私の提案にのってくれた学生が「とってもいい映画でした」といってくれた。
その学生が「ALLWAYS三丁目の夕日」を見て、私にこういってきた。
「私的に、蝉しぐれ以上に感動しました。先生是非みてください。」

ということで、是非見たいと思って家族を誘って見てきた。
期待を裏切らない出来栄えだった。昭和30年当時の世界に自然に入っていけた。
建設途中の東京タワーが物語りの進行と共に出来上がっていく。
時の流れを東京タワーのある風景でさりげなく表現している手法は見事。
東京駅の雑踏、集団就職列車内の臨場感、当時の東京の町並みが
見事に描かれている。CGのなせる技だとは思うが、違和感は感じられず
昭和初期の風景、町並みが再現されているのに感動した。
膨大な資料と時代考証との目に見えない格闘作業があったのだろうと想像できる。
この映画は風景が主役ではないだろうか、とさえ感じた。

出演者の演技もさることながら、少年たちが生き生きと描かれていた。
その当時はみんなが貧しかった。貧しいながらも前向きだった。
どんなに貧しくとも、希望をもって生きてきた。
当時の政情は激しくうねりぶつかり合う時代だったが、この映画では
そうした政治的なものはいっさい出てこない。徹底して
庶民の暮らしぶりにスポットを当てたところに成功の要因があると思う。
懐かしさと、人情物語のつぼにはまってしまい、思わず涙が溢れてきた。

東京タワーが完成したのは1958年(昭和33年)である。
私は高校1年生だった。ちなみに「20世紀の館」のデータから
この年のデータの一部を参考までご紹介しておこう。
この年は、実は日本映画の黄金時代だったということをご存知だろうか?


●出来事 売春防止法施行・巨人長嶋新人王に(川上引退)
東京タワー完成・栃若時代
●流行語 “フラフープ”ブーム “シビれる”
一万円札登場 “団地族”“ながら族”
●音 楽 「有楽町で逢いましょう」「からたち日記」
「ダイアナ」「俺は待ってるぜ」「母さんの歌」
●邦 画 年間観客動員1億2,000万人でピーク
「隠し砦の三悪人」「無法松の一生」「人間の条件」
「陽のあたる坂道」「氷壁」「紅の翼」「人間の壁」「点と線」
●洋 画 「鉄 道 員」「大いなる西部」
「老人と海」「十 戒」「死刑台のエレベーター」
●テレビ 「スーパーマン」が74.2%の驚異的高視聴率
「私は貝になりたい」「月光仮面」人気集める
●出 版 「点と線」「樫の木は残った」「人間の壁」「経営学入門」
●漫画事情 紙芝居が衰退傾向に対して 貸本マンガ出版盛ん
手塚治虫に関西の「漫画工房」より挑戦状
●人気漫画 「リボンの騎士」「まぼろし探偵」
「月光仮面」「ジャジャ馬くん」
●漫画雑誌 ひとみ(秋)・COO(久里洋二実験漫画工房)
日の丸(集)幼年ブックを改題
●少年漫画 寺田ヒロオ「もうれつ先生」     (少 年)
桑田 次郎「月光仮面」     (少年クラブ)
●少女漫画 牧 美弥子「ナイルの悪魔」 (少女クラブ)
楳図かずお「お百度少女」 (少女クラブ)
●成人漫画 園山 俊二「がんばれゴンベ」(毎日小学生新聞)
水島 新司「深夜の客」(影)でデビュー
●手塚治虫 30歳 《この年11作品》
「ぴいこちゃん」「漫画生物学」で第3回小学館漫画賞受賞
【未来をのぞく3人】………………………冒険王
【フィルムは生きている】………………中学二年
【カーテンは今夜も青い……………………少女
【ハリケーンZ】………………………少年クラブ
【双子の騎士】………………………… なかよし
【スーパー太平記】……………………少年画報
●アニメ 「白蛇伝」(藪下泰次監督 東映動画初の長編アニメ作品)
「西遊記」(手塚治虫演出)
~東映動画で手塚が手がけたアニメの最初の仕事~
●物故者 横山大観(89)・戸田城聖(58)・山川 均(77)・徳永 直(59)
●誕生者 小林まこと・しげの秀一・杉浦日向子
岡田斗司夫・新沢基栄・宮本亜門
■MOON  17歳 新発田商工高校1年生




新潟初!中年お笑いコンビ

2005年11月22日 | 似顔絵
新潟から中年お笑いコンビが誕生した。
新潟お笑い集団NAMARAの中年部に所属し
コンセプトは「笑いで世界を救う」である。
コンビの芸名は「笑いま商会・ラブとコバ」

ますます殺伐としてきた現代の社会の中にあって、
機知とユーモア、ボケとツッコミで笑いを提供していこうという
二人の勇気と心意気にエールを送りたい。
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中年お笑いコンビ「ラブとコバ」二人のプロフィールをご紹介しよう。

●白倉貴美江
(しらくらきみえ)1944年7月6日生まれ 新潟県五泉市出身
結婚後、夫の転勤にともない転居11回、現在は新潟に落ち着く。
その間、主婦業、手芸講師、ボランティアを経て
ホームヘルパー歴15年。娘2人、孫4人。
還暦を過ぎてお笑いの世界に目覚める。よろしくね。

●小林秀伸
(こばやしひでのぶ)1948年3月8日生まれ 新潟県新潟市出身
印刷業一筋、かたわら少年サッカークラブ(新通イーグルス)旗揚げし、
代表として18年経過。趣味は酒、カラオケ、オーディオ、
アマチュア無線(JIφ0WG)。退職後、姫との出会いがあり、
笑いの世界にたらかされ、アップアップしています。(トホホ)
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敬老会、地域の茶の間、自治会、お誕生会、各種イベントに
お声がかかれば、どこへでも参上いたします。
司会、漫才、お話相手・・・などなどにご利用ください。
なんと出張無料。



剣豪のウエルカムボード

2005年11月17日 | ウエルカムボード
本当に久しぶりの更新である。
秋のブライダルシーズンで大忙しで、息つく暇がなかったが
ようやく落ち着きをとりもどしたので、最近の作品をご紹介しよう。

この作品では、新婦がなんと剣道の竹刀を持っている。
一見「鬼嫁」のようなイメージがある、が、さにあらず。
新郎は小学1年生から剣道を始めて現在5段の腕前。
新婦はといえば、小学6年生から剣道を始めて現在4段。
剣道が二人を結びつける縁になったのだろう、と想像がつく。
剣豪同士の結婚にふさわしい、個性的な作品が完成した。

11月に新婦になるKさんが、似顔絵コーナーにやってきて、
「私たちは剣道をやってきたんです」と言ってイスに座った。
以前、ご要望により新郎新婦がなんとなんと、水着スタイルで
似顔絵ウエルカムボードを作成したことがある。
Kさんに、その作品を見てもらったところ、いたく刺激を受けたとみえて
「私たちを剣道のスタイルで似顔絵ウエルカムボードを描いてください」
迷いなく、毅然と注文を出していただいた。

Kさんは長年剣道をやってきた女性だけに、竹を割ったような人柄を感じた。
私が剣道のスタイルが分からないと言ったとたん、本屋から剣道の衣装の本を
買ってきてくれた。剣道の胴着の詳細が載っていたので助かった。
それにしても世界でただ一枚のユニークな作品が出来上がった。

新郎は剣豪を思わせる、強面(こわもて)の好青年。
新婦の方は、細身で長身、面長な顔の持ち主、一見ひ弱そうに見えるが
芯が強く、明朗活発と見た。お二人で明るい家庭を作っていくだろうと思う。
自分たちらしい結婚式をやろうとする意欲の現れとして
このような個性的な作品が出来上がった。この傾向は歓迎するところである。
作品をブログで紹介したい、と打診したところ快諾を得たので
ここでお二人の似顔絵のイラストのもをご紹介させていただくことにした。
お二人に幸多かれ!


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●掲示板にKさんから感謝のカキコがあったので、ここに転載させていただいた。

ウエルカムボードの作成ありがとうございました。
今ままで、結婚式に何回か出席した中でこのような似顔絵のウエルカムボードは
見たことがなく、MOON先生という素晴らしい方にお会いでき、
大変感謝しております。
わがままだらけの注文をして、何回も訂正していただき、
完成したウエルカムボードを見たときは本当に感動でした。
本当にステキな似顔絵ありがとうございました。