「ALWAYS三丁目の夕日」の続編ができた、ということではない。
私のエッセイでの「続」だということをまずお断りしておく。
この映画について、もっと知りたいと思って、
映像プロダクション白組に勤めている弟から資料を送ってもらった。
資料には、この映画づくりの裏話・エピソードなどがたっぷり詰まっていた。
監督・脚本・VFXを山崎 貴という人が担当していたことを知った。
監督が若いのに驚いた。山崎監督は丁度東京タワーが完成した年、
1958年長野県で生まれた。ということは、生まれる前の東京を
再現したことになる。東京オリンピックの年は6歳ということになる。
阿佐ヶ谷美術専門学校卒業後、白組に入社。ここでデジタル映像や
イベント映像に参加して高い映像技術を身に付ける。
2000年、監督デビューを飾った作品「ジュブナイル」は高い評価を得る。
現在、理屈抜きに面白いエンターテイメント作品を撮れる業界注目の映像作家、
ということが理解できた。しかも山崎さんは白組の会社員として
この映画を作ったということに、正直私は驚いた。
高度な映像技術のスキルをもっている白組という会社に入社して、
実績を積み上げてきた人が、会社のバックアップを受けて
この映画をものにした、ということなのだろう。
どこかのブログで「映像オタクの新境地」と言っていた、分かる気がする。
これは新しいモノ作り、映画作りのカタチではないかと思った。
戦後の疲弊した当時の日本において、東京タワーは高度成長の先駆けとして
明るい未来を象徴する建造物だった。
東京タワーが完成するのが1958年(昭和33年)である。
私は高校1年生だった。1960年(昭和35年)に新潟から東京に集団就職をする。
夢と希望とあこがれをもってSL列車にのり、上野駅に着いた時の感激が
映画のシーンを見ていて、よみがえってきた。
当時の列車内部ディティール、上野駅の壁面に描かれていた壁画までが
再現されていて嬉しくなった。
あの大壁画は、集団就職で最初に上野駅につき、上野駅の雑踏の中ではじめて
見たのだが、大東京の心象風景として心のひだに残っている。
今はなくなった都電が走っている東京の町並みは、高いビルがなく、
空が広く夕日もきれいだっただろう、それを見事に再現してみせてくれた。
これがVFXの技術なのだろう。未来を作るより50年前の東京の風景を再現する方が
よほど難しかっただろう、と想像できる。CG合成の違和感はなかった。
映画のストーリーの進行とともに、東京タワーができていくという設定がいい。
これから未来を築いていくという前向きな気概が
東京タワーに象徴されているからだ。
町の隅々までに熱気が溢れた様子が映画でもよく表現できていて、
それがこの映画にリアルを与えている。
1964年に東京オリンピックが開催される。
この時代から東京は急激に変わり始める。
古い建物に代わってビルが建設され、首都圏高速道路が作られると共に
都電が消えていく。高度成長の影で古いものが捨てられてきたのだ。
日本橋の上空に、首都圏高速を作ってしまった。
東京ほど急激変化した都市は、世界の中でも類がないのではないだろうか。
ともかく当時の日本人は、誰もが21世紀に明るい未来を感じていた。
この映画が今受ける要因は病める国、日本の社会背景があると思う。
21世紀になって、物質的には確かに豊かになった。
今や三種の神器どころか携帯やPCを持っていて当然の経済大国
日本で失ったもの、それが何か・・・ということを、
この映画は見た人に問い掛けているようだ。
三丁目に生活している庶民の暮らしと生き様を通して、忘れていたものを
蘇らせてくれる見事な作品となっている。
吉岡秀隆、堤 真一、小雪、薬師丸ひろ子、三浦友和らの出演者も昭和30年代を
生きていた人として、生き生きと演じていた。
昭和の子供を見事に演じた二人の子役にも拍手を贈りたい。
これから国内のおける今年の色んな映画賞が決まっていくのだろうが、
その先陣を切って、「報知映画賞」(第30回)が先日発表された。
いま公開されている『ALWAYS 三丁目の夕日』が、
作品賞と助演男優賞(=堤真一)
と助演女優賞(=薬師丸ひろ子)を受賞した。
私のエッセイでの「続」だということをまずお断りしておく。
この映画について、もっと知りたいと思って、
映像プロダクション白組に勤めている弟から資料を送ってもらった。
資料には、この映画づくりの裏話・エピソードなどがたっぷり詰まっていた。
監督・脚本・VFXを山崎 貴という人が担当していたことを知った。
監督が若いのに驚いた。山崎監督は丁度東京タワーが完成した年、
1958年長野県で生まれた。ということは、生まれる前の東京を
再現したことになる。東京オリンピックの年は6歳ということになる。
阿佐ヶ谷美術専門学校卒業後、白組に入社。ここでデジタル映像や
イベント映像に参加して高い映像技術を身に付ける。
2000年、監督デビューを飾った作品「ジュブナイル」は高い評価を得る。
現在、理屈抜きに面白いエンターテイメント作品を撮れる業界注目の映像作家、
ということが理解できた。しかも山崎さんは白組の会社員として
この映画を作ったということに、正直私は驚いた。
高度な映像技術のスキルをもっている白組という会社に入社して、
実績を積み上げてきた人が、会社のバックアップを受けて
この映画をものにした、ということなのだろう。
どこかのブログで「映像オタクの新境地」と言っていた、分かる気がする。
これは新しいモノ作り、映画作りのカタチではないかと思った。
戦後の疲弊した当時の日本において、東京タワーは高度成長の先駆けとして
明るい未来を象徴する建造物だった。
東京タワーが完成するのが1958年(昭和33年)である。
私は高校1年生だった。1960年(昭和35年)に新潟から東京に集団就職をする。
夢と希望とあこがれをもってSL列車にのり、上野駅に着いた時の感激が
映画のシーンを見ていて、よみがえってきた。
当時の列車内部ディティール、上野駅の壁面に描かれていた壁画までが
再現されていて嬉しくなった。
あの大壁画は、集団就職で最初に上野駅につき、上野駅の雑踏の中ではじめて
見たのだが、大東京の心象風景として心のひだに残っている。
今はなくなった都電が走っている東京の町並みは、高いビルがなく、
空が広く夕日もきれいだっただろう、それを見事に再現してみせてくれた。
これがVFXの技術なのだろう。未来を作るより50年前の東京の風景を再現する方が
よほど難しかっただろう、と想像できる。CG合成の違和感はなかった。
映画のストーリーの進行とともに、東京タワーができていくという設定がいい。
これから未来を築いていくという前向きな気概が
東京タワーに象徴されているからだ。
町の隅々までに熱気が溢れた様子が映画でもよく表現できていて、
それがこの映画にリアルを与えている。
1964年に東京オリンピックが開催される。
この時代から東京は急激に変わり始める。
古い建物に代わってビルが建設され、首都圏高速道路が作られると共に
都電が消えていく。高度成長の影で古いものが捨てられてきたのだ。
日本橋の上空に、首都圏高速を作ってしまった。
東京ほど急激変化した都市は、世界の中でも類がないのではないだろうか。
ともかく当時の日本人は、誰もが21世紀に明るい未来を感じていた。
この映画が今受ける要因は病める国、日本の社会背景があると思う。
21世紀になって、物質的には確かに豊かになった。
今や三種の神器どころか携帯やPCを持っていて当然の経済大国
日本で失ったもの、それが何か・・・ということを、
この映画は見た人に問い掛けているようだ。
三丁目に生活している庶民の暮らしと生き様を通して、忘れていたものを
蘇らせてくれる見事な作品となっている。
吉岡秀隆、堤 真一、小雪、薬師丸ひろ子、三浦友和らの出演者も昭和30年代を
生きていた人として、生き生きと演じていた。
昭和の子供を見事に演じた二人の子役にも拍手を贈りたい。
これから国内のおける今年の色んな映画賞が決まっていくのだろうが、
その先陣を切って、「報知映画賞」(第30回)が先日発表された。
いま公開されている『ALWAYS 三丁目の夕日』が、
作品賞と助演男優賞(=堤真一)
と助演女優賞(=薬師丸ひろ子)を受賞した。