いつもご閲覧いただいとる方々にはあらかじめお断りしとくけん。
きょうは笑かしたろうというモクロミはいっさいないけん。
きょうは1月17日、地震で神戸を中心に多くの人たちが被災して、6千人以上の人が亡くなった日じゃけん。
また、湾岸戦争が始まって、大勢の人が無差別に命を落とした日でもあるけん。
でも、わしとワイフさまにとってはのう、もっとも愛したあの人を失うた日でもあるけん。
きょうのように空気が澄んでよう晴れた日には、彼女と出会った時、別れの時の情景がきのうの事のように思い出されるけん。
彼女はわしらに、いろんな事を教えてくれたけん。
命の始まりと終わり…、そして、命を奪う事でわしらが生かされとる事を…。
病気と闘いながら、短い一生を懸命に生き抜いた彼女の姿に、わしらは多くの事を学んだけん。
今、わしは彼女が産まれた都心を臨む高台に来て、このブログを書いとるけん。
今のわしがあるのは、彼女のおかげだと感謝してもしきれんけん…。
けさ彼女はワイフさまの夢枕に現れたそうじゃけん。
今でも近くにおって、見守ってくれとるのかのう…。
いつもわしの拙いブログを見とる人も、偶然来られたネットサーファーさんも、きょうはいろんな意味で命の事を考えてほしいけん。
きょうは笑かしたろうというモクロミはいっさいないけん。
きょうは1月17日、地震で神戸を中心に多くの人たちが被災して、6千人以上の人が亡くなった日じゃけん。
また、湾岸戦争が始まって、大勢の人が無差別に命を落とした日でもあるけん。
でも、わしとワイフさまにとってはのう、もっとも愛したあの人を失うた日でもあるけん。
きょうのように空気が澄んでよう晴れた日には、彼女と出会った時、別れの時の情景がきのうの事のように思い出されるけん。
彼女はわしらに、いろんな事を教えてくれたけん。
命の始まりと終わり…、そして、命を奪う事でわしらが生かされとる事を…。
病気と闘いながら、短い一生を懸命に生き抜いた彼女の姿に、わしらは多くの事を学んだけん。
今、わしは彼女が産まれた都心を臨む高台に来て、このブログを書いとるけん。
今のわしがあるのは、彼女のおかげだと感謝してもしきれんけん…。
けさ彼女はワイフさまの夢枕に現れたそうじゃけん。
今でも近くにおって、見守ってくれとるのかのう…。
いつもわしの拙いブログを見とる人も、偶然来られたネットサーファーさんも、きょうはいろんな意味で命の事を考えてほしいけん。
神戸、、早いものですね。11年もたってしまったのですね。
皆さん幸せで満たされているように思ってしまいます。
でも、ふとした時に書かれたのを読んで、
ああ、いろんなことを乗り越えてこられたんだな、って。
お子さんを亡くされた方、病気と闘っている人
家と家族を失った人、
愛すべきペットを失った人・・・
monemoneさんも大事な人とお別れしたご経験があるのですね・・
そういう日に夢の中に現われるなんて、
偶然じゃなくって目に見えない神秘的なこともあるって、
改めて信じたくなります。
私も95年の震災で九死に一生を得ました。
そういうのがあると、生かされているというのを切実に感じます。
いつもメシ食うかギター弾いてる姿しか見た事ない二人も、あの地震を経験しとるんじゃのう。
11年もたって、わしの記憶も風化しかかっとるけど、当事者には一生忘れられん出来事なんじゃのう。
そうじゃのう、わしのだいじな彼女との思い出も、風化するどころか神話化しとるような気がするけん。
大変だったのう、とかなんとか言葉をかける事は簡単じゃけど、被災した人の心持ちをホントに分かってあげられるかどうか、わしには自信はないけん。
こればかりは経験せん事には、どれほど大変な思いをしたのか理解する事はできんけん。
もちろん神戸だけでのうて、福岡でも、新潟でも、地震だけでのうて豪雪や台風…、いろんな災害がそうじゃけん。
元阪神タイガース監督で往年の名投手の故村山実さんが、震災直後車で生活しとるというニュースを見て、災害は誰の身にも分け隔てのう降り掛かるという事を知ったけん。
明日は我が身、じゃけん今日を大事に生きていかんといかんという事じゃけん。
愛しの彼女は、死の間際に身をもって教えてくれた事でもあるけん。
一人は残念だったけど、四人は元気に育ってほしいけん。
ちなみに、きょう話題にしとる彼女も四人のコネコのおかあさんだったけん。
まあ下町の食品工場の裏に住み着いとったフーテンじゃけん、ロシアンブルーと一緒くたにするのも失礼な気もするけどのう。
でも、出産したその日の、妙に清々しい表情は忘れられんけん。
コドモが生まれた喜びというんは、ヒトもネコも変わらんのかも知れんけん。
死んでしまったのではなく、私がふがいなくて何の力もなかったために、その二匹を守ってあげられなかったのです。一度は私が小学生のとき、二度目は私が高校生のときです。小学生のときは「車にはねられて死んでしまった」と言いくるめられましたが、さすがに二度目は気づきました。私が学校に行っている間に祖母に遠くへ捨てられてしまったのです。老猫になって、みすぼらしくなったというだけの理由で。
今でも思い出すと涙がでます。
もし次に猫と暮すのなら、私が先に死なない限り、死を見取ってやろうと決めてます。
最後を見取る覚悟がのうては、一緒に暮らすことは許されんけん。
そういう責任を理解しとらん人が多いけん。
この考えは割と新しいみたいで、聞くと回りにもおばあさんに…というような話がちらほらあるけん。
なかにはもっと残酷な話もあってのう、聞くに堪えんエピソードもあるけん。
それがフツーだった時代もあったようじゃけんおばあさんは責めたりできんけどのう。
いつの日かネネムさんにもすばらしいパートナーが現れる事を期待しとるけん。
ネコ、ヒト?、どっちでもいいけどのう!。