福田元美のブログ

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お仕事のことや、日常のことなどをまとめてます。

様々な考察。

2020年04月20日 | 日記
考えがまとまらないうちに書き始めます。
「考えをまとめるために書く」のかもしれません。
「書く」ということ、言葉にするということは考えを明確にしていきます。

今、今する話はどんな場面でも「新型コロナウイルス」についてがほとんどです。
会話でも、メールでも、手紙でも、こればかりです。
逆にまったく触れない場合もありますが、違和感さえ感じてしまうほど(この件に関して無痛な方なのかな、と)すっかりコロナ一色です。
私に関して言えば、それほど神経質ではありませんが、無神経でもありません。
ほどほどに接しています。
ほどほどに仕事があり、ほどほどに休みがある。
ほどほどに緊張して、ほどほどに楽しいことにも目を向ける、そんな毎日です。
正直言えば、心配のない毎日ではありません。
今月は、「現実を見ろ」と、周囲に説教されかねない稼ぎを叩き出しております(笑)
でもしょうがないじゃないの、ウイルスだもの。
見えない敵なんだもの。
やっていくしかないじゃない。

文字にするときも口にするときも「コロナ」を使わないようにしています。
今日はテーマがコロナウイルスだったので渋々使いました。
なんか、文字にしたくないのです。そして目にしたくない。
見えない敵と闘う今、なんだかその単語からも蝕まれていくような気がしてならないのです。
見るだけで呪われてしまう貞子のビデオ、のように。
一気に免疫が落ちるような気さえします。
(それは私の感じる力が強すぎるのでしょう)

今回は少し長くなります。

多くの方々はどう暮らしていくか、どう仕事をしていくか、模索しておられることと思います。
正解のない判断を日々迫られています。
本来ならばすべての人が一定期間外部との接触を断ち、家でじっとしていることが望ましいのでしょうが、
それは無理な話です。
誰かが外出自粛をするために、誰かが感染リスクと闘いながら仕事をする必要があります。
そこで、自分がどちらの立場にいるべきか、選択を迫られます。
休むべきか、働くべきか。
働かなければならない理由は何か、今、自分は必要とされているのか、休む側ではないのか。
働かなければ様々な支払いはどうする?
自分が働くことで感染の手助けとなってしまうかもしれないじゃないか。
あの人はこうした、別のあの人はこう決断した。
様々な意見を耳にしてさらに迷い始める。

わたしが思うのはこうです。
雇われているとしたら方針は会社に任せるしかありません。
でもあまりにひどい方針ならば会社への不信感が強まって良い結果は望めないでしょう。
自分の思いとは逆の行動を望まれることもあるでしょう。
自分でお店をやってる場合、営業か休業か、どちらも間違いではないと思います。
もちろん休業要請が出ている以上は休業が大正解です。
でも現実は違います。
みなさん悩んで揺れ動いて決断しかねて、あるいは決断したのちもこれで良かったのかまた考えているのです。
それほど簡単なことではないのだと思います。
また、居住地で感染者がいない場合と、感染者がいる場合では違ってくるように思います。
私の住む管内は感染者が1名ということで休業しているお店はほとんどありません。
ただ、感染者がいない地域が普通に営業を続けていると必ず人が流れてきます。
ここ数日、スーパーやパチンコ店の駐車場に札幌ナンバーや本州のナンバーの車が多いのです。
飛行機は減便になりましたが、車で移動してくるのです。
それは他の街でも起こっていることです。
どこかで締めてどこかで緩めると緩めているところに流れていきます。
自分がこれをしたら先々どうなっていくかという想像ができない人や、
緊急事態宣言の言わんとしていることが理解できていない人や、
(あるいはニュースなどまったく観ていないから、今世界がどんなことになっているか知らない人)
人も自分もどうなってもいい、という人、欲望に忠実な人、
自分くらい要請に背いてもたいしたことないよね、感染してないし、って人。
そのような人たちが残念ながらいなくなることはこの先もないのです。
それを思うとやはり休業することが正解のような気持ちになるでしょう。
休業を決めた人にとっては休業が正解です。

では営業することに決めた人についてはどうでしょう。
それも間違いではないように思います。
万全の対策をもって、最善の営業形態に変更しての営業継続であればいいと思います。
多くの飲食店がテイクアウトや出前を始めています。
美味しい食事は体を満たしてくれ心をも豊かにします。
そこに会話がなくなってしまったとしても、
変わらぬ思いを込めて人の手で作られたものは食べる人を喜ばせてくれます。
そしてお客もまた、そのお店に迷惑をかけないように、
菌を持ち込まないこと、距離を保つこと、感謝の気持ちを忘れずに、
営業してくれているお店を利用すればいいと思います。
いつか収束し、そのお店が営業し続けていられるように私たちが出来ることといえば、
やはり口だけの応援ではなくそこへ行くことなのです。
自分のお店が感染源になってしまうことの恐れはあると思います。
でも営業していることでお客様を励ますことが出来る、それを大切にしたいのだとしたら、
(もちろん経営のために営業しなければならないということもあるでしょう)
それもひとつの正解だと考えてしっかり対策しながらの営業をしていただきたいと思います。
そしてお客である私たちもしっかりと自覚をもってルールを守る必要があります。

それでは、私のような創作をしている人はどうでしょう。
様々なイベントが中止になっています。
美術館も休館。ライブも中止。
このようなことがあると真っ先に文化や芸術、音楽は「生きていく上で最も必要なこと」からはじかれます。
創作をしている人たちも活動の場をほぼ奪われているのではないでしょうか。
(このような危うさを誰もが心のどこかに抱えながら活動してはいると思いますが)
とにかく人との接触を減らすべきなのだから、
どのような策を講じたとしても中止や延期が妥当であると思われているだろうし、
中止にしない時には「強行」ととられかねないように思います。
中止や延期はやむなし、だとしても、出来ることはあると思います。
飲食店がテイクアイトに活路を見出したように、
創作の世界も何か方法があると思います。
今はまだ収束と生活していくことが最優先ではありますが、
弱った心を励ますのも、
沈んだ気持ちを明るく照らすのも、
迷って正解が見えない時に道を指し示してくれるのも、
明るさや前向きな気持ちを分け合うことが出来るのも、
文化や芸術や音楽の役目なのだと思います。
無くても生きていけるものにこそ、
奮い立たせる力を生むのではないか、と考えています。

わたしはマスクを縫うことが出来ません。
(型紙を見るだけで面倒くさくなっちゃって。やれば出来ると思うけど)
勇気づける歌を歌うことも出来ませんが、
自分の出来ることで少しでも元気を分けることが出来れば、と考えています。

昨日、YouTubeでプレミア公開されたライブを観ていて思いました。
悪いことばかりを見つけ出そうと注意深く物事をみるのではなく、
いいことや美しいこと、楽しいこと、明るいことを見つけるようにして暮らした方が人生は素晴らしいものに変わる。
同じ時間の過ごし方をするのなら、断然後者の方が良い。
ただ、悪いことも存在するということは覚えておく必要がある。
そして悪いことを断つのは自分の考え方次第なのだ、とも。

山の残雪の白の眩しさ、
天気がいい日のたんぽぽの鮮やかな黄、
雨の予感、
立ちのぼる土埃の匂い、
海上の流氷情報、
おぞましい量の蕗の薹(ちょっと苦手)、
熊の出没、白鳥の渡り、
確実に季節は進み、
私たちが自然とともに生きていることを知らせてくれる。
菌に怯えていてもいつもどおりの自然界。
変わらぬ変化に安心を覚える。

長文で失礼しました。
また近いうちに更新します。

最後に。
医療従事者の方々、休みたいけど休めないお仕事の方々、コロナウイルス関係で常に気を張って仕事をせざるを得ない方々に感謝申し上げます。
この方々のためにも節度ある行動、感謝の気持ちを持つこと、我を忘れないこと、自分さえ良ければいいという考えを捨てること、距離をとること、自分が保菌者かもしれないと思って行動すること。
これらの行動が増えてくれますように。
それで少しでも思い煩う事柄が減ってくれますように。














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