福田元美のブログ

イラストや文章を書いてます。
お仕事のことや、日常のことなどをまとめてます。

2020年4月25日土曜日

2020年04月25日 | 日記
日々状況が変化していますが、いかがお過ごしですか?
わたしは新作のイラストポストカードを制作していました。
ありがたいことに、置いてくださるお店がわたしにはあるので、
お客様に見ていただく機会を与えてくれるお店に感謝しています。
新作は昨年9月ぶりとなり、その時に出したイラストは体調を崩す前に描いておいたものを使ったので、
今回の新作が正真正銘、再開後、初のイラストとなります。
毎回、今回は作れないんじゃないかという漠然とした不安に襲われ、
そして根拠のない自信が芽生え、気がつけば出来ていた、というのがいつもの流れ。
いつも気がつけば出来ています。(途中から別の人がやってくれたんじゃないかな、という感じで)
それでもさすがに今回は再開後初の新作なので、いつものようにはいかず、
季節のモチーフは断念しました。
このところ勘を取り戻すべく描いていたのがほとんどどうぶつだったため、
新作はどうぶつスペシャルとなりました。

新作が出来たことをもっと喜んでもいいようなものですが、
(出来るとは思えない状態が長く続いたので)
淡々といつも通り作業をしてポストカードを送り出しました。
お客様が外出自粛でお店にいらっしゃれないという時期だから、
この今回の新作のスタートは別の意味で少し特別でした。
今のこの緊急事態が、わたしが創作する理由を改めて考える機会となっていて、
生活に密接していない、なくてもいいようなものをわたしはまだ作りたいと思うのか、
(そのときにはまだほとんどお休みをしていたので、このまま辞めることだって可能性としてあった訳で)
表現しないわたしを好きになれるのか、認められるのか、
自分にしか出来ないことはなんなのか、
などなど、考えようとして考えたわけではなく、ただぼんやりとずっと考え続けていたのです。

答えはわたしの中にとどめて置くことにして。
結局、作ることにしました。
いつも自分を追い詰める癖があって、「自分との闘い」みたいに創作していて、
新しいものが出来ればただそれだけで嬉しくて。
自分を更新出来れば満足。
だから今、創作に関して、焦りや迷いはありません。
もちろんだんだん気持ちが荒んで沈んでやる気が起きないような影響は大いにありますが。
(さすがに気持ちが暗くなってきてます。それは認めます)
布マスクを縫うとか、はっきりと人の役にたてるような技術があればいいのですけど、
わたしはこころや感情に訴えることしか出来ないので、
それを大事にしていきたいと思います。
活動に制限がある今だけど、ジッとしているのではなく、手を動かすこと。
それが自分の意思表示のように必要なことのように思いました。


状況が刻一刻と変化していて、時々振り落とされそうになります。
1日や2日、情報を遮断する必要があるかも知れません。
体調を崩したとき、いちばんきつかったのが情報の処理でした。
わたしにとって、街の中のすべてが情報でした。
数分の買い物もつらかった。音、文字、人。。。
とにかく家でも寝ていて、本(大きな文字、少ない行)を読むのが唯一の出来ること。
そして頭の中を整理するためにノートに書き留めていました。
本を読む。文を書く。
これはとても役に立ちます。
日々、考えあぐねて迷ってばかりでは疲弊しきってしまいます。
ある程度情報を仕入れたら、方針を決めて、後は迷わずそれに従う。
決めた人たちは強いように思います。
そして近頃ではイライラした迷惑な人たちが増えてきています。
自分までもそうならないように、自制出来るよう、平穏な気持ちを保てるように過ごせたらいいですね。
外出自粛をさらに強化していく必要がありますが(今が踏ん張りどきだと思います。中途半端にやっていても長期化するだけです)、あまり自分を律し続けていると壊れてしまいます。
時々は甘やかして、甘やかす方法はいくらでもありますから、
ご自宅で健康的にお過ごしくださいね。


画像は北海道新聞がマスクの実寸大型紙を載せてくれたものです。
作ろうかな、でも面倒だな、と思っているいいタイミングで載っていました。
材料のゴムが不足しているようですが、
タイツを輪切りするとクルンと丸まって輪ゴムのようになります。
耳あたりもソフトなのでおすすめです。
伯母が作ってくれたものがタイツのゴムでした。
作ろうかな、でもやっぱり面倒(笑)
ミシンが壊れているんだもの。ミシンも品薄みたいですね。
体温計も、体温計のボタン電池も品薄だ、と。
いろんなものが連鎖しているんですね。
それでも一時期品薄だったものが売り場に戻ってきているようでもあるので、
少しは希望が持てます。
冷静な判断も必須です。

ホームページにお取り扱い店の営業/休業についてのまとめを載せました。
どうぞそちらもご覧いただければ、と思います。













様々な考察。

2020年04月20日 | 日記
考えがまとまらないうちに書き始めます。
「考えをまとめるために書く」のかもしれません。
「書く」ということ、言葉にするということは考えを明確にしていきます。

今、今する話はどんな場面でも「新型コロナウイルス」についてがほとんどです。
会話でも、メールでも、手紙でも、こればかりです。
逆にまったく触れない場合もありますが、違和感さえ感じてしまうほど(この件に関して無痛な方なのかな、と)すっかりコロナ一色です。
私に関して言えば、それほど神経質ではありませんが、無神経でもありません。
ほどほどに接しています。
ほどほどに仕事があり、ほどほどに休みがある。
ほどほどに緊張して、ほどほどに楽しいことにも目を向ける、そんな毎日です。
正直言えば、心配のない毎日ではありません。
今月は、「現実を見ろ」と、周囲に説教されかねない稼ぎを叩き出しております(笑)
でもしょうがないじゃないの、ウイルスだもの。
見えない敵なんだもの。
やっていくしかないじゃない。

文字にするときも口にするときも「コロナ」を使わないようにしています。
今日はテーマがコロナウイルスだったので渋々使いました。
なんか、文字にしたくないのです。そして目にしたくない。
見えない敵と闘う今、なんだかその単語からも蝕まれていくような気がしてならないのです。
見るだけで呪われてしまう貞子のビデオ、のように。
一気に免疫が落ちるような気さえします。
(それは私の感じる力が強すぎるのでしょう)

今回は少し長くなります。

多くの方々はどう暮らしていくか、どう仕事をしていくか、模索しておられることと思います。
正解のない判断を日々迫られています。
本来ならばすべての人が一定期間外部との接触を断ち、家でじっとしていることが望ましいのでしょうが、
それは無理な話です。
誰かが外出自粛をするために、誰かが感染リスクと闘いながら仕事をする必要があります。
そこで、自分がどちらの立場にいるべきか、選択を迫られます。
休むべきか、働くべきか。
働かなければならない理由は何か、今、自分は必要とされているのか、休む側ではないのか。
働かなければ様々な支払いはどうする?
自分が働くことで感染の手助けとなってしまうかもしれないじゃないか。
あの人はこうした、別のあの人はこう決断した。
様々な意見を耳にしてさらに迷い始める。

わたしが思うのはこうです。
雇われているとしたら方針は会社に任せるしかありません。
でもあまりにひどい方針ならば会社への不信感が強まって良い結果は望めないでしょう。
自分の思いとは逆の行動を望まれることもあるでしょう。
自分でお店をやってる場合、営業か休業か、どちらも間違いではないと思います。
もちろん休業要請が出ている以上は休業が大正解です。
でも現実は違います。
みなさん悩んで揺れ動いて決断しかねて、あるいは決断したのちもこれで良かったのかまた考えているのです。
それほど簡単なことではないのだと思います。
また、居住地で感染者がいない場合と、感染者がいる場合では違ってくるように思います。
私の住む管内は感染者が1名ということで休業しているお店はほとんどありません。
ただ、感染者がいない地域が普通に営業を続けていると必ず人が流れてきます。
ここ数日、スーパーやパチンコ店の駐車場に札幌ナンバーや本州のナンバーの車が多いのです。
飛行機は減便になりましたが、車で移動してくるのです。
それは他の街でも起こっていることです。
どこかで締めてどこかで緩めると緩めているところに流れていきます。
自分がこれをしたら先々どうなっていくかという想像ができない人や、
緊急事態宣言の言わんとしていることが理解できていない人や、
(あるいはニュースなどまったく観ていないから、今世界がどんなことになっているか知らない人)
人も自分もどうなってもいい、という人、欲望に忠実な人、
自分くらい要請に背いてもたいしたことないよね、感染してないし、って人。
そのような人たちが残念ながらいなくなることはこの先もないのです。
それを思うとやはり休業することが正解のような気持ちになるでしょう。
休業を決めた人にとっては休業が正解です。

では営業することに決めた人についてはどうでしょう。
それも間違いではないように思います。
万全の対策をもって、最善の営業形態に変更しての営業継続であればいいと思います。
多くの飲食店がテイクアウトや出前を始めています。
美味しい食事は体を満たしてくれ心をも豊かにします。
そこに会話がなくなってしまったとしても、
変わらぬ思いを込めて人の手で作られたものは食べる人を喜ばせてくれます。
そしてお客もまた、そのお店に迷惑をかけないように、
菌を持ち込まないこと、距離を保つこと、感謝の気持ちを忘れずに、
営業してくれているお店を利用すればいいと思います。
いつか収束し、そのお店が営業し続けていられるように私たちが出来ることといえば、
やはり口だけの応援ではなくそこへ行くことなのです。
自分のお店が感染源になってしまうことの恐れはあると思います。
でも営業していることでお客様を励ますことが出来る、それを大切にしたいのだとしたら、
(もちろん経営のために営業しなければならないということもあるでしょう)
それもひとつの正解だと考えてしっかり対策しながらの営業をしていただきたいと思います。
そしてお客である私たちもしっかりと自覚をもってルールを守る必要があります。

それでは、私のような創作をしている人はどうでしょう。
様々なイベントが中止になっています。
美術館も休館。ライブも中止。
このようなことがあると真っ先に文化や芸術、音楽は「生きていく上で最も必要なこと」からはじかれます。
創作をしている人たちも活動の場をほぼ奪われているのではないでしょうか。
(このような危うさを誰もが心のどこかに抱えながら活動してはいると思いますが)
とにかく人との接触を減らすべきなのだから、
どのような策を講じたとしても中止や延期が妥当であると思われているだろうし、
中止にしない時には「強行」ととられかねないように思います。
中止や延期はやむなし、だとしても、出来ることはあると思います。
飲食店がテイクアイトに活路を見出したように、
創作の世界も何か方法があると思います。
今はまだ収束と生活していくことが最優先ではありますが、
弱った心を励ますのも、
沈んだ気持ちを明るく照らすのも、
迷って正解が見えない時に道を指し示してくれるのも、
明るさや前向きな気持ちを分け合うことが出来るのも、
文化や芸術や音楽の役目なのだと思います。
無くても生きていけるものにこそ、
奮い立たせる力を生むのではないか、と考えています。

わたしはマスクを縫うことが出来ません。
(型紙を見るだけで面倒くさくなっちゃって。やれば出来ると思うけど)
勇気づける歌を歌うことも出来ませんが、
自分の出来ることで少しでも元気を分けることが出来れば、と考えています。

昨日、YouTubeでプレミア公開されたライブを観ていて思いました。
悪いことばかりを見つけ出そうと注意深く物事をみるのではなく、
いいことや美しいこと、楽しいこと、明るいことを見つけるようにして暮らした方が人生は素晴らしいものに変わる。
同じ時間の過ごし方をするのなら、断然後者の方が良い。
ただ、悪いことも存在するということは覚えておく必要がある。
そして悪いことを断つのは自分の考え方次第なのだ、とも。

山の残雪の白の眩しさ、
天気がいい日のたんぽぽの鮮やかな黄、
雨の予感、
立ちのぼる土埃の匂い、
海上の流氷情報、
おぞましい量の蕗の薹(ちょっと苦手)、
熊の出没、白鳥の渡り、
確実に季節は進み、
私たちが自然とともに生きていることを知らせてくれる。
菌に怯えていてもいつもどおりの自然界。
変わらぬ変化に安心を覚える。

長文で失礼しました。
また近いうちに更新します。

最後に。
医療従事者の方々、休みたいけど休めないお仕事の方々、コロナウイルス関係で常に気を張って仕事をせざるを得ない方々に感謝申し上げます。
この方々のためにも節度ある行動、感謝の気持ちを持つこと、我を忘れないこと、自分さえ良ければいいという考えを捨てること、距離をとること、自分が保菌者かもしれないと思って行動すること。
これらの行動が増えてくれますように。
それで少しでも思い煩う事柄が減ってくれますように。














手紙を書くこと。

2020年03月26日 | 日記
直接誰かと会う機会が激減している今、
電話は無駄なことを話してしまうし、
電子メールは流れ星のように一気に駆け抜けて行ってしまう。
どちらもお互いの記憶に残るし、親交は深まる。
では手紙はどうでしょう。
手紙はとにかく時間がかかる。
便箋を選び、あるいははがきを選び、さらにはペンを選ぶ。
普段使っているボールペンはやめにして、万年筆にしてみたりする。
すると選んだ紙との相性が悪くにじんだり、かすれたり、速度が遅かったりでうんざりする。
結局いつものボールペンに変えて書き直し。
何度も書き直して便箋を何枚も無駄にし(大きな余白は切ってメモとして使う)、
あるいは書きまくりすぎて新しい一筆箋1冊を使い切りそんなに書くなら便箋にすればよかったとあとの祭、
そうして最後に日付と名前を書いて封筒に入れる。
封をしてマスキングテープやシールを貼る。
宛名を書いて自分の住所の判子を押す。
全体の重さを計って25グラム超えてないか確認。
記念切手を選んで貼る。季節や土地柄、相手の趣味を考慮して。
曲がらないように貼るけどだいたい曲がっている。



それで手紙は完成。
でもそれだけでは相手に届かない。
外へ出て、ポストへ向かう。
そして投函。
郵便やさんに集荷され、仕分けされ、運ばれてまた仕分けされ、ようやく配達される。
届いた手紙は相手の手に渡り、封を切られてようやく読まれる。
急いでいる時は流し読みしたのち再度じっくり読まれ、時間がある時はコーヒーをいれてからゆっくりと読まれる。
または嬉しくて玄関で立ち読み、なんてことも。
そこまででかなりの時間を要しているが、でもまだ一方通行。
同じようなプロセスをふんで返事が返ってくる。
貼られた切手に一喜一憂、マスキングテープを剥がして手帳の今日のページに貼り付ける。
一緒にドリップコーヒーが同封されていたりしたらすぐに頂いて返事に感想などを書く。
文字の乱れから相手の調子の悪さを感じ取ったり、
文字の大きさでコンディションがわかったり、
活字では伝わらないわずかなサインを感じたりするのも手紙のよさ、だ。
調子が悪い時は文字を書くのもやっとだ。
相手の住所は書かなければ届かないから書くが、自分の住所を書くのは億劫、というくらいしんどい時もある。
それでも大切なことだから手紙で伝えたい、と手紙を書く。
電話では照れ臭くて言えないことも、メールだと気持ちが伝えきれないことも、
手紙なら伝えることが出来る。
時間をかけた分、そして人によって運ばれるからこそのありがたみ、重み、思いの深さ、
それが手紙のよさだと思う。

人と人が直接会わなくてもいいように時代が変わって行ってしまうような流れを感じる今、
そんな今こそ手紙という存在が大きな力を発揮するのではないだろうか、とふと思う。
それでも多分書かない人は書かないし、必要ない人は無くても生きていける。
でも少しでも手紙が届く嬉しさを知っているのなら、誰かに手紙を書いてみてはいかがでしょうか。
立派なレターセットが無くても大丈夫。
チラシの裏でまったく問題なし。
封筒が無くても大丈夫。ちょっとした紙に包んで閉じるだけで送れます。
もちろん、相手を思ってレターセットやポストカードを選ぶたのしさもあります。
手紙は84円切手、はがきには63円切手を。
料金が不足している時には戻って来ますので差額分を貼って再度投函してください。
自分の住所もしっかり書いて、相手の名前はとりわけ丁寧に。


気にしすぎは体に毒です。
でも何もしないのはベストではありません。
最低限出来ることはする。
そして自己免疫力を高めるような暮らし方をそれぞれがする。
自分を守り相手を傷つけないように。

想像力を豊かに。
どうぞすこやかにお過ごしください。







「プールの匂い」出来ました。

2020年02月15日 | 日記
こんばんわ。
フリーペーパー「プールの匂い NO.71」が予定よりも早くに完成いたしました。
週明けに発送いたします。
どうぞもうしばらくお待ちくださいませ!

2020年2月13日 木曜日

2020年02月13日 | 日記
どうも、こんばんわ。
今日は暖かい1日でしたね。
でも一日中机に向かいっぱなしで、少し反省しております。
(休憩しないやり方、改善しようと思ってたのに、出来るとついやり続けちゃう。さすがに体調崩してからは反省して治るかと思ったのに)
というわけで、「プールの匂い」が予定よりも早くお届け出来そうです。
今月中には出来ると思います。
(今月後半は忙しいのでそこで作業がどのくらいできるかにもよりますが)

カレンダーは過ぎてしまった1月2月も含んだ12カ月分としました。

もう少々お待ちくださいませ。

TwitterやInstagramもぼちぼち更新していますのでそちらもどうぞご覧くださいね。

ではでは、おやすみなさい。