えっと、じゅんいちさんからの質問があったので、コメントじゃなく記事にしちゃいました。
『教室を開こうとは思わなかったのですか?』という質問ですが、答えは『考えなくもない』という感じです。
私は教える仕事をしていました。
もともと知的障害者施設の援助員をしていました。
この仕事は本当に大好きで、自分にも合っていると今でも思います。
でも、いろいろな理由からその職から離れました。(理由を書くと長すぎるので省略)
で、次に就いた仕事は専門学校での仕事。
事務、経理もやりつつ福祉科の担任をし、週に2コマほど授業をしていました。
学生からの評価も悪くなく、楽しく仕事をさせてもらいました。
でも…私、『先生』と呼ばれるのが好きじゃないんです。。。
援助員をしていたころ、保護者からよく『先生』と呼ばれることがありました。
施設は学校じゃないし、まして利用者の方は私より年上の方も多いです。
でも、保護者から見れば「お世話になってる」という気持ちからそう呼んでしまうのでしょう。
でも、利用者と援助員の立場に上下関係はありません。
私が入った頃、私たちの職名は『指導員』でした。
この呼び方自体が間違い。
本部も間もなく職名を『援助員』と改めました。
世の中の『先生』を否定するつもりは全くないのですが、学校関係者の方との接点も多い仕事だったので、『先生』とはよくお話したりもしました。
そこで、よく感じたこと。
“学校”という特殊な環境の中で、ある意味持ち上げられている状態、『ありがとう』と感謝されるのが当たり前の状態が続くと、社会的な常識が薄くなるのだろうか?ということ。
世の中の『先生』と呼ばれる人。
議員やお医者さんもそうですね。
何か、勘違いをされている方が目についてしまったのです。
それは、福祉施設の職員にも言えること。
確かに、感謝されることの多い仕事です。
私も自分の仕事を聞かれ、『福祉職です』と答えると『偉いわねぇ!』とよく言われました。
これが、いつも居心地の悪い違和感を覚えました。
無料で奉仕しているなら、確かに偉いかもしれません。
しかし、あくまでも仕事です。
お金をもらって当たり前に仕事をしているだけです。
でも、勘違いしてしまうんですねぇ。。。
学校を出て、そのまま福祉の世界に入って長い人。
居るんですねぇ。。。『福祉○カ』と呼んでいましたが。
もちろん、全部ではありません。
福祉職員も、学校の先生も、お医者さんも、議員さんも、いい人はたくさん居ます。
でも、勘違いしている人も本当に多い気がします。
そんな経験からか、なんとなく『先生』と呼ばれる仕事に抵抗があるんですよねぇ。
変かなぁ?
あと、実際に私がブラストの教室を開く自信も今はないんですよね。
現在の工房も自宅の一部屋を使ってやってるだけですし。
どこかに部屋を借りて教室を開く資金もないし。
まぁ、余裕が出来たら考えるかもしれませんが…という感じですね。
『教える』仕事自体は、嫌いじゃないんですけどね。
画像は退職するときに、同じ年で仲良しの利用者さんが書いてくれた私の似顔絵です♪
私の宝物