
堺から吉野まで、従姉妹の息子の運転で家から吉野まで^^

お会いして参りました。「青不動さま」
来て良かった! (基、連れて来てもらって^^)

履物入れとして頂けます。勿体ないから使いません^^

桜の季節も、秋の紅葉も、冬の木々も、好き!
11月30日が最終日。もう扉は暫く開きません。
三度目。気が済んだ^^ お陰様で~~

山が高いせいか「緑と赤が濃い」 いい色でした~

役行者様のお山

どこまでも「吉野」

従姉です^^

従姉と長男! 美人さんです!! いい男です!!
お見せ出来ないのが残念。 また明日

●追加・動画 鳥取県「三徳山」
鳥取県、三朝温泉の近く。
ここも、吉野「金峯山寺・蔵王堂」と同じく「役行者」開祖の寺です。
通称「投げ入れ堂」 役行者が「投げて建立」の伝説あり^^
「馬の背」と言われる三角の頂点の道を登る!
20代に、鳥取に住む学友を頼りに登りました^^
彼は、現在この「投げ入れ堂・修復工事」に参加中です!
「役行者」
役 小角(えん の おづぬ /おづの /おつの、舒明天皇6年(634年)伝 – 大宝元年6月7日(701年7月16日)伝)は、飛鳥時代の呪術者である。役行者(えんのぎょうじゃ)、役優婆塞(えんのうばそく)といった呼び名でも広く知られている[2]。姓は君。 日本独自の山岳信仰である修験道の開祖とされている[3]。 実在の人物だが、伝えられる人物像は後世の伝説によるところが大きい。前鬼と後鬼を弟子にしたといわれる。天河大弁財天社や大峯山龍泉寺など多くの修験道の霊場に、役行者を開祖としていたり、修行の地としたという伝承がある。

奈良から天王寺までの道を作った「聖徳太子」
空に天に、向かって寺を築いた「役行者」
・「無」から生涯をかけ、祈りの為の「社寺」を造る。
今も大切に「お守り」される信者の方々が。
日本人の「誇り」です。