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新一生青年が!

日常の日記です。

コスモスが満開

2021-01-29 20:37:55 | 日記

                            

 

 

                            

 

 

                            

 

 

                            

 

 

                            

                                       読谷中学校前の広場(空地)で咲いていました。


仲之川

2021-01-29 15:11:52 | 日記

                       

 

 

                       

 

 

                       

                         石畳街道から左折して坂を上ると右側にあるが、地面は石畳ではない。

文化財(国指定天然記念物)指定年月日:昭和52年4月8日
仲之川の東方に金城大樋川(カナグスクウフヒージャー)、西方に寒水川樋川(スンガーヒージャー)があり、その中間にあるので「仲之川」と名付けられたといわれている。高台で水が湧く理由は地層に関係し、上層には水を通す琉球石灰岩が、下層には水をとおさないクチャ(泥岩)がある。このカー(井戸)の底辺近くも、クチャ(泥岩)になっていると推測される。仲之川の碑文によると「水は岩根よりコンコンと湧き出て、雨が降っても濁らず、日照りにも渇れず、他村より水くみにきたり、首里城の御用水にもなる重宝な井戸だったが、1863年6月の大雨で西側の石垣が破壊された。原因は地盤の弱さで、積み直すには多額のお金がかかり村だけでは修復できないと困っている時、宮城筑登之親雲上(みやぎチクドゥンぺーチン)・新垣筑登之親雲上(あらかきチクドゥンペーチン)ほか45人の協力とお金で修理することができた。そして2人は、褒賞として位階を頂戴した」ことが記されている。石積みは半円形3段のあいかた積みとなっている。住民と水の関わりを知る上で重要な史跡。

 


弁ヶ嶽

2021-01-29 07:58:56 | 日記

                             

 

 

                             

 

 

                             

 

 

                             

 

 

                             

 

 

                             

 

 

                             

 

 

                             

 

 

                             

                                      お水取りの儀式で使っていた井戸(弁嶽の川)

 

 

 

                             

 

 

                             

 

 

                             

 

 

                             

 

 

                             

 

 

                             

 

 

                             

                                  一等三角点がわからなかった。周囲にはこのような溝が続いていた。

「弁ケ嶽」は首里城の東方約1km の場所にあります。
峰全体が御神体(ごしんたい)になっており、俗に「ビンヌウタキ」とも呼ばれています。
海抜は約165mで沖縄本島では最も高い峰のひとつで、沖縄戦の前までは松などの大木が茂り航海の目印にもなったそうです。
琉球王国時代には年三回(1,5,9月)国王の親祭が行われていました。
弁ヶ嶽には大小二つの御嶽があり、参詣道を挟んで東側の小高い杜になっている方が大嶽、南側の低い方が小嶽で、どちらも神聖な拝所です。
また、大嶽は神名を「玉ノミウヂ スデルカワノ 御イベツカサ」といい久高島への遥拝所(ようはいしょ)、小嶽は神名を「天子(テダコ)」といい、知念村の斎場御嶽(セーファウタキ)への遥拝所であったといわれています。
大嶽前の石門は、1519年頃に園比屋武御嶽(石門)とともに築かれたといわれており構造も工法もよく似ていたそうです。
この石門は1938年に国宝に指定されましたが沖縄戦で壊され、現在のコンクリート造りの門に建てかえられました。