近いうちに、このブログが終了するので!
残念だが、gooブログ終了する事にしました。
5月から新しくブログを開設します。
前々から、準備をしていたが、本格的には投稿していませんが
一度、覗いてみて下さい。
このまま、引っ越しできるのですが?
ライブドアブログ一生青年で投稿していますので!
近いうちに、このブログが終了するので!
残念だが、gooブログ終了する事にしました。
5月から新しくブログを開設します。
前々から、準備をしていたが、本格的には投稿していませんが
一度、覗いてみて下さい。
このまま、引っ越しできるのですが?
ライブドアブログ一生青年で投稿していますので!
旧大宜味村道の駅の隣りにあります。
gooブログは、これで最終になります。
いつも100人前後の方が覗いて下さり
ありがとうございました。
知念地区にある知念城跡。沖縄最古の歌集、『おもろさうし』にも謡われた知念按司の居城とされています。知念城跡は自然の形のままの石を積んだ古い城と、一定の形に切った石を整然と積み上げる切石積みで出来た新しい城の二つの郭からできています。特に正門と裏門の石造りのアーチ門はつくりが美しく、印象的です。知念城跡では、平成14年度から行われた発掘調査で13世紀から15世紀を中心にした土器や輸入陶磁器、それに金属製品のほか、骨類や貝類などが出土しています。また、この場所は、明治時代まで番所や学校などとして使われ続けていたことから一帯からは当時の厨房跡なども見つかっていて中世から近代までのものが入り交ざった複雑な遺構となっています。一方、城の外には石畳の道を挟んで、古い屋敷が点在していて、付近には「受水走水」(うきんじゅ・はいんじゅ)と同様に稲作発祥の地と言われている泉=「ウファカル」もあります。知念城跡は昭和47年[ 1972年]に国から史跡に指定されています。
具志川城跡は沖縄本島の南端、海に突き出した崖〔標高20m〕の上に在り、発掘
調査から12世紀後半~15世紀に築かれたグスクとされる。伝承によると、琉球三山統一
の過程〔14~15世紀初頭〕で抗争に敗れた真達勃按司が久米島に落ち延びて築いたのが
久米島の『具志川グスク』と伝わり、2代目が真金声按司である。真金声按司時代、久米島
の覇権争いが起こり、伊敷索グスクの伊敷索按司の次男真仁古樽の攻撃を受け、久米島『具
志川グスク』は落城。久米島から追放された真金声が糸満に逃れて同名の『具志川グスク』
を築いたと云う。1972年国史跡に指定され、現在は曲輪、石垣が残る。
仲間樋川は浦添市内でもっとも大きな井泉の一つです。1731年の文献「琉球国旧記」にはすでに樋(とい)が掛けられていたこが記述され集落の日常飲用水、生活用水として利用されていたようです。昔から井泉の清浄な水はセジ(霊力)を持つと言われ信仰・祈りの場所としても大切にされています。また水を大切に使うための様々な工夫がされ、飲み水の取水場所と行水・洗濯用の水場、馬や農工具などを洗う雑用水場を通り最後に田畑へと流れ、水の再利用がなされています。
沖縄県島尻郡八重瀬町に位置する自然橋『ハナンダー』
ハナンダーは、琉球石灰岩が侵食によって出来た橋です。
元々は洞窟で、その中に川が流れていましたが、長い年月が過ぎていくにつれて洞窟は落石し、
残った一部が現在のような形になったと考えられています。
2021年3月26日に、国の登録文化財に認定されました。
もう一度行きなさいと言われれば行けない。
後で調べたら与那城池味にある。
道に迷って走っていたら偶然見つけた。
(これでgooブログは終了します。これからはライブドアブログ一生青年へ)