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新一生青年が!

日常の日記です。

てんぷら坂

2021-01-24 15:38:54 | 日記

                            

 

 

 

                            

 

 

 

                                 

 

 

                                 

                                 店の人に教えてもらい覗きました。ここは第二次世界大戦の際に

                                 当時の町内会長が那覇市長の指示で壺屋の住民に命じて掘られた

                                 防空壕である。昭和19年の10月9日に完成(空襲は10月10日)多くの

                                 壺屋の住民が避難し助かった。

                                 残念ながら、壕の中に入ることはできず(崩壊もある?)当時の面影を

                                 見ることはできない。

 

 

                                 

                            

壺屋から牧志(まきし)に至る坂の通称。この坂に天ぷら屋が建ち並び、その名が付いた。
 かつてこの一帯は、「一松尾(ティーツチマーチュー)」・「二松尾(ターツチマーチュー)」と呼ばれる丘陵で、丘には墓が点在し、前の坂道は「ガマヌ下(シチャ)」と呼ばれた。
 1944年(昭和19)9月、壺屋(つぼや)町内会が丘に防空壕を掘り、10月9日に完成した。翌日、米軍の空襲(10・10空襲)があり、1,000人余が避難し助かったという。
 1945年(昭和20)11月に、壺屋・牧志一帯が開放されて以降、那覇の人口が増加するとともに、坂に沿って、壕を利用した天ぷら屋が建ち、人々に食を供し、いつしか通りの通称となった。
 1945年(昭和20)の沖縄戦直後は、天ぷら油は米軍からの「戦果(せんか)」(盗品)のモービル油(機械用潤滑油)が使われたという。黒煙が立ち上り、独特な嗅いで、お腹を下す人もいたというが、食糧不足の時代、天ぷらはご馳走として喜ばれたという。
 1994年(平成6)に着手された牧志・壺屋西線の道路工事に伴い、丘も坂も多くが削られた。 


昼・夕食

2021-01-24 15:32:10 | 食事

                              

 

 

 

                              

                              この量を食べたら1週間はエネルギ―が持つかな?   


内間御殿

2021-01-24 08:37:30 | 日記

                                     沖縄県西原町|内間御殿 (town.nishihara.okinawa.jp)

                              

 

                              

 

                              

 

                              

                             被弾の後だが倒れなかったんだ!

 

 

 

                             

                             りっぱな詳しい案内板だ!

 

 

 

                             

 

                              

 

                              

 

                              

 

                              

 

                              

 

                              

 

                              

 

                                  

                                  このような状態で何年も置いてある!

                             

                             


内間御殿のサワフジ

2021-01-24 08:36:49 | 日記

                            

このサワフジ(サガリバナ)は、樹齢約400年と言われており、本島内で古い老木の内のひとつである。樹高約6m、胸高約2m、枝張りが東西方向に7.4m、南北方向に7.2mである。
 サワフジは、常緑小高木で、アフリカ東海岸から東南アジア、太平洋地域に到る広い範囲に分布し、北限は奄美大島である。 普通、海岸付近の低湿地、マングローブ背後の湿地または内陸の河川沿いの湿地に生育し、しばしば群生する。
 葉は長さ20~30㎝の長楕円形で小さな鈍鋸歯があり、枝先にまとまって付く。 夏になると、葉のわきから直径5㎝、長さ50㎝の総状または穂状の白または淡紅色の花序が垂れ下がり、たくさんの花をつけて美しい。 サガリバナの和名はこれに基づく。花は直径約5㎝で、白から淡紅色に変わり、多数の雄シベがある。ひとつひとつの花は一日で散ってしまうが、穂状花序に残っている
つぼみが咲くので、しばらくは花見を楽しむことが出来る。ただ、開花の時刻が夕方より夜間になるので、気をつけないと見過ごしてしまう。 地元ではその花の形状が、鳩目銭をぶら下げているのに似ていることから、ジンカキーギー(銭掛け木)などと呼んでいる。
 果実は、長さ4~7㎝のやや角張った長楕円形で、軽い繊維質の外皮を持ち、水に浮いて運ばれ繁殖する。果実や樹皮を突き砕いて魚毒とする。
 2003(平成15)年12月26日、沖縄県の「おきなわの名木」に内間御殿石垣内のフクギと共に認定された。また、2012(平成24)年5月8日には、西原町指定の天然記念物となった。