goo blog サービス終了のお知らせ 

新一生青年が!

日常の日記です。

キビ刈りをしている畑で!

2021-01-13 14:41:56 | 日記

                      

 

 

                      

 

 

                      

 

 

                      

                               糸満を走っていると畑に居たのでパチリ!


いつも観察する池で!

2021-01-13 14:39:49 | 日記

                     

 

 

                     

 

 

                     

 

 

                     

 

 

                     

                               まあ、私としては、こんなもんや!

                     


上本部飛行場跡

2021-01-13 09:42:29 | 日記

                   

 

 

 

                   

                        滑走路の基礎部分が固く整地するには多大な費用が掛かるので手つかずで現在に至る。

 

 

     米軍が沖縄本島上陸後、間もなく土地を占領、豊富な物資と軍事力で偵察と本土侵攻のため建設された飛行場です。
     戦後、米軍の物資や弾薬集積所、ヘリコプター演習場として使われ、復帰直前の1969年6月と71年6月の2回に分けて
     全面返還されました。
     しかし、現状復帰されないまま、有効な跡地利用も無く、放置されています。滑走路のほとんどはギンネムなどの雑木に
     覆われ、かつての飛行場の面影はありません。
     1987年、防衛庁がシーレーン防衛計画の一環として、自衛隊のP3C対潜水艦作戦センター(ASWOC)送信所の建設
     計画が明らかになり地元が反対、現在計画は凍結状態になっています。

Motobu airfield.jpg


ロンドンガマ

2021-01-13 07:28:03 | 日記

                                 

 

                                

 

                                

 

                                

 

                                

 

                                

 

                                

 

                                

 

                                

 

                                

 

                                

 

                                

                                        結局、わからなかった。

                                初めて怖いと感じた。(ハブの恐怖)

                          ハブは外温性動物、つまり、体温が外気温に大きく左右されるので

                          寒いと活動できない。沖縄は亜熱帯とはいえ冷えるので、11月から

                          3月は穴倉などに入って冬眠状態だから安心かな!

ロンドンガマと呼ばれている場所には、2つの穴が開いています。
で、何故ロンドンガマなどという、外国の地名の様な名前になっているのでしょう?

昔、この場所がまだ海辺だった頃(現在は海岸から1km程内陸)、8人の外国人が漂流し、この穴で生活を始めたそうです。その外国人がイギリス人で、ここから、この場所を8人の男達のいる場所という事でエイトマンと呼ばれる様になり、それが訛って「糸満」になったとか。また、彼らが住んでいた洞穴は、その男達が出身地であるロンドンを偲び、ここを「ロンドン」と名付けた所から、ロンドンガマになった・・とか
で、糸満の人には、イギリス人の血が混じっているので、糸満には美人が多いとか・・・
が、実際に現地に伝承されている民話は次の様なものです。

昔、この地に外国人が漂流してきた。この外国人は魚取りが上手な上、取った魚を村人にも分け与えるなどしていた為、村人、特に娘達からは絶大な人気があった。
しかし村の青年達は、このよそ者の人気が気に入らず、皆でこの外国人を殺そうと考え、海に連れだしてボコボコにし、海中にたたき込んだ。そのまま浮かんでこなかったので、死んだものと安心し、引き上げてきた。
しかし翌日、死んだはずのよそ者は、元気に漁に出て、いつもと同じく、村人に魚を分けていた。
仰天した青年達は、あいつは不死身だから、他の方法で人気を落とそうとした。それが、こいつとつきあう娘達を皮肉り倒した歌を作り、流行らせる事だった。その歌が今でも歌い継がれている「海やから」という歌である・・・(参考:島尻郡史など)