カロリー高いし!
甘いし!
道路からも見えます。
右に映っている建物は浦添消防署です。
墓地の中を進んで行きます。
説明板の内容は下記のとおり。
ワカリジー
ワカリジーは浦添城跡の東端に屹立(きつりつ)する岩で、頂上の標高は約一四八メートルと市内で最も高い場所となっています。
一七一三年に成立した地誌『琉球国由来記(りゅうきゅうこくゆらいき)』には浦添城内の御嶽(うたき)についての記述があり、その中の「小御嶽」はワカリジーにあたると考えられています。「為朝岩(ためともいわ)」とも呼ばれますが、これは近代になって付けられた呼称だと言われています。
ワカリジーは、英祖王と女神職のウシキンベーとの間に生まれたイソノシー(伊祖の子)を祀(まつ)った場所とされ、主に前田集落から信仰され、首里や那覇からも参拝者が訪れたといいます。
沖縄戦中は米軍から「ニードルロック(針のような岩)」と呼ばれ、日米両軍の間で争奪戦が繰り広げられました。
浦添市教育委員会
※浦添市教育委員会では前田有地地主会からワカリジーの寄贈を受け、平成二十五年度に崩落対策工事を行いました。
真栄田集落の拝所があります。
ゆいレ―ル浦添前田駅下車して徒歩10分くらいかな!
風も涼しく感じるようになってきた。
アロニア・バラ・ベロニカ・ワックスフラワ-
問題 これは何でしょう?答えは一番下の写真。
定例の掃除です。
バイブルアワ-です。
花の入れ換えです。
暑くはないので心地よさそう。
誕生日のお祝いを!
糖分を控えているが、今日は祝いだから!
お見送りの花を買いに行きました。
店員さんが代わられてから量が多くなったかな?
今、行進の練習中!まだまだ合っていない!
問題の答えは、この子でした。
アメリカ軍が沖縄上陸せまる1945年3月に金武の郷土防衛隊によってアメリカ軍の侵攻を食い止めるために爆破しました。それが金武ダム建設のために跡形もなく取り壊されてしましました。
金武億首橋は、金武村民(現在の金武町、宜野座村)が昭和6年に汗水流してかけた橋でした。旧国道の桜並木を通り橋を眺めて当時に思いを寄せていました。その歴史的遺産が無くなってしまいました。
地元の人に聞くとハブがいるので行った事はないと言う人も!
勾配はあるが、ロープを頼るほどではない。
雨の時や、降った次の日も見学には適さない。
八角形の平面を持つコンクリートの建物
中に入ろうかなと思ったがハブが出てきたら嫌だから
しかし、怖かったやろうな!
貫通しているのだから!
今はないが、入口以外の7つの壁面にはひとつずつ窓枠があり360度見渡せる構造に
なっています。外側の窓枠から下の部分は土に埋まっています。
この建物は1938年頃で、その後、1943年にコンクリート製に建て替えられたようです。
1944年10月10日の空襲では、敵機来襲を最初に発見したとして、当時の沖縄県知事から
感謝状が贈られたそうです。
目視だけでは無理だと思うが?双眼鏡を使っていたならどこの双眼鏡か気になる。
入口から2つに分かれていて、立って歩ける高さで幅も余裕があった。
用途がはっきりしていない壕で、解説などの看板はない。
港の民間駐車場の方に聞いたら、詳しく教えてくれた。
いわし雲のようだが、どちらかと言えばうろこ雲かな!(魚の鱗に似ている)
「女心と秋の空」はもともとは「男心と秋の空」で、大正時代に女性の地位が向上し、恋愛パターンに変化を見せ始めた時期に出来上がったことわざです。意味は「女性の心は秋の空のように変わりやすく移り気である」で、「コロコロと変わる女性の男性への愛情と、一般的な起伏の激しさ、感情の上下」を含んだニュアンスで使われています。
ことわざが出来上がった背景を見てみると、男性も女性もどっちもどっち?という気にもなりますが、性別を問わず人の心は移ろいやすく、フラジールであるものです。しかしなら、そのような人間の感情のもろさを皮肉にも表現したことわざだと言うことは間違いなさそうです。