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佐敷ノロ殿内とは、「ノロ」とはいわゆる宗教的に村落を管理支配した女性神役で、ノロ殿内とはノロの火の神を祀っている建物のことをさす。
初代佐敷ノロは苗代大親とよばれる尚思招の長女であり、その後は代々喜友名家の系統の女性が昭和初期まで継承していたが、最後のノロが他界してからは後継者が途絶えている。
また佐敷グスクの中で見どころの一つといえるのが、尚巴志の500年祭を機に尚氏一族を祀り1938年に建立された「月代宮」である。
王統の守護神である「つきしろ」にちなんで命名され、佐銘川大主・尚思招・尚巴志・尚忠・尚思達・尚金福・尚泰久・尚徳の8体がお祀りされている神聖な場所である。
また本殿裏には「上グスク之嶽」があり、拝所巡礼の「東御廻り」の一つとなっており、「琉球国由来記」には祭神として、「スデツカサノ御イベ・若ツカサノ御イベ」の2つの神が記されている。
佐敷グスクは那覇の中心部から車で約40分の場所にある、琉球三山統一を果たした尚巴志とその父である尚思招の居城である。
グスクではあるものの住居としての性格が強く、遺物は比較的平場から多く発掘されている。
1979年の発掘調査によって、中国製の青磁・白磁のお椀やお皿などが多数見つかっており、その他土器、石器、鉄釘、小銭、炭化した米、麦、牛骨などが確認されている。
佐敷グスクの近くには馬天港や与那原港があり、尚巴志は与那原港で外国船から鉄を購入して民衆に農具を与えることで支持を集め、三山統一を果たしたのである。
大里城を攻め落としたのち、尚巴志が佐敷から首里へ居城を移す際に、城郭の石を持ちだして首里城の建設に使ったと言われている。
発掘調査によってグスクの斜面の崩落を防ぐための「石列」は確認されているが、他のグスクに見られるような石垣はまだ発見されていない。