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新一生青年が!

日常の日記です。

艦砲ぬ喰え-残さ-歌碑(ユ-バンタ浜)

2021-01-19 16:28:47 | 日記

                   

 

2013年6月23日(日)沖縄戦で家族を失った悲しみを歌った沖縄民謡の名曲「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌碑が作詞作曲した比嘉恒敏さんの出身地、本村楚辺のユウバンタ内に完成しました。

 「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の歌碑除幕式で歌碑建立実行委員長の池原玄夫氏は、「この歌碑が、世界中に戦争の悲惨さと平和の尊さを発信する祈念塔の役目を果たしてくれる事を願っております。」と挨拶しました。
 除幕式では、恒敏さんの娘4人でつくるコーラスユニット「でいご娘」の皆さんによる演奏に合わせ、「艦砲ぬ喰ぇー残さー」の合唱が行われました

 「艦砲ぬ喰ぇー残さー」は、笑いを誘う歌詞や軽快なリズムの中に、家族を失った悲しみや平和を願う心を歌い、多くの人の共感を呼びました。実行委員長の池原玄夫さんは「一人一人の中に艦砲のような物語がある。この歌が子や孫の時代になっても歌い継がれてほしい」と語りました。歌碑の側にあるボタンを押すと歌が流れます。

 

                           

                                   読谷村下水道発祥の地の石碑


楚辺吉川原海岸の壕

2021-01-19 15:14:30 | 日記

                            

 

 

                            

 

 

                            

                                         干潮にはもう少し時間が必要だった。

 

楚辺の「慰霊之塔」を左に見て直進しますと民家の屋敷に突き当たります。そこの格子戸を開けてさらに進みますと、突き出た岸壁の突端に至ります。そこから左下を見下ろしますと、波打ち際ぎりぎりの所に壕が口を開いています。その洞窟陣地が吉川原海岸の壕です。波打ち際ぎりぎりの所に造られた洞窟陣地ですので、満ち潮の時には近づけません。したがいまして、壕に近付くためには干潮時を見計らい、「慰霊之塔」を右に見て海岸へ降りていくと、容易に壕に近付くことができます。
陣地は海蝕洞窟を利用して構築されていますが、海に面した前面は積み石で囲み一部はコンクリート壁となっており、左右に銃眼が残っています。
海を背に陣地に対しますと、右側の銃眼はコンクリート壁に横長の四角に開いており、左手は自然の岸壁と石積みを利用した瀞でぎざぎざの穴となっています。
住民の証言によりますと、この洞窟陣地はアメリカ軍上陸に際して使われたような様子はないと言っています。


緑ヶ丘公園

2021-01-19 07:37:21 | 日記

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

 

 

                          

                          国際通りにあるホテルを曲がった所にあります。遊具もありバスケットゴ―ルもあります。

                          パ―キングも30分100円と安い。

公園の一角にある渡嘉敷三良の墓。16世紀に中国から来た瓦職人で、その技術は子孫に受け継がれ、4代目の安次嶺親雲上は首里城正殿の瓦葺きをしました。市指定史跡となっています。