勿怪の幸い。

福長千紗の制作日記とあれこれ

テーマは自分の心。

2014-09-10 00:06:03 | EXHIBITION


私が今回展示するのは、最近ひたすら作っているオカッパ女児だ。

題名は、わざと まいご という。

小さな頃、保護者の視界から消える、と言うことをしていた。(実際、私は保護者の手からの逃れられた事は記憶にない。)
洋服売り場では、並ぶ服の間に隠れてみたり、少しずつミンナから距離を置いたり。
一人になる怖さと、繋がれる手からの解放感と、常につきまとう寂しさと。
色んなことが総て合わさり団子になってワクワクしていた。

根底には、困らしてやろう、構ってもらおうがあったに違いない。
未だにそうだが、人の困った顔や驚く顔は好きだ。
喜んでいるのも好きだ。

人が好き、コミュニケーションが好きと言うよりかは、自分のした事が人に与える影響を見るのが好きなのだ。

おそらく、チビの私もそうだったのだと思う。

どうしたら大人はどう反応するのかを、見ていたように思う。
勿論、本当に迷子になったら一大事だ。
自ら隠れはするが、母が試着室に入った途端に心細くなり、号泣したのを覚えている。
其処にいるのはわかっているに関わらず、だ。(見ず知らずの店員に構われるのも我慢ならなかった。)

年齢的に充分大人な今、わざと迷子になると、それは失踪になる。
七年経ったら法的に川向こうの人になってしまう。
一大事である。
うっかり迷子になることはあっても、わざと迷子になる予定は、今の所無い。
まだ、それに楽しさを認めていない。

何度も言うが、今回の展示はテーマが自分の心である。
私は普段、自分の作品が自分に似ないように心がけている。
どうしたって似ていると言われるが、心情としてはそうだ。
作品にたいしては、ワタシから距離を取りたい。
だが、今回は、距離を縮める事にした。

顔が似ていつも良しとする。
表情があっても良しとする。

禁止事項から離れたら、今回のが一番好きだと言ってくれる友達も出てきた。
こういう方法も、良いのかもしれないと思えるようになった。

オカッパ女児の写真を見せると、多くの人がチビの私だと言う。
本当にチビだった私とは似ていないのに。
今の私に似ているし子どもにも見えるのだそうだ。
不思議な話だ。