男の反対は女だけど
男に対してバランスするのは女
こういう考え方の方が大事と思う
反対のものと
バランスのものは
似てくるが根本的に違う
反対なものはその間の境界線が
既に決まっているから
反対という概念が生まれる
男と女でいえば
生物学類型のような物差しが
先に存在する上で生まれる関係である
バランスという関係は
こういうメカニズムではなく
片寄っている何かを
昇華するために必要な何かという
アプローチで生まれるものである
それは決して反対なものではなく
相互に補完し合う関係といえる
判断している主体の
2つの対象の捉え方にも
違いがあるかもしれない
反対を作り出す境界線の創造主は
2つの対象を
モノ
として見ている
バランスを感じる主体は
2つの対象を
自分の一部
としてみている
自分以外が絶えず動いている
という認識は
自分という生命が
それ以外のものに
自分自身を感じる
一つの基礎的な機能なのかもしれない
自分自身の一部だから
相互に補完しているという観点
すなわち生命の自分にとっての
物差しが適用できるのである
単純に反対なものは
死んでいる
自分の一部という概念は関係なく
2つの対象は
自分の生命の外側で
論じられるものである
だから自分の基準ではない
"学問""他人""知識"
を借りたモノサシが使われる
興味が薄いのである
動いていないと感じているのだから