内と外

中性よりの人間から見える世界から
「境界線」の性質を探ります

人間という境界線の認識

2017-10-13 23:52:12 | ビジネス境界線
必ず目的があって境界線は
しかれています


「名称」というのは
一番分かりやすい
人間界の境界線でしょう





でも境界線は
人間がひいているだけで

本来存在しないものなのです



人間が「認識したもの」

それこそが境界線の根元ではないか

と思います



例えば

「人間」という境界線

人間は人間を認識します



当たり前のことのように
行われますが


どうして人間だと認識するのか


これを考えるとなかなか面白いです



1、見た目や様子が人間だから
2、声が人間だから 、
人間の言葉をしゃべっているから
3、人間の皮膚や、髪とかの
感触だから
4、人間の匂いがするから
5、人間のしょっぱい味がするから


5感で考えたときの重要度で
順位づけしてみました


こうして考えてみると

1、視覚
2、聴覚

が大半を閉めていることが
わかります


3、4は深い関係で初めて

5、は最早、疑問です



これをもって


全てのものは1視覚と2聴覚で
ほぼ認識されているのだな

と拡大解釈をしていくことも
悪くないと思います




ただし
人間が人間を認識するための
一番最初の条件に


自己愛


があると思います



自分を自分と認識することです



この瞬間に世の中のもの
全てに境界線がひかれはじめるのだと
思います



これは五感では説明のいかない
分野になってきます




次に
「人間」という認識にも
2種類があります



「仲間」の人間
「敵」の人間





この二つの境界線は
どこから生まれるのか




それは「自分」という境界線





安全地帯を与えてくれた人

その数、大きさに比例して

その人にとって
「味方の人間」が増えていきます



自分という範囲が広がっている人
こういう人の人間社会は

他の人から見ても敵、
本人も敵として対応している他人が
いても

実際は本人には「味方の人間」として
とらわれていて
境界線がなかったりします





安全地帯を人間から与えられなかった



その人は
「人間を認識する」ことは出来ても

「敵の人間」しか

世の中に存在しません



〈本当は人間は自分しかいない〉



のです




だから苦しいし淋しいし
絶望しかありません


当然どこへいっても一人なのですから

〈どこにも自分の居場所がない〉

と感じることになります




ただ、姿形だけでも「人間(っぽい種類)」
ととらえられる人は
人間社会において
生きていくことは
かろうじてできます





自分を認識できなかった人は


自分が人間ではないため


残念ながら
人間社会では生きていくことが
できません

これは狼に育てられた子供が
人間社会で死んでしまう理由だと
思います


人間(と人間が呼んでいるもの)を
そもそも認識することが
出来ないからです