【 フリーダ・カーロ 】
メキシコのシュールレアリズムの女流画家、フリーダ・カーロ。
「フリーダ」という名前は、画家・写真家でドイツ系ユダヤ人移民の父親が、
ドイツ語で「平和」を意味する「FRIEDE」から名付けたそうです。
わたしが彼女の作品に初めて出会ったのは、確か高校生の時。
家の近くのコンビニで写真週刊誌を立ち読みしていた時に、
たまたま掲載されていた彼女の作品を見ていたら、なぜか涙が出てきました。
ヘンリーフォード病院
この作品を見た時、まだこの時点では何も知らないハズの彼女の悲しみや苦悩が、
フシギと一気になだれ込んで来たんですよね~。
絵画にこれといって興味も無かったし、絵を見て泣いたのは初めての体験。
当時はこの雑誌を買って作品を切り抜き、下敷きにはさんでいましたネ。
折れた背骨
彼女の数奇な人生は壮絶そのものでした。
6才の時、彼女はポリオで小児麻痺を患い、右足に障害が残ってしまいます。
高校生の時は恋人と乗っていたバスが路面電車と衝突し、
鉄のパイプが腹から子宮に貫通したため、脊髄と骨盤が3カ所ずつ折れ、
右足は11カ所に及ぶ粉砕骨折、肩の脱臼のほか肋骨や鎖骨も折れ
瀕死の重症を負ったのですが、奇跡的に一命をとりとめ、
3ヶ月ほどで自力で歩ける程度に回復したものの後遺症が残り、
事故から1年後には、再び動けなくなってしまいます。
彼女は生きている間に30回を超える手術を繰り返し、
最後の手術では右足の膝下を切断する事に。
コルセットの総数は28個にも及んだのだとか。
彼女は事故で入院した頃から自画像を中心とした絵を書くようになり、
世界的にも有名なメキシコ最大の画家、デイエゴ=リベラに才能を認められた事が
きっかけで22才の時に43才のリベラの3人目の妻として結婚するのですが、
リベラは女性関係も派手な事で有名で、フリーダの妹にまで手を出し、
事故の後遺症+リベラの浮気に悩まされた彼女も次第に
異性・同性を問わない奔放な恋愛遍歴を重ねるようになっていきます。
そして、それをおしてもなお愛しく思うデイエゴ=リベラへの想いや
彼女に降りかかる精神的・肉体的苦痛や悩みなどの全てを
彼女は絵にぶつけていきます。
そして
1954年7月13日、肺塞栓症で逝去。
二人のフリーダ
なぜフリーダにコレほどまでに惹かれるのかは自分でも解かりませんが、
この記事を書くにあたりいろいろと調べていたら、
彼女の誕生日は出生証明書には『1907年7月6日生』と記載されていますが、
彼女自身は『1910年7月7日に生まれた』と言っていたらしいんです。
・・・・・わたしも七夕生まれだわ~
「わたしはきっと、フリーダ・カーロの生まれ変わりなんだわ~

」
とはさすがに思いませんが

、なにかつながりを感じてしまいます。
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