涙と笑いのHIV奮闘記III

自分とは無関係と思っていた病気の闘病を続けるオヤジの日記。
日に日に進行する物忘れとも戦っています。

年末休暇の初日は奈良公園散歩

2018-12-30 14:30:31 | 美術館・博物館

今日から二連休。
というわけで、昨夜は撮りためたテレビ番組を遅くまでみていて、
眠ったのが朝の3時ごろ。

で、目が覚めたのが午前9時。
いつもよりも3時間も遅くまで寝てしまいました。

毎年、今頃は電気毛布を使っているのですが、
今年は湯たんぽを使いだしました。

寝る1時間ほど前に胸のあたりの布団の中に置いておき、
布団に入る時に足元へ。

朝起きると、まだ湯たんぽの湯は暖かく、それを洗濯に使います。

さて、久々に昨夜、ホームベーカリーを稼働。
今朝8時に食パンが焼けるようにセットしておきました。

勿論9時には焼きあがっていて、部屋中にパンが焼ける匂いが漂っています。

珈琲豆をミルで挽いて、ネルドリップで淹れて、
パンにリンゴジャムをのっけて一緒に。

そしてもちろん薬を飲むのを忘れずに。

さて、今日どうしようかと思っていたら、今日も国立博物館は開館しているとネットで観て、
散歩を兼ねて出かけてきました。

博物館の東にある「鴎外の門」

猿の來し官舍の裏の大杉は折れて迹なし常なき世なり」

と、門のすぐ南隣にある石碑に刻まれています。
そしてパネルには

 森鴎外は、明治時代から大正時代にかけての小説家・評論家で、軍医としても名高く
近代日本を代表する知識人のひとりです。
 鴎外は大正六年十二月に帝室博物館の総長に任命され、大正十一年七月に亡くなるまでその職に
ありました。帝室博物館館長は、東京・京都・奈良の帝室博物館を統括する要職でした。
 大正七年から十年まで、秋になると鴎外は正倉院宝庫の開封に立ち合うため奈良を訪れており、滞在中の宿舎は
奈良国立博物館の東北隣、この場所にありました。公務の合間には奈良の古社寺や旧跡を精力的に尋ね、
 「寧楽訪古録」や「奈良五十首」を残しています。また祭祀に宛てた手紙や絵葉書を頻繁に送っていますが、
その中には博物館周辺の略図を描き、宿舎の位置に「パパのいるところ」と書き込んだものもあります。
 宿舎の建物はすでに取り壊され、ただひとつ残されたこの門だけが鴎外をしのばせてくれます。

国立博物館の北側の道路は、東大寺や春日大社に至る道路なので、
初詣のための露店の設営が始まっていました。

ここのバス停にこんなのもあって、今どのバスがどこを走っているかリアルタイムでわかります。

奈良国立博物館。

博物館周りや博物館内には、前回訪れた時にはまだ無かったおん祭に使われるものが展示されています。

笹竹

太刀

風流傘

今回は「おん祭と春日信仰の美術」に加え、

「新たに修理された文化財」も観ようと思って。

数点の、傷んだ文化財の下の様子、修理の様子とともに蘇った文化財が展示されていました。
素晴らしい技術です。

1時間ほどして博物館を出ました。

国立博物館と若草山、御蓋山と春日山。

 



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