MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2452 東芝の行方

2023年08月08日 | 社会・経済

 東芝の株主総会が6月29日に開かれ、集まった株主に対し島田太郎社長が経営の混乱の解消を目指して株式を非上場化する方針について理解を求めたと伝えられています。

 東芝は、アクティビストと呼ばれる海外の投資ファンドを排除する目的で株式の非上場化を目指し、国内の投資ファンドが提案したTOB(=株式公開買い付け)を取締役会として受け入れることを決めています。また、投資ファンドの日本産業パートナーズ(JIP)を中心とした国内企業連合は、7月下旬にも株主に対して株式公開買い付け(TOB)を開始する見込みと伝えられるところです。

 戦前から続く、日本を代表する総合電機メーカーである東芝。1970~80年代には、日本の半導体5強(東芝・三菱・NEC・富士通・日立)と呼ばれ、1985年には世界初とのノートパソコン「Dynabook」が一世を風靡したのを思い出す人も多いでしょう。

 また、高品質の液晶モニターの開発・製造に注力し、「REGZA」ブランドを立ち上げ、家庭薄型テレビ市場全体の約4分の1(24.12%)を占めるまでに成長させたことで、世界のテレビ市場からブラウン管テレビを追放する原動力となったとされています。

 もちろん市井に暮らすわれわれ普通の日本人の生活にも、東芝ブランドは(昭和の昔から)切っても切れない関係を築いてきました。日曜日の夕方に茶の間のテレビから流れるサザエさんの主題歌や、「ひかーるひかる東芝!」といったCMソングを耳にすると、どこか懐かしい気分にさせられるのは私だけではないでしょう。

 しかし、快進撃を続けた東芝も、第一次安倍内閣が推し進めた「原子力ルネッサンス」政策に乗り米国の原発企業ウエスチングハウスを買収したことで失速。市場価値18億ドル程度と評価されていたウエスチングハウスの買収に54億ドルを投じたうえ、急激に悪化した財務状況を隠すため2248億円余の会計不正まで犯すに至り、大きな禍根を残すこととなりました。

 結果、東芝は伝統の家電部門と医療部門に続き、半導体まで部門までを売却。歴史ある東芝グループが事実上解体されるという屈辱に見舞われました。

 そして、今回の非上場化。島田社長は、「(アクティビストを排除することにより)安定的な株主基盤のもとで、一貫した事業戦略を実行してさらなるトランスフォーメーションを実現することができる」と話しているとのことですが、株主の意見に耳をふさぐ経営に本当に未来はあるのか。

 そんな折、作家の橘玲(たちばな・あきら)氏が、『週刊プレイボーイ』誌の6月19日発売号(のコラム)に「日本企業が復活する特効薬は中国企業に買収してもらうこと」と題する一文を寄せていたので、その概要を小欄に残しておきたと思います。

 ずいぶん前の話だが、日本の家電メーカーが格安テレビでシェアを拡大する中国や台湾企業に対抗するため、「超高級テレビ」を作ろうとしている姿を追ったテレビ番組があったと、氏はこのコラムに記しています。

 同社によれば、ルイ・ヴィトンが他社と同じようなバッグをはるかに高い価格で売っているのだから、「世界に冠たる」メイド・イン・ジャパンのブランドがあれば、世界の消費者は1台100万円のテレビでも喜んで買うはずだということ。そして、この番組の最も印象的なシーンは、ディレクターがその話を、きびしい価格競争をしている中国(あるいは台湾)メーカーの社長にしたときのものだったと氏は話しています。

 社長は一瞬絶句したあと、思わず笑い出し、それが失礼になると思ったのか、あわてて「自分たちはそのような戦略は採用しない」と答えていた。そして、その後「100万円テレビ」は実際に発売されたが、まったく話題にならず静かに消えていったということです。

 海外市場で太刀打ちできなくなった日本メーカーは、国内のシェア争いに活路を見い出すしかなくなった。しかし、頼みの国内市場は少子高齢化によって縮小する一方で、これはまさに「敗者の戦略」でしかなかったと氏は言います。

 結果、行き詰った東芝は、2016年に白物家電を中国の美的集団に、2018年にはテレビ事業REGZA(レグザ)を中国家電大手の海信(ハイセンス)に売却したということです。

 ところが、売却からわずか5年。REGZAは国内の販売シェアでトップに立ち、その他旧東芝ブランドの白物家電も黒字化して、以降も順調に売り上げを伸ばしていると氏は指摘しています。また、それ以前にも、精密家電の老舗として一世を風靡したシャープが台湾企業の傘下に入って、急速に業績を回復させたということです。

 日本の会社はイエ、すなわち社員の運命共同体で、経営者(サラリーマン社長)は経営のプロなどではなく、単なる社員の代表に過ぎないと氏はこの論考に綴っています。

 そこで、社長に求められるのは、社員の雇用と既得権を守り、リスクをとらず、自分たちが定年退職するまで会社を安定して存続させること。こうした保守的な経営方針は、経済環境が安定していればそれなりにうまくいったかもしれないと氏は話しています。

 しかし、テクノロジーの指数関数的な進歩を背景に、伝統を破壊するイノベーションが莫大な富を生み出すようになり、前例踏襲の経営はまったく適応できずに日本経済は低迷する。バブル崩壊後の「失われた30年」の多くは、これで説明できるというのが氏の指摘するところです。

 そればかりでなく、社員を大切にすることは、裏返せば、非正規社員を搾取し使い捨てにすることに繋がる。こうして「正社員」と「非正規」の身分制が生まれた。かつては「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれた日本的経営が経済を「破壊」し、日本的雇用が日本を「差別社会」にしてきたというのが現状に対する氏の見解です。

 岸田政権は、「経済安保」の名の下に外国企業による買収を規制しようとしているが、そこに本当の活路はあるのか。皮肉なことにいつのまにか、日本経済を復活させようと思ったら、中国や韓国・台湾の会社にどんどん買収してもらったほうがいい、という状況になってしまっているようだと話す橘氏の指摘を私も興味深く読んだところです。



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