MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯861 日本の精神医療と「拘束」

2017年09月01日 | 社会・経済


 ニュージーランド国籍の男性が今年5月、神奈川県内の精神科病院で身体拘束されて心肺停止になり救急搬送先で亡くなった件について、遺族らが7月19日に厚生労働省で記者会見を開き、「日本で当たり前のように拘束が行われていることにショックを受けた。同じ思いをする人を減らしたい」と訴えています。

 遺族らは今後、日本の医療関係者や弁護士、患者らと共に「精神科医療の身体拘束を考える会」設立し、精神病の患者を長期間にわたって身体拘束するという日本の精神科病棟のあり方を問題視し、不必要な拘束の習慣を止めるよう求めていくとしています。

 日本の精神科医療の後進性を示す問題として海外でも大きく報じられている本件については、直接的には拘束によって静脈内の血液が固まる静脈血栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)が起こり、肺動脈をふさぐ「肺塞栓」で死に至った可能性が高いと、搬送先の医師は遺族に説明したということです。

 長時間の拘束については、このように身体を動かせないことにより静脈血栓症や肺梗塞を起こすリスクがあることはもちろんですが、(それ以上に)患者に著しい苦痛を与え、その尊厳を傷つけることから、人権意識の強い欧米などでは積極的には用いられていないとされています。

 例えば2009年に発表され研究では、各国の平均拘束時間はスイス48.7時間、フィンランドとドイツが9.6時間、カリフォルニア州が4時間とされる一方で、国内の患者1人あたりの平均期間は96日間と桁違いに長いことが指摘されているようです。(8月9日:読売新聞)

 日本に特有とされる精神科医療におけるこうした「拘束」の多用の問題について、7月28日のYOMIURI ONLINEでは、大阪本社編集委員の原昌平(はら・しょうへい)氏による、「精神科の身体拘束は、死の危険を伴う」と題する力の入ったレポートを掲載しています。

 原氏によれば、今回のケースでは、
(1) どうしても身体拘束をするしかない状態だったのか
(2) 入院直後から10日間も身体拘束を行う必要があったのか
(3) 身体拘束の間、血栓症の予防措置は十分に行われたのか
(4) 医療法に基づく医療事故調査(第三者を交えた院内調査)を病院が拒んでいるのは許されるのか――などが問題になっているということです。

 精神科医療では、厚生労働省が毎年6月30日時点の入院患者の状況などを、精神病床を持つ全病院から報告させています(通称「630調査」)。

 同調査では、2003年から「身体拘束」や保護室(外鍵や鉄格子の付いた個室)への「隔離」を調査対象としていますが、2014年(の6月30日に)身体拘束を受けていた患者は全国で1万682人、隔離は1万94人で、10年前の2003年に比べ身体拘束は2.1倍、隔離も1.3倍に増加していることがわかると原氏は指摘しています。当然、この調査は特定の1日だけの人数なので、年間に拘束・隔離を受ける患者数ははるかに多くなるということです。

 「拘束」され、「隔離」される患者はなぜ増えたのか。
 原氏が専門医たちに尋ねたところでは、精神科の救急病棟や急性期病棟の増加に加え、認知症による入院患者の増加などの理由が挙げられたということです。

 しかし、精神科で重症の患者が(急激に)増えたとは考えにくいし、認知症なら拘束してよいことにはならないはずで、実際、認知症患者が多く暮らす介護施設では(原則)拘束=抑制は禁止されています。

 強制入院の患者に対しては、「全員」に一定期間の拘束や隔離を行う傾向や、少しの不穏や興奮でも拘束・隔離を行う傾向が広がっているという見方もあり、(いずれにしても)きちんとした調査や分析は行われていないというのが、この問題に対する原氏の認識です。

 精神保健福祉法は、精神保健指定医の資格を持つ医師が診察して必要と認めた場合にのみ身体拘束を認めています。

 (この法律の下)厚労省の処遇基準は「制限の程度が強く、また、二次的な身体的障害を生ぜしめる可能性もあるため、代替方法が見出されるまでの間のやむを得ない処置として行われる行動の制限であり、できる限り早期に他の方法に切り替えるよう努めなければならない」としています。また、やむを得ず拘束を行う際には、患者本人に理由を知らせるよう(努めることを)求めているということです。

 さらにそのうえで、身体拘束の対象になりうる状態として
ア 自殺企図または自傷行為が著しく切迫している場合
イ 多動または不穏が顕著である場合
ウ その他、精神障害のために、放置すれば患者の生命にまで危険が及ぶおそれがある場合
の3つを示し、(拘束は)ほかに良い代替方法がない場合にのみ行うとされていると原氏は説明しています。

 これは、言い換えればこの3つにあてはまらない場合は、拘束してはいけないということで、特に、隔離と同様「制裁や懲罰あるいは見せしめのために行われるようなことは厳にあってはならない」と強調されているということです。

 日本精神科救急学会の「精神科救急医療ガイドライン(2015)」では、身体拘束は、心理的副作用(不本意な状況や不自由に伴う感情的な苦痛)のほか、肺塞栓症、廃用症候群(手足の筋肉の衰えによる機能低下)、 褥瘡 (床ずれ)など、種々のリスクを伴うと指摘し、リスクに応じた適切な予防措置、注意深い観察、発生した場合の速やかな治療を求めていると原氏は指摘しています。

 しかし、(例えば)血栓を診断するための造影CTや肺動脈造影などの検査が大半の精神科医療機関で行うことができないことなどを考えれば、多くの精神科病院で十分な検査体制が整っていないまま多数の身体拘束が行われていることは、想像に難くないということです。

 さて、実際に(今年に入って)私が訪れたいくつかの精神科病院の閉鎖病棟でも、(特に夜間の)拘束は、認知症患者に対してかなり一般的に行われている印象がありました。また、措置で入ってきた患者に対しては、まずは「特別室」で「保護」し投薬・観察するのが普通の対応と聞いています。

 6人部屋、8人部屋などが一般的である病棟において、興奮状態にある患者や極端に多動な患者を(落ち着くまでの)一定期間、拘束する必要があるのは理解できます。しかし、基本的人権を持ち自由であるはずの個人を(何日間にもわたって)「拘束」したり「隔離」したりするのは、本来、裁判所の判断が必要なほどの権力の行使であることを忘れるわけにはいきません。

 病棟の中の生活に慣れきった医師や看護師の眼に、(本来、異様であるはずの)拘束の光景がさほど違和感なく映るようになっている可能性があるとすれば、そこはきちんと修正していく必要があるのは言うまでもありません。

 (認知症にせよ措置にせよ)見知らぬ場所に連れてこられて身動きできないように拘束されたら、誰でも相当な不安に襲われることでしょう。大声で叫びたくなるのも分かりますし、トイレにも行けない、かゆくても鼻もかけない苦痛にまんじりとしない夜を過ごすうちに人格を失い、心神耗弱に陥る可能性もあるかもしれません。

 まずは、外から閉ざされた精神医療の世界を(ありのまに)世間に開放し、世論の理解の下に改善を目指していくことの重要さを、このレポートから私も改めて考えたところです。




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