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MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯196 なぜ働かないオジサンの給与は高いのか?

2014年07月12日 | 社会・経済

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 半年ほど前の話題になりますが、大手企業勤務の傍ら大学非常勤講師を務め、人事・労務関係の著書も多い楠木 新(くすのき・あらた)氏が、1月15日の総合経済サイト「東洋経済ONLINE」に、「なぜ働かないオジサンの給与は高いのか?」と題する興味深い論説を掲載しています。

 楠木氏によれば、昨今の若手社員の間では、職場にいる(年配の)オジサンたちが大して働かないにもかかわらず(自分達に比べて)給料をもらい過ぎではないかという声が大きくなっているということです。

 若者たちは、「中高年社員から若手社員へ、もっと給与の再配分をしてほしい」と考えている。上から目線で(偉そうに)不備を指摘するだけで、若手社員の相談にも乗らず、定時になったらすぐに帰ってしまう彼等の給与が自分よりも数段高いことに納得がいっていないということです。

 人事評価や査定に当たって、「実績主義」「成果主義」が(例え「建前」上ではあっても)主流となっている現代の企業において、実際に働いた会社への寄与や貢献への代償が報酬であるとすれば、こうした状況はいわゆる「辻褄が合わない」ことかも知れません。しかし、これまでの時代、大抵の日本人は、「少しおかしい」と思いながらも(せいぜい酒場の愚痴にとどめ)、公に口にすることなく毎日を過ごしてきたと楠木氏は言います。

 なぜこうした働かないオジサンたちが、若者に比べて高い給与を手にしているのか?楠木氏はそこに切り込んでいます。

 実は中高年社員は、会社に対して「何らかの既得権的なもの」を持っている。これがこの問題に対する楠木氏の見解です。早期退職勧奨制度による退職金の積み増しを見ても分かるとおり、彼らの給与にはその「既得権」の分が金額として含まれている。例えば、中央官庁の天下り制度などは、現役時代、安い給料に甘んじて耐えてきたキャリア官僚の「既得権」の発露にほかならないという指摘です。

 大相撲の年寄(としより)制度を例に考えてみるとわかりやすい(かもしれない)と楠木氏は指摘しています。財団法人日本相撲協会の役員であって、親方という敬称で呼ばれている「年寄」の主な仕事は、現場の力士に対する指導・監督であり、そこには育成面の責任も含まれています。また協会の構成員として、相撲協会全体の職務にも当たり、そうした「労働」に対して協会から報酬を受け取るという意味で、「年寄」はひとつの(特殊技能を持った)職能集団と言えるということです。

 しかし一方で、現役を引退した力士は誰でも「年寄」として協会に残ることができるわけではありません。年寄(親方)になるには、①横綱・大関、②三役一場所以上、③幕内通算二十場所以上、④十枚目幕内通算三十場所以上…など、力士時代の実績に対し明確な条件が厳然と嵌められているということです。

 引退後の地位や報酬が、力士としての序列と、務めた場所の長さ(在籍した長さ)によって決められている。つまり、現在の働きではなくて、過去の実績によって判断されているよい例だと楠木氏は指摘しています。

 氏によれば、これは、多くの会社が採用している退職金の算定方式、【(役職×在任年数の総和)×単価】と、考え方としてはほぼ同じであるということです。日本の会社における人材としての最終評価は、多かれ少なかれ、このような序列の高さとその立場で勤務した長さの総和として計算されている。特に働かないオジサンの多くいるような職場はその可能性が高いというのが、楠木氏の認識です。

 日本の組織では、例え力量があっても仕事量が多くても、新人はまずはいちばん下に位置付けられる。それもこれも、この基準があるためだと楠木氏は言います。また経営トップの若返りがなかなか実現しないのも、このような評価基準によって、年配者が高いポジションに居座ることができるからだという指摘です。

 しかしながら、特に最近では、外資を始めとした企業の成り立ちや企業風土によって、その部分の考え方が大きく異なるようになってきているとことを楠木氏はここで示唆しています。オジサンに多くの既得権が残っている会社もあれば、まったくそういう権利がない会社もある。報酬の実態に疑問を持った若者は、まずは自分が働いている会社の評価基準を知ることが大切だというのが楠木氏の示した見解です。

 例えば「大相撲」と「サッカー」とを比べると、その評価基準は相当に違っていると楠木氏はしています。ザッケローニ監督が日本代表チームを招集する際は、基本的に現時点で最も力量があって対戦相手との戦術にかなった選手が選ばれることになる。Jリーグの得点王や長くリーグでプレーした選手が自動的に選出されることはない。つまり、その時にいちばん役立つ選手が選出されるという視点です。

 楠木氏は、こうした「時価評価」が現在の世界標準と言えるかもしれないとしています。そしてその時点のパフォーマンスだけで判断されるならば、前述の働かないオジサンは、立ち去るか、給与が実績分まで下がることを覚悟しなければならないということです。

 ただ、世界標準だから無条件にいいとは(勿論)言えない…とも楠木氏は述べています。組織の中での一定のポジションを占められることがある種の安心感や忠誠心を生んだり、全員参加型の帰属意識の強い組織運営を可能にする源泉になっていたりする面もあるということです。

 今、この瞬間の努力や貢献度に着目して評価すべきか、組織全体の(長期的な)パフォーマンスやモチベーションを踏まえて評価すべきか…これを評価期間(のスパン)の問題として考えれば、世界標準かどうかですぐに基準の優劣を判断しても仕方がないのではないかというのが楠木氏の結論です。

 まずは自分が働いている組織の評価基準は一体どうなっているのかを考え、次に、それに対応した働き方や成果の出し方を考え実行していくことが大切なのではないかとする氏の指摘に、この論評を読んで私も不思議と納得感を得たところです。

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