かなり以前の配信になりますが、アニメーション映画監督の宮崎駿氏へのインタビュー「悪人を倒せば世界が平和になるという映画は作らない-宮崎駿監督映画哲学を語る」(ビジネスメディア「誠」2008.11.28)を目にする機会がありました。
宮崎アニメに登場する女性(その多くは「少女」と呼ぶべき年代ですが)主人公の魅力についてのお話です。その中で宮崎氏は、自身の作品の主人公が「なぜ少女ばかりなのか?」という質問に対して、このように答えています。
宮崎:
今、スタジオの若いスタッフには「君たちは8歳の男の子を主人公にした映画を作らなければならない」と私は言っています。
それはとても難しい作業なのです。なぜなら8歳の少年は悲劇的にならざるを得ないものを強く持っているからです。知らなければいけないことが山ほどありすぎ、身に付けなければいけない力はあまりにも足りなくて…つまり女の子たちとは違うのです。
少女というのは現実の世にいますから、極めて自信たっぷりに生きていますけど、男の子たちはちょっと違うのだと思います。
宮崎:
その年齢の少年たちは実に簡単に世の中のワナに引っかかるのです。つまらないカードを集めたり、つまらないラジコンの車に夢中になったり、あっというまに商業主義の餌食になってしまって、なかなか心の中を知ることができないのです。
少年老い易く学成り難し。強がってばかりで自信のない少年たちと、しっかりものを見て、考え、行動するる少女たち。男に生まれつくというのは何と不自由なことなのでしょうか。(勿論、これは「性差」などというものでなく「社会的存在」としての悲しさなのでありますが…。)
ナウシカやサツキやキキや千尋… 宮崎アニメでは、登場する少女たちからこぼれる一つ一つの表情や自由なセリフ、しなやかな手足の動きなどにより、女性が現実に直面する中で一歩一歩しっかり成長していく姿が丁寧に描かれています。
さて、小説家の片岡義男氏(この人の作品に登場する多くの主人公も、男性にとって大変魅力的な自立した女性ばかりです)は、自身のエッセイ集「言葉を生きる」の中で、女性を主人公にした作品を書く理由をこう述べています。
「女性を主人公とすることによって、ある程度以上の間接性と他者性をあらかじめ確保することができるからだ。女性は究極の他者だ。」と。
男性にとって、女性は永遠に理解しきれない存在。理解できないからこそ、可憐で、純粋で、強くたくましい主人公として描き上げることができる…これもまた真実なのかもしれません。
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