MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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#2085 新型コロナと地方分権

2022年02月10日 | 社会・経済


 新型コロナウイルスの感染拡大をきっかけに、各都道府県の陣頭指揮を執る知事の存在感が増しています。テレビは連日、各知事の記者会見の様子を報じ、報道番組への出演なども含めればメディアへの露出度は以前の比ではありません。ネット上では、東京、大阪ばかりでなく各地の知事の名がトレンドワードに入り、知事選挙はもはや国政選挙以上の盛り上がりです。

 同じ都道府県内であればともかく、これまであまり顧みられることのなかった「知事」というポジションの政治家の言動が、どうしてこれほどまでに注目されるようになったのか。それは裏を返せば、知事という存在が、これまでほとんど話題に上る機会がなかったということかもしれません。実際、東京や大阪であればともかく、神奈川県知事や埼玉県知事、千葉県知事が誰かとか、静岡県知事や北海道知事の名前などを気にする人は(地元以外では)ほとんどいなかったでしょう。

 一般の住民にとって、市町村長というのは学校の式典に来たり地元のお祭りに現れたりして、案外、普段から身近な存在かもしれません。しかし、広域自治体の責任者としての知事は、実際、住民との接点は極めて少ないのがこれまでの姿でした。従来から都道府県と言えば、だいたいは国の言うことに従って、市町村に通達を出したり予算を配ったりするのが仕事です。それゆえ、相当大きなイベントや選挙でもない限り、知事が有権者に直接アピールする機会がほとんどないのはやむを得ないことかもしれません。

 さて、そうした(割と地味な存在であった)都道府県知事を政治の表舞台に引っ張り出したのが、今回のコロナウイルスによるパンデミックと言えるでしょう。コロナ対応に途方に暮れた政府は、感染状況の地域的な緊迫度の違いもあって、現場の対応を都道府県に丸投げにした。メディアから注目され住民からプレッシャーをかけられる中、都市部を中心に近隣都道府県と比較された知事たちが、それぞれ(独自の)対応を迫られてきたのは広く知られるところです。

 そもそも、新型インフルエンザ対策特別措置法に基づく「緊急事態宣言」「蔓延防止対策特別措置」は国の権限と責任で出すものですが、国の役割は「基本方針」を示すところまで。その後の、外出自粛や営業自粛の要請といった防止策を具体的に講じるのは知事の権限で行うものとされています。現在、国では「基本的対処方針」の名を借りて、本来なら知事がやるべきことまで運用指針に事細かに書き込んでいますが、そういう意味では(法的な枠組みでも)コロナ対策の主役は(あくまで)都道府県知事だということで間違いはないようです。

 そうした中、国の言っていることと、自治体の言っていることを並べてみて、いくつかの自治体のトップの方が常識的で理があることも国民にはわかってきた。メディアに露出し様々な議論に加われば、視聴者に自治体の真剣さが伝わってくるということもあるでしょう。そういう意味で、今回の新型コロナ対応は、住民が地域の自治体、特に都道府県を見つめなおす、ひとつのきっかけを提供してくれたと言えるかもしれません。

 ワクチン接種や感染対策、蔓延防止のための行動規制や協力要請など、自治体の役割が大きくなるにつれ、地方自治の存在やあり方を見直す動きも出てきているような気がします。地方自治をめぐるこのような空気感の変化を踏まえ、1月15日の日本経済新聞が「危機を想定した国と地方の役割分担に」と題する社説を掲載していたので、この機会に小欄でも紹介しておきたいと思います。

 新型コロナウイルス禍の教訓は国と地方が十分に連携できなかったこと。1月14日に発足した地方制度を議論する首相の諮問機関「第33次地方制度調査会」では、感染症のような危機を想定した新たな国と地方の役割分担を(是非)探ってほしいと、筆者は社説の冒頭に記しています。

 コロナ下では、休業要請やワクチン接種などで国と地方に温度差が生じ、自治体ごとに対応にばらつきが目立った。(そこで問題視されたように)感染症のような広域にわたる危機は、全体として感染の抑制に最適になるよう統一した対応が求められると筆者はしています。

 一方、地方自治は、地方全体が同じ方向を向いて軍国主義に走った戦前の反省から、(ばらつきがあることが民主主義の危機の歯止めになるとの考え方のもと)憲法に規定されたもの。コロナ対策と地方自治とは相性が決して良くないことから、(こうした憲法の精神を踏まえつつ)感染症レベルの緊急時に統一した行動をとれるようにする必要があるというのが筆者の認識です。

 まずは、「平時」と「緊急時」で国と自治体の役割を切り替えることが重要となる。緊急時には国が統一した方針や枠組みを示す権限を持つようにし、そのうえで保健所など現場で対応する機関がその方針の下で動くよう、指揮命令系統も見直す必要があると筆者は言います。

 もちろん、国が自治体行政への関与を強めることは、地方分権から中央への再集権に繋がる面もある。政府は、身近な行政は地域事情に合わせた方が質や効率の向上に資するとして分権政策を進めてきたが、(目下の状況では)デジタル化によって国が統一した形で対応した方がよい分野が広がりつつあるというのが筆者の見解です。

 例えば、地域事情に関係なく一瞬で流通するデータの扱いは、国が共通のルールをつくることが望ましい。実際、個人情報は自治体ごとに条例で守る形から国が法律で一本化する形に移行したと筆者は説明しています。

 さて、地方分権は1990年代半ばに本格化してから四半世紀の歳月を経て、(そろそろ)一度、総点検してよい時期が来ているのではないかと筆者はこの社説で提案しています。

 「分権」や「多様性」になじむ行政分野と、全国一律による「効率」や「スピード」が求められる行政分野。新型コロナの感染症対策に合わせ、デジタル化も踏まえて、国と自治体のあり方を再構築する機会にしてはどうかと結ばれた筆者の指摘を、私も興味深く受け止めたところです。



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