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MEMORANDUM 今日の視点(伊皿子坂社会経済研究所)

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♯1755 トフラーの予言

2020年11月07日 | 社会・経済


 今から4年前の2016年に87歳で亡くなった米国の未来学者アルビン・トフラー(Alvin Toffler)は、現在まで続く「情報化社会」実現を予言し、「デジタル革命」「コミュニケーション革命」「技術的特異点」など言葉生み出したことでも知られています。

 パソコンすらまともにない時代にありながら、既にコンピューターやインターネットなどの新技術の発展とそれが社会にもたらす影響を予想。それらによってもたらされる社会的な疎外、核家族の減少、犯罪や薬物使用の増加などを的確に予測し、「情報オーバーロード(情報過多)」という言葉まで普及させています。

 出世作となった「Future Shock(未来の衝撃)」(1970年)は、かつてないスピードの変化によって引き起こされる社会不安の拡大などを示唆したほか、10年後の1980年に著した「The Third Wave(第三の波)」では、様々な技術革新、特にインターネットを軸としたデジタル情報革命などが人々の働き方から社会や文化までも一変させると予言しています。

 特に「第三の波」は1980年代の世界的なベストセラーとなり、当時20代だった私も本屋の店頭に平積みされた単行本を買い、情報革命により脱工業社会が到来するという彼の主張を半信半疑な思いで読んだ覚えがあります。

 さて、新型コロナウイルスへの感染拡大が世界中の人々に強いている生活様式の変化は、人と人との物理的な接触を回避するための重要なツールとして、情報技術の発達と普及の時間軸を速めています。

 これにより、トフラーが予言した新しい波の動きはさらにスピードを上げ、その高さや広がりもトフラーの予想を超えるものとなってきているかもしれません。

 その一つの現れとして、9月2日の日本経済新聞の経済コラム「大機小機」では、人々の生活の基盤となる「衣食住」のうち、特に住への影響を取り上げています。(「「住」の時代とトフラーの予言」2020/9/2朝刊)

 ちょうど50年前、未来学者アルビン・トフラーは、将来、人々は一気に拡大した情報に苦しむだろうと警告した(「未来の衝撃」)。そのキーワードは「情報過重荷」。そして、(彼の予言のとおり)今、私たちは、氾濫し矛盾する情報に振り回されていると、筆者はこのコラムに綴っています。

 それから10年後の1980年、彼は「第三の波」に「産業化という第二の波で人々は工場やオフィスに集中したけれど、第三の波によってもたらされる「情報化の時代」には、通勤の代用としての通信の役割が増大、コンピューターの操作テーブル、テレビ会議用の設備を配備したエレクトロニクス住宅が仕事の場になる」と書いた。

 キーワードは「エレクトロニクス住宅」というもの。工場、オフィスだけでなく学校の秩序に至るまで家庭中心になり、経済、都市、生活環境、政治でさえ一変するとしたうえで、「それは実現可能であり望ましいことだ」とまで付言していたということです。

 そして現在、新しい生活様式としてテレワークやオンライン学習が注目されている。インターネットなど存在しなかった、40年前のトフラーの予言は今日、現実のものになっていると筆者は指摘しています。

 そして、この流れは今後、ゆとりある住まいへの新たな需要につながっていくのではないかというのが、この一文で筆者の予想するところです。

 勿論、リフォームだけでなく新居への関心も広がるだろう。「大都市にそんなスペースなどない」のなら、こうした動きは郊外や地方に向けて展開されていくというのが筆者の見解です。

 自然の空気に触れる機会に恵まれた地方なら、おのずと感染症回避対策として必須の「密閉」問題からも解放される。自然の中でのゆとりのある穏やかな生活が、(これまでにない)クリエイティブな経済活動に繋がっていくかもしれません。

 従来は、「皆で集まるワイガヤの摩擦と熱気の内にこそ活力の源泉がある」と考えられてきたと、筆者はこのコラムで説明しています。

 たしかに、集合の秘める力は強い。だから節目々々に、ここぞという時に集まる。そして、信頼関係を確認し、気合をそろえるということです。

 しかし、新しい生活様式の中では、「分散」と「集合」のメリハリの効いたリズムによって、生産性はむしろ高まるのではないかと筆者はしています。

 年中一緒では、息詰まってしまう。多様な人材で構成された2019年のラグビー日本は、「一瞬」一体となった。そして、集団としての総合力をフルに発揮したということです。

 サラリーマンは、朝早く家を出て夜遅く帰宅するもの。「家は寝る場所」と当たり前のように思われてきた生活の外生化が始まっている。情報のデジタル化に拍車がかかって、くらしの本拠としての住まいが、ようやく、正当な評価を受ける時代になったと筆者はこのコラムに綴っています。

 気が付けば、全てのものがインタ-ネットによってつながるIoT(Internet of Things)の時代も、5G環境の広がりによってすでに現実のものとなろうとしています。

 生活のあらゆる要素がデジタルで連携し、衣食住を中心とした私たちの生活基盤そのものが見直されるようになるのも、そう遠くない未来のことかもしれません。

 衣・食・住と並び称されながら、実はこれまで取り残されることが多かった「住」がこれから大きく見直されて来る。豊かさの最後のターゲットをめぐる、多様な新規需要の展開に期待したいとこのコラムを結ぶ筆者の指摘を、私も大変興味深く読んだところです。



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