6月5日、厚生労働省は昨年(2023年)の合計特殊出生率が前年から0・06ポイント下がり、記録のある1947年以降の最低の1.20だったと発表しました。出生数についても前年比4万3482人減の72万7277人で過去最少を更新。都道府県別の出生率では東京都が0・99で過去最低となり、全都道府県で前年より低下したということです。
政府が初の総合対策「エンゼルプラン」を策定したのは1994年のこと。政府が初めて少子化対策に乗り出してから30年目の節目を迎える今年に至るまで、投じられた関連予算は累計で66兆円を超えるとされています。
しかし、その結果として、低下を続ける出生率の反転は(ほぼ全く)見通せていないのが現実です。改正子ども・子育て支援法などの成立により、岸田政権が掲げる「異次元の少子化対策」が実行段階に移る中、これまでと同じような「子育て支援」を続けていて、果たしてこれ以上の少子化を食い止めることができるのか。
日本の少子化対策には何かが欠けているのではないか…そんなことを漠然と感じていた折、6月14日の経済情報サイト「PRESIDENT ONLINE」にノンフィクションライターの窪田順生(くぼた・まさき)氏が「今の日本に必要なのは「子育て支援」でなく「おひとりさま支援」だ…若者が子どもを欲しがらない本当の理由」と題する一文を寄せていたので、参考までにその主張の一部を小欄に残しておきたいと思います。
情報誌「BIGLOBE」が昨年2月に公表した「子育てに関するZ世代の意識調査」によれば、18歳から25歳までのZ世代の男女457人のうち45.7%が「将来、子どもがほしくない」と回答した由。そのうち「ほしくない理由」について「お金の問題」としたのは17.7%に過ぎず、その逆に「お金の問題以外」との回答が42.1%にも上ったと、窪田氏はこの論考に記しています。
「お金の問題以外」として挙げられているのは、「育てる自信がないから」が52.3%と最多。以下、「子どもが好きではない、子どもが苦手だから」(45.9%)、「自由がなくなるから」(36%)、「これからの日本の将来に期待ができず、子どもがかわいそうだから」(25%)と続いているということです。
一見するとバラバラの理由に見えるが、実はこれらの根っこには、日本の若い人たちが抱える「絶望」がすべて集約されていると氏はここで指摘しています。
まず第一に、若い人たちは(1人で生きていくのもやっとの世の中で)日本や自分の未来に対してまったく希望が持てていない。なぜ子どもを育てる自信がないのかといえば、経済的にも精神的にも自分1人で生きていくのがやっとだから。生活に「余裕」がないので、とてもではないが他人の面倒など見切れないということです。
仕事で疲弊する中で、さらに自分の時間と体力を奪うであろう子どもに苦手意識を抱くのは、生存本能のある人間の極めて自然な発想だ。「日本の将来に期待ができない」というのも根っこは同じで、そんな日本の未来に期待などできるわけがないと氏は言います。
近年、ワーキングホリデーでアメリカやオーストラリアなど日本よりも賃金の高い国へ「出稼ぎ」へ行く若者が後をたたないのもその証左。そんな「希望なき国」の若者の中でも、さらに絶望が深いのが若い女性だというのがこの論考における氏の認識です。
そこで、出産・子育てを(自分事として)主体的に考えざるを得ない女性の立場に立てば、パートやアルバイトという非正規の低賃金労働に甘んじる中で、劣悪な労働条件にへこたれず歯を食いしばって頑張って働いたところで、待ち構えているのはさらに過酷な未来だと氏は話しています。
内閣府の調査によれば、老後に受け取るさまざまな公的年金・私的年金を合算した金額について、男性を100とした場合、女性の水準は52.6しかない。高齢女性の4人に1人は貧困状態にあることもわかっているということです。
こんなにも女性がひとりで生きていくことが難しい国で、今後サバイバルしていかなければならない若い女性の気持ちになった時、「出産一時金」や「児童手当」がもらえると聞いて「子どもが欲しい」と思うだろうか。政府が子育て支援を充実したからといって、「子どもを育てたい」と思うだろうかと氏はここで問いかけています。
自分1人でも満足に生きていけないこの日本で、さらに子どもを抱えて生きていくなど自殺行為のようなもの。まずは一人で生き抜いていく自信を持てないようでは、自分も子どもも不幸になるのが目に見えているということです。
だから、本気で子どもを増やしたいと思うのなら、子育て世帯へのバラマキなどする前に、「女性1人でも生きていける社会」をつくらなくてはいけないと氏は話しています。
人間は今に満足すると「今より幸せになりたい」と願う生き物だと氏は言います。女性が1人でも生きているようになれば、心にも余裕ができ、「誰かと一緒に生きていこう」と、結婚や出産を検討する女性も現れる。また、1人でも生きていける社会なら、離婚や死別でパートナーがいなくなっても、一人でもなんとか子どもを育てられるという「自信」も生まれるということです。
「出産・育児が罰ゲーム」になってしまったのは、日本政府が「産めよ、殖やせよ」という明治の呪いに縛られて、「家族」だけを過剰に優遇してきたからだと、氏はこの論考の最後で厳しく批判しています。
家族を作ることに自信が持てずにいる若者たちと、そのひとりひとりに目を向けることのない大人たち。こぼれ落ちそうになっている声なき声に耳を傾けないままでは、いつまでたっても次の時代を担う人々は育っていかないことでしょう。
「個人」を大切にしない社会では「家族」が増えるわけがない。そうした現実に、そろそろ政府は気づくべきだとこの論考を結ぶ窪田氏の指摘を、私も重く受け止めたところです。