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菅谷館跡へ~畠山重忠ゆかりの地(一)

2022-03-22 | おでかけ
おはようございます。

今回の旅のメイン、畠山重忠公ゆかりの地めぐり、
ぼちぼちと、スタートです。
どうぞ、おつきあいくださいませ。



畠山重忠公は、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、
中川大志さんの演じる、イケメン武将・・・いえw
「武士の鑑」と謳われた武将です。

桓武平氏の流れを汲む、秩父党のひとつ畠山氏の出身ながら
「鎌倉殿」の信頼篤い、文武両道、音曲の才に秀で、
さらには心優しき、まっすぐなイケメン(←きっとw)。




なんせ、明治生まれの亡き祖母すら、
親愛の情をもって語ったほどですから・・・

最期を遂げた二俣川は、我が横浜市。
そのゆかりの地をたどったことで、
武蔵の本国を訪ねてみたくなりました。

幸い、重忠の住まいとされる、「菅谷館」(埼玉県嵐山町)は、
続日本100名城」のひとつです。
夫のスタンプももらえると、一挙両得でした♫



ただ・・・

現在の「菅谷館」の城郭遺構は、戦国時代に拡大整備されたもので、
重忠時代の遺構は確認されていないのだとか。


それでも・・・
重忠公は、何も知らずに、ここから死地へと赴き、
戻ることはかなわなかったのだと思うと、感無量でした。

心は、完全に、時を超えて、妄想の世界・・・w



二の丸土塁の上には、重忠公の像が鎮座ましまし・・・
昭和4年(1929)に造られた、竹筋コンクリート製だとか。
そして、お顔は、鎌倉の方向を向いているそうです。



ああ・・・・・・感涙。

・・・と、涙しながら、何ですけれど・・・
このお姿、孔子像のような・・・w
イメージが違う・・・・・・



いや、それを言うなら、こちらもなぁ・・・↑
享年42才なのだから、もっと若々しくても良いのでは・・・
これじゃ、ジジむさいぞ・・・

失礼。これは、あくまで、個人の感想です、お許しを。




この人形があるのは、埼玉県立嵐山史跡の博物館で、
菅谷館跡の敷地内にあります。

こちらの博物館には、重忠の出身である秩父氏の一族について
わかりやすく、解説されていました。

秩父氏は、平安時代の中頃に、桓武平氏の平良文が
鎮守府将軍として奥州へ向かったのが始まりとのこと。
その後、一族は枝分かれし、上野、武蔵へと勢力を伸ばしています。

そのあたりも、おもしろく見学しました。



とりわけ、良かったのは、
「男衾三郎絵詞(おぶすまさぶろうえことば)」を観られたこと。
映像付きの解説でした。

「男衾三郎絵詞」とは鎌倉時代の絵巻物、
東京国立博物館所蔵の国宝です。

本郷和人『承久の乱 日本史のターニングポイント』(文春新書)で
「男衾三郎のモデル」は畠山重忠だろうと、
知り、気になっていました。

三郎が「たまたま通りがかっただけの人を弓で射たりして捕まえて、
なぶり殺しにして、家の庭に生首を備えようとする場面」は、
これは、さすがに取り上げていないようで、よくわかりませんでした。



本郷先生によると、当時でも、武士と一般とは、殺生の感覚が違い、
この場面も「武士の凶暴さを非難するのではなく...勇猛さを讃えたもの」
とのこと。(37頁から39頁)

さすがに、この感覚は、令和のわたしたちには、理解できませんものね。
(詳しくは「文春オンライン」でも読めます)



なお、本日は触れていませんが・・・

「菅谷館」に残る、戦国期の城郭遺構は素晴らしく・・・
ご覧のように、堀、土塁などで、ボコボコしていますw

自分の館が、数百年後の戦国時代に、
このようにリノベされ使われていたことは
「武士の鑑」重忠公も本望だったのでは、と思えました。



本日も、おつきあいいただき、どうもありがとうございました。

★参考
📖埼玉県立嵐山史跡の博物館編集・発行『菅谷館の主 畠山重忠』
  同『秩父氏の歴史』(嵐山史跡の博物館ガイドブック1、3)
📖本郷和人『承久の乱 日本史のターニングポイント』(文春新書)

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本日、東京電力管内の電力需給が逼迫しているとか。
先日の地震のため発電所が停止しているなどの影響だそうです。
管内の皆様、できる範囲で、節電してまいりましょう。私も頑張ります!

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