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「日本国憲法」公布70年

2016年11月03日 | 戦中/戦後史



 日本国憲法の成立過程



 今日で、1946年11月3日に日本国憲法が公布されてから70年を迎えるということで、日本の憲法が成立するまでの過程を簡単に振り返ってみます――。



 ポツダム宣言の受諾 



 1945年7月26日、アメリカ、イギリス、中国の3カ国によって、日本に対して戦争を終結させる機会を与えることを目的としたポツダム宣言が発せられた。

 日本は当初これを黙殺していたが、広島と長崎に原爆が投下されたため、ついにポツダム宣言の受諾を決意し、太平洋戦争は終戦した。


           


 敗戦とともに、日本は米軍を中心とする連合国軍の占領下に置かれ、連合国最高司令官ダグラス・マッカーサーにポツダム宣言に基づいて占領管理を遂行する全権が与えられた。



 保守的で現状維持的な草案



 連合国最高司令部(GHQ)は、現憲法のままでは、言論・宗教・思想の自由や、基本的人権の尊重の確立などのポツダム宣言の要求を実現することができないと考えた。


                 


 そこで、マッカーサー元帥は10月、日本に対して大日本帝国憲法の改正を示唆した。

 この示唆を受けて、幣原首相は、松本国務大臣を責任者として大学の憲法担当教授など憲法に知識の深い人達で構成された憲法問題調査委員会を設置した。


                  


 同委員会は何度か会議を重ねたが、大詰めを迎えていた1946年2月1日にその内容が朝日新聞にスクープされ、この記事がマッカーサー元帥の目に留まってしまう。

 元帥はその内容について、「あまりに保守的で現状維持的なため、とても受け入れられない」と判断した。



 GHQによる憲法草案



 マッカーサー元帥は、「最良の手段は、GHQで日本国憲法草案を用意することである」 という結論に達し、GHQ内で日本の憲法草案を作成するよう命じた。

 その後、憲法問題調査委員会よって「憲法改正要綱」、「憲法改正案ノ大要ノ説明」などがGHQに提出されたが、GHQ側はこれを拒否。


                   


 そして2月13日、GHQによって作成された日本国憲法草案が日本側に手渡された。

 これ以降、GHQがわずか10日ほどで作成した日本国憲法の草案を元にしながら、いかに日本風に脚色していくかが問われることになった。



 憲法公布



 日本政府は、2月22日の閣議において、GHQ草案に沿う憲法改正の方針を決め、27日、法制局が中心となって日本政府案の作成に着手した。


                   


 3月初旬に試案ができ上がり、GHQに赴いてこれを提出。確定案作成のため、GHQの民政局員と徹夜の協議の末、全ての作業を終了した。

 日本政府はこの確定案を要綱化し、「憲法改正草案要綱」として発表した後、ひらがな口語体での条文化が進められ、4月17日、「憲法改正草案」として公表された。
              

                 


 6月に帝国議会が開会し、衆議院で修正可決された憲法改正案は貴族院で修正可決、衆議院、枢密院で可決され、11月3日に「日本国憲法」として公布された。

 そして、1947年5月3日に日本国憲法が施行し、11月3日に公布されたのである。



 極東委員会の監視



 極東委員会は、アメリカ、イギリス、中国など11ヶ国で構成され、日本の憲法構造や占領管理制度の根本的改革に関する最終的な権限を持っていた。


                 


 さらに極東委員会は、憲法の施行から1年以上、2年以内に内容の再検討をしなければならないとしていたため、日本国憲法はGHQの他に、極東委員会の監視も受けることになった。

 そして、憲法施行から1年8ヶ月後の1949年1月、極東委員会はマッカーサー元帥に対して憲法の再検討の是非を問う情報を求めた。


                 


 マッカーサー元帥は、同月27日に書簡を送り、日本国憲法を再検討する必要性を感じないと答え、極東委員会も再検討をする意志がないことが確認された。

 こうして、日本国憲法はようやく外国勢力の監視の目から解放されたのである――。




 編集後記



 日本国憲法は原案をGHQによって作成され、その審議過程全てをGHQと極東委員会に報告し、承認を必要とするなど厳しい監視体制の元に成立したとのこと。

 憲法の原案というのは木の幹とも言える重要なもので、そのような国の根幹に関わる部分を他国が作っているというのにびっくり。

 日本人自らの手で自らの国の憲法を作らないと、自立した独立国家とはいえない気がします。

 戦後の主要国では、アメリカが6回、フランスが27回、同じ第二次世界大戦の敗戦国のイタリアは15回、ドイツは58回も憲法改正を行っています。

 田原総一郎氏も言っていますが、時代や世界情勢の変化に合わせて、改正すべきところと改正すべきでないところをしっかりと見極めていく必要があるように思います――。




【記事引用】 「日本国憲法の誕生」「BEST T!MES」
【画像引用】「NEWSなサイト」「日本国憲法の誕生」 「ポツダム宣言」「日本国憲法」  
      「憲法はまだか」「軍事裁判」 

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