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「野猿(やえん)」撤収20周年

2021年05月13日 | 懐しモノ集



 野猿



 「とんねるずのみなさんのおかげでした」の番組内の企画で1998年4月29日に結成され、2001年5月13日をもって解散した音楽ユニット。


    


 とんねるずと番組スタッフという素人集団ながら、シングル全11曲が全てオリコントップ10入り、アルバムも全てトップ5入りし、累計300万枚のセールスを記録。

 今年で撤収20周年を迎えるということで、改めて野猿の楽曲を振り返ってみます—―。


   



 野猿誕生のきっかけ



 番組内の「ほんとのうたばん」で、KinKi Kidsの振付で踊るとんねるずの二人のバックで番組スタッフが"ジャニーズシニア"として踊った。

 VTR後のノリさんの「君たちは日本の岡野だと思って」を受けて、タカさんが「岡野は野人だから、君達は野猿」と名付けた。





 そして、「エイベックスからCDデビューしたらカッコいい」と盛り上がり、後日電話でエイベックスの社長に直接交渉すると「そのつもりでいました」とデビューが決定。

 また、ノリさんがその場のノリで「振付、SAM」と言ったため、後日スタジオゲストに呼んで直接交渉してSAMが振付を担当することになった。






 Get down



 1998年4月29日にリリースされたデビュー曲

 野猿の誕生がKinki Kidsのパロディがきっかけだったため、「Kinki Kids風の曲」として作曲家の後藤次利に依頼して制作された。

 全国で行われた野猿のメンバーによるCD即売会にファンが殺到するなどし、デビュー曲はオリコン初登場10位の大ヒットを記録。

 タカさんは、「とんねるずの『一気』がオリコン19位になった時、これで日本は終わりだと言われた。それ以来の衝撃」と評した(笑)






 叫び



 1998年9月17日にリリースされた野猿の2ndシングルで、オリコン初登場2位を記録。

 PVはロスの砂漠地帯ドライレイクで撮影されたが、高久がダンスを覚えておらず、ドッキリで石橋が激怒して脱退を言いつけ、高久が涙を流す一幕もあった。





 PV撮影を終えた最後の夕食の時、とんねるずを除く野猿のメンバーは泣いていたとか。

 完成したPVは番組内で初めて披露され、TRFのSAMに「鳥肌が立った」と言わしめる出来にメンバー一同大興奮だった。






 SNOW BLIND



 1998年9月17日にリリースされた野猿の3ndシングルで、オリコン初登場5位。

 「2ndシングル『叫び』がオリコン初登場5位以内に入ったら、第3弾シングルとしてクリスマスソングをリリースする」とタカさんが宣言していた。

 『SNOW BLIND』の歌出しの担当者の所に、“平山”という名前が書いてあるのを見たノリさんは泣いたという(笑)






 Be cool!



 1999年2月24日にリリースされた4ndシングル。オリコン初登場3位で、この曲でNHK紅白歌合戦に初出場。

 仮歌の時点ですでにカッコよく、「SMAP×SMAP」に野猿が出場して歌った時に、香取慎吾が石橋に「この曲ヤバいっすね!」と言ったそう。






 Selfish



 1999年8月4日にリリースされた5ndシングルで、オリコン初登場5位。ラウンドワンのCMソングとして起用された。






 夜空を待ちながら



 1999年11月10日にリリースされた6ndシングルで、全体的に白を基調とし“爽やかな野猿”をイメージした曲で、オリコン初登場6位。






 First impression



 野猿 feat.CAとしてリリースされた7ndシングル。2000年2月2日リリースで、音声スタッフの荒井千佳がメインボーカル。

 約40万枚のセールスを記録した野猿最大のヒット曲。





 Chicken guys



 2000年5月31日にリリースされた8ndシングルで、この曲で2度目の紅白出場を果たした。






 太陽の化石


 
 2000年11月10日にリリースされた9ndシングルで、PVは栃木県の大谷資料館にて撮影された。






 Fish Fight!



 2001年2月28日にリリースされた11ndシングル。音楽雑誌CDジャーナルに“現代版スシ食いねェ!”と評された。

 “子供にウケる曲”をコンセプトに作られたPVが子供達に人気となり、園児全員で踊る姿が番組でも紹介され、「今週のFish Fight!選手権」なるものも開催された。







 編集後記



 『野猿』がデビューした1998年4月に、タワーレコード渋谷店の最上階で行われた握手会に集まった凄まじい数のファンの姿が印象に残ってます。

 深夜の居酒屋での仲間内での悪ノリのような勢いで結成された音楽的素人グループが、一時代を築くムーブメントを起こしたのは奇跡といえます。

 解散コンサートでタカさんは、涙を堪えながら「野猿のみんなの涙は一生忘れない。その涙は、大事に僕の心に閉まっておきます」と言いました。

 撤収から20年の今年、コロナ禍で沈んだ日本を元気づけるために、タカさんの心からまた取り出して再結成するのもアリかもしれません。

 密が問題になるというのであれば、タカさん、ノリさん、Teru、Kanの4人と野猿ダンサーは映像での参加にする形でもいいと思います。
 
 ノリさんも「10年後、20年後、30年後、40年後、死んでっかもわかりませんけども、ホントにまた逢いたいと思います」と言っています。

 その約束を果たすためにも、野猿の元気を日本に注入するためにも、1年限定での復活を――。







【記事引用】 「Wikipedia」「野猿情報」「完全撤収 四時間伝説
【画像引用】 「撤収 / 野猿」「野猿のビデオクリップと歴史



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