はと@杭州便り

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花発多風雨(hua fa duo feng yu)

2011-04-17 17:55:10 | 中国企業で働く
週末、会社の同僚Wさん、Aさんと待ち合わせて久しぶりにランチ。
運河沿いの遊歩道では遅咲きの八重桜がピンク色の雪の様に散り、日中は初夏を思わせる暑さとなった。

場所は運河にほど近い「富義倉」。
官営の倉庫として光緒10年(1884年)に作られた建物を最近リニューアルしたところで、
中には企業のオフィス、カフェ、ショップなどが入っていてなかなかオシャレ。

週末なので混んでいるかと思ったがそうでもなく、久しぶりにゆっくり過ごすことができた。







(カフェの写真を撮り忘れた!残念)

Wさんに誘われて3人で集まったのだが、彼女と私は7年前、入社当時からの老同事(古い同僚)。
3年ほど前まではたった8人のチームだったので、仕事上でも関わりが多かったが、
その後別部署になり、人数も増えるにつれて、仕事上の関わりはほとんどなくなっていた。

昨年には彼女が会社の新プロジェクト部門に移転になったのに伴い市内勤務になり、顔をあわせる機会もなくなってしまったのだが、
若い部署にあって唯一私より年上(上司を除く)の落ち着いた人で、私にとっては心を許せる数少ない同僚だった。

Wさんからこんな風に週末プライベートで会おうと言われたことがなかったので、「これは何かあるのでは」と思っていたのだが、
やはり今月末に退職する決意を告げられた。

入社当時の8人のメンバーも色々あって、決して仲の良いチームではなかったのだが、
それでもこうして一人、また一人と別部署や子会社へ移ったり、会社を去っていくのを見ると寂しさがこみ上げてくる。

私が入社した7年前は1500人そこそこだった会社はこの数年で急激に大きくなり、今や中国各地に事務所を持ち、平均年齢26歳そこそこの若い社員が数万人在籍する会社になった。
これだけの人数をまとめるために、社内では必然的に体育会系思想教育(?)が強化され、私やWさんのようにそれなりに年をとった人間には居辛い雰囲気になってきている。

私はそれでもまだ、「外国人だから」という逃げ場(というか言い訳)があるのだが、
Wさんは中国人なので、私が関わらなくても良かった権力闘争や人間関係のドロドロした悩みもあったのだろう。
本当に「8年間、本当にお疲れ様でした」という言葉しか言えなかった。

退職後の彼女の選択を聞いて、さらにびっくり。
カナダの高校に留学する子供(一人息子)について、3年間カナダに行くのだと言う。
中国人の留学熱については知っているつもりだったが、彼女の子供はまだ中学3年生。
彼女の話では海外留学は年々低年齢化していて、従来なら大学からだったのが、今は高校から留学する人も増えているらしく、子供のクラスメートも何人か、中学卒業後海外の高校に進学予定なのだそうだ。
高校1年からカナダの高校に通った場合、高校の内申の成績も大学入試で使える利点もあるそうなのだが、
何よりも今中学3年の子供の勉強が、あまりにも厳しすぎて本人がもう限界なのだそうだ。

息子さんの通う中学は全寮制で、朝6時から夜9時の消灯まで勉強勉強、でTVを見るのも、ゲームをするのもご法度。
週末や夏休みは家に帰れるが、それも膨大な宿題に追われてゆっくり過ごすこともできないそうだ。そして学校では常にテスト、テストで成績ばかり気にしなければいけない。
そこまでしないと「重点中学」(日本で言う進学高校)に進めないのが現実なのかも知れないが、これではまるで刑務所の生活と大して変らない。
中学3年間ですでに燃え尽きてしまって、「もう勉強したくない」と言う息子さんを責められない、と思う。

「高校から海外留学させて親もついていく」と言えば「教育ママ」と思われるかも知れないが、私の目から見てWさんはむしろその逆で、「子供にもっと色んな選択肢を与えてやりたい」「勉強以外のことをもっと高校時代に体験させてやりたい」という思いが強いように感じられた。そしてこの国の人にとってそれを実現するためには、留学するという選択肢しかないんだろうな、ということも何となくわかる気がする。

それにしても、長年勤めた仕事を辞め、旦那さんを残して母子2人でのカナダ行き。
子供の将来のためとはいえ、経済的にも精神的にも大きな勇気と決断が必要だったと思う。
会社を辞める決断をするまでは本当に悩んだと話してくれたが、逆に辞めるきっかけがこういうことであれば、将来悔いは残らないだろうなと思った。
新しい道にも色々な困難があると思うが、彼女の旅立ちに心からエールを送りたいと思う。

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