175Rと130R

175Rと130Rの関係性を多角的に考察し、新しい日本のあり方を模索する。

妥協して生きていこうと思う。

2010年05月01日 | Weblog
やはり人間、妥協することが肝要であるなあと最近つくづく思うし、実際、社会生活を営んでいる以上、妥協は欠かせないものであるとも思う。

もし仮に、「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」が世の中にあふれた場合を想像すると、おそろしくて夜も眠れない。


★たとえば、近所の大衆的な焼鳥屋のオヤジ 一八(いっぱち)さん50歳が「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」だった場合…

一八さんはある日、自分が店で提供している焼き鳥およびサービスが、理想とかけ離れていることに気付いてしまい、愕然とする。

まず気にくわないのは、仕入れている鶏肉のレベルやタレの味、焼き加減だ。
そこで採算を度外視して、日本中をくまなく旅した挙げ句見つけた幻の国産地鶏「コケコッコー」を使用、
また、5年の歳月をかけて和洋中のあらゆる一流料理店で修行を積み直し、究極のタレを独自に開発。
さらには、焼き鳥に最も適した備長炭を求めてついには備長炭職人の資格を取得。
北海道の山奥で森林を伐採するところから備長炭に仕上げるところまで、そのすべてを自らの手で行った。

これでようやく店を再開できるぜ!待ってろよお客ども!と息巻いた一八さんだったが、はたと立ち止まって考えた。
店の外装および店内のインテリアがどうにも気になって仕方がない。
なんていうか、「THE 焼鳥屋」みたいな、大衆的でベタな感じ、これって世間のイメージに乗っかってるだけで、
俺の理想とはぜんぜん違くないか?ということに気が付いてしまったのである。
なにしろ一八さんは「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」だから、これは仕方のないことである。

一八さんは、自分の理想とする斬新な外装と内部のインテリアをイラスト化し、業者を雇ってそのとおりに工事をさせた。
だが、どうにもイメージと微妙に異なる。
たとえば、店内の壁にはニワトリの首から上を剥製にしたやつを至るところに飾ることにしたのだが、
(一八さんは、富豪の住む洋館とかの壁に飾ってある鹿や馬の剥製からヒントを得たのである。)
業者は勝手にこれを、ブロンズのモニュメントと早とちりして、工事を行ってしまった。
これでは台無しである。(と一八さんは思った。)
また、キッチンの水回りひとつとっても、一八さんが要求していたのは古代ギリシャ時代の優雅な建築美を意識したものだったのが、
古代ローマ時代のイメージにすり替わっていたりと、かゆいところに手が届かないこと山のごとし。(と一八さんは思った。)

しかし一八さんはド素人なので、その細かいニュアンスを業者に理解させる言葉を持っていなかった。
「これでは埒があかない!いっそ自分でやっちゃった方が早いんじゃないか?」と思った一八さんだったが、
そこは「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいな」一八さん。
まずは建築の専門学校に通った後、いったん建築会社に就職し、現場経験を積むことにした。
そして業界でも有名な建築士になったあたりで職を辞して、今度はインテリアデザイナーの事務所にアシスタントとして入門。
50歳を過ぎた一八さんは好奇の目にさらされたが、そんな辛い下積みを経て、独り立ち。
すると瞬く間に「新進気鋭の遅咲きデザイナー」として名を馳せ、ついには「AERA」の表紙写真に一八さんの顔が載ったり、
テレビ番組でレギュラーコーナーを受け持つまでになった。
それもこれも、一八さんが「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」であるが故の、血のにじむような努力に裏打ちされた成功であった。

通常であれば、もはや「この仕事でメシ食ってこう」と思うところであるが、
一八さんの目的はあくまで「理想の焼鳥屋」をかまえることであり、彼の心は一切ブレることがなかった。
ある日、「そろそろ頃合いかな」とつぶやいた一八さんは、ついに自分の店の改装工事に着手。
外装は「アフリカのマサイ族の住居をリスペクトした感じ」なのに、店内に入ると古代ギリシャ時代にタイムスリップしたかのような優雅な建築美、
トイレには特にこだわり、平安時代の廁を見事に再現しながら、全自動のウォッシュレットを取り付けるという、心憎い演出を施した。
もちろん、店内の壁にはところせましと、ニワトリの首から上を剥製にしたやつが飾られている。

「余は満足じゃ」とつぶやきかけた一八さんだったが、
ふと、「接客」に関しては、まだまだ理想を追求する余地があるのではないかと心配になり始めた。
そこで、最新のミシュランガイドを片手に、国内外の三つ星料亭や三つ星レストランを巡り、ありとあらゆる接客を学習。
(そうこうしているうちに舌も肥えてしまい、一八さんは「究極のタレ」をさらに改良して「新・究極のタレ」を開発。)
また、時にはファーストフード店やコンビニエンスストアのような場所に出向いたりもして、理想の接客像をより明確なものにしていくことも忘れなかった。
一八さんは、自らが追求する理想の接客イメージに近づいていった。

苦節45年。ついに理想の焼鳥屋として店を再開できる…
だが、その時には一八さんは95歳になっていた。

45年前の常連客は、もう亡くなっていたり、引っ越していたりで、どこにも見あたらない。
また、家庭を顧みずに45年間「理想の焼鳥屋」だけを追求していた一八さんのもとからは、妻も子も去っており、一八さんはひとりぼっちだった。
追い打ちをかけるように、長年の無理がたたり、一八さんは体調を崩すことになる。
「体力の限界…」そうつぶやいて、一八さんは自宅の布団の中で息を引き取った。
(最終的に、「新・究極のタレ」が「エバラ焼き肉のタレ」に酷似いることに一八さんが気が付かなかったのが、不幸中の幸いであった。)


…このように、一八さんのような「妥協をゆるさないストイックな鬼軍曹みたいなお方」が世の中にあふれた場合、
あらゆるサービスが一時停止されてしまい、社会は立ちゆかなくなってしまうだろう。
そう考えると夜も眠れず、また、実際のところ、大半の大人が妥協しながら日々の生活や仕事をこなしてくださっていることに、
「大人だなあ~」と感謝の意を感じずにはいられないのである。