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葛城事件

2024-07-25 17:45:00 | 映画

葛城清は嫌がらせの落書きをペンキで消そうとしている。

死刑を言い渡された次男の稔は、父を見て不気味に笑う。

稔と接見をする星野順子。
死刑制度廃止論の信念を持ち稔と獄中結婚までしている。会話になるよう一生懸命つとめる。




さてどう展開するのか法廷劇ではないので犯罪に至るまでの稔の環境や心理を描いていくわけではない。 

時間軸を変えて葛城家の家族関係が描かれていく。

葛城清は、先代から受け継いだ小さな金物屋を営む。マイホームを建て息子2人を育てている。庭には2人の健やかな成育を祈願しミカンの樹を植えた。清の絶頂期だ。まさに戦後昭和の成功者の典型的な親父だ。  
坂道をせっせと自転車を漕ぎ店に向かう。数回でてくるシーン。清の律儀さを表現しているのか日常のひとコマだ。

しかし清は家族には高圧的で暴力もふるう。怒鳴りちらし恫喝する。自分なりの考えを持つ男で御説を宣うがごもっともだ。昭和の親父はあんな感じだった。葛城清の言動や主張は特段おかしくもない。

この環境で無差別殺傷の稔が育った。 

葛城家は全然特殊だとは思わないのでかえってゾッとしてくる。そういう意味では日常的に隣近所に稔が存在するのかと思うと、
背筋が寒くなってくる。


長男保は結婚して子どもをもうけてる。保は清の期待にそった生活をしているかに見えるが、会社でリストラされてもその事実を妻にも隠したまま。職探しをするが上手くいかない。面接で自分の名前も言えない緊張ぶり、繊細で内向的な性格。やがて自死してしまう。

保の葬儀の日、母親伸子の言動がおかしい。伸子は精神のバランスを崩していく。

次男の稔はフリーターというかニート。二階の自室に閉じ籠りがち。家族とは余り口をきかない。もっとも家族同士の会話が不在。

母親伸子は清に何も言えない、まともな料理を作るシーンはない。

ある夜、伸子の身体を求めた清は、拒否されたあげく「あなたのこと大嫌い」と言われる。
伸子は家を出る。出るのが遅かったかな。生活力がないからだ。

職探しをしていた保は、家を出た伸子のアパートに稔が出入りしているのを目撃する。清に連絡を入れる。    
 
保は稔に親父が来るから「漫画喫茶にでも行っとけ」と言うのだが、そのまま伸子とコンビニのナポリタンを食べ続けている。
最後の晩餐に何食べたい?伸子が切り出す。3人で会話が弾む、フツーの会話が珍しい。

夕刻清がやってくる。家族全員が揃う。
全員揃うが修羅場と化す。
稔は清にタオルで締め殺されそうになる。
保は稔を助けようとも出来なかった。
家庭崩壊は決定的。






長年、清は家族を抑圧し、子どもたちは負のエネルギーを溜め込んでいたのだろう。家庭環境が子どもの人格形成に影響を与えるのは当たり前だが、葛城家程度のことは何処でもあると思う。
ゆえに怖い、普通とは言えば普通の清がモンスターに見えてくるのだ。

稔を殺人者にしたのは?
清のせいではない。 
「おれが一体、何をした」まさにそうだ。
客が来なくても金物屋を続ける清は勤勉な男なのだ。その子どもがヤワ過ぎる。
「娘がいたら家族関係はもっと違った」とか舞台挨拶で監督だかが言っていた。男兄弟の家庭なんてあんな雰囲気になるのは分かる。

それにしても役者の演技がいい。
稔役の若葉竜也。得体の知れない不安を抱えた複雑な表情、順子を罵倒する荒くれさ。不気味さの表現は新井を凌ぐほど。

若葉さんは随分売れっ子で「市子」を観た後、注視していたら「ぜんぶ、ボクのせい」にも出ていたのは驚き。「あの頃」「街の上で」「愛のイナヅマ」とかも。「素敵なダイナマイトスキャンダル」は気づかなかった。多様な役を演じている、 
高良健吾、松坂桃李、池松壮亮、窪田正孝さんとかと同年代か?いま旬で今後の活躍が期待できる役者の一人ではないだろうか。



長男役の新井浩文もグッド。気弱で繊細なキャラを自然に演じている。新井さんの復活を密かに期待しているのだが。
新井さんは舞台では稔役を演じていたらしいが、凄みがでてもっと怖かったかもしれない。保役も見事だった。(清役は赤堀監督自身が演じた。)
自殺のメッセージがコンビニのレシートの裏に書いた「申し訳ない」だった。保としては精一杯だったのか。
 
南果歩が演じるダメ妻ぶりはマジ上手い。
こういう女性って居るよなという自然なリアリティを感じる。南さんならではだ。
伸子は精神を病み最後には精神崩壊。




田中麗奈演ずる順子の存在を否定的に見ている方が多いようだが、保のキャラを引き出すために不可欠な存在だ。順子との接見で保の人間として重要なものの欠落と過度の自己中心ぶりがを表現できるのだ。  
家族では殆ど無口だから。
保の子どもを怪我させたことで、兄の保に「俺が殴った」とメモる、口頭でなく筆談には驚き。

清に対峙出来るのは、明確に自身の言葉を持つ星野順子だけだ。獄中結婚するということだから強い信念があるからだろう。彼女は不可思議な女性だから彼女の背景まで想像を掻き立たせる。 
そんな難しい役を田中麗奈はシャンとして毅然と演じた。

後から感じたのだが、金はかけてない作品だなと思う。殆ど人件費かな。
金はかけなくてもいい作品は創れるんだ!拍手。

何と言っても熱演は三浦友和。
端正な容姿ゆえ、喋るたびに凄みを感じさせモンスターにみえ身震いしてくる。一秒とも同席したくないと思わせる人物だ。  

「稔の死刑は国家が決めたのだ、国家が決めるということは国民ということになる」保の死は「事故なんだ」 自分の考えを喋るのだが、どうもこれは自分に言い聞かせて、正当化をしようとしているのではなかろうか。そこに清の弱さも垣間見られる。
行きつけのスナックで「3年目の浮気」のカラオケを歌う。歌まで清の歌になってる。

清は長男の自死、次男は死刑執行され、妻は施設収容。喪失感は筆舌し難い、相当参ってる筈だ。
ひとりだけ残された家。
みかんの木に、掃除機のコードを首に巻きつけ首吊りをしようとするラストシーン。自殺は枝が折れ未遂に終わる。
それでもなお素麺を食べ続ける。このシーン2カット、意識的に長回しをしているのか。

「ALWAYS 三丁目の夕日」で、妻を空襲で亡くした町医者を演じるヒトのいい三浦友和とは真逆の人格を演じた。舞台挨拶で「好感度ダウンする」と本人の弁だが「清を演じたい」と強い衝動を覚えたという。

三浦や田中へのオファーがクランクイン間近だったらしく。三浦は他の役者に断られて自分に回ってきたのか、と言っていたが、赤堀組の新井は監督が「ホンを書くのか遅いのだ」と弄した。監督の批判なのか擁護なのか。




葛城清に感情移入するのは無理だが。
清と対峙できるのは順子だけだった。妻も2人の子どもも、自分というものがないふわふわした存在だ、故に自殺、殺人、精神崩壊という結果になる。

悲しいけれど葛城家のような家庭は数多あるのではないか身近にもいるし、わたし自身も似たような環境だった。それでも自殺も殺人もない、ヒトに暴力などふるったことなど皆無だ。
されど、我々はどういうふうに、どういうスタイルで生きていったらいいのだろうか。不安にさせる。

全然楽しくない不快な作品だが面白い。
ただこれから観るのなら、体調の良いときにした方がいい。

薬師丸ひろこコンサートなど

2024-07-16 15:00:00 | 日記
先月末の日曜日(6.30)薬師丸さんのコンサートに行った。良かった満足した。
もう、4.5回目になろうか。殆ど知ってる曲だが盛りだくさん。
一生懸命演奏してくれる彼女の姿勢に推し度をアップすることになる。

遡ればロック、フォーク、海外アーティスト、その後日常化したのがクラシックやオペラ。それに長歌演奏会やバンドネオンの小松亮太さんも加わった。ピアソラの「ヴェノスアイレスのマリア」は秀逸で大感激した。




ここ数年は平原綾香さん、2.3年前から薬師丸さんも加わった。
平原さんは半ば追っかけ。歌唱力は誰もが認めるし、彼女のサービス精神旺盛さがステージを盛り上げる。直近は母校の学生さんのオーケストラをバックに歌った。


薬師丸さんはいつも無駄なトークをしないし、ゲストも招ばないから、沢山演奏してくれることになる。ステージを一生懸命、誠実につとめる姿勢にとても好感がもてる。彼女の人格が垣間見られ、推し度はアップ。今回は薬師丸さんもフルオーケストラ、指揮者は岩城直也さん。武部聡志さんのプロデュースだ。
何曲歌っただろうか。30曲位か。


余談
何人かの歌い手さんに勝手に失望したりする。歳とったからとか病気したからとか…あろうが?プロなら歌えなくなったらステージに立つべきではないと思う。
Yグループの歌謡ショーに数回行ったが、歌えない(音がとれない、声が出ない)歌手がいた。とんでもない事態だと思った。かつてのスターやアイドルの安否確認に行ってるわけじゃない。(そういう人もいるかもだが)こちらは金払って観に行くわけだから。下手になったとかならまだしも。しっかりボイストレーニングをしてステージに立つべきと思う。本人はもとよりプロデュース側の責任重大だ。 

ボヘミアンの「葛城ユキさん」は立派だった。死期迫っていたことを感じさせなかった。



プロゴルファーが日々鍛錬し試合に出るのと同じだと思う。


昨年(2023)は中野サンプラのクローズドコンサート。たまたまビギンと竹原ピストルに行ってみた。




竹原ピストルはギター一本で演奏、汗だくで奮闘していた。それでも小生は途中で帰りたくなった。私小説みたいな語りや歌などが延々と続いたからだ。そんな臭い話しを聞きたい訳じゃない。
このアーティストはライブハウス向きなんだろうな。ホールが大き過ぎソロギターの歌はあわない。
席が取れた!とイージーに足を運んだ自分が悪い。




「Bigin」は国際フォーラムの柿落としコンサートで、まだデビューしてまもない彼らをホールDだったかで観た記憶が残っている。「イカ天」から観ている、聴いている。
でも大間違い。殆ど沖縄ソング、ロック調のノリのいい曲ばかり。小生は愚かにも「恋しくて」みたいなのを期待していたのだ。
3人はまだまだ元気で、比嘉さんの息子さん舜太郎も演奏に加わっていた。



周りの人たちは正しいファンなんだな、一緒に口ずさんだりリズムをとったり、しまいには立ち上がり一緒に歌い踊りだしていた。
小生は浮いてしまい真逆に身体が冷えてくる思いをした。
反省しきり、アーティストの現在を知らずしてイージーに行くもんじゃないな。


薬師丸さんは昨年より歌唱力が上がったような気がした。
薬師丸さんは自分では言わないが相当トレーニングしていることが伺われた。拍手だ。

彼女の観客は誰も立ち上がることがなく、ちゃんと前が見え楽しめる。(平原綾香さんのはペンライトを振るシーンがある)

Bunkamuraはオーチャードホール以外は閉館。2027年まで。オーチャードは音響のいい立派なホールだが、いずれ開発で壊される運命にあるのだろうか?

それにしても久々だった渋谷は外国人で溢れているのに驚き。こちらは隣の区から行っただけなんだが世界中からの観光客でいっぱい。欧米系外国人が目立った。池袋や新宿とも違う。皆んなスマホを片手で撮影してる。観光行くと何処の国の人も一緒やな。
しかし駅前から東急本店通りに行くのに一苦労。
世界の渋谷なんだ。




フランソワーズ アルディを悼む

2024-07-01 20:45:00 | 日記
大好きなアーティストだった。  

学生の頃からずっと聴いてきた。
一生涯の出会いだ。
逝去された情報が入り凍てついた。
先月中頃だ。

優しく透き通るオシャレな声、ポップでいて誰も真似できない彼女の表現、センス。
容姿も想像どおりの知性的で美しい。
大好きなシンガーだ。

iPodやCDで半世紀経つ今も聴くことはできる。でももういないととても寂しい。彼女はマリアカラスでもジャニスジョップリンでもない。同時代のアーティストなんだから。
本当に過去になってしまったようで。

長く病と闘っていたことを後から知った。
安らかに眠ってほしい。
もう森になんか行かない。








シルビーバルタンは大丈夫かなと、思ってしまった。たぶん同年代だと思う。